小沢健二「流動体について」

2017年2月22日、ユニヴァーサル/ヴァージンよりリリースのシングル「流動体について」より。

小沢健二、19年振りのCDシングル・リリース。テレビ番組出演も多く積極的なプロモーション。 7インチ・シングルサイズのジャケットで限定盤(相当大量に生産してるだろうけど)。そういうことでつい購入。田舎町でもオザケンのシングルは手に入る。でもリリースから1週間くらいたっての入荷だったけど…。

まぁ小沢健二の熱心なリスナーというわけではない。なにしろ友人の彼女がカラオケで歌っていたフリッパーズの「恋とマシンガン」を聴いて、あーフリッパーズ・ギターって面白い曲作ってんだなぁ、という感想から興味が始まっているくらいで。それも1990年代の中頃~後半頃かな? それでフリッパーズ~オザケンのCDを買ったという後追い。ファースト・ソロ『犬は吠えるがキャラバンは進む』にはベースで井上富雄が参加してるしね。2枚目のアルバム『LIFE』と3枚目のアルバム『球体の奏でる音楽」、その時期リリースのシングルが好き。フリッパーズではシングルの「Camera! Camera! Camera!」が良かったなぁ。

今回のシングル「流動体について」、オリコンの週間チャートでは2位を記録するヒット。
皆待ち焦がれていたのかな。やはり19年振りの新曲発売となれば往年のファンも飛びつくし、ニュース番組まで含んだテレビのプロモーションも話題を呼んだしね。大人数アイドルが闊歩する日本のチャートに小沢健二が入ってくるのも痛快というか。久しぶりに聴いたオザケンの歌声は、少し年をとったなぁと思わせるが、それは当たり前のこと。文学的で独特な歌詞は、いまのオザケンのひとつの魅力だろう。

このシングルを買ってから小沢健二のオフィシャル・サイト「ひふみよ」を訪れているのだが、見応えがあるというか読み応えがあるというか、文章、写真、音源、色々と工夫を凝らしたサイトになっていて、ついつい読み過ぎると目がチカチカ。できれば紙で読みたいなぁ、年寄りとしては。まとまった書籍としては出てないのかな。「ひふみよ」に掲載されているいろいろな読み物を読んでいると、オザケンの文才、素晴らしい文章の表現力を感じる此の頃である。

「流動体について」の歌詞の内容はパラレルワールドもの。SFではよく使われるテーマでタイムスリップものでも見受けられる手法だ。間違いに気付かなかった世界に自分が生きていることを想像する、それは間違わなかった世界でもない、間違ったままの世界に生きていることを想像する、ということは、不思議というか妙な、かなり居心地の悪い感じがするなぁと思って聴いていた。この違和感は小沢健二の狙ったものかな?まぁ、間違いを認めない、間違いではなかったことにしようとする日本に現在生きているという実感はあるけどね。
だからこそ、小沢健二は
“意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく 躍動する流動体”
という歌詞を投げかけているのではないかとも思う。何度でも間違いに気付くように。そして
“神の手の中にあるのなら”
と歌っていてもそこに「本当の意味では、自分たちを助けられるのは、自分たちだけ。これに例外はないです」(HPふみひよ[東京の街が奏でる]より) という事を深く認識している。

流麗なストリングス・アレンジは服部隆之で、ドライヴィンな曲調はかつてのアルバム『LIFE』に収まっていても良いような曲だ。オザケンのギター・カッティングも表に出るミックスでカッコいい。この曲調にしても、ラブリーな恋人も悲しい別れも癒しも人生の応援も歌われていない曲がこうやって支持されるのだから日本のリスナーも捨てたものじゃないよね。

カップリングにはブルックリン~コネティカット~東京を結び、イスラム教~キリスト教~仏教を歌いこんで、愛と台所の歌と光を“陶酔を待つ魔物たちがいるところまで”広げることを願う静謐な「神秘的」を収録。

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