リチャード・ヘル著・滝澤千陽訳『GO NOW』
リチャード・ヘルが書いた小説で本国では1996年に刊行されたが、邦訳が出たのは2004年。
最近ではめっきり小説を読むことも少なくなったが、本屋で見かけ“あの”リチャード・ヘルの書いた小説か、 読んでみるか…。
リチャード・ヘルを聴いたのは1982年リリースのヴォイドイズとしてのセカンド・アルバム『ディスティニー・ストリート』が最初だったんじゃないかな。友人が持ってた輸入盤を借りた。ディランのカヴァーがかっこよかったな。当時『ブランク・ジェネレーション』は入手困難だったような気がする。そのセカンドアルバムリリース後しばらくしてヘルは音楽活動を停止、小説を書いているというのは知っていたが翻訳も出ていたんだ…。帯には町田康による“地獄のパンク文学”の推薦文。
内容はというと、バンド活動停滞中のパンク・ロッカー、ビリーと女性フォトグラファー、クリッサがカリフォルニアからニューヨークまで車を運転して運ぶ仕事を依頼される。全ての経費は依頼者持ちだ。その道中で“なにか”を探し、ビリーが書き、クリッサが写真に撮る、さらにその内容を本にする、というのが依頼者のアーティスティックな興味であり2人にとって真の仕事でもあった。
ロード・ストーリー的な内容になっているが、ビリーはヘロイン中毒で、ヘロインを打つ/調達と旅先で出会う女とのセックスによる快楽を求め続ける日々。そんなビリーが起こす様々な裏切り行為や破滅的とも言える行動、ビリーが感じる自己嫌悪、快楽を求めるがゆえに陥る自己欺瞞。だから旅の先々で“なにか”を探すなんていうのはビリーには二の次であり、優先度は最下位ほどに低い。ただ自分の欲望を満足させるため、誰かにたかり、誘惑し、懇願し、自分さえも騙し、自分と他人の心を傷つけ、満足したと思ったとたんに渇望という小さな穴が開いているのに気付き、その穴が次第に広がってゆく。それを繰り返し、繰り返し、繰り返し…。 この小説を読み進めていっても、つまり同じこと。自己の快楽追求に忠実に生き続ける姿を見続けるだけだ。
セックス・ドラッグ、それにロックンロール…はない。音楽に関しての記述は殆どない。もちろんこれはヘルの自伝ではなくビリーの物語だが、ヘルの体験に基づいてもいるという。芸術、文学、それに少しだけ語られる音楽に対するビリーのセリフや考え方はヘルに近いんじゃないかと思うし、快楽と苦痛にまつわる状態の描写はリアルに迫ってくる。読んで楽しいものではないが、ヒリついた精神の軋みを文字に変換したヘルの力量もすごい (訳者もすごいと思うけど)。
シングルでリリースされた「Go Now」は小説の第1章と第2章をリーディングしたもの。ギターはロバート・クワイン。