宇多田ヒカル「道」

2016年9月28日、ユニヴァーサル・ミュージックよりリリースのアルバム『Fantome』より。

NHK朝の連続テレビ小説、朝の8時台の放送なので通学・通勤の時間帯ということもあるし、ドラマの内容に関しても少し前までは全く興味の対象外だったけど、思い返してみると漫画家水木しげるを題材にした『ゲゲゲの女房』からかな、録画して見てみようと思ったのは。鬼太郎に親しんだ年代としてはね。まぁ見たり見なかったりだったけど。

その後はまた興味なくなったが、宮藤官九郎が脚本を担当した『あまちゃん』で初めて全話を見た。ブームになったねぇ…。この時から録画した朝ドラを帰宅してから見る、という習慣が出来て『あまちゃん』以降の作品はだいたい見てるんだけど、『とと姉ちゃん』は最初数回見て、しばらく見るのをやめてたんだが雑誌作りを始める頃から毎回見るようになった。その『とと姉ちゃん』の主題歌を歌っていたのが宇多田ヒカル。

宇多田ヒカルの大ヒットしたデビュー曲「Automatic」(1998年)は当時テレビ・ラジオで大量にOAされていたけど、DJ/ヒップホップ・クラブカルチャーを通過したLooseなサウンド・メイクとヴォーカル、それでいてメロディアスでポップでダンサブル。当時アレンジャーが付いているにしても、これを作ったのが15歳とは、まぁとんでもないアーティストが現れたと思ったもんだ。随分たってからアルバム『ファースト・ラヴ』も中古で安く手に入れたけど(何しろ売れたからね)、既にオヤジの域に達している身としてはあまり聴きこむことはなくて、内容としては宇多田と同世代の10代~20歳代に受けるものだなぁと感じた。

朝ドラ『とと姉ちゃん』の主題歌「花束を君に」。私がこの曲をフルで聴いたのは2016年9月にNHKで放送された『SONGS』が初めて。この番組は宇多田と糸井重里との対談部分もありつつ、「ともだち」をインディ・レーベルTokyo Recordings主宰でシンガーの小袋成彬とのデュエットで、それから「道」をスタジオで歌った。この3曲はどれも印象に残る曲で、レコーダーに録画したのを繰り返し見ていたのだが、アルバム『ファントーム』(フランス語のFantome、oはサーカムフレックス付きが正式表記)がリリースされてから、CDを購入しようかどうしようか迷っていたのだが、リリース後10日くらいで入手。

まぁJ-Popの超メジャーなトップ・アーティストの新作アルバムをわざわざ買わなくてもとか、お前にはもっと他に手に入れたい音源があるだろうと内心思いつつも、聴いてみるとこれがとても良いんだ。

オープニング・トラックの「道」。先の『SONGS』では、アルバムの曲作りも終盤になり、何か言い残している事は無いか、と自問しながら作詞していった曲だと語っていた。これまで歩んできた道とこれから歩む道に寄り添う“あなた”と、この道の果てで出会うであろう“あなた”。亡き母への想いと悲しみからの再生。“輪廻”もひとつのテーマとなっていると思われる。
歌の中盤に歌われる“人生の岐路に立つ標識は在りゃせぬ”というフレーズには気づかされるものがあった。

そうだ人生の分かれ道になった出来事は、時にあまり突然に目の前にやってくるか、もう既に起こってしまっており、そこに分かれ道を示す標識なんか立っていなかった。軽やかでポップなトーンのイントロを持ったダンサブルなナンバー。宇多田ヒカル6年振りの活動再開の決意表明ともいえる内容なだけにオープニングにピッタリだ。

まぁアルバム全部良い曲なのだが他も簡単に紹介すると、朝ドラ主題歌の「花束を君に」は、個人的にはジョン・レノンの「Woman」を思い浮かべてしまう。メインに聴こえてくる楽器は「Woman」がギターで「花束を君に」はピアノと違いはあるものの、シンプルなエイトビートを基調とした柔らかな曲調に共通するものがあるように思う。宇多田自身はインタビューで休んでいたころに聴いていたチューリップやオフコース、エルトン・ジョンの「Tiny Dancer」なんかをイメージした、と語っていた。ダンサブルな攻撃的ともいえるビートを多く使用してきた宇多田にしては、このアナログなハイハットの音色は私にとってはとても親しみやすいもので、やはりこの曲はお気に入りだ。慎重に推敲された歌詞は多くの人に受け入れられる内容を持ち(毎日の苦しみと淋しみが愛を教えてくれる、と歌われている) 優れたポップソングとして完成している。

「道」と「花束を君に」に挟まれた2曲目に置かれているのが「俺の彼女」。ちょっと母親の藤圭子の世界を取り込んだような歌詞で、すれちがう男と女を宇多田は一人二役を演じて歌い分けている。先の「ともだち」は同性愛をあつかった歌詞をアコースティックとマシナリーなリズム、ホーンの音色をミックスしたクールなトラックにのせた曲で小袋成彬とのデュエット。ゲストは他に椎名林檎とのデュエット「二時間だけのバカンス」や、KOHHをフューチャーした「忘却」も収録されている。

ハープとドラムスの絡みが美しい「人魚」、切り取られた夏の風景(藤圭子が亡くなったのは8月だった)と“さっきまであなたがいた未来”という歌詞があまりにも悲しい「真夏の通り雨」、「荒野の狼」はヘルマン・ヘッセの小説『荒野のおおかみ』をきっかけに作詞された曲。アルバム中もっともサニーサイドな印象の「人生最高の日」は、初めて行く場所へ向かう時の高揚感を描きたかったという。ラストは「桜流し」で2012年に映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のテーマソングとして発表され、 3.11を描いているようにも思える歌詞だが、こうして今、アルバムに収録されているのを聴くと宇多田ヒカルの無意識の予見ともいえるものが感じられて驚く。

自らも母親になり子供を育てていく過程と、母の喪失により自分を再検証せざるを得なかったこと、このことが宇多田と同世代だけではなく朝ドラを見ているような年配の人たちにも支持/共感できる作品を作り上げた。これほど聴き易く内容の濃いアルバムには久しぶりに出会った気がする。

Real Soundのサイト
宇多田ヒカル『Fantome』を大いに語る
アルバム完成直後に行われたオフィシャルインタビューのなかから、レコーディングのプロセスやゲストアーティストに特化した発言を中心に構成したもの。
宇多田ヒカル『Fantome』先行レビュー
こちらはアルバムレビュー。
Usenの音楽情報サイト encore
宇多田ヒカル特集Vol.1―『Fantome』ディスクレビュー
アルバムのディスクレビュー、Vol.2とVol.3はインタビューを掲載。


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