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私の放浪音楽史 Vol.120 THE SMITHS「HAND IN GLOVE」

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1983年5月、ラフトレードよりリリースの7インチシングル。 ザ・スミスの初音源は7インチのみでリリースされた。 A面の「Hand In Glove」は当時のマネージャーのジョー・モスがおよそ200ポンドの資金を出し、1983年3月にバンド(というかジョニー・マー)のセルフ・プロデュース、マンチェスター・ストックポートのストロベリー・スタジオでレコーディングされ、3テイク目がシングルになった。ジョニー・マーはギターに加え、イントロ(とアウトロ)にハーモニカをダビングし、モリッシーもバックコーラスをダビングしている。モリッシーはヴォーカルパートに満足出来ず、ジョー・モスが費用を負担しヴォーカルを再録音している。 このフェイドインで始まるシングル・ヴァージョンの「Hand In Glove」はワイルドなミックスでアンディ・ルークのベースが極端に大きく、ギター、ドラム、ヴォーカルも塊となって襲ってくるラウドなヴァージョンだ。後にファーストアルバム『ザ・スミス』にジョン・ポーターのリミックスで収録されるが、そこではベースの音は引っ込み、ヴォーカルと各楽器がバランスよく、聴き易くなっている。確かにバンド(特にモリッシー)がデビューシングルのような荒々しい仕上がりをデビューアルバムに求めていたとすれば『ザ・スミス』の音に満足するものではなかったと思う。 B面には1983年2月4日、マンチェスターのハシエンダで行われたライヴ・ヴァージョンの「Handsome Devil」を収録。こちらもベースが強調された性急で緊張感に満ちた迫力ある演奏だ。 私はこのシングルをファースト『ザ・スミス』の後に聴いたと思う。手元にある7インチのバックスリーヴにコンタクト先(ラフトレード)の住所がロンドンとプリントされているがこれは1984年にリイシューされた盤であるとDiscogsに説明されている。スリーヴはメタリックなシルヴァー、モリッシーによって採用(クレジットはSleeve by The Smiths)された写真はジム・フレンチによるものでブルーに加工されている。このお尻ジャケット初めて見た時は結構インパクトあったな。歌詞の中の“the sun shines out of our behinds”に関連しているのかも。 ドイツでリリースされた12インチシングル「Still Ill」のジャケットに...

私の放浪音楽史 Vol.119 THE SMITHS「WHAT DIFFERENCE DOES IT MAKE ?」

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1984年6月25日、徳間ジャパン/ラフ・トレードよりリリースの12インチ・シングル(イギリスでは1984年1月リリース)。 ザ・スミス3枚目のシングル。 ジャケットのアートワークは当初映画『コレクター(The Collector)』(監督:ウィリアム・ワイラー・1965年)の主演俳優テレンス・スタンプの写真が使用されたが許諾が取れておらず、モリッシーが同ポーズをとるアートワークに変更されている。右の画像は日本盤で最初からモリッシー版だったと思う。ザ・スミスのジャケット・アートは映画俳優や歌手、作家などの肖像が使われているからバンドメンバーの登場するジャケットはむしろレアと言ってもいいかも。 ラウドでワイルドでパワフルでソリッドでメタリックな印象もあるギターリフとリズムにのせて、君のために命をかけたのに君は僕を裏切り、僕から去っていった、”でも僕はまだ君が好き、それで何が変わるっていうの?”とモリッシーが歌う「What Difference Does It Make?」。ファーストアルバム収録曲。 カップリングには、あの住み慣れた古い家に戻りたくない、君はまだあそこに住んでいるだろうか、引っ越したかな? あの古い家に帰りたいけど決して戻らない。と揺れる心をアコースティックギターにのせて歌う「Back To The Old House」で、”キュッ・キュッ”と響くギターのポジションチェンジの音が切なさを増す。もう1曲は、時間をかけることを嫌って待ちきれない相手に“鮮やかな絶頂期に君は僕を置き去りにするだろう”とここでも諦めと悲しみを歌う爆走ロックンロールナンバー「These Things Take Time」を収録。

私の放浪音楽史 Vol.118 THE SMITHS『THE SMITHS』

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1984年、徳間ジャパン/ラフ・トレードよりリリースのアルバム(イギリスでは1984年2月リリース)。 以前 モリッシー自伝 を取り上げた時にも紹介したが、1997年にアルバム『マルアジャステッド』を発表後しばらくしてモリッシーは“ 黒板のような空 ”のイギリスを離れ、“毎朝間違いなく寝室の窓に日光が射し込む ”アメリカ・ロサンジェルスのウエスト・ハリウッドに家を購入し移り住む。 1984年の初め、リリースされたばかりのザ・スミスのファースト・アルバム『THE SMITHS』を友人のHちゃんに借りて繰り返し繰り返し聴いていた時に私が持った印象は、やはり冬のどんよりとして寒々とした曇り空、雪がちらつく灰色の空だった。 1曲目の「Reel Around The Fountain」、イントロには短くドラムの抑えた演奏、そしてモリッシーが歌い始める。 “今、物語を語る時が来た どうやって子供を連れ去りあなたが使い古しにしたのか  噴水のまわりをぐるぐると回る  中庭で僕を叩いて  僕は受け入れる  あぁ、君との15分間  僕は嫌だと言わないだろう”   ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに共通するようなイメージに満ち、メランコリックなアルペジオのギターにのせて淡々と歌うモリッシー。途中からポール・キャラックのピアノとオルガンが加わり、さらに憂いは増す。 アナログでA面のラストにおかれた「The Hand That Rocks The Cradle」は、   “僕たちは共に横たわり、共に祈りを捧げる  だから切ない願いを君の瞳に宿すことはないんだよ  揺りかごを揺らす手が僕の手である限りは” と幼い子供とともに過ごすことを淡々とした揺らぐような歌声で歌い、楽曲のラストにはアル・ジョンソンの楽曲「Sonny Boy」から歌詞の引用 をしている (インナースリーブに”Quotation from  Sonny Boy”と クレジットがある)。   “僕の膝の上に登っておいで坊や  君はまだ3つだよね、坊や ” 「The Hand That Rocks The Cradle」は、モリッシーとマーが出会って最初に作られた曲でもある。 ブルーな雰囲気はアルバム・ラストに...

私の放浪音楽史 Vol.117 THE SMITHS「THIS CHARMING MAN」

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1984年6月25日、徳間ジャパン/ラフ・トレードよりリリースの12インチシングル(イギリスでは1983年10月リリース)。 “その朝、どこかとても明るそうな曲のアイディアとともに目が覚めた。レーベル・メイトでもあるアズテック・カメラの陽気な曲がラジオでしょっちゅう流れていたことが関係していたのかも、と後で思ったものだ ”と「This Charming Man」誕生のきっかけについてジョニー・マーが回想している(『ジョニー・マー自伝 』丸山京子訳・シンコーミュージック刊・2017年)。 マーの自伝には、それは2回目のジョン・ピール・セッション(1983年9月)前のことと記載があるから1983年の夏頃か。アズテック・カメラのどの曲をマーが聴いたのか不明だが(すでにアズテック・カメラのアルバム『 ハイランド・ハードレイン 』はリリース済)、パンクに影響を受けたバンドやアーティスト達のアコースティックな響きやクリーンなギターサウンドを取り入れた作品が目立ち始めた頃でもあった。 1983年9月にザ・スミスは2度目のBBCジョン・ピール・セッションに出演し「This Charming Man」を含む新曲4曲が放送された。スミスの2枚目のシングルは「Reel Around The Fountain」が予定されていたが、この新曲の出来にヒット間違いなしと確信したラフ・トレードは「This Charming Man」を次のシングル候補にする。まずロンドンのマトリックス・スタジオでレコーディング、さらに十分な時間をかけ磨きをかけてマンチェスターのストロベリー・スタジオで再レコーディングをおこないシングルとしてリリースされた。7インチは「This Charming Man c/w Jean」、12インチは「This Charming Man (Manchester) / This Charming Man (London) c/w Accept Yourself / Wonderful Woman」と4曲入りで「This Charming Man」はロンドンでの録音とマンチェスターでの録音の2ヴァージョンが収録された。ロンドン・ヴァージョンはややエコー感の強いモヤッとした仕上がり、マンチェスター・ヴァージョンはギターとリズム隊のサウンドが引き締まり、ミックスもタイトで耳に残る仕上がり。...