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My Wandering MUSIC History Vol.107 DATE OF BIRTH『AROUND + AROUND』

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1985年11月1日、ポートレート・レコードよりリリース。 デイト・オブ・バースの初音源となるファースト・アルバム。ポートレート・レコードは当時ルースターズのプロデューサーだった柏木省三がオーナーのレーベルで、この10インチ・アナログレコードが最初のリリースだった(カタログNo.はP001)。 1曲目の「Pack My Bag」。破壊力のあるリズムトラック、マーク・ボランのようでもありテレヴィジョンのトム・ヴァーレインのようでもある痙攣するギター、セクシーでミステリアスなヴォーカル、幻惑的かつスペイシーなキーボード、圧倒的な魅力を感じられる1曲で、私は友人のルースターズ・ファンだったKBちゃんに当時「こんなのあるよー」と借りて聴いたのだが、このクリエイティヴでセンスあるサウンドに驚いたものだ。 続く「Space To Time」と「Mistress of The Night」は、暗闇と星々といったイメージのベーシックはシンプルなドラムレスの曲だが、ファンタスティックなシンセ・ブルースと呼んでいいかも。機械仕掛けのオモチャのような、宝箱のフタを開けたようなイメージ溢れる、サンプリングを多用したサウンドの「Remember Eyes」は、このアルバムの中では唯一日本語詞で歌われ、後々までデイト・オブ・バースの代表曲になるポップな曲。エレクトロでカラフルでダンサブルなサウンドの「Fresh Chapter "Mixed Up 1967"」はキュートなヴォーカルも魅力。ラストの「Backward」は1分に満たないインスト。 全体で約20分のコンパクトなアルバムだが初期デイト・オブ・バースの魅力がぎっしり詰まっている。彼らが管理を任せられていたフチガミ・レコーディング・スタジオで録音され、プロデュース、エンジニアリング、ミックスはデイト・オブ・バース。コ・プロデュースは柏木省三。アートワークはルースターズのジャケットを多く担当した鏑木朋音で、このジャケットに使用している写真はジャン・コクトーの映画『詩人の血(原題:Le Sang d'un poète)』から。 「Pack My Bag」はプロモ・ヴィデオも作られており、ロケットが墜落・爆発するシーンや人力飛行機が飛行に失敗するシーンやトリケラトプスのソフビ(?)がサングラス美女と絡まったり、火山が

映画・石井岳龍監督作品『箱男』

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2024年8月23日公開、石井岳龍監督最新作『箱男』。 2007年にリリースされた『石井聰亙・DVD-BOX II』のブックレットに、1997年に制作が頓挫した『箱男』の記載があり当時の箱男のデザイン画や写真なども掲載されていて面白そうだな!と思っていたので、27年の時を経て映画が公開されることを知った時は、ぜひ観に行かねばと思っていた。近所のシネコンで上映してなかったので、少し離れたところにある別のシネコンへ車で出かけ鑑賞。パンフレットも買った(右の画像) 安部公房が1973年に発表した小説を映画化。刺激的でエクスペリメンタルな内容の面白さというのもあるけど、見た目の“タテ型洗濯機”のダンボール箱を被った男が、街に潜む!走る!闘う!姿を見るだけでも単純に楽しい(先の『石井聰亙・DVD-BOX II』ブックレットのデザイン画では箱男は“三菱製チルド冷蔵庫”のダンボール箱を被っていた)。 従属を拒み、匿名性を手に入れ、未登録な存在として社会を、世界を覗き見る箱男の存在とは何なのか。“誰が”箱男なのか。難解な物語ではあるが石井監督は娯楽性を盛り込み、デイヴィッド・リンチ的な雰囲気もありつつ、これぞ石井監督!のバトルシーンやサイケデリックなイメージもあり、スラップスティックでメタフィクショナルなエンターテイメント作品である。 迫力と繊細さをあわせもった演技をみせる個性的な男優3人、永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市。オーディションで選ばれた白本彩奈は、ベテラン男優達を翻弄するようにミステリアスな魅力を放ち存在感のある演技を観せた。 そして物語の終わり、現代に生きる我々にとっての箱とは何か、を考えることになる。 石井岳龍監督作品 映画『箱男』(2024年)flyer

鮎川誠 & BLANKEY JET CITY「I'M FLASH “Consolation Prize” (ホラ吹きイナズマ) 」

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2024年10月2日にビクターより鮎川誠の追悼盤『VINTAGE VIOLENCE 〜鮎川誠 GUITAR WORKS』がリリースされるが、鮎川とBLANKEY JET CITYの共演「 I’M FLASH “Consolation Prize” (ホラ吹きイナズマ) 」が8月21日に先行配信され、ビクターエンタテイメントのオフィシャルYouTubeチャンネルで公開されている。 1999年12月に録音され、映画に使用される予定だったが、映画自体がお蔵入りしたことで未発表となっていたレアトラック。 オリジナルはロケッツ(鮎川+浅田+川嶋)のアルバム『ロケット・サイズ』に収録されていた。 THE ROKKETS『ROKKET SIZE』(1984年)

香坂みゆき「気分をかえて」

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まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…その4 夏らしいジャケットを7インチでと思ったがあまりなかった。最後は香坂みゆきの水着姿ジャケット「気分をかえて」(1981年)。といってもA面のタイトル曲は夏らしくはない山崎ハコ作詞作曲のブルースをぶっとばせ!Leave Me Alone!的な歌で、サウンドはブロンディ「コール・ミー」似でスピーディなアレンジ。 なので、どちらかというとジャケに合ってるのはカップリングの「サマー・ブリーズ」のほうで、爽やかな正統アイドル・ソング。作曲と編曲は林哲司。作詞は阿里そのみ(近年ブームとなったジャパニーズ・シティ・ポップで人気のある西城秀樹「かぎりなき夏」の作詞を担当しており、この作詞家については、ALFA MUSICのnote「 西城秀樹の「かぎりなき夏」を生み出した、作詞家・ありそのみと作曲家・滝沢洋一 “奇跡の出会い 」(text:都鳥流星)に興味深い記述あり)。 たぶんリリースされた当時に買ったと思うけど、なんで買ったのかなぁ。ジャケ買いか。おそらく初めて買ったアイドルのレコードじゃないかな。

南佳孝「モンロー・ウォーク」

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まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…その3 南佳孝も夏のイメージが強い印象あるかな。 ジャケは2種類あり、これはセカンドプレスらしいが、夏っぽいイメージだけどシュールな感じ。なかなか ゴージャスなアレンジの 「モンロー・ウォーク」 。 カップリングはストリングスが涼しげな「渚にて」。AB面とも作詞:来生えつこ、作曲:南佳孝、編曲:坂本龍一の、シーサイドなサマーソング。 「モンロー・ウォーク c/w 渚にて」(1980年) 銀色のさざ波 夕陽のプリズム 浜辺のパラソルけだるく なびいて揺れる 「渚にて」

『Let's Go Steady―Jポップス黄金時代!』「40年目の真実――加藤和彦とパンタ 40年前の幻の対談を復刻!」

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雑誌『MUSIC STEADY』初代編集長のブログ『Let's Go Steady―Jポップス黄金時代!』に「 40年目の真実――加藤和彦とパンタ 40年前の幻の対談を復刻! 」と題された加藤和彦とパンタの対談が再掲されている。 万人の心を打つ音楽について、ロックについて、刺激を受けているものについて、パンクについて、等々語っており興味深い読み物となっている。 初出は雑誌『MUSIC STEADY』1984年3月号で、加藤和彦はアルバム『あの頃、マリー・ローランサン』、パンタはアルバム『SALVAGE(浚渫)』を前年の1983年にリリースしている。対談はリレー形式で、加藤和彦がパンタを対談相手に指定したという。 「壁にかける絵のような」加藤の音楽と“鉄のフックでおまえの身体引き揚げる”(「SALVAGE」)と歌うパンタの音楽。この時点で二人のやりたい音楽に差はあれど、グラム・ロックでは共通点あるだろうし、対談の中で二人ともウォーカー・ブラザース好きだったり、ぜひ加藤和彦のプロデュースで作品作って欲しかったなぁ。対談の中ではスウィート路線の3作目になるはずだったカヴァーアルバムを作ろうとした頃、加藤和彦にプロデュースを依頼するって話があった、という記載がある。 それにパンタ自身が『クリスタル・ナハト』が終わったらプロデュースを「加藤さんに頼みにいくかもしれない」と対談で語っているから、構想10年といわれた大作『クリスタル・ナハト』をリリースして、一息ついたアルバムを作るときには加藤和彦にプロデュースを頼んでもいいかな、と思ったのかも。そう考えると『〜ナハト』の後のアルバム『P.I.S.S.』にはそんな雰囲気があるね。もし『P.I.S.S.』を加藤和彦がプロデュースしてたら、もうすこしソフィスティケイトしたサウンドになったかな。でもこの頃のパンタは頭脳警察再結成を控えてかなりハード寄りになっていたからなぁ。 加藤和彦とパンタと聞いて思い出すのは、A面を安井かずみ・加藤和彦、B面を作曲:パンタ(作詞は青木茗=金井夕子)で分けあった岩崎良美のシングル。名盤。 「マルガリータ・ガール c/w Vacance」(1982年) まぁアルバム1枚じゃなくて、シングル1曲でもいいから加藤和彦のプロデュースでパンタの楽曲を聴いてみたかったな…。

追悼・Carl Bevan

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60FT DOLLSのドラマー、カール・ビヴァンが亡くなった。まだ51歳だった。 パワフルでシャープなドラムが魅力で60FT DOLLSのダイナモだった。いつかカールとリチャードとマイクの3人で…と思っていたが、それは永遠に叶わぬこととなった。 CARL BIVAN  60FT DOLLS 「New Loafers」「Talk To Me」 amassのニュース記事「 ウェールズのロック・トリオ 60FT・ドールズのドラマー、カール・ビイヴァン死去 」 BBCのニュース記事「 Drummer from 1990s rock band 60ft Dolls dies 」 SONIC GYPSIES「 UNOFFICIAL 60FT DOLL HOME PAGE 」 RIP…

高中正義「Blue Lagoon」

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まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…その2 夏といえば高中、という時期があったよなぁ。Breezyなサウンド。高中を代表する2曲をカップリングした7インチ。ジャケはそれほど夏じゃないかな。 「Blue Lagoon c/w Ready To Fly」(1980年) Instrumental

パンタ「渚にて」

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8月7日立秋だけど、まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…。 「渚にて c/w 想い出のラブ・ソング」(1982年) Ah 色褪せてく 夏の中でキミよ光れ Ah セピア色の サマーシネマよみがえる

追悼・フジコ・ヘミング

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2024年4月21日、フジコ・ヘミング逝く。92歳だった。 クラシック音楽を学校の授業ではなく、自ら聴くようになったのはいつだろう。映画で使用された楽曲で印象に残ったのはキューブリック監督『2001年宇宙の旅』のシュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」、コッポラ監督『地獄の黙示録』のワーグナー「ワルキューレの騎行」、大林宣彦監督『さびしんぼう』のショパン「別れの曲」(日本語詞をつけて主演の富田靖子が歌った)などなど、ロック関連ではEL&Pの「展覧会の絵」や冨田勲の『惑星』を聴いたりしたけど、もっと強く印象に残ったのはブライアン・イーノが『ディスクリート・ミュージック』で使用したり、戸川純が歌詞をつけ「蛹化の女」として歌い、遠藤ミチロウも歌詞をつけて歌った「パッヘルベルのカノン」で、元曲が聴きたくてこの曲が入ったカラヤン指揮・ベルリン・フィル演奏のCDを買ったのが初めてだと思う。モモヨがインスパイアされてリザードのアルバム『 ジムノペディア 』を作ったというエリック・サティ「ジムノペディ」の入ったCDを買ったり。ショパンの「別れの曲」はホロヴィッツのCD買ったな。 1999年2月に放送されたNHK・Eテレのドキュメンタリー『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡」は、たまたま見ていたのだが、フジコの波乱の人生、その人物像、華麗な「ラ・カンパネラ」の演奏は驚きだった。このドキュメンタリーは評判を呼び、フジコは一躍注目されることになる。私の職場でもビル・エヴァンスなどのジャズ好きのAKさんが「見た。フジコの演奏いいね」と言っていた。1999年8月にはCD『奇跡のカンパネラ』がリリースされ大ベストセラーとなる。AKさんが早速買ったので借りて聴いた。フジコは1931年12月生まれだから、この時67歳。この後、フジコを題材としたドラマ、映画、ドキュメンタリーなどの番組がつくられ、フジコの演奏を収めたCDも続々とリリースされ、フジコのコンサートには多くのファンがつめかけた。 髪をカラフル染め、首にスカーフを巻いて、ブレスレットをはめ、演奏中にジャラジャラ音をたてそうな大きなイアリングをつけてピアノを弾くフジコ。「自分らしく血の通った演奏をしたい」、「音を飛ばしたって、間違ったってかまわない。機械じゃないんだから」と強く自己主張をするフジコは、さしずめクラシックのヴ