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My Wandering MUSIC History Vol.29 AUTO-MOD『LOVE GENERATION』

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1981年4月テレグラフ・レコードよりリリースのシングル。 ジュネ率いるオート・モッドのファースト・シングル(EP)にして、テレグラフ・レコードの第一弾リリース。A面には「Love Generation」と「ポルノ雑誌の女」、B面には「Horror」の全3曲入り。初回プレスのみで1,000枚を売り切ったという。 1曲めの「Love Generation」は冒頭ジュネにレーガン大統領(アメリカ大統領・1981年に就任したばかりだった)から電話がかかってくる、というシチュエーションで始まる。 (英語で)“ハロー、ジュネか?”、“お前誰だ?”、“くそったれ大統領のレーガンだ”、“レーガン?人でなしのファシストめ!”みたいなやり取り。この会話の部分はヴァクセルバルグが1991年『シングルス』(WCD-17)でCD化した際にはオミットされている。この会話あった方が面白いと思うんだけど。その後のCD収録ではどうなっているのだろう。 「ポルノ雑誌の女」は、いつも見ているポルノ雑誌に載っていた女を偶然見かけ、後をつけて…という物語仕立ての内容で、ジュネ演じる猟奇的なジャケットに表現されている世界でもある。ビニ本全盛期・AV前夜の二次元残虐愛ソング。「Love Generation」はスカ、「ポルノ雑誌~」はマイナーな曲調で、どちらもパンク/ニュー・ウェイヴの味付けをしたGSチックな曲調。ジャケットも含め作為的でキッチュなところを感じさせる。 B面の「Horror」はヒトラーと思われる2分半に及ぶ演説の後、サックスをフューチャー、ザクザクしたギターがかっこいい、カオティックな魅力もある曲。戦闘のSEも入っている。掛け声の“ホラホラ”と“ホラー”をかけている訳だが、歌詞の内容は人々の記憶と世の中の記録から戦争の残虐さが消えていき、“Horror!恐怖がまた動き始めている”と再び戦争へと向かう動きを警戒し、 “戦いを恐れ憎め”、“恐怖を常に持ち続け/憎しみを持ち続け”と戦争とファシズムに対する憎しみを綴った秀逸な内容。ジュネの思想の原点だろう(最近のジュネのゴス日記では考え方の変化も読み取れるが)。管理社会における愛を取り上げたA面2曲も面白いけど、やや直接的な表現で前のめりなパンキーだけど全然勇ましくない「Horror」が当時も今も好きだ。

My Wandering MUSIC History Vol.28 INU『メシ喰うな!』

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1981年3月ジャパン・レコードよりリリース。 PILのファーストとピストルズ『勝手にしやがれ』のイエローを意識しつつ余白を生かしたデザインに、町田町蔵の“飢えた”眼差しのモノクロ写真を使用したジャケットが鮮烈だ。鮎川誠『クール・ソロ』やサザン・オールスターズの猫ジャケ『タイニィ・バブルス』等を手掛けた、フォトグラフ・半沢克夫とデザイン・原耕一のコンビによるもの。 音楽評論家として活動していた鳥井ガク(賀句)は、1979年秋のウルトラビデとのセッションをした町田のステージや、1980年3月5日の新宿ロフトに出演したINUのステージ(“東京サイキッカーパラダイス”他に絶対零度、パラデントフェイスが出演)を見て強烈な印象を受け、3月のライブ終了後に町蔵と会話を交わすようになり交流も始まる。この時の上京ライブには2月に発売されたばかりの自主制作オムニバス『ドッキリ・レコード』(INU、ウルトラ・ビデ、変身キリン、アルコール42%、チャイニーズ・クラブ収録)を携えたものだったが、鳥井はこのオムニバスに収録されたINUの楽曲を繰り返し聴く毎日をおくり、次第にINUのアルバムを世に出したいと願うようになる。彼はレコーディングに向け奔走、最終的に1980年に発足したばかりのジャパン・レコードを選択、バンドにとってもレコーディング環境・条件をより良いものに出来るよう準備し録音に臨んだ。 レコーディング時間はトラックダウンまで含め130時間を用意、機材費等として100万円を前払い、エンジニアの鈴木隆一にはINUの楽曲テープはもちろん、音作りの参考にダブやアンディ・パートリッジ、ポップ・グループなどのレコードを前もって渡しておいたという。かくして鳥井ガクのプロデュースのもと、池袋のサンライズ・スタジオにて1980年10月17日にレコーディング開始、11月22日にトラックダウン終了という期間で制作され、1981年3月1日にリリースされた。 デビュー・アルバム録音時のメンバーは町蔵の他、ギター北田昌宏、ベース西川成子、ドラム東浦真一というフォーピース。INUは1978年末には結成されているが町蔵の他はメンバーチェンジが度々あり、この4人が最終メンバーだ。ギターの北田はアンミュージックスクール・ギター科で学費免除の特待生、変身キリンのオリジナルメンバーでもあった。この北田のずば抜けた演奏力・

木梨憲武+忌野清志郎「ガンバレ日本」

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2002年リリースのシングル。 2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会。決勝戦はドイツ VS アルゼンチン。スペインやイタリア、イングランドのグループリーグ敗退、コスタリカやコロンビアの躍進がサプライズだったが、やはり決勝戦に上がってくるのはワールドカップ優勝経験国。開催国ブラジルは失速、オランダとの3位決定戦にも敗れてしまった。日本時間の7月14日朝には優勝国が決まる。 今回取り上げたのも時を遡り、2002年日韓ワールドカップの時に木梨憲武がホストをしていたフジテレビのバラエティ番組から企画された応援歌。番組内では2002年4月19日にオンエアされているようだが、CDとしては同年6月12日にリリースされた。 「ガンバレ日本」の作詞は木梨と清志郎、作曲は清志郎。この頃の清志郎はLOVE JETSとしての活動をしていた時期でもあるので、LOVE JETSに変名で参加していたKANAME(ベース、キーボード、プログラミング)と阿部耕作(ドラム)によって録音されている。もちろん清志郎はヴォーカルとギターだ。但しメインのヴォーカルは木梨といえるだろう。加えてバッファロー・ドーターの大野由美子がミニ・モーグで参加している。 曲としては、まぁ木梨憲武がプロデューサーとしてクレジットされていることから、全体的な主導というかカラー/雰囲気は木梨憲武色が強いかな、と。清志郎はサウンド・プロデュースとしてクレジットされているので、演奏はタイトでTHE WHOライクでワイルドな仕上がりだ。 カップリングには2002年日本でのワールドカップ開催決定から心配されていた“フーリガン”を題材にした、なかばコミック・ソングの「フーリガンがやって来るヤーヤーヤー」を収録。こちらも作詞は清志郎と憲武、作曲は清志郎、KANAME、阿部がクレジットされたガレージ・パンク・テイストな仕上がりの曲。清志郎と木梨のダブル・ヴォーカルといえるが、木梨の語り部分がどうにもいただけない。現実の笑い事では済まない深刻なフーリガン被害を未然に防ぐため、2002年のワールドカップにあわせて出入国管理及び難民認定法にフーリガンの上陸を拒否したり強制退去させる条項が追加された。 「ガンバレ日本」、「フーリガンがやって来るヤーヤーヤー」ともにインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されていて、こちらはメインのヴォーカル

ENGLAND UNITED「(HOW DOES IT FEEL TO BE) ON TOP OF THE WORLD」

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1998年リリースのシングル。 2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会はベスト4が出揃った。ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、オランダ。ネイマールの残念な負傷もあった。どれもタフなゲームだった。 日本代表は6/27に帰国し1,000人が空港で出迎えたというが、イングランド代表の帰国にはたった1人なんて話題もあった。 さて私のCDラックから取り出したのは1998年フランス・ワールドカップのイングランドチーム公式ソングの 「(How Does It Feel To Be) On The Top of The World」。 アーティスト名は“イングランド・ユナイテッド”となっているが、Echo & The Bunnymen、Ocean Colour Scene、Spice Girls、Spaceのメンバーが参加したもので、なかなか(当時としては)豪華な布陣。英国のヒット・チャートでは健闘したものの、評判は良くなかったようだ。曲はイアン・マッカロクとジョニー・マーの共作。馴染み易いが平坦で装飾過多なポップ・ソング。前回取り上げたニュー・オーダーのような鋭さには欠けていると思う。ただヴィデオはモーフィングを使って面白く出来上がっているから、子供達に受けそうなイメージ。このヴィデオ込みでは楽しめる。ヴィデオを観ると、まだレス・パティンソンがいる!オーシャン・カラー・シーンからはサイモンのみ参加しているようだ。   “世界の頂点に立つってどんな感じ?”と繰り返す曲だったが、1998年のイングランド代表は決勝トーナメントの初戦アルゼンチンにPK戦の末敗れ姿を消した。