デイヴィッド・リンチ&クリスティン・マッケナ著・山形浩生訳『夢みる部屋』
デイヴィッド・リンチの伝記/自伝の邦訳が刊行された。ハードカバー、総ページ数704、価格4,500円(税抜)、重い…。原書は2018年にランダム・ハウス社から出ていたようだ。私は邦訳発売後、1ヶ月くらいしてから購入したものの、本の厚さと重さに恐れをなしてか、なかなか手に取らず、やっと読み始めても読み進むスピードが遅かったが、『ブルーベルベット』あたりのエピソードからは一気に読み進み、先日やっと読了。
16の章からなり、リンチ出生から、幼少時代、アートへの目覚め、絵画制作、学生時代、映画制作開始、『イレイザーヘッド』制作、その反響から『エレファントマン』制作と成功、『デューン』制作と失敗、その反省から『ブルーベルベット』制作、テレビドラマ『ツイン・ピークス』の大きな成功、その後、数々の映画制作とテレビドラマ制作、 舞台、絵画、写真、音楽、ウェブ・サイトでの作品発表等、リンチの生まれた1946年1月20日から2017年『ツイン・ピークス・ザ・リターン』放映までの71年を振り返る。
評論家・ジャーナリストのクリスティン・マッケナが関係者にインタビュー・取材をおこないリンチの足跡を記し、その後にデイヴィッド・リンチが同時期の出来事を回想する。つまり各章では、同じ時期を取材者とリンチ本人が辿ることになり読者は同時期を2度読むことになる。
もちろん視点が違うので、同じ出来事を扱ってもその感じ方や捉え方が違うから、面白いと言えば面白いのだが読者としてはややまどろこしい。
訳者の後書きに書いてある通り、その手法はリンチらしいとも言えるのだが、それで本が厚くなっているのでは…。まず客観的な視点で書かれた出来事を読み、その情報に基づいて読者が頭に描くであろう映像に、リンチが主観的に語るその手法はDVDやブルーレイで言えばコメンタリー的と言えるかも。
実現しなかった映画…『ロニー・ロケット』、『ワン・サライヴァ・バブル』、『ザ・ドリーム・オブ・ザ・ボヴァイン』をはじめ、現れては製作できず消えてゆく計画の数々、『ブルーベルベット』後にマーク・フロストと映画化をすすめていた、マリリン・モンローの死にケネディが関与していたという、モンロー最後の数ヶ月を追った『女神』、『ローラ・パーマー最後の7日間』の後に映画化を構想していたという伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンの物語『ラヴ・イン・ヴェイン』…これは見たかったなー。
この本のなかで、たびたび記述があるマハリシ、超越瞑想(TM)。
リンチは、1973年に妹マーサ経由でマハリシの超越瞑想を知り実践するようになる。これはリンチに大きな変革をもたらした。リンチは瞑想について、
“ 瞑想は、創作のための炎を増やしてくれるし、その過程での幸せを高めてくれるし、エッジもはるかに増すことがわかった。人々は怒りがエッジだと思っているが、怒りは人とその周辺環境を毒する弱点だ。不健全なものだし、人間関係には間違いなく有害だ ”
と語っている。
2005年には超越瞑想に関連したデイヴィッド・リンチ財団を設立。
そのきっかけは2001年に起きたニューヨーク世界貿易センタービル爆破事件で、リンチは平和を実現するために超越瞑想を広めることが必要と考えるようになったと言われている。2008年マハリシの死に際してはインドを訪れ、2009年4月には財団の資金集めにポール・マッカートニーやリンゴ・スター、エディ・ヴェダー、ベン・ハーパーなどが参加したコンサートを行うなど、 マハリシ/超越瞑想への傾倒は相当なものだ。
「David Lynch Discography」なんてページを作っている私だが、2009年4月のライヴDVDや、 リンチ財団10周年記念コンサートを収録したアルバム『Music of David Lynch』がリリースされていることは知っていたものの、財団ってなんだ?とか思って購入もせず、あまり詳しく調べてもいなかったのだが、そういうことだったのか…。
ネットで「一般社団法人 マハリシ総合教育研究所」のHPを見てみると、デイヴィッド・リンチの他、クリント・イーストウッド、マーチン・スコセッシ、ジョージ・ルーカスといった映画監督が 瞑想を実践しリンチ財団を支援、リンチの映画に出演したローラ・ダーン、ナオミ・ワッツ、ヘザー・グラハム(『ツイン・ピークス』のアニー役)といった女優が瞑想を実践している。
ポールとリンゴはビートルズ時代からだよなー。ビートルズの4人はマハリシに会い、その時に感じたことをジョンは「セクシー・セディ」という曲でマハリシへの不信を明らかにし、他のメンバーもマハリシへの心酔は一時的なものだったと言っていた、と思っていたのだが、今ではネットを見る限り、そういうことではなかった的な事になっているね…。
ちょっとリンチの自伝から外れたけど。
ちょっとリンチの自伝から外れたけど。
私がこれまで読んできたリンチ関連の書物では、あまりマハリシや超越瞑想について触れられてこなかったと思うが、この本では瞑想の恩恵・影響が通底したムードとしてあるように思った。多くのスタッフやキャストなど関係者たちがリンチの人柄に触れ、優しく辛抱強く、自分が思っている以上の能力を引き出してくれる才能があると褒め称えている。そういうリンチの姿勢も瞑想の影響下にあると。
2006年には前年にリンチが行った超越瞑想の講演を編集し『大きな魚をつかまえよう』として書籍化。この本も出ていたのは知っていたが(邦訳は2012年刊行)これも瞑想に関する本だったんだな。いかに自分が最近のリンチから遠ざかっていたか実感。
この自伝/伝記にも書いてあるが、2001年末頃までにはリンチにとって映画製作の優先度は下がり、インターネットに関心が移っていた。2001年12月にウェブ・サイトDAVIDLYNCH.COMが公開されると、コンテンツを増やし短編作品を発表したり、オンラインストアでグッズを販売していた。この公式ウェブ・サイトは有料だったから、このあたりからリンチを追わなくなった気がする。
ローラ・ダーンは “ デイヴィッドの幸福の源は瞑想だ ” とした上で、こう語っている。
“ 付け加えるなら、彼の幸福の一部は創作者としての自分にまったく限界を設けないという事実に関係していると思います。私たちの文化には自分自身に関する決めつけや恥が大量にありますが、デイヴィッドはそういうのがまったくないんです。何かを作るときには、他の人がどう思うかとか、どういうものを作るべきかとか、時代精神に何が必要かとか、そんなのは考えもしません。頭の中にぶくぶく湧き上がってくるものを作るだけで、それが彼の喜びの一部なんです ”
ありふれた日常に潜む狂気と残酷さの渦巻く歪んだ世界、グロテスクなもの、ユーモラスなもの、魅惑的で官能的な謎、それらを表現するのにリンチの中にリミッターはなく、とことん追求してリンチの頭の中に思い描いたもの、リンチの夢に出てきたものを現出させる。
人類の幸せと平和を願い、映画に関わる人々を温かい気持ちにさせると言われるデイヴィッド・リンチ。時に目を背けたくなるような残虐で残酷なシーンを撮影し映画に使用出来るのはなぜなのか。このローラ・ダーンの言葉を読んで少し理解出来た気がする。
もはやこの自伝/伝記も超越瞑想普及活動の一部なのか…な…。