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早川義夫著『たましいの場所』

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2012年12月、筑摩書房刊。 早川義夫の本は1990年代に再刊された『ラブ・ゼネレーション』、そのあと古本で買った『ぼくは本屋のおじさん』を読んでたけど、音楽活動を再開した頃1994年からのエッセイをまとめた『たましいの場所』(初刊行は2002年)の文庫本を最近入手して読んだ。 これまでの本も、時に辛辣、時に心のずーっと奥を見つめないと見つけられないような表現で、自分の感情に素直な文章を書く人だなぁと思っていたけど、この『たましいの場所』はさらに包み隠さず赤裸々と思える。音楽活動を再開することによって気付いたこと、早川書店を閉店することで気付いたこと、まぁこのあたりは早川のパブリックな面の延長だから抵抗なく読めるのだが、章が進むにつれて妻、子供、兄弟という家族に関する内容には驚くこともしばしば。さらに早川の恋/恋人に対する事柄もあけすけ。 以前からの深い洞察力は不変。それが広く日常の事柄にもおよんでいるので、多くの人に読まれてもいるし、共感も得られているのだろう(性に対するアナーキーさも不変だ…)。アルバム『ひまわりの歌』(1995年)のプロデュースをした佐久間正英とのエピソードも面白かったし、早川義夫が母の病室で歌を歌うエピソードは歌の持つ不思議で特別な力を感じることが出来た。 早川義夫のパーソナルな出来事も刺激的な読み物だが、個人的には音楽活動に関連したエッセイがもうちょっと読みたいなとも思う。でもそのパーソナルな出来事が早川の作る音楽の創作のもとになるんだと思うとやはり興味深いのだが…。それでも “まだまだ、僕は本当の事は、ちっとも言っていない” と書く早川義夫。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を変わらず追及して音楽や言葉を生み出している。この本の他にも数冊ちくま文庫から出てるので読んでみようか…。 “あなたが一流で、私が三流なのではない。あなたの中に一流と三流があり、私の中に一流と三流があるのだ” 「今を生きる」より。

My Wandering MUSIC History Vol.66 白竜『光州City』

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1981年11月1日、キティよりリリースのアルバム。 1980年8月26日、東京都内のスタジオで白竜バンドのライヴが行われた。ヴォーカルの白竜は佐賀県伊万里出身で本名:田貞一(チョン・ジョンイル)。ベースの川上茂幸とドラムスの武田治は元カルメン・マキ&OZ~ZONE、やはり元ZONEでギターの石渡輝彦、この時は大学在学中で後に1990年代日本の音楽業界を席巻する存在となるキーボードの小室哲哉というメンバー。 このライヴはレコーディングされ『シンパラム』というタイトルでその年の秋にリリースされる予定だった。しかし1980年5月に起きた韓国・光州市における民主化運動・蜂起を題材にした収録曲「光州City(バーニング・ストリート)」 の歌詞をレコード制作基準倫理委員会(レコ倫)が問題視しリリース中止となってしまう。その後白竜はアルバム『アジアン』を制作し1981年7月21日にリリースしているが、歌が消されてはならないという白竜達の尽力により、発売中止から1年後の1981年11月にアルバム・タイトルとジャケットを替えて自主制作としてキティからリリースされた。 スライド・ギターが活躍するロックンロール・ナンバー「現実」でアルバムは始まり、レゲエ・アレンジの「体を張って」、リリカルなピアノのイントロで始まるバラードの「飾らない女」に続いて、重たいリズムとギターリフを伴って戒厳令が布かれた光州のストリートの情景を歌うタイトル・トラック「光州City(バーニング・ストリート)」。実質上の軍事政権下にあった当時の韓国で民主化を求める民衆と軍が銃撃戦にまで発展した光州事件は日本でも大きく報道されていたし、リザードがセカンドアルバム『バビロン・ロッカー』(1980年)に「光州市街戦」というタイトルのダブ的な曲を収録している。日本にとっても衝撃的な事件だった。 「光州City(バーニング・ストリート)」は間違いなくアルバムのハイライトだが、この曲で白竜が社会派というイメージが強くなったのも事実だろう。私自身もそういう思い込みを持ったし、そういう歌を歌ってほしいとも思ったが、今回改めてこのアルバムを聴いて、他の曲では厳しい現実と個人が向き合っているパーソナルな内容の歌が多い。歌声も曲調も尖った感じではなく、もっとまろやかさを持っていて、真っ直ぐでオーソドックスなロック・シンガーという

My Wandering MUSIC History Vol.65 ENNIO MORRICONE「SIXTY SECONDS TO WHAT?」

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1990年、BMGよりリリースのコンピレーション・アルバムより。 1982年のクラッシュ来日公演のテレビ放送やラジオ音源を見聞きして、メンバーが登場する時にかかっているカッコいいオープニングSEは何の曲だろうな、と思った。 後にウェスタンの映画音楽を使用しているというのはどこかで読んだのだろうけど、そういうウェスタンな雰囲気を持った曲だった。クリント・イーストウッドのマカロニ・ウェスタンは好きでテレビで放送される度に見ていた。どうやらそのイーストウッド主演のマカロニ・ウェスタンの曲を使っているらしい…でも、どの映画に使われている、何ていう曲なのか…。やはり有名な『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』のどれかだろう…などとあたりをつけて…。 家に『続・夕陽のガンマン』のテーマのシングル盤があった(父親が買ったんだろうな)。原題は“The Good, The Bad And The Ugly”、エンニオ・モリコーネ楽団の演奏だ。聴いてみると、これは違うな…。そのシングルB面には『夕陽のガンマン』のテーマが収録されていた。原題“For A Few Dollars More”。こちらはギター演奏に編曲されているようだ。聴いてみると、これも違うな。それからまぁ熱心に探してた訳じゃないが、ウェスタン・テーマ・ソング集みたいなレコードを買ったりしてたんだけど探し当てられなかった。 探していた曲のタイトルが「Sixty Seconds To What?」だと知ったのはいつ頃だろう。『リデンプション・ソング(ジョー・ストラマーの生涯)』には記載があるから、この本で知ったのかも…。ジョーが亡くなった後の2007年に出版された本だから、ずいぶん長い時間が経ってるな…。 「Sixty Seconds To What?」は1965年セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演のイタリア製西部劇映画『夕陽のガンマン』に使われていた曲で、イーストウッドが活躍している場面じゃなく、イーストウッドが探しているお尋ね者たちがアジトで裏切者を始末するところで使用されていた。60秒(Sixty Seconds)というのは、映画に登場する懐中時計がオルゴールになっていて、蓋を開けてオルゴールの音楽が鳴り、音楽が終わるまでが60秒、蓋を開けてオルゴールを鳴らすということが対決する

My Wandering MUSIC History Vol.64 THE CLASH『COMBAT ROCK』

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1982年5月14日、英CBSよりリリースのアルバム。 1982年1月クラッシュ来日。私は行かなかったけど、行った友人にパンフ見せてもらったなぁ。 NHK・FMで来日音源が放送されたし、NHKテレビの「ヤング・ミュージック・ショー」で来日公演(1982年2月1日中野サンプラザ)が放映された。“団結”と白抜き文字の赤い鉢巻を巻いたジョー・ストラマーの姿が強い印象を残した。当時はビデオデッキなんか無いから放送当日に見たんだろうな。今はYouTubeで見られるけど。1月~2月にかけての日本を含む東南アジア~オーストラリアツアーの後、1982年5月にリリースされたクラッシュ通算5枚目のアルバム。当初このアルバムには『Rat Patrol From Fort Bragg』という仮タイトルがついていたが、1982年4月に勃発したフォークランド紛争に抗議する意味でジョーにより『コンバット・ロック』に変更されたという。 1曲目は「Know Your Rights」。邦題は“権利主張”。ほぼワンコードで突っ走るロカビリーとウェスタン風味を付け加えたサウンドで若者に三大権利を叩きこむ。この曲は1982年4月23日に「Know Your Rights c/w First Night Back In London」として先行シングルとしてリリースされている(B面はアルバム未収録)。「Know Your Rights」は先の東南アジア~オーストラリアツアーでもライヴ演奏されていた。「Car Jamming」はアフリカンというか密林なリズムとエフェクターを効かせたギターが絡む奇妙な印象を持った曲。続いてミック・ジョーンズの歌う「Should I Stay or Should I Go」。ミックとエレン・フォーリーの関係を歌った曲とも、ミックとバンドとの関係を歌った曲とも言われた、緩急のあるロックンロール・ミュージック。アルバムから1982年9月17日に「Should I Stay or Should I Go c/w Straight Hell(edit)」としてシングルカットされている(英17位・米45位)。 トッパー・ヒードン作「Rock The Casbah」。誰もいないスタジオで、印象的なピアノ・リフにベース、ドラムのトラックをトッパーはひとり作り上げていた。やってきた他のメンバーはそ

「小室等の新音楽夜話」予告 ゲスト・小山卓治

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TOKYO MX『小室等の新音楽夜話』11月7日(土)のゲストは小山卓治。 セッションは「種の歌」と「ハヤブサよ」。放送時間は19:00~19:30。 小山卓治をテレビで見るの、いつ以来だろう…。

My Wandering MUSIC History Vol.63 斉藤哲夫『いまのキミはピカピカに光って』

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1980年6月21日、キャニオンよりリリースのシングル。 確かにこのシングルが発売された1980年半ば頃、この曲を聴いてはいた。いや正しくはテレビのCMで見ていた、というべきか。ミノルタ・カメラのコマーシャル、登場するのは宮崎美子。海辺の木陰でシャツとジーンズを脱いで水着姿になる映像は日本中の注目を集めるものだった。このCMがお茶の間デビューとなった宮崎美子は、爽やかなセクシーさ…アグネス・ラム系列な感じか…。そしてCMで流れた歌を歌っていたのが斉藤哲夫。CMの映像とともに斉藤哲夫の歌もお茶の間に浸透し大ヒットしたが、私は1980年頃フォーク関係のアーティストは全くと言っていいほど聴いていなかったので、この曲のシングル盤を手に取ったのはもっと、ずーっと後だ。たぶん1990年以降だと思う。斉藤哲夫のCBSソニーからのアルバムがCD選書で再発され聴いていた頃だ。友人からこんな話が耳に入ってきた。 “ あの斉藤哲夫が歌っていたCMソング「いまのキミはピカピカに光って」の演奏は(PANTA&HALの)HALがやっているらしいぜ ” 作曲と編曲は鈴木慶一。鈴木慶一が1980年初頭までPANTA&HALのアルバムを手掛けていた関係からありえない話ではないな、と思って中古で入手した。何しろ売れたトップテン・ヒット・シングルだから、その辺のリサイクルショップでも安く買えた(いまでもありそう)。キャッチコピー的な糸井重里の作詞で、当初CM用の長さ“いまのキミはピカピカに光って~”と歌う箇所しか作られておらず、CMがオンエアされてすぐにシングル発売されることが決まり、他の部分を付け足して1曲分にしたという逸話がある。 シングル盤のジャケットは表が瑞々しくキュートなポーズの宮崎美子の写真、シングル盤は大体そうだけどジャケ裏には歌詞が載っているのみで演奏者の名前はない。HALがレコーディングしているのか、演奏から判断するにも確かにそう言われればなぁ、という感じ。ギターと共に印象に残るキーボードのフレーズ。『1980X』はキーボード抜きで録音されていたが、アルバムリリース後にキーボードの石田徹がHALに参加してるし。 今回ネット検索してみたけど、あまり有力な情報は無かった。私が持っているムーンライダーズやPANTA&HAL関連の雑誌・本・CDブックレットを読み返してみ