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My Wandering MUSIC History Vol.94 鮎川誠『クール・ソロ』

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1982年2月21日、アルファ・レコードよりリリースのライヴ・アルバム。 以前に少し書いたが、SHEENA & THE ROKKETSのセカンド・アルバム『真空パック』は購入したものの、その頃はテクノ化したロックンロールが理解できず。借りて聴いたその後の2枚、同じ体制で制作された『チャンネル・グー』しかり、YMOを離れミッキー・カーチスのプロデュースで制作された『ピンナップ・ベイビー・ブルース』はテクノ色は払拭されたが、フューチャーされたサックスの音色がややオールドな雰囲気を感じた(今はどのアルバムも抵抗なく聴けるけど)。 鮎川誠ソロ名義の『クール・ソロ』は1982年にリリースされ、すぐに聴いたと思う。混じり気も飾り気も無し、純度100%のロックンロール・アルバムだった。ジャケットは白地にポーズを決める鮎川の姿(フォト by 半沢克夫)と右上に縦書き明朝体で鮎川誠。初の鮎川名義のアルバムとして、そのデザイン(by 原耕一)は名刺代わりのよう。レコードの帯には “ 百万人のロックンロール ”の文字。 このアルバムは、1981年10月17日、日比谷野音でおこなわれたSHEENA & THE ROKKETSの“ピンナップ・ライヴ ”の録音から、鮎川のヴォーカル曲をセレクトして収録したものだ。当日は30曲が演奏され、全曲録音されていたらしいが、シーナが自分のところは嫌だといって、鮎川のところだけ選んでリリースしたという。 収録されているのは下記の9曲で、 1. JUKEBOXER 2. DEAD GUITAR 3. クレイジー・クール・キャット 4. どぶねずみ 5. アイラブユー 6. ビールス・カプセル 7. ブーンブーン 8. GOOD LUCK 9. ぶちこわせ 1〜3、5〜8は『SHEENA & THE ROKKETS #1』、『チャンネル・グー』、『ピンナップ・ベイビー・ブルース』のいずれかで鮎川が歌っていた楽曲。5〜7は『SHEENA & THE ROKKETS #1』で再録されていたサンハウス・ナンバー。6はルースターズが2ndアルバムで取り上げた曲だが、そのころはこの曲のサンハウスによる録音物は無く、サンハウスのオリジナル・メンバー鮎川のVo&G、サンハウス(再結成するまでの)最後期メンバーだったD川嶋一秀、B浅田孟

RKB毎日放送・ムーブ 2022年第10回『74歳のロックンローラー 鮎川誠』

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鮎川誠、74歳。衰えることのないロックンロール魂。 鮎川がよく言ってたマディ・ウォーターズの「The Blues Had A Baby They Named It Rock And Roll」じゃないが、ブルースの子供ロックンロールもずいぶんと歳をとった。娘のルーシーとステージに立ち、可愛くてとてもしっかりしたお孫さんもいる。黒のレスポールもさらに塗装が剥がれ年季が入ってるな。 上の動画はYouTubeのRKB毎日放送公式チャンネルより、期間限定公開らしい。 以下、RKB毎日放送HPより。 1948年5月2日生まれの鮎川誠は今年74歳になった。 福岡県久留米市で米軍人だった父と母の間に生まれた彼はビートルズでロックに夢中になり、福岡のロックバンドの草分けと言われるサンハウスを経て妻とシーナ&ロケッツを結成し上京。バンドは「ユーメイドリーム」の大ヒットを飛ばし女性ロックボーカルの草分けとして多くの女性を勇気付けた。 しかし2015年、バンドのボーカルにして妻であり3人の娘の母でもあったシーナが亡くなる。 公私にわたるパートナーを失った鮎川だったが、バンドはそれまで以上にライブ活動に力を入れる。「ステージに立つとシーナがそこにいるから」という鮎川を、次女の鮎川純子がマネージャーとして支え、最近では末娘のルーシーがボーカルを務める。 彼を慕う人が多い理由の一つは、その温かい人柄と朴訥とした筑後弁で語られる真摯な言葉だ。 「ガキの頃に出会って夢中になった音楽のそばにずっとおれてよかったし、好きなことを変わらずにできることが嬉しい。これからもそんな俺をシーナに見せていきたい」 74歳になる鮎川誠はどこまでもシンプルでピュアなままだ。そんな音楽漬けの日々と家族との姿を追う。

MODERN DOLLZ『THE UNRELEASED TRACKS vol.3』

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2022年7月13日、HEROESよりリリースのコンピレーション・アルバム。 モダン・ドールズの未発表トラック集の第3集がリリースされた。 第1集 は2016年1月に、 第2集 は2017年12月にリリースされていた。こういった発掘音源はVol.1と銘打ったものの、その後が続かないというイメージがある。第2集から4年半ほど間が空いているが、うれしいリリースだ。 今回のCDでは、Vo佐谷光敏、G松川泰之、D下鳥浩一の他、ギタリストの平山克美が脱退し小峰勇治が加入、ベースは田中宏行が脱退し田浦祐蔵が加入後の1985年2月、7月の録音と、ベースが田浦祐蔵から池田淳一に交代しキーボードに高野尚登が加入した1986年2月の録音を収録している、 ほとんどは1985年7月5日と6日の録音が収録されていて、以前からのレパートリー「ジャスト・ア・ヒーロー」、「インスタント・ラブ」、「浮気なジャングルビート」は1985年メンバーでの録音。  “知らないんだろ? イエロー・ジャーナリズム ”という歌詞が意味深なヨコスカ・ベース・キャンプ・ソングでファンキーな「EXOTIC NOISE」、緊張感のあるアレンジの名曲「ヌーベルバーグにつまづいて」、ファンキーでダンサブルな「去年チェルシーのバーで」、バラードの「YOKOHAMA'S MEMORY」。この4曲は1986年6月にカメレオン・レコードからリリースされるモダン・ドールズ初のアルバム『ドゥ・イマジネイション』収録の楽曲。「去年チェルシーのバーで」と「YOKOHAMA'S MEMORY」の2曲は1986年2月の録音で、アルバム『ドゥ・イマジネイション』と同じテイクという気がする…。「EXOTIC NOISE」と「ヌーベルバーグにつまづいて」はアルバム『ドゥ・イマジネイション』とはメンバーが違う1985年7月の録音。 ポリス〜エルヴィス・コステロな雰囲気の「S.O.S」、ベース田浦の作曲によるクールなビート・ナンバー「カルチャー・クライシス」、ハートブレイク・ソングだけど軽快な「フライト505」、メロウなラヴ・ソング「ブールバードに車を停めて」、謎めいた歌詞の「ハムレットが消えた夜」、ロカビリーな「ニュー・エイジ・シンドローム」、ダンサブルなアレンジの「消えたシューティング・スター」、ややサイコビリーな雰囲気の「サイレント・

My Wandering MUSIC History Vol.93 ARB『トラブル中毒』

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1983年4月21日、ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 1983年4月1日〜3日、新宿ロフトでARB3Daysライヴを終えた後、ギタリストでリーダーの田中一郎がARBから脱退を表明、このアルバムのレコーディングは1982年12月〜1983年3月におこなわれたと付属リーフレットに記載があるが、このレコーディング時、既にバンド内の雰囲気はとげとげしいものだった、とも言われている。 ARBでは自由に曲作りが出来ない、ベーシストが気に入らない、事務所の体制が嫌だ 、さらに、少し前から石橋凌を通じて活発となっていた “ 役者との付き合いがつらかった ” と田中一郎はARBから離れた理由を説明している。田中一郎の脱退を知ったのはいつだったか覚えていないが、このアルバムがリリースされた時は知らなかったと思うし、そんな内部事情など当時知る由もなかった。凌、一郎、サンジ、キースの4人体制で活動してきたARBのひとつの高み、到達点となったアルバムという感想を持ち、繰り返し聴いたARBの6枚目のスタジオ・アルバム。 強烈に映像を喚起させる酔いどれた男と少年の真昼の邂逅。ひとときのふたりの会話と男の長い過去を捉えた秀逸な歌詞が歌われるパワフルで緊張感を持った石橋凌作詞作曲「Do It! Boy」でアルバムは始まる。ややクラッシュ「This Is Radio Clash」のリズムを思わせるダンサブルな「Give Me A Chance」はパーカッションや女性コーラスもフューチャー。この時期ベトナムなどから小型の船で流れ着いた難民がボート・ピーブルと呼ばれニュースに取り上げられていたが、その難民の心情を優しいメロディとアレンジで歌った「ボート・ピーブル」。 ヘヴィなリズムのブルース「Black Is No.1」。ARBは、さまざまな社会的出来事を歌の中に取り込み、サウンドは基本的にはシンプルなR&R。そのイメージは黒。カラフルなサウンドや浮ついた歌詞とはかけ離れたイメージだ。理不尽な規制からの解放と自由を叫び、社会の不正と不条理、腐敗に実直に抗ったARBの姿勢は、こう言われることも多かったろう、TOO DARK!! アナログ盤だとA面のラストは、サンジの弾くベース・ラインのイントロが印象的な「ピエロ」。幾重にも重ねられたギター、パーカッションと練られたリズム・アレンジ

ニーナ・アントニア著『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』再刊!

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1988年に日本語版が刊行され、長らく入手困難だったジョニー・サンダースの伝記本、ニーナ・アントニア著『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』が完全版と銘打って待望の再刊! シンコーミュージックから新井崇嗣による新訳で2022年7月15日発売。 以下、 シンコーミュージックのサイト より。 “ ニューヨーク・ドールズ、ハートブレイカーズ、そしてソロで活躍、パンク・ロック前夜から音楽シーンに絶大な影響を与え続けた孤高のギタリスト、ジョニー・サンダース。日本では長らく絶版だった伝記が、新たに日本版のみのテキストも追加した新訳・完全版で復活!! 公私ともにジョニー・サンダースと親しかった著者が入念に取材、ジョニー伝の決定版としてファンに愛されてきた『イン・コールド・ブラッド』。その改訂・最新版を、ジョニー生誕70年の節目に新訳で日本発売。日本版のみ、著者が過去に執筆したジョニー関連アルバムのライナーノーツと、今年取材した著者のインタビューを巻末に掲載。“伝説”に翻弄された天才ロッカーの真実を伝える、全ファン必携の1冊です!! ” 右上の写真は1988年版『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』。邦訳は鳥井賀句だった。 ニューヨーク・ドールズのベスト盤『NIGHT OF THE LIVING DOLLS』と一緒に撮ってみた。