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1984『ファースト・カセットテープ』

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Loft Enterprisesよりリリースのカセットテープ。 1982年に公開された映画「爆裂都市」のサウンド・トラックを担当した事がきっかけで活動を開始した”1984”は、ルースターズから花田、井上、池畑(時々大江も加わる)、後にBlue Tonic &The Gardenに参加するSaxの井島和男、また後にルースターズに参加するキーボードの安藤広一、ルースターズ・プロデューサーの柏木省三というメンバーで構成されていた。 ”1984”はこの後下山淳が参加するが、池畑、井上がルースターズを脱退したりと、ルースターズの別ユニットという性格はなくなり、単独のバンドとして、また大江がルースターズを脱退した後は、大江のサポート・バンドとして活動していった。 このカセットはライブ活動を始めてしばらくした後、おそらく1982年末~1983年初め頃にロフト・エンタープライズからりリースされた(新宿ロフトで売っていた)。銀色の紙に曲名が印刷され、カセットには”1984”とスタンプされている。曲名の他はメンバーなどクレジットはないが、1982年の中頃、ルースターズの4人に、井島、安藤、柏木というメンバーで録音されたのではないかと思う。ただ、この音源は3曲が1992年10月21日にクラウン・レコードからリリースされたCD『All About Shinya Ohe Vol.3』に曲名を変更して収録されているが、CDのクレジットを見ると録音は1983年となっている。  SIDE A : 1.  Big Brother ユニットの名前通り、小説「1984」における支配者の呼び名をタイトルにした曲。小説の中で民衆を支配する党のスローガン、 ”WAR  IS  PEACE   FREEDOM  IS  SLAVERY   IGNORANCE  IS  STRENGTH” が繰り返し歌われる、パーカッシブなナンバー。 『All About Shinya Ohe Vol.3』では、曲名が「Ground Zero」となっているが、ミックスのせいか靄がかかったような音で、ソリッドな曲の良さが損なわれている。 2. Fear 単調なリズムの上に、エフェクト処理されたボーカルと井島のサックスが重なるサイキックなナンバー。『All About Shinya Ohe Vol.3』では、「I'm

ニック・ホーンビィ著・森田義信訳『ぼくのプレミア・ライフ』

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先日紹介した『ハイ・フィデリティ』はホーンビィの2作目で、今回紹介する『ぼくのプレミア・ライフ(原題:フィーバー・ビッチ)』が彼のデビュー作だ。イギリスではWHスポーツ・ブック賞を受賞、100万部のベストセラーになった。 サッカーというスポーツや応援するサポーターについて書かれた本は数あれど、これほどサポーター個人の一つのクラブ・チームに対する偏愛を綴った作品は他に無いのではないか。サッカーのゲームや戦術を分析したのでも、ワールド・カップの試合についてでも、スポーツ・ジャーナリストが一つのクラブを取り上げたのでも無く、フーリガンについてでも無い。この作品はイングランド・ファースト・ディビジョン(現在のプレミア・リーグ)に属するチーム、アーセナルのサポーターとして、チームやサッカーを見続けてきたホーンビィが1968年~1992年までを日記風にまとめたエッセイである。 ホーンビィがサッカーにとりつかれたのは11才の頃、夫婦別居状態であった父親が、母親と暮らす子供とのコミニュケーションの手段としてサッカーの観戦を父子で行くようになる。その当時は家族の問題や、引っ越し、自身の病気など心に傷を負う事柄が多く、著者の心の隙間を埋めるようにアーセナルとサッカーは吸収されていった。その後の人生はアーセナルの試合日程、開催場所、試合結果、順位、好不調に左右され、この傾向は少年期から現在(本が出版されたときは三十代半ば)までほぼ変わらない。 私は熱心にスタジアムに通うサポーターでは無く、ほとんどTV観戦だが、ひいきのチームや日本代表の試合を見て何気なく思っていたことと同じことが、この作品にはたくさん登場する。 例えば、 ◎退屈なゲームを受け入れるということ。 ◎我がチームを勝利に導くためにするバカげたジンクス(決まった時間に決まった行動をするとか、この音楽を聞けば点が入るとか)。 ◎家族行事や友人との約束(飲み会など)と試合観戦の優先順位。 ◎サッカー・ファンの攻撃性、及びフーリガニズムについて。 ◎男と女の偏愛の違いについて。 ◎応援するチームへの帰属心とは、どう定義するのか。 ◎サポーターに対して、選手が認めたり理解する以上の責任が生じる時はあるのか? などなど.......。 著者はシーズンの途中で死んだらハイベリー(アーセナルのホーム・スタジアム)に自分の灰を撒いて欲しいとまで

SONIC YOUTH「SUPERSTAR」

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1994年(JPN)リリースのトリビュート・アルバム『if I were a Carpenter』より。 デビッド・リンチの描くアメリカの郊外の風景。 青い空、緑の芝生、太陽の光、区画整理された道に並ぶ家、車、白く塗られたフェンス、色どる花。夜、街灯の光が届かない暗闇、住宅地に近い森、川や湖、木々を揺らす風、懐中電灯、ヘッドライト。映し出される風景は、たとえ雨や霧の中でもどこか渇いた映像だ。そして、そこで暮らす人々の光と暗闇を描いてゆく。それは幸せや愛を求める姿であり、それゆえに受け取る不幸や恐怖である。 中流家庭に生まれたカーペンター兄妹が結成したカーペンターズは、1969年にデビュー、翌70年にはシングル「遥かなる影(Close To You)」で全米1位。以後次々とヒット曲、ヒット・アルバムを送り出した。そして、広く大衆に受け入れられやすいサウンドと恋や希望、夢が歌われた歌詩は、中流家庭を代表する“明るく、清潔で安全なポップス”というイメージが作り上げられていった。しかし、その裏ではパブリック・イメージの維持と反発、人気の陰りとレコード・セールスの下降、カレンの食欲障害、母親との葛藤、兄リチャードの睡眠薬依存、という”影”の部分が広がり、79年には活動を停止、81年に再開するも、83年にカレンが拒食症で急死するという悲劇によりグループの活動に終止符を打った。 Sonic Youthの演奏する「Superstar」は、“明るく、清潔で安全”というイメージの裏側にあった悲しみ、痛み、不信、恐怖をディストーション・ギターで拡大したバージョンだ。スローモーションで水滴が落ちてゆくのを音に置き換えたような、イントロのアコースティック・ギターとドラムのリズム。深い闇の底で鳴っているようなノイズ・ギターと時々表面にあらわれてくるねじれたフレーズ。このバージョンは、デビッド・リンチの日常が潜在的に悲劇をはらみ、突然吹き出す狂気を描き出した映画に似て、とても衝撃的だ。 この曲を収録しているのは、カーペンターズをトリビュートした『if I were a Carpenter』というタイトルで、Sonic Youthの他、クランベリーズやシェリル・クロウ、少年ナイフ等が参加している。いずれも名カバー揃いで、各アーティスト達の身体にはカーペンターズの曲が染み込んでいるんだなぁと思わせる

JIMI HENDRIX『IN THE WEST』

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1972年1月、ポリドールよりリリース(UK)のライブ・アルバム。 ジミ・ヘンドリクスの音源の権利が親族に移ってから、音質が悪かったり、演奏パートを差し換えたりといった粗悪なものはなくなったが、ジミの死後ポリドールからリリースされた中でも魅力的なパッケージのものはあった。ライブ盤では『ジミ・プレイズ・モンタレー』、『ライブ・アット・ウィンターランド』、そしてこの『イン・ザ・ウエスト』はその部類に入ると思う。このアルバムも収録場所が、1969年2月ロンドンのライブを1969年5月のサンディエゴでのライブと偽って表記されていたりもした(そのためタイトルがイン・ザ・”ウエスト”となっていた訳だが)。 現在はアナログ、CD共に廃盤となっていて、このアルバムの入手は困難となっているが、2000年9月にリリースされた4枚組BOXに『イン・ザ・ウエスト』から5曲がリマスタリングされて収録されている。個人的には、バラエティに富んでいる選曲なのでこのまま再発しても良いと思うのだが....。今回の全曲解説はアナログ盤の形となっています。 SIDE A : 1.  Johnny B. Goode(written by Chuck Berry) チャック・ベリーの曲で、ジミが最新型のスポーツ・カーに試乗してブッ飛ばしているようなパンキッシュなカバー・バージョン。おなじみのイントロから、リチャード・ヘル、ジョニー・サンダースにも似た、よれよれ気味のボーカルに、トーン・コントロールやピックアップ・セレクタを駆使したギタープレイ、ソロで弾き倒す。ベースはビリー・コックス。ミッチのドラムとのコンビネーションも抜群だ。1970年5月30日バークレーでのライブ。 4枚組BOX『THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE』ディスク4に収録。 2. Lover Man(written by Jimi Hendrix) 『モンタレー』等のライブで聴けるB.B.キング作の「Rock Me Baby」を下敷きにした曲で、とても歌いながら弾いているとは思えないギターが凄い。ギターソロの後半でミスをしてしまうところがあるが、そこにまた勢いを感じる。ジミは少しのミスや、少々のチューニングの狂いなど持ち味に変えてしまう魅力がある。フェイド・アウトする寸前、「Stone Free」のイントロのハ-モニクスが聴

PANTA & HAL『マラッカ』

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1979年3月25日、Flying Dog /ビクター よりリリースのアルバム。 頭脳警察の活動を停止、豪快なソロ作を2枚発表、しかしセッション・バンドの物足りなさを感じていたパンタが、自らもグループの一員として活動を望み、組まれたバンドPANTA & HAL。グループ名はスタンリ-・キュ-ブリック監督の「2001年宇宙の旅」に登場するコンピュータ"HAL-9000"からとられた。それは、この名前の通りIBMの一字(一歩)先をゆくという先端を目指してなのか、それとも反逆するコンピュータに自分を重ね合わせて名付けたのか(”疾風”というバンド名も候補にあがっていたらしい)。 結成は1977年。集められたメンバーは、それぞれ違った音楽的バック・グラウンドをもっていたため、時間をかけてバンドとしてのミーティング、リハーサル、ライブを重ね、2年後の1979年に発表されたHALとしての1枚目のアルバムが『マラッカ』だ。プロデューサーの鈴木慶一(ムーンライダース)により”マラッカ”という言葉と、喚起されるイメージを核にして30曲ほどの中から選曲、アルバムを構成していった(ちなみに鈴木慶一は自身のバンドのアルバム『イスタンブール・マンボ』で中近東をテーマにしている)。 レコーディングは3ヶ月にわたり、鈴木慶一はこのアルバムのプロデュースで胃をこわし、突発性難聴にもなってしまったという。時間と手間をかけた甲斐もあり、硬質だがきらびやかなアルバムに仕上がっている。収録からもれた曲には「バクテリア」、「蘇る砂浜」、「夕陽のマラガ」、「鯱(シャチ)」などがある。 今回の全曲解説はアナログ盤の形となっています。 SIDE A : 1.  マラッカ(作詞・作曲/中村治雄)パンタが地図を見ながら書いたというタイトル・トラック。日本の生命線である、アラビアからマラッカ海峡を抜け東京へつながるオイル・ロードを、石油(アラビアン・ミディ)をたっぷり詰め込んだ20万トン・タンカーとともに航海する曲。ウミネコやマングローブ、スコール、南十字星といった言葉が熱帯を強烈にイメージさせるが、航海の終わりに待っているくそったれの街に対する苛立ちも歌に込められている。緻密に練り上げられたアレンジがサンバのリズムと溶け合う、20万トン級のロックナンバー。 2. つれなのふりや(作詞・作曲/