My Wandering MUSIC History Vol.66 白竜『光州City』

1981年11月1日、キティよりリリースのアルバム。

1980年8月26日、東京都内のスタジオで白竜バンドのライヴが行われた。ヴォーカルの白竜は佐賀県伊万里出身で本名:田貞一(チョン・ジョンイル)。ベースの川上茂幸とドラムスの武田治は元カルメン・マキ&OZ~ZONE、やはり元ZONEでギターの石渡輝彦、この時は大学在学中で後に1990年代日本の音楽業界を席巻する存在となるキーボードの小室哲哉というメンバー。

このライヴはレコーディングされ『シンパラム』というタイトルでその年の秋にリリースされる予定だった。しかし1980年5月に起きた韓国・光州市における民主化運動・蜂起を題材にした収録曲「光州City(バーニング・ストリート)」 の歌詞をレコード制作基準倫理委員会(レコ倫)が問題視しリリース中止となってしまう。その後白竜はアルバム『アジアン』を制作し1981年7月21日にリリースしているが、歌が消されてはならないという白竜達の尽力により、発売中止から1年後の1981年11月にアルバム・タイトルとジャケットを替えて自主制作としてキティからリリースされた。

スライド・ギターが活躍するロックンロール・ナンバー「現実」でアルバムは始まり、レゲエ・アレンジの「体を張って」、リリカルなピアノのイントロで始まるバラードの「飾らない女」に続いて、重たいリズムとギターリフを伴って戒厳令が布かれた光州のストリートの情景を歌うタイトル・トラック「光州City(バーニング・ストリート)」。実質上の軍事政権下にあった当時の韓国で民主化を求める民衆と軍が銃撃戦にまで発展した光州事件は日本でも大きく報道されていたし、リザードがセカンドアルバム『バビロン・ロッカー』(1980年)に「光州市街戦」というタイトルのダブ的な曲を収録している。日本にとっても衝撃的な事件だった。

「光州City(バーニング・ストリート)」は間違いなくアルバムのハイライトだが、この曲で白竜が社会派というイメージが強くなったのも事実だろう。私自身もそういう思い込みを持ったし、そういう歌を歌ってほしいとも思ったが、今回改めてこのアルバムを聴いて、他の曲では厳しい現実と個人が向き合っているパーソナルな内容の歌が多い。歌声も曲調も尖った感じではなく、もっとまろやかさを持っていて、真っ直ぐでオーソドックスなロック・シンガーという感じを受けた。

むしろ「光州~」が突出した歌とも言えるが、それは自らの出自を踏まえひとりの人間として歌わずにはいられない心からの叫びであったのだろう。だからこの歌をレコードとして世に出したかったし、1年後とはいえその時、その時代の空気の中で出したかったのだろう。そして白竜が「光州City(バーニング・ストリート)」で描いた情景はその後、北京で、東欧やアラブの様々な都市の街路で何度も何度も繰り返されることになる。

アナログ盤ではB面に移り、朝鮮の民謡アリランを自分たちの歌として捉え直そうという趣きの「アリランのうた」、イントロにボ・ビートを使った「俺達の夜明け」、「シンパラム(新しい風)」は、当時のニューウェイヴ(新しい波)と呼応したシンパラムという言葉を力強く発して、新しい時代への期待を込めたスピーディでハードなロックロール・ナンバー。

ラストは個人的にはこの曲が目当てでもあったパンタ(中村治雄)作詞・作曲の「Pas de Duex」。小室の霞んだトーンのキーボードで始まる艶やかなバラード。パンタは1982年前後のスウィート路線時のライヴではこの曲をセットリストに組み込んでいたが、リリースされた録音としては後々2006年のアルバム『CACA』まで待たなければならなかった。それまでこの名曲はこの白竜のアルバムでしか聴くことが出来なかった。パンタ自身のヴァージョンもいいが、聴き慣れ親しんだ白竜のヴァージョンも今一度広く皆に聴いて欲しいものだ。

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