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5月, 2015の投稿を表示しています

My Wandering MUSIC History Vol.50 BRUCE SPRINGSTEEN『BORN TO RUN』

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1975年8月25日、Columbiaよりリリースのアルバム。日本盤は1975年10年25日CBSソニーよりリリースされた。 『Born To Run』30周年盤のブルースによる解説には、こう書かれている。 (アズベリーパークの)“ボードウォークの近くのキングズレーとオーシャンというふたつの大通りが、地元の者たちがサーキットと呼ぶ楕円形のレーストラックを形成していた” (1974年)“その夏、俺は2000ドルで、生まれて初めて車を買った。57年型のシェビー。4気筒のデュアル・キャプレター、ハーストのギアシフト。 ボンネットにはオレンジ色の羽のように広がる炎が描かれていた” 公道をサーキットがわりに走ることでスピードに自暴的なスリルと生きるための僅かな希望を見出す。ブルース自身がそうしていた訳ではないと思うが、そこで行われている出来事や集う若者たちに自分との共通した感情を見出し、観察することで歌=物語を紡ぎだしていたのだろうと思う。このアルバムの事を夏のある一晩、様々な場所で起きた出来事を歌った、とブルースは語っていた。 このアルバムがリリースされたのは1975年、私が聴いたのはその6年後くらいだったと思う。友人に借りて聴いたのだが、“発見”だったなぁ、1975年にこんな衝撃的な内容のアルバムがリリースされていたとは。ロック・ジャーナリストのジョン・ランドウが1974年5月にライヴ評をボストンのリアル・ペーパーに載せている。 “I saw rock and roll future and its name is Bruce Springsteen.  And on a night when I needed to feel young, he made me feel like I was hearing music for the very first time.” そう、まるで音楽を初めて聴いたときのような気分にしてくれた。私が『Born To Run』を初めて聴いたときも全くその通りだった。 夜に隠された魔法を解き明かそうとし、無防備ともいえる若さのもとでの友情と愛情、信頼と裏切り、自由と拘束を歌い、自分たちが何者なのかを問い、ここではない何処かを目指して走りだそうとする姿を描いた。その推敲された詩/物語とデリケートに選び抜かれた音色とパワフル/リリカルな演奏ス

My Wandering MUSIC History Vol.49 佐野元春『HEART BEAT』

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1981年2月25日、Epicソニーよりリリースのアルバム。 佐野元春のアルバムを初めて聴いたのは『ハートビート』か『サムディ』(1982年)か、どっちだったか思い出せない…。けど、まずはセカンド・アルバムの『ハートビート』。ジャケットが好き。収録曲の「Night Life」を映像化したようなモノクロームのフォト。 “決まったぜ”という裏ジャケもいい。勢いを感じるなぁ。アルバム・タイトルはバディ・ホリーの楽曲からとられたいう。 佐野元春のサウンドは私が当時聴いていたパンク/ニューウェイヴとはまた違った新しさを感じさせるものだった。言葉をコラージュするように描く都市の風景、登場人物たちのユーモラスな会話や時にシリアスなモノローグ、その言葉をビートの効いたサウンドに出来るだけ詰め込んだポップチューン、イメージをたくさん盛り込んだリリカルなバラッド。クールでエネルギッシュでソウルフル。そして何より各曲ギターソロというものがない。間奏にギターを使ってない。これは個人的に画期的だった(何しろハードロックを聴いてきたからね…)。 オープニングの「ガラスのジェネレーション」は、Get Happy!と歌うカラフルでポップな曲だが、ラストに“つまらない大人にはなりたくない”というフレーズがあるため、佐野が年齢を重ねるにつれて歌う事を逡巡させることになる曲。個人的には佐野元春版マイ・ジェネレーションと思うのだが。THE WHOの「My Generation」には“I hope I die before I get old”という歌詞があるが、佐野はTHE WHOほど刹那的なフレーズじゃなく“街に出て/恋をしようぜ”と訴えるポジティヴな内容で、少年の心(=ピュアネス)を持ち続けたい、という気分を歌っていると思う。まぁこの時の佐野は気分という生易しいものじゃなく決意表明してしまっているんだが…。そして自分達とリスナーであるティーン達(ガラスの世代)の新しさを高らかに宣言し、自分達よりも少し年上の革命的ジェネレーション(1969年には佐野はまだ13歳だ)との決別を告げるセンセーショナルなポップ・ソングでもある。 続く「Night Life」。金曜の夜、精一杯お洒落した若きカップルのナイトライフ。グルーヴィーなアレンジが気持ちいいし、 “時計を気にしながら早く服を付けて髪も整えたらタクシーで1

My Wandering MUSIC History Vol.48 浜田省吾『ON THE ROAD』

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1982年2月25日、CBSソニーよりリリースのライヴ・アルバム。 浜田省吾のアルバムとしては、このライヴ・アルバムを初めて聴いたんじゃないかな。確か貸しレコード屋で借りた気がする。2枚組でそのうちの1枚は3曲入り12インチ・シングルって扱いだった。1981年12月26日、27日、28日の広島郵便貯金ホールと浜省としては初の1982年1月12日の日本武道館でのライヴから収録。ライヴの演奏はFuseと名付けられたバンドによるもの。 サウンドとしてはアメリカンテイストでハードなロックンロールがベースだが、私が80年代前半に入れ込んでいたパンクとはまた別のストリート感を持った歌詞や、パンクやニューウェイヴでは取り上げられない “愛の追求” が魅力だった。私のまわりでも浜省好きは多かったなぁ。 ジャクソン・ブラウンのライヴ・アルバム『Running On Empty(邦題:孤独なランナー)』をカラフルに模したジャケットもよかった。今持ってるCDは1枚にまとめられ、アナログ盤2枚目のA面に収録されていた「路地裏の少年」がCD化の際に5曲めに、B面に収録されていた「Midnight Blue Train」が11曲目、「On The Road」(スタジオ録音)が12曲目に収録されている。 アルバムの始まりが1976年リリースのデビュー・シングルB面曲でミディアム・テンポの「壁にむかって」からというのも渋い。この曲のライヴ・ヴァージョンではスタジオ・ヴァージョンにあった“恋して愛され決めた彼女とひとつ屋根の下で暮らしてゆく~” で始まる2番の歌詞が歌われていない。ちょっと生活感があり過ぎたかな。以下収録順ではないが簡単に紹介。 1969年の大学闘争を振り返ったフレーズが出てくる「明日なき世代」、ロックンロールの初期衝動を歌った「終わりなき疾走」、都市の底辺を映しだした「東京」の3曲は、スピーディでハードな演奏が聴ける。特に「東京」は爆発寸前のギリギリの感情を表現したスリリングで緊張感がある優れた曲だと思う。スプリングスティーンの「Tenth Avenue Freeze Out」のアレンジをスピード・アップしたような「土曜の夜と日曜の朝」は工員を主人公にした曲。アラン・シリトーの小説に同タイトルあり。読んだなぁ、シリトーの小説。 浜省といえばバラードというイメージを持つ人もいるかもし

リチャード・ヘル著・滝澤千陽訳『GO NOW』

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2004年5月、太田出版刊。 リチャード・ヘルが書いた小説で本国では1996年に刊行されたが、邦訳が出たのは2004年。 最近ではめっきり小説を読むことも少なくなったが、本屋で見かけ“あの”リチャード・ヘルの書いた小説か、 読んでみるか…。 リチャード・ヘルを聴いたのは1982年リリースのヴォイドイズとしてのセカンド・アルバム『ディスティニー・ストリート』が最初だったんじゃないかな。友人が持ってた輸入盤を借りた。ディランのカヴァーがかっこよかったな。当時『ブランク・ジェネレーション』は入手困難だったような気がする。そのセカンドアルバムリリース後しばらくしてヘルは音楽活動を停止、小説を書いているというのは知っていたが翻訳も出ていたんだ…。帯には町田康による“地獄のパンク文学”の推薦文。 内容はというと、バンド活動停滞中のパンク・ロッカー、ビリーと女性フォトグラファー、クリッサがカリフォルニアからニューヨークまで車を運転して運ぶ仕事を依頼される。全ての経費は依頼者持ちだ。その道中で“なにか”を探し、ビリーが書き、クリッサが写真に撮る、さらにその内容を本にする、というのが依頼者のアーティスティックな興味であり2人にとって真の仕事でもあった。 ロード・ストーリー的な内容になっているが、ビリーはヘロイン中毒で、ヘロインを打つ/調達と旅先で出会う女とのセックスによる快楽を求め続ける日々。そんなビリーが起こす様々な裏切り行為や破滅的とも言える行動、ビリーが感じる自己嫌悪、快楽を求めるがゆえに陥る自己欺瞞。だから旅の先々で“なにか”を探すなんていうのはビリーには二の次であり、優先度は最下位ほどに低い。ただ自分の欲望を満足させるため、誰かにたかり、誘惑し、懇願し、自分さえも騙し、自分と他人の心を傷つけ、満足したと思ったとたんに渇望という小さな穴が開いているのに気付き、その穴が次第に広がってゆく。それを繰り返し、繰り返し、繰り返し…。 この小説を読み進めていっても、つまり同じこと。自己の快楽追求に忠実に生き続ける姿を見続けるだけだ。 セックス・ドラッグ、それにロックンロール…はない。音楽に関しての記述は殆どない。もちろんこれはヘルの自伝ではなくビリーの物語だが、ヘルの体験に基づいてもいるという。芸術、文学、それに少しだけ語られる音楽に対するビリーのセリフや考え方はヘルに近いんじゃないか