My Wandering MUSIC History Vol.37 LIZARD『GYMNOPEDIA』

1981年10月、トリオよりリリースのアルバム。

リザードの3枚目となるこのアルバムはメンバーの相次ぐ脱退、前作『バビロン・ロッカー』制作時からけしの叢へ深く入り込んだモモヨを巻き込んだ事件を経て、レコード会社をキングからトリオへ移籍、バンド周辺の人間関係の危機、アルバム制作が進むにつれてバンドの崩壊も決定的となるなか、1981年の夏に録音されたものだ。録音メンバーはモモヨ、ワカ、ベル(この3人がリザード名義)、北川がクレジットされている。バンドはアルバム制作にあたり再起を誓ったが北川はレコーディング途中で、ベルもレコーディング終了後に脱退している。

アルバムタイトルの『ジムノペディア』はフランスの作曲家エリック・サティが1888年発表したピアノ曲のタイトル「ジムノペディ」をモモヨが変容させたもの。レコード帯には “今日の祝祭とは何か?黄金色の祝祭はどこへ行ってしまったのか?それがこのアルバムのテーマである” というモモヨの言葉が記されている。サティの「ジムノペディ」は古代ギリシアの祭典を描いた壺から着想されたらしいから、そのあたりも共通したイメージなのだろう。ジャケットはインディでリリースしたMOMOYO & LIZARD!名義の『SA・KA・NA』のジャケットと同じ撮影時のものが使用されている。付属しているインナーには歌詞が印刷されていなかったが、確か応募すると歌詞と写真を載せたブックレット仕様のものが貰えたのだと思う。私が持っているLPは中古で、そのブックレットが付いていたものを買った。

アルバムのイントロとして30秒ほど「王国」が使われ、ベースがうねり躍動する「セレブレーション」でアルバムは始まる。穴倉の暗闇から光を目指す流行性舞踏病を讃えた祝祭の歌だ。 “やぁ、君、また会ったね…”と言うフレーズが印象的に使われ、歌声の中に転生するモモヨの夢を描いた「眠りの国」。タイトル・トラックの「ジムノペディア」はサティ的、現代音楽的アヴァンギャルド性にドアーズをプラスしたような呪術的でもある曲。続く「放蕩息子の逆襲」はアップテンポでポップな曲。モモヨと北川のギターのアンサンブルが素晴らしく歌詞も秀逸。1980年12月のジョン・レノンの狙撃事件に材を取った「ガレキとガラス」。ここまでがアナログA面。

菅原庸介(モモヨ)著『蜥蜴の迷宮』によればこのアルバムの “A面は独立した作品を集成したもの”、 B面はモモヨを巻き込んだ “事件以後の魂の遍歴を歌っている”ということだが、B面の1曲目「バビロニア」では歌詞やサウンドから1枚目や2枚目のアルバムのテイストを感じる。 「亡命者/ニジンスキーのために」はロシアのバレエ・ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーに捧げられているが、モモヨが事件以後に経験した暗澹たる人間関係が歌いこまれている。ギターワークを含めこの曲も編曲が素晴らしい。自らの抑留生活も盛り込んだような「ダンス」。「牧神の午後」はワルツのリズムと白日夢のようなエフェクトが夢心地に誘う。ニジンスキーが振付・上演した同名のバレエ作品もあるが、歌詞にはやはりニジンスキーを思わせる幾つものフレーズがある。アルバムのラストは幻覚と禁断症状を歌いこみながらも、けしの叢へ誘う「ポピーズ」で、エンディングにはアルバムの冒頭と同じく「王国」が使われている。

『ジムノペディア』はリザード/モモヨが辿ってきた道程のマイルストーンといえるもので、 モモヨの体験と心象をサウンドとリリックで具現化した真正のサイケデリアである。

そういえば私がサティの「ジムノペディ」を知ったのはリザードの『ジムノペディア』を聴いた後の事で、押井守監督の映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を観た時だったと思っていたのだが、どうやら違う。『うる星~』に使われているのはオリジナル曲のようだ。他の映画だったかなぁ…。

参考文献:菅原庸介著『蜥蜴の迷宮』、地引雄一著『ストリート・キングダム』、リザード『彼岸の王国』の地引雄一によるライナーノート

このブログの人気の投稿

TH eROCKERS「可愛いあの娘」

NICO『LIVE IN DENMARK』

ザ・ルースターズ「PLAYLIST from ARTISTS」