My Wandering MUSIC History Vol.78 PANTA『SALVAGE』

1983年9月21日 ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。

『KISS』、『唇にスパーク』と続いたパンタのスウィート路線は、3作目としてアダモの「ブルージーンと革ジャンパー」やザ・ドアーズの「ラヴ・ストリート」等のカヴァー集が計画されていたが、この路線にパンタ自身が飽きてしまう。1983年の流行語として軽薄短小という言葉があったり(まぁこの時期コンパクト・ディスク登場のように何事も小型軽量薄型がもてはやされる)、ネアカというキーワードもあり、パンタとしては“何かを真剣に考えたり、思い悩んだりすることが世の中から排除されている”ことへの反発という気持ちが当時あったようだ。パンタだってスウィート路線で明るく軽ーいサウンドメイクに挑戦していたはずだが、その反動で今度は重厚長大なロック・アルバムを作ろうという事になった。

バンドはスウィート路線でライヴのバックを務めていたバンドT-BIRDから引き続きキーボードの中山努、HALでベースを弾いていた中谷宏道、中谷の知り合いだったドラムの西山嘉治、ギターはスウィート路線のライヴでもギターを弾いていたデューセンバーグの鈴木匠というメンツになった。パンタとバンドは1983年5月に東大五月祭で初ステージ後、6月~7月にかけてすぐさまレコーディングに入り、完成したアルバムが『SALVAGE(浚渫)』だ。ジャケットは久々にパンタのポートレイトが使われず(頭脳警察の『誕生』以来2度目となる)、鷲がモチーフに使われた(パンタの鷲鼻にかけたといわれている)。

個人的にはリアルタイムとしては初めてのパンタの“ロック”アルバムだし、このアルバムは良く聴いた。西山の豪快なドラムで始まる「429 Street」。昭和天皇の誕生日(今は昭和の日)やシニクがきっかけとしてあるらしい。そうすると昭和街道ぶっとばすぜ的な内容かと言えばなんだかヤンキーな感じがするが、死肉街道ぶっとばすぜ的な内容と言えばパンタの言わんとするニュアンスは伝わるだろうか。

軽薄短小な時代に対するアンチな気持ちを直接的に歌った「BOUFRA(孑孑)」。多彩なリズムの応酬でノリは抜群だ。これ今どこかのガールズ・アイドル・グループが歌ったら面白いと思うんだけど…。これも各楽器イントロの入り方難しいんじゃないか「Desire」はクール/無表情に装う時代にあえて欲望を吐き出せよと歌う。

「素直な気持ちでいられたら~入江にてAM4:00~」はスローな曲で、昨夜堕ろしてきたことを黙って聞いている男、後悔の念を抱きながらも、立ち去る女を見送る…。ブルース・スプリングスティーンを意識した(「The River」あたりかな)という歌詞はヘヴィな内容で、パンタによれば半ばノン・フィクション(ということは半分は自身の経験?)という。パンタがよくバイクでクルージングしていた有明の海がイメージとしてあるらしい。

「Saturday Night Clash 夜霧に消えた青春」は疾走感溢れる曲。出だしの歌詞“夜霧の2国”の2国(にこく)が、国道1号の第二京浜の事だと知ったのは随分後の事だ。それまでは霧の中の二つの国(国家)ってなんだ?と思っていた。パンタ版「狂い咲きサンダーロード」な世界とも思える。抑えた鈴木匠のバッキング・ギターがいい味。

アナログではB面にうつって「マガジン・アウト」は『マラッカ』の頃からタイトル・モチーフとしてはあったというザラついた雰囲気のナンバー。拳銃から弾倉を抜き無防備に寝ている姿を描いた内容は、生き馬の目を抜く音楽業界で常に戦闘状態にあったパンタのひと時の休息を描いているともいえる。「Amnesia記憶蒸発」は次作『16人格』の予告編。歌われている“かみむたいげんぜじつう”は歌詞カードでは“過未無体現世時通”だが、今回ネットで調べてみると“過未無体現世実有”じゃないかという気もする。混沌とした歌詞の世界をよくサウンドで表現していると思う。

タイトル・トラックの「Salvage」は沈み込んだ気持ちでいるなら俺がかき回しサルヴェージしてやるぜ、と歌われる、頼もしい骨太ナンバー。鉄のフックのようなひっかかる鈴木匠のリフがいい。重いベースに中山の彩りあるキーボードも効果的で、新しいバンドながら年季の入ったプレイヤー達の演奏が堪能できる。ラストは「Good Morning Blues」で“きみは長くいすぎた おれは幸せすぎた”という歌詞が染みるハートブレイク・ソング。淡々とした演奏が朝の眩しさを伝えるようだ。
ギターの鈴木匠は派手なプレイこそないが、アルバム全編を通してシンプルで確実、要所をついたバッキング・プレイ、ソロ・プレイで好みだった。

アルバム・リリース後、10月15日(土曜日)には日比谷野音で「SATURDAY NIGHT CLASH」と題したワンマンコンサートを開催。私もチケットを購入したが、思えばこの時ルースターズのライヴが日本青年館で10月16日にあったんだ。それはパンタのライヴの翌日だった。当時連日都内へ電車を乗り継いでライヴを観に行けるような境遇ではなかったから、しばらくどちらに行くか悩んだ記憶がある。前売りを買う時点ではルースターズの『DIS』はまだ発売されていなかったが、パンタの『SALVAGE』は既に聴きこんでいたし、この勢いでパンタのライヴを観たい!という気になったんだと思う。

とにかく「SATURDAY NIGHT CLASH」のライヴは私にとって初めて日比谷野音に足を踏み入れたライヴだった。H君と二人でいったと思う。私が購入したチケットは確かステージから見て半分より後方のCブロック自由席エリアのものだったが、ライヴが始まってすぐ観客達は前方の指定席AブロックだろうがBブロックだろうが構わずステージ前に押し寄せ、私達もその流れに乗って前方へと走り出していたのだった。

ライヴはニューアレンジ(バンブーな感じ)の「まるでランボー」から始まり、アルバム『SALVAGE』の全曲と、ソロ時代の「屋根の上の猫」、HAL時代の「ルイーズ」、「臨時ニュース」、「つれなのふりや」等々に、当時HAL時代の未発表曲だった「メルティング・ポット」や「ギアード」、 新バンドで当時未発表だった「スカンジナビア」(まだアドルフを秀吉と歌っていた)を交えながらの大満足したライヴだった。

リリース当時の広告とライブ告知。

10.15日比谷ライヴのチラシ。

10.15日比谷ライヴのチケット半券もあった。

参考文献:「パンタ自伝 歴史からとびだせ」、ミニコミ「日本ロック第1号」、CD『SALVAGE』(1992年)ライナーノーツ

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