小出亜佐子著『ミニコミ「英国音楽」とあのころの話 1986-1991』
青山学院大学の音楽サークル“ 英国音楽愛好会 ”が発行していたミニコミ「英国音楽」に4号〜12号まで関わった小出亜佐子による当時の回顧録が出版された。
自らが発行人となった1986年春の「英国音楽」5号発行から1991年12月31日に小出が企画(バンドの選定)したオールナイト・イベント“ Hello 1992 ”(at クロコダイル)開催までをひとつの括りとしているようだ。小山田圭吾やペニー・アーケードの佐鳥葉子らが参加した座談会や仲真史(Big Love Records)のコラムなども楽しく読める。内容を簡単に紹介すると…。
著者は1965年生まれ。音楽の嗜好はサザンオールスターズから、ジャム、スタイル・カウンシル、その流れから東京モッズ系のバンドのライヴに通い、キュアー、アズテック・カメラ、バニーメン、ニューオーダー、ジュリアン・コープなどの来日公演に足を運び、スミスやオレンジ・ジュースなどUKポスト・パンク、ニューウェイヴへ移り、大学2年でサークル“ 英国音楽愛好会 ”に勧誘され入会。
ほぼ出来上がっていた「英国音楽」4号(1985年)から小出はミニコミ制作に参加、発行が危ぶまれた5号(1986年春)からは自らが発行人となり、6号(1986年夏)から小出の“ 完全私物化 ”となり、7号(1986年冬)からは、英国音楽だけではなく、東京モッズシーンやネオGSのバンドも取り上げ、ロンドン・タイムスやファントムギフトのインタビューも掲載、それらのバンドのライヴでミニコミを手売りしていたようだ。
8号(1987年春)は小出が英国へ留学のため後輩に託し、9号(1987年夏)ではブルーハーツのインタビューを掲載している。10号(1987年冬)をはさんで、11号(1988年夏)ではロリポップ・ソニック等を収録した初のフレキシ・ディスク付きとなった。続いて12号(1989年5月)もフレキシ付きだったがこれが最終号となる。
オレンジ・ジュースやジャズ・ブッチャー、パステルズ、TVパーソナリティーズ、ヴィック・ゴダードなどのイギリスの音楽を紹介しながら、日本のビート系、東京モッズ、ネオGSという当時の日本の旬なシーンも紹介し、ペニー・アーケイド(ポートレート・レコードから1988年にリリースされたオムニバス『NEO?』に参加)、ロリポップ・ソニック、バチュラーズ、シンク・カーネーション、フィリップスなどのシンプルでアコースティックなテイストを持ったギターサウンドを演奏するバンドが登場してくると、積極的にそのバンド群をミニコミで取り上げ、ライヴを企画し、求心力となってシーンを作り上げていった様子が飾りのない言葉で綴られている。
1989年頃になると小出は当時の英国音楽に興味が持てなくなり、その名前通りのイギリス音楽を紹介する役割を終えたとしてミニコミ「英国音楽」は幕を閉じる。その後ロリポップ・ソニックがフリッパーズ・ギターとして1989年8月メジャーデビュー、ブリッジ、ルーフ、マーブル・ハンモック、ヴィーナス・ペーター、フレデリック、ロッテン・ハッツなどのバンドが登場し活躍、このあたりのバンドや音楽的傾向を紹介する『ファブ・ギア』、『ブロウ・アップ』、『イノセンス・アンド・ペパーミンツ』などのオムニバス・アルバムがリリースされ、 メジャーデビューするバンドも続き、シーンは盛り上がりをみせるが、小出自身は1991年12月31日の大晦日に自らが企画したオールナイトのライヴ・イベント“ Hello 1992 ”(サブタイトルはアコースティック・レヴォリューションだった)の開催をひと区切りとし、ひとりのファン、リスナーの立場に戻った、と記述されている。
好きこそものの上手 なれ、というが、ファンであることを立脚点とし、好きなバンド、アーティストのために文章を書き、ミニコミを発行し、自らのボーナスや給料をつぎ込んで、フレキシを製作し、ライヴを開催、しかも海外のバンドまで招聘してしまうという、とてつもないエネルギーを誰に頼まれたわけでもないのに注いできた、その行動力には感嘆する他ない。
「英国音楽」を読んだことはないが、ミニコミで思い出すのは「チェンジ2000」や、ルースターズを積極的取り上げていた「NOISE MARKET」くらいか。手書き文章、イラスト、ライヴの写真、レタリングや雑誌の切り抜きを貼ったりと、手作りで思い入れの強い内容はやはりファンとしての熱量を感じたものだ。
ふと思い出して読み返してみれば、雑誌「米国音楽」Vol.9の東京ネオアコシーン特集や、ディスクガイド本「CD Best 100 ギター・ポップ・ジャンボリー」でファーマーズ・ボーイズやジューン・ブライズ、ショップ・アシスタンツ等のディスク紹介してたのは小出亜佐子だったんだな。