My Wandering MUSIC History Vol.76 THE ROOSTERS『ニュールンベルグでささやいて』
現在では12インチ・シングルという扱いのザ・ルースターズ通算4枚目の作品集。まぁ45回転・4曲入りの12インチ・ミニアルバムという扱いもあると思う。
『ニュールンベルグでささやいて』については こちら(2004年5月の古い記事だけど)でも書いたので、ちょっとだけ補足的に紹介。
当時発行されていた首都圏の情報誌「シティーロード」の1983年3月号“読者選出 ベストテン'82”では、1982年に発売された国内ミュージシャンの中でのベスト・アルバムを選出するベスト・アルバム国内盤部門で『ニュールンベルグでささやいて』は第2位だった。42位まで掲載されているが、ベスト5は、
1.『ヌードマン』サザンオールスターズ(2026点)
2.『ニュールンベルグでささやいて』ザ・ルースターズ(1503点)
3.『バリエーション』中森明菜(1264点)
4.『FOR YOU』山下達郎(1020点)
5.『寒水魚』中島みゆき(1004点)
という結果。確か年末あたりの号に応募はがきが付属していて、その年のベスト映画、ベストコンサート、ベストレコード等を書いて送る形式だったと思う。どういう得点方式だったか思い出せないが、カッコ内は獲得点数。
また、1982年最も活躍が印象に残った日本のミュージシャン及びグループを選出する、イキイキ・ミュージシャンという部門もあって、ザ・ルースターズは第4位だった。62位まで掲載されているが、ベスト5は、
1.中森明菜(2251点)
2.サザンオールスターズ(2090点)
3.佐野元春(1855点)
4.ザ・ルースターズ(1531点)
5.高橋幸宏(1308点)
という結果。同じ首都圏の情報誌「ぴあ」と比べて批評性にやや重きを置いていた「シティーロード」だが、他の選出されたアーティスト・バンドの顔ぶれ、アルバムを見ても、多くの読者にルースターズとその音楽性が支持され、人気拡大の可能性があったのかが分かる結果だと思う。
『ニュールンベルグでささやいて』をリリースしたShan-Shan(シャン・シャン)というレーベルは、日本コロムビアが45回転・30cm・価格1500円(2枚組は3000円)のシリーズとして始めたもので 1982年10月21日に“それ行け速いレコード”をキャッチフレーズに第1回リリースとして、
ピエール・バルー『おくりもの』
坂田明セクステット『トラウマ』
村上“ポンタ”秀一『パダング・ルンプット』
リップ・リグ&パニック『ユー・アー・マイ・カインド・オブ・クライメイト』
の4タイトルがリリースされた。
この他にP.I.Lの新作が告知されていたが結局Shan-Shanとしてはリリースされなかった(翌年日本コロムビアから12インチ「This Is Not A Love Song」が先行リリースされている)。
1982年11月21日には“速いレコード・流行(はや)いひとに・捧げます”をキャッチフレーズに第2回リリースとして、
近田春夫&ビブラトーンズ『バイブラ・ロック』
リジー・メルシェ・デクルー『ドント・ユー・トライ・トゥ・ストップ・ミー』
V.A.『東京・パリ・ロンドン・ニューヨーク』
ザ・ルースターズ『ニュールンベルグでささやいて』
の4タイトルがリリースされた。
“音楽で呼吸するヒトのために新常備薬。時代のエキスはここにあり。” というコピーも使われ、フレンチ、ボサノヴァ、ラテン、フリージャズ、エスニック・フュージョン、ポスト・パンク、デジタル・ファンク、アフリカン、ダブ、ディスコ…と、当時の最先端の音楽シーンが様々な地域・民族の音楽/リズムを取り入れたものになり、海外アーティストだけではなく、日本の尖鋭的なアーティスト/バンドを紹介していたのがShan-Shanレーベルであったのがわかる。ひとつのショーケース的な1枚、V.A.『東京・パリ・ロンドン・ニューヨーク』のコンピには、 渡辺香津美+坂本龍一のカヴァー・シングル曲「TOKYOジョー」、リジー・メルシェ・デクルー「Les Baisers D'Amant(二人の口づけ)」、リップ・リグ&パニックのシングルB面曲でスネークマンショーの2枚目のアルバム『戦争反対』でも使用されていた「Ultimate In Fun」、PILの『メタル・ボックス』から「Careering」という4曲が収録されていたのは好例だ。
まぁ長々とShan-Shanについて書いてしまったが、何が言いたいのかというと、ルースターズもそれらのエスニックな影響を受け尖鋭的で刺激的な表現をしていた、ということで、Shan-Shanという当時の先端的なサウンドを紹介するレーベルから12インチ・45rpm・高音質・ 安価なシリーズでルースターズのレコードがリリースされていた事にも意味深いものがあると思う。
ジャケットの写真は大山千賀子によるもの、アート・ディレクションは戸田ツトム(Tztom Toda)の構成主義~表現主義的な雰囲気を漂わせたものになった。
リリース当時の広告。