BOB DYLAN「BLOWIN' THE WIND」
全世界に小説家・詩人・戯曲・ノンフィクション…様々な文学者が何万人、何十万人?いるのかわからないし、そのなかでも偉大な作家たちが大勢いるんだろうけど、その人たちを差し置いてというか、脇に置いてというか、ミュージシャンであるディランが受賞することに文学界側から批判が出るのは、まぁ仕方ない。
ディランの音楽が全世界のフォーク、ロック、ポピュラー音楽のミュージシャン達に言葉に尽くせない程巨大な影響を与えた(与え続けている)ことは誰にも異論はないだろう。音楽界ではボブ・ディランは他の誰とも比べようもなくディランとして屹立している。
でも文学とクロスするところではどうなんだろう。何年か前から文学賞候補にディランの名前が挙がっていたと思うが、本気で捉えている人はそれほどいなかったんじゃないかなぁ。先ほども書いたけど世に文学者はごまんといるからね…。まぁディランの詩・言葉は英語圏に住んでないとなかなか理解できないんじゃないかと思うが(米英の詩人や宗教的な事柄、ドラッグ・カルチャーなんかを含めて)、私なんかディランのレコード・CDをかけながら歌詞・訳詞カードとにらめっこなんて聴き方になってしまいがち。ディランの詩を音楽と一体となって楽しむのはちょっと無理がある、というか、ディランの音楽は歌詞を読まないで聴いた方が楽しめるしカッコいいと感じる。だけど詩人ディランが、 親しみやすい音楽を介して老若男女問わず世界各国の隅々までその詩を伝えられるのであれば、それは詩人としてとても大きな存在であるとも思える。
私がボブ・ディランという存在を知ったのは、ガロの曲「学生街の喫茶店」かな?名前だけ。
楽曲としてディランに興味を持ったのはジミヘンがカヴァーした「All Along The Watchtower(邦題:見張り塔からずっと)」 経由でディランを聴いてみようと思ったんじゃないかな。日本で編集した『Gold Disc』ってベスト・アルバムを友人に借りて、初めてディランの曲をまとめて聴いた記憶がある。そのベスト盤に「All Along The Watchtower」は収録されてなかったけど。
今回の受賞を伝えるニュースでも多く流れていた「Blowin' In The Wind(邦題:風に吹かれて)」もそのベスト盤で聴いたんだろう。当時ハード・ロック好きの私にディランの楽曲の演奏は随分素朴に聴こえたものだが、歌詞を読んでも、様々な問いかけに対する答えは“友よ…風にふかれている”という、なんとも抽象的というか、はぐらかされたような、具体性に欠けるというか、その答えはボブ、あんたはどう思っているんだ?と思いましたよ私は…。
まぁやはりディランを代表する1曲ではあるよね「Blowin' In The Wind」は。日本でカヴァーしているのを聴いたのは、フォーライフ・レコードがリリースしたオムニバス・アルバム『クリスマス』に収録されていた吉田拓郎のカヴァーが最初かな。RCサクセションのアルバム『COVERS』の清志郎和訳によるファンキーなカヴァーは最高。カヴァーじゃなくても歌の中にこの曲はしばしば登場する。浜田省吾の曲「路地裏の少年」には“古ぼけたフォークギター窓にもたれ おぼえたての「風に吹かれて」”という歌詞が、小山卓治の曲「傷だらけの天使」のなかには“スクリーンの中で男がこう歌う 友よ答えは風の中にある”という歌詞がある。
全世界的に見れば「Blowin' In The Wind」のカヴァーは結構な数があるんじゃないだろうか。この“答えは風にふかれている”という言葉だけとってもディランから受け取った多くの人々がいる、ということだろう。
右上のジャケ写は私が初めて買ったディランのレコード『ボブ・ディランのグレーテスト・ヒット』(1967年リリース)で中古で買ったもの。むろん「風に吹かれて」も収録されている。裏側に英語詞が印刷されているミルトン・グレイサーのポスター付だった。
まぁこのアルバムを買ってもいまいちピンとこなかったんだけど、ディランに惹かれたのはライヴ盤『ハード・レイン』を聴いてからで、そのあと『追憶のハイウェイ61』でディランかっこいい!『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』でディランってやっぱり凄い!となるわけです。
ノーベル文学賞受賞でディランの作品が売れているという。文学賞だけに訳詞付きの日本盤CDが人気だそうだ。どれだけ多くのディランを聴けば文学賞受賞の理由がわかるの?その答えは友よ、風にふかれている…。