My Wandering MUSIC History Vol.90 THE ROOSTERZ『φ PHY』
1984年10月28日に当時三軒茶屋にあった日本大学農獣医学部東京校舎 三茶祭「日大 Beat Pop Gig 84」、11月3日には上智大学お祭り広場に出演したルースターズ、どちらも無料ライヴで、どっちか見に行ってると思うんだがほぼ記憶なし…。その後11月上旬に東北地方でのライヴを数本行い、12月21日に6枚めのアルバム『φ PHY』をリリースした。
レコーディングはスターシップ・スタジオでおこなわれているが、日付のクレジットはなし。
ロッキンオン・ジャパン1988年9月号のインタビューで下山は、“ 『φ』のレコーディングは2ヶ月かかった(略)本当は1月もかからずに出来たんだけど、肝心のボーカルの人が来ないの。今日は1行録れたか、て感じだったから ”、” 時間がどんどん過ぎていって、2ヶ月のうち1ヶ月は彼の時間 ”
またロック画報17「特集・めんたいビート」(2004年)のインタビューでも下山は、
“ これは3ヶ月位かかってるんですよ。僕はヒマだったんで、ギター・パートを何回も録り直したりしてました。 ”と語っている。スケジュール的にみて、おそらく10月〜11月頃にかけてレコーディングが行われたと思われる。花田は、“『φ』のレコーディングの1ヶ月前ぐらいかな、大江がまた入院しちゃって。その時、曲が2曲ぐらいしかなくて、でも出せってレコード会社から言われるし ”と語っている。
大江の体調不良と準備不足がありながらもレコーディングを進めざるをえなかったようだ。
レコーディングメンバーのクレジットは、
大江慎也:Vocal
花田裕之:Guitars
下山淳;Guiatrs, Bass
灘友正幸:Drums
安藤広一:Keyboards
で、柞山はレコーディングに参加しておらず、ベース・パートは下山が担当した。
さらに下山によると、このアルバムのドラムに関して” 実はクレジットされてないけど、タイコの半分は、俺の友達が叩いてる ”と内情を明かしている。
大江慎也:Vocal
花田裕之:Guitars
下山淳;Guiatrs, Bass
灘友正幸:Drums
安藤広一:Keyboards
で、柞山はレコーディングに参加しておらず、ベース・パートは下山が担当した。
さらに下山によると、このアルバムのドラムに関して” 実はクレジットされてないけど、タイコの半分は、俺の友達が叩いてる ”と内情を明かしている。
オリジナルのアナログ盤(AF-7334)はジャケットをシュリンクで包み、帯はなくタイトル・ステッカーを左上に貼り付けた仕様。このステッカー、地球をグリーンランドを中心に左下がアメリカ大陸、右上はヨーロッパ大陸という視点のものが使用されているようだ。
ジャケットは、鏑木朋音のカヴァー・アートを顕微鏡で拡大撮影したもので、コンセプトは柏木省三、ディレクションは鏑木とミック板谷こと板谷充祐(みちまさ)による。
淡いブルー〜グリーンに彩られたジャケットはミクロ(顕微鏡)でマクロ(地球の青さ)を表現したような非常にアーティステックなカヴァー・アート。しかし、ジャケットにもインナーの歌詞リーフレットにもルースターズのメンバーの写真が使われていない作品となった。
挿入されたリーフレットの歌詞の裏には、高くそびえ立つ岩山の間に浮かぶ朧月を描いた鏑木朋音作の(なぜか)水墨画…。
アルバムタイトルはφ PHY。長年空集合だと思っていたけど空集合とファイは違うらしい。 ギリシャ文字のファイは綴りが違うし…。造語なのかな?ネットで見てたらノルウェー語のøの発音はoe(オェ)というらしい。まさかね…。
アルバムのオープニングナンバーは「Vénus」(綴りはeにアクセント記号付き)。
時の広がりを思わせる幾重にも重なった繊細なギターの音色と空間の広がりを感じさせるシンセの響き。後にボックスセットで独立した楽曲「φ」として発表されるシークエンスがイントロの冒頭に約1分間流れる。一瞬の静寂の後、美しくも緊張感を携えたギターフレーズ、続いてアコースティック・ギターのストローク、ドラムとベースが速度を、キーボードが浮遊感を加えて曲が進んでいく。
もともと「I'll Be Eyes」としてライヴで演奏されていた曲だが、数ヶ月間ライヴで演奏されていただけあってアレンジ・演奏ともに完成度は非常に高い。当初は大江慎也の書いた英語詞で歌われていたが、ヴィデオ作品『パラノイアック・ライヴ』では日本語詞の作品としてリリースされ(作詩クレジットはルースターズ)、このアルバムでは柴山俊之作の日本語詞が歌われレコーディングされている。
大江は、その歌詞を見て“ 一目見て良い詞だなって思った ” と語っており、“ 僕の作った歌詞も、一部入っている ”と言っているが、サビの部分、“ 1, 2, 3, 4 Go go in the sky ”のフレーズは、大江の作った歌詞が使われているようだ。この部分は当時、日本コロムビア傘下にあったオーディオ機器メーカーDENONのカセット・テープのTVCMで使用されていた。記憶ではわずかな時期しか放送されていなかったと思うが、これをさらなるブレイクのきっかけになればなぁと思ったものだ。作曲は花田裕之。 アルバム冒頭に感じる浮遊感はロキシー・ミュージックのアルバム『アヴァロン』に匹敵すると思う。
「Vénus」のイントロ部分に使われている「φ」は、2004年にリリースされたオフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』CD-27 「Rare Studio Tracks III」に収録されている。幽玄で静謐、俗界を離れた、もはや夢幻の世界を感じさせるインスト曲。ボックスセットでは5分28秒の長尺ヴァージョンで収録、作曲クレジットは花田、下山、安藤の3名が表記されている。同じ年に発売された雑誌ロック画報17に付属のサンプラーCDには、それをエディットして2分46秒に短縮したヴァージョンが収録された。
続く「Come On」。この曲も「Come On To Me」としてライヴでは演奏されていた曲。
当時ニューウェイヴ化していたルースターズにしてみれば先祖帰りとも言われたリズム&ブルースな曲。歌詞がこれまたロックンロール、ブルースなシンプル、ストレートで魅力的な内容だ。このアルバムで唯一の大江慎也作詞作曲(作詞はM.Alexanderとの共作)。
「Down Down」作曲は花田裕之でヴォーカルも花田が担当した。作詞は柴山俊之で、この曲の低いパートを歌っている。「Heavy Wavy」大江作詞・下山作曲のややフリーキーなナンバー。「Good Dreams」の一部の歌詞を英訳したような“ Do you colour the night〜 ”と歌われる展開部のスピード感がいい。「Broken Heart」は、情感たっぷりなイントロのシンセ、変化するドラム・パート、トレモロを多用したギターの音色が耳に残る、柴山/花田作のハートブレイク・ソング。歌い出しが実に花田らしいメロディだと思う。 ここまでがアナログA面。
「Femme Fatale」この曲も以前からライヴで演奏されていたヴェルヴェット・アンダーグラウンド(&ニコ)のナンバーで、ヴォーカルは花田裕之。花田の弾き語り風に始まるアレンジで演奏されていたが、ドラムのフィルで始まるアレンジに変えて収録。
次の「Street In The Darkness」とのつなぎを考えて軽めのアレンジにした、と花田がインタビューで語っていた。下山の“ She's a famme fatale ”というコーラスも耳に残る。
オリジナルのヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコを聴いたのはもう少し後だと思う。
この曲の歌詞は掲載されていなかったので、同曲をカヴァーしていたトレイシー・ソーンのアルバム『遠い渚(原題:A Distant Shore)』の歌詞カードをコピー、歌詞の内容を知った。
この曲の歌詞は掲載されていなかったので、同曲をカヴァーしていたトレイシー・ソーンのアルバム『遠い渚(原題:A Distant Shore)』の歌詞カードをコピー、歌詞の内容を知った。
「Street In The Darkness」は、柴山/花田作のややダークな曲。“ 夜より暗い 昼間の街角 ”というフレーズが、あの当時、1984年の都市の雰囲気を伝えている。「Message From.....(Come On, Love My Girl)」うって変わってイントロのキーボードとギターのバッキング・フレーズがギターポップでサニーサイド、ラヴリーな曲。これも柴山/花田作。
このアルバムの後半のハイライトとも言える大江/下山作の「Last Soul」。 “ Last soul I'll give you ”の他はリフレインしない歌詞が魅力。冒頭の英語で歌われる、“ きみの作ったすべてのもの きみの言ったことのどんなものでも ” というところが特に好き。喜びと悲しみが同居した歌詞は、大江の当時の心境を反映したものとも受け取れる。下山の作ったメロディも美しく儚く淡く浮かび、寂寥感を抱かせる。
ラストはインストの「Music From Original Motion Picture " Punishment "」
架空の映画『パニッシュメント』のサウンドトラック。銃声や弾着、風のSEがウェスタンなイメージも抱かせる。作曲は花田と下山の共作。最初は歌を入れようと思っていたらしい。ピアノの弦をピックで弾いたりドラム・スティックで叩いたりしたということだ。
この曲や「Heavy Wavy」には金管楽器らしい音が入っているが演奏者のクレジットはない。
音楽専科1985年3月号のインタビューで花田はアルバム『φ PHY』の仕上がりについて、
“ 日常生活のレベルの中で聴けたら。時、場所、そういうのにこだわらずに(略)ロックっちゅうより、音楽みたいな(略)出てくるものが、他人からロックって言われてもいいし、歌謡曲やないかって言われてもいい ”
確かにこのアルバムを聴いた私の周りにも、かつての激しいスピード感やダイナミックなグルーヴ、エッジの効いたリズムが失われ、キーボードを多用したサウンドに変わったルースターズを嘆く人達がいた。メンバーの入れ替わりはサウンドに大きく影響したが、ルースターズのリスナー達は、そのサウンドの変遷を興味深く受け入れ、支持していた。
パンクという初期衝動に基づくロックンロールの復権から、ポスト・パンク的なサウンド、ネオ・アコースティック、エレポップ、 そしてヴェルヴェッツの再評価まで、欧米のシーンからの影響と同時代性を兼ね備え、なおかつ広範にポピュラリティを得ようとする姿勢は、日本の音楽シーンの中でも突出した音楽性をリスナーたちに届けていた。
これまでのルースターズの音楽的変遷がこのアルバムのオープニング「Vénus」に結実したとルースターズのファンは思っただろうし、バンドとして不安定な状態にありながらも、ルースターズがまた新たな傑作アルバムを作り上げた、という感想を持ったに違いない。
1984年の暮れ、大晦日12月31日、新宿シアターアプルにて “ <φ>PHY ” と題してレコ発ライヴがおこなわれた。昼の1時30分開演というライヴで、田舎から電車を乗り継いで観にいく私たちには行き易い時間だった。
友人数人と連れ立って行ったのだが、我々はこの時、1列目という今までにないかぶりつきの席で見ることができた。 確かステージに向かって左寄り(花田側)だったと思う。
ライヴが始まってまもなく、大江が歌えなくなるのが目立ってきた。
今までもライヴで大江が歌詞を飛ばす場面は見てきたが、この日は歌詞の抜け方がこれまでとは違い、歌わないところがあまりに多かった。そのため演奏陣はそれぞれ曲のどこを演奏しているかわからなくなり迷走し、曲の終わりもはっきりしなくなっていたし、いらだちのため演奏は荒くなっていった。大江は演奏に集中出来ておらず、心ここに在らずな状態でステージに立っていた。アルバム発売ライヴということで楽しみに観に行っていたのだが、この日は大江の奇矯さとバンドのまとまりのなさが目立ち、本編の演奏終了後には友人から「今、花田がギターを投げたぜ」、「最後、壁に叩きつけてた」と聞かされ、私はそれを見てなかったので「えぇー!」とびっくり仰天。アンコールはなく、「ルースターズは大丈夫なのか?」という会話を交わしながら帰途についたのだった。
シアターアプルの事はロック画報17「特集・めんたいビート」で下山も語っているが、灘友の電飾&シェイビングクリームは記憶なし。
たぶんどこかのコンサート会場で買った ステッカー。下山のギター(ムスタング)に貼ってるの見ていいなーと思ってた。
1984年を不穏なライヴで締めくくったルースターズ。年が明け、1月15日~19日には新宿ロフトで5日連続ライヴ「Person To Person II」を開催するが、大江慎也の心と体はもはや限界に達し.…いや、限界を超えていた…。
参考文献:Rockin'on Japan vol.15 1988年9月号、vol.36 1990年5月号、Rockin'on Japan File vol.2、音楽専科1985年3月号、『ロック画報 17・特集めんたいビート』(2004年)、 大江慎也の語る半生を小松崎健郎がまとめた『words for a book』、ボックスセット『Virus Security』ブックレット