ヴィヴィエン・ゴールドマン著・野中モモ訳『女パンクの逆襲ーフェミニスト音楽史』

2021年12月23日 ele-king booksより出版。

著者のヴィヴィエン・ゴールドマンは英サウンズ紙等の音楽ライター、ジェネレーションXやスナッチのマネジメント、独立テレビ放送局プロデューサー&ディレクター、パンク・プロフェッサーの異名を持つ大学非常勤講師、自身もシングル「Launderette c/w Private Armies」を1981年にリリース、といった経歴を持つ。

原題は『Revenge of the She-Punks:A Feminist Music History from Poly Styrene to Pussy Riot』で、『女パンクの逆襲:フェミニスト音楽史 ポリー・スタイリンからプッシー・ライオットまで 』となる。つまり1977年にデビューシングル「Oh Bondage Up Yours!」をリリースしたUKパンク・バンド、Xレイ−スペックスのヴォーカリスト、ポリー・スタイリンから、2012年モスクワの大聖堂で反プーチンを叫ぶゲリラ・パフォーマンスを敢行しメンバーが逮捕・収監されたロシアのプッシー・ライオットまで、女性の権利、言論と行動の自由を掲げ音楽活動を実践した女性達のパンク音楽史である。原書は2019年に出版されている。

“ 女性たちはいろいろな形で、制度的な欠如、家庭内での権利の剥奪、公的および職業的領域での軽視あるいは透明化の代価を支払ってきた ”

“ すべての女性にはいつであろうと着たい服を着て外を歩く権利があって然るべきだ。このことを繰り返し確認しなければいけないたったひとつの理由は、これが21世紀初頭の今あたりまえの現実になっていない ”

“ 逆襲とは同輩の男性たちと同じ機会を獲得することを意味する。自分の音楽を作ること、自分の望むような見た目をして音を出すこと、そのプロセスを継続できるだけの人々を集めること ”

1970年代半ば過ぎにパンクが出現するまでは女性が音楽活動を通して不平等に対して異議申し立てをするということは手軽というにはほど遠かった。もちろん女性のアーティスト、パフォーマー、シンガーは存在した。前衛としてのオノ・ヨーコ、ジョーン・バエズやジョニ・ミッチェル等のフォーク・シンガー達、それに先駆としてのザ・ランナウェイズ。
若きアウトサイダー達がバンドを組んでアタマの固い大人達や社会、専制や権威へ対して異議申し立てをするのは男達によるもので、女性達がそれに共感したとしてもファンとしてライヴに参加するしかなく、もっと自分を表現者達に重ね合わせるにはグルーピーとしてバンドに接近することもひとつの表現手段だったのかもしれない。1975年後半にセックス・ピストルズが登場し、優れた演奏技術がない楽器初心者でも、パワフルでハイトーンの歌唱力がなくても、ライヴでの安定した再現力がなくてもバンドが始められたパンク・ロック・ムーブメントに触発され、女性達がその手にギターを取り、ビートを叩き出し、マイクを握りしめ、自分の内なる感情を増幅し外界に放出しはじめたのだった。

パンクはアティテュードでスタイルじゃない。ロックとはレベル・ミュージックのことだ。と言ったのはザ・クラッシュのジョー・ストラマーだが、初めて楽器を手に取り、それまでのロックの形式にとらわれず、それぞれが思ったままの演奏・リズムで差別、不平等に対しての不満を感じたままに歌う彼女達は、まさにパンクだ。そのテーマは、アンセムは、
“ あぁ束縛 くそくらえ!” 
さまざまなしがらみに対してくたばれ!と叫ぶ、Xレイ−スペックスの「Oh Bondage Up Yours!」だ(もちろんSM拘束着の歌ではない)。

この本ではイギリスのザ・レインコーツ、デルタ5、ザ・スリッツ等、アメリカのブロンディ、パティ・スミス、ビキニ・キル等、フランスのリジー・メルシエ・デクルー、ドイツのマラリア!、日本の少年ナイフ、スペインのヴルペスといった西側各国のバンド紹介の他、社会体制や宗教上の理由で言論の統制や女性の行動の規制が厳しい、
中国のハング・オン・ザ・ボックス
ロシアのプッシー・ライオット
インドネシアのティカ&ザ・ディシデンツ
フィリピンのザ・メール・ゲイズ
インド、カシミール地方で結成されたプラガーシュ
インド、ニューデリーを拠点にするザ・ヴァイナル・レコーズ
チェコ(旧チェコスロバキア時)のズビー・ネィティ
といったバンドも紹介されている。

なかでもインドのイスラム教徒が多数であるカシミール地方で当時9年生(日本の中学3年相当)の女子3人が2012年に結成したバンド、プラガーシュ(光)を紹介している文中で、結局プラガーシュが宗教界の権威による見解や愚かな脅迫により演奏活動を停止せざるを得ない状況になったことについて著者は、

“ 女パンクスの存在は、それが真面目なタイプであろうとふざけたタイプであろうと、ある国家が言論の自由や芸術的表現の自由といった権利をどこまで認め、尊重しているかを示すリトマス試験紙であることは間違いない ”

と記している。ロシアがウクライナへ軍事侵攻し、ロシア国内でも言論統制、弾圧、プロパガンダ流布が激しくおこなわれているのを目撃している2022年3月の今、2012年にプッシー・ライオットがモスクワの大聖堂でおこなったパフォーマンスにより逮捕・収監されたことは、その時のリトマス試験の結果が今回の惨事を指し示していた、と思うことも可能だ。

この本に載っていたバンドやアーティストの曲を全て聴いたことがある訳じゃないけど、いくつかはCDやレコード盤で持っていて音源を聴いてみた(まぁ今はYouTubeでほとんど聴けるけど)、
“ あなたの家族の一員にはならないわ お断りよ ” ザ・レインコーツ「No One's Little Girl」
家父長制、ボーイフレンドの家系に組み込まれることへの疑問、抵抗。

“ ありふれた女の子は何も創り出さないし反抗もしない ” ザ・スリッツ「Typical Girl」
女の子達に型にはまらず創造性を発揮し抗うことを促す。

“ きみのアイスクリームを味見させてくれる?
 きみのピンチに干渉してもいい?
 いや! 大きなお世話よ! ” デルタ5「Mind Your Own Business」
ギャング・オブ・フォーばりのジャキジャキ・ギター・ファンクにのせて歌われるLeave Me Alone!な訴え。

“ 私は水 私は皿 私は泡
 私は慰め あなたを清潔にし うまくいくように助ける
 あなたが疲れ果て 無力に感じるときは
 中に入って わたしのところへ避難して
 そして気分が良くなったら
 あなたが出ていくのを見守るわ ” スリーター・キニー「Little Babies」
家事、子育てという誰かがやらなければならないワーク、ケア労働という雑務。それを無償で女性が全てこなすことが期待され、フェミニズムはそのことについて批判している。子供時代に受けた虐待や疎外に対する怒り、愛なき子供時代の荒んだ体験がパンクへと向かう衝動のひとつであるとしても、このスリーター・キニーの歌は無償の愛の価値をパンクスへ向けても歌っているように思える。

“ あぁ束縛 くそくらえ!” とポリー・スタイリンが叫んでから45年が経った。
同じ叫びをあげなくてもよくなったのか、叫び続けなければならないのか、叫ぶことが可能なのか。
今も試されている。




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