THE CLASH「THIS IS ENGLAND」
たぶんクラッシュのアルバム『カット・ザ・クラップ』はリリースされた当時誰かに借りてすぐに聴いたと思うが、まるで興味持てなかったな。カセットテープにも録音しなかったから、1990年代になってCD化された際に一応買っとくかという程度で、それも一通り聴いてCDラックから取り出すことはほとんどなかった。この「This is England」の12インチ・シングルも、 ニック・シェパード、ヴィンス・ホワイト、ピート・ハワード参加後のクラッシュのライヴブートCDで聴いた「Sex Mad Roar」がロカビリーぽくてカッコ良くて「This is England」の12インチにスタジオ・ヴァージョンが収録されているのを知り、やはり90年代初め頃中古で入手したものだ。
前回のストラマー、シムノン&ハワードの「Czechoslovak Song / Where is England」を紹介するのに、クラッシュの「This is England」を改めて聴いたのだが、メロディとしては良いものがあるなと思いつつ、フェイニー(Fayney)というサウンド・デザイナーがプログラミングしたデジタル・サウンドは正直好みではない。だがメロディにのせた歌詞は注目に値するもので、これこそが「This is England」が近年再評価された要因でもあるだろう。
2012年にリリースされたクラッシュのドキュメンタリーDVD『THE RISE AND FALL OF THE CLASH』のなかで、ヴィンス・ホワイトは自分達の演奏・アレンジで作品化出来なかったことを嘆き、涙ながらに語っていた。
“考えるだけでつらい。本当に泣きたくなるよ。
「ディス・イズ・イングランド」は英国の現状を表す素晴らしい曲だと思うんだ ”
1979年、英国首相に就任したマーガレット・サッチャーは当時“英国病”と呼ばれていた経済的・社会的衰退から脱却すべく、国営企業の民営化、労働組合の弱体化、税制改革、福祉政策の削減、規制緩和といった政策を打ち出す。税制改革に対する反応や人員削減など合理化による失業者の増加等により支持率を下げていたが、1982年のフォークランド紛争勝利後にサッチャーは支持率を上げ、総選挙に圧勝、首相に再選されると、サッチャリズムと呼ばれるその政策をさらに強力に推し進めた。1984年3月には合理化に反対して全英の炭鉱労組が大規模なストライキを始め政府と全面対決、激化した闘いは長期化、労組の敗北により収束するまで1年におよんだ。
当時イギリスの多くのミュージシャンが炭鉱ストを支持してベネフィット・ライヴをおこない、ビリー・ブラッグ、スタイル・カウンシル、ブロンスキ・ビート、マッドネス、ワム!、ワーキング・ウィーク、エヴリシング・バット・ザ・ガール等が 炭鉱労働者の為のベネフィット・ライヴをおこなった。クラッシュも1984年12月6日と7日の2日間、ロンドンのブリクストン・アカデミーでストライキ炭鉱夫支援のベネフィット・ライヴを行っている。
ヴィンス・ホワイトが「This is England」を“英国の現状を表す曲”と言ったのには、こうしたサッチャリズムに大きく揺れる当時の英国の状況を描いていたからだ。
冒頭登場する歌詞で耳に残るのは“human factory farm”という言葉だ。ひたすら合理化し、限りなく生産性を上げることが要求される人々の労働/生活を工場化された畜産農場に喩えていると思われる。もう少し歌詞の内容や単語をネットで検索してみると(今は便利)、なるほどなぁと思う箇所があった。
“Black shadow of the vincent
Falls on a triumph line
I got my motorcycle jacket
But I'm walking all the time
South atlantic wind blows
Ice from a dying creed
I see no glory
When will we be free”
“ヴィンセントの黒い影が
トライアンフの製造ラインに落ちる
俺はモーターサイクルジャケットを持ってるが
いつも歩いてばかりいる
南大西洋の風が吹き
氷は死にかけた信条から
俺に栄光は見えない
俺たちはいつ自由になれるのか”
モータサイクル・メーカーのトライアンフの衰退を かつてのイギリスのモーターサイクル・メーカーで、Black Shadowというモデルを販売していたヴィンセントを引き合いにして、産業が衰退し失業者が増加した一例として描き、1982年に死にかけた信条≒植民地主義の亡霊が見放されていた南大西洋の領土を巡って争いになったフォークランド紛争についても言及していると思われる。そしてこの国の為に命を差し出すことになっていると歌う。
“This is England
What we're supposed to die for”
What we're supposed to die for”
シングル「This is England」リリースの1ヶ月前、1985年8月27日、アテネのオリンピック・スタジアムでおこなわれた“ギリシャ・ミュージック・フェスティヴァル”にクラッシュは出演。これがクラッシュとして最後のステージになった。9月のフランス、10月のスウェーデンで予定されていたライヴはキャンセルされている。
アルバム『カット・ザ・クラップ』は11月8日にリリース。ブロデュースはジョー・ストラマー&バーニー・ローズの変名でホセ・ウニドスだが、マネージャーのバーニー・ローズが主導権を握って制作された。
楽曲のクレジットはストラマー&ローズとなっているが、ほとんどジョーが作ったと言われている。当初のアルバム・タイトルに考えられていた『ファック・ブリテン』は、バーニー・ローズによって勝手に付けられたタイトル『カット・ザ・クラップ』になった。ニック・シェパードによればアルバム『カット・ザ・クラップ』を回収、メンバー5人で新たに録音し直して再リリースする案も出たらしいが、もはや遅すぎた。
ジョーは解散を決断し1,000ポンドの入った封筒をメンバーに渡し“これで会うのは最後だ”と言って立ち去ったという。
1985年11月23日付けNMEは、ジョー・ストラマーの名で声明を発表しクラッシュ解散を報じたが、これもバーニー・ローズが出したものだった。メンバー達の思惑とは別のところで全てが進んでいた。なんとも後味の悪い幕切れ.…。
オランダでリリースされた7インチ「This is England c/w Do It Now」のシングルには「This is England」の別ヴァージョンが収録されたものが存在している。Discogsによればミスプレスで一般市場には出回ることはなかった。この動画の説明によればプレス数250枚のレア・アイテムらしい。
参考文献:「THE DIG Special Edition ザ・クラッシュ featureing ジョー・ストラマー」、 クリス・セールウィクズ著・太田黒奉之訳『リデンプション・ソング(ジョー・ストラマーの生涯)』、 CD Box Set『The Complete Adbentures of The Style Council』ブックレット