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PINK FLOYD「SHINE ON YOU CRAZY DIAMOND」

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フィギュアスケートの2013~2014年のシーズンが終わった。 羽生結弦は昨年12月のグランプリ・ファイナル、今年のソチ五輪、今回の世界選手権でいずれも優勝、金メダルを獲得し史上2人めの3冠を達成した。私は伊藤みどりが活躍していた時代からフィギュアスケートを見続けてきたけれど、そのころには男子の金メダリストが誕生するのは夢のように思えたものだ。ましてひとつのシーズンに3つの金メダルをひとりの男子選手が手にするなど夢想だにしなかった。大きく変化したのは高橋大輔の活躍からだと思うが、それ以前の本田武史の活躍も現在の発展に大きく寄与していると思うし、田村岳斗など多くのスケーター達が現在日本男子フィギュアスケートの栄光の礎を築いてきたと思う。 フィギュアスケートの魅力はもちろん卓越したエッジ・ワーク、人間離れしたジャンプなどスケート技術を見ることにあるのだが、選曲に合わせた表現力を見るのも大きな楽しみだ。スケート靴のエッジが氷の滑らかな表面を“ザッ、ザッ”と削ってゆく音がなぜかもの悲しく響き、 選手の差しのべられた手は、失ったものに、または希望に向かう。その表現はシングルの競技であってもすべて愛の表現であるといって良いだろう。 そしてショート/フリーで演技する曲がどんな曲か、というのも楽しみのひとつ。ロック系だと今季は高橋大輔がビートルズ・メドレーを使ってたし(個人的にはあのアレンジはあまり彼に合ってなかった思う)、ちょっと前に小塚崇彦がジミヘンの「Little Wing」を使ってた。羽生結弦のショートの曲「Parisienne Walkways(邦題:パリの散歩道)」もうれしい選曲だった。 ゲイリー・ムーアの初ソロアルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』に収録されていて、1978年のリリース当時友人に借りて聴いていた。あの泣きのギターが印象的で私たちの間でも人気のあった曲だった。羽生がこの曲を使い始めて、改めて聴いてみたのだがフィル・ライノットのボーカル入りだった! 競技に使われているように、インストの曲だ、と思っていたのだ(私が持ってるのはシンリジィのベスト盤に入っていた)。羽生の使用しているのは後半に他のブルージィな曲が付け足されたものになっている。 そんな楽しみのあるフィギュアスケートだが、今季アシュリー・ワグナー(アメリカ)がショート・プログラムで使用していた、ピ

My Wandering MUSIC History Vol.16 THE CLASH『PEARL HARBOUR '79』

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1979年EPIC/SONYよりリリースのアルバム。 クラッシュのアルバムではこのアメリカ向けに編集されたファースト・アルバムでジャケを日本独自アウター・カヴァーで覆った『パール・ハーバー'79』を気に入って聴いていた。 クラッシュのファースト・アルバムはその音質の悪さにアメリカでの発売が見送られていたが、輸入盤として売上が良かったため、UKオリジナル・ヴァージョンから「Deny」、「Cheat」、「Protex Blue」、「48 Hours」を削り、アメリカでリリースされていなかったシングル曲を追加、「White Riot」はシングル・ヴァージョンに差し替え、初回盤は「Groovy Times c/w Gates of The West」のボーナスシングルを付けて1979年7月にリリースされた。『Give 'Em Enough Rope(邦題:動乱)』は既に前年リリースされており、1979年1月~2月に初めてのアメリカ・ツアー“Pearl Harbour Tour”を行い、9月からの2度目のアメリカ・ツアー“Take The Fifth Tour”直前というタイミングだった。 日本では1977年にリリースされていたオリジナルUKヴァージョンのファースト・アルバムも聴いていたと思うが、アメリカと同じように日本でもリリースされておらず聴くことができなかったシングル盤からの曲を聴けるということが、当時この『パール・ハーバー'79』の価値を高めていたと思う。もちろん輸入盤のシングルは日本に入ってきていたが、田舎町に輸入盤屋は無いし、都会に行ったとしてもアルバムの半分くらいの値段がして2曲しか聴けないシングルは当時ほとんど買うことは無かった。 「Clash City Rockers」、「Complete Control」のパンキーなナンバーも良かったが、ゆったりとしたレゲエ・ナンバーの「(White Man)In Hammersmith Palais」にはクラッシュの新しい魅力を感じたし、ミックが歌うポップな「Jail Guitar Doors」がとても好きだった。それにイギリスで発売された「Cost of Living EP」からの3曲、超名カヴァー(今ではクラッシュがオリジナルと思っている人もいるかも)「I Fought The Law」、パワ

朝日新聞 be on Saturday 映画の旅人『狂い咲きサンダーロード』

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3月15日の朝日新聞朝刊土曜版 be on Saturdayの“映画の旅人”で紹介されているのは、なんと『狂い咲きサンダーロード』! うれしいですねぇ。まぁ記事としてはこれまで読んだり聞いたりしたことのある内容が多かったが、やはり全国紙の別刷りでこの映画の事が多くの人々の目に触れる機会があるっていうのは、やはりうれしい。 この“映画の旅人”のテーマは“青春”なのだけど、映画の内容と共に過酷な撮影の日々を過ごしたスタッフ・出演者達の青春も同時に語られている。記事を読んで思わず『石井聰亙 DVD Box Vol.1』から取り出して再度鑑賞してしまい、オーディオ・コメンタリー(これが楽しい)でもう一度観てしまった。 当時からバイクで群れて走るって事に思い入れは無いけど、スピードへの純粋な憧れを描いたこの映画には、いつ観ても石井聰亙の(恐れを知らぬ)初期衝動を詰め込んだパワーを感じることができる。それに独特の“軽み”があるのもこの映画の特徴だと思う。新聞ではあまり使用された音楽に言及は無いけど、私が泉谷しげるを好んで聴くようになったのはこの映画によるところが大きい。パンフレットに載ってた曲名見て、自分で90分テープに録音してサウンド・トラック・アルバム作ったなぁ。モッズ「うるさい」と「ションベン」以外の曲も発表してくれないかな…。  右上のジャケ写は映画『狂い咲きサンダーロード』のオープニング・タイトルバックで使われている、1977年4月10日にフォーライフレコードからリリースされた泉谷しげるの「電光石火に銀の靴 」サンプル盤シングル。8インチ盤サイズのスリーブに入れられていてWhiteVinylの7インチ盤だった。アーティスト名義はイズミヤ・シゲル&ストリート・ファイティングメン。

My Wandering MUSIC History Vol.15 THE STRANGLERS『LIVE (X-CERTS)』

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1979年United Artistsよりリリースのライブ・アルバム。 このストラングラーズのライブ・アルバムが一番最初に聴いたパンク・アルバムまたは気に入ったパンク・アルバムだったと思う。右上のジャケ写は発売時のイギリス盤と同じ後のCD盤のものだが、日本では1979年2月の来日に合わせて、黒地に大きく赤いバンドのロゴと鼠のシルエットが黄色く描かれたジャケットに変更し、さらに1stアルバムの英初回盤に付いていたシングル収録曲の「Choosey Susie」と3rdアルバムの英初回盤に付いていたシングル収録曲の「Mean To Me」の2曲をカップリングした7インチ・シングルを付属した来日記念盤『X-Certs(Xサーツ)』として本国に先駆けて先行リリースされた。たぶん発売されてすぐに友人に借りて聴いたと思う。 シンプルな構成で迫力ある日本盤ジャケットにも魅かれたが、冒頭1曲目「(Get A)Grip(On Yourself)」が始まり、気に入ったのは硬質なベースの音色と印象的なキーボートのアルペジオの旋律、それに畳掛けるように歌うヒューのヴォーカルだった。他の楽曲「Hanging Around」や「I Feel Like A Wog」、「Straighten Out」、「5 Minutes」、「Go Buddy Go」なんかでもソリッドでシンプル、それでいてパワーのある魅力を感じた。ヒューが弾くテレキャスターはナチュラルなディストーションの音色じゃなくジャリジャリと鋭く歪んでいて、メロディアスなギター・ソロもない、コードをかきむしるか単音でフレーズを奏でる楽器のひとつ、という印象で新鮮だった。 それに歌の内容も“悪魔が~”とか“暗闇で血塗られた惨劇~”とか、そういう内容じゃなくて、ロックンロールを楽しむっていうのが基本にはあるんだろうけど、 “ちょっと考えてみろよ”、“世間じゃそう言われてるけどほんとにお前はそれでいいのか?” というスタンスや時事的な話題も盛り込んだ歌詞にも興味をもった。まぁストラングラーズの場合「Death And Night And Blood(Yukio)」のような少し?な曲もあるけど。 オリジナル・アナログ盤は11曲入りで1977年ラウンドハウスと1978年バターシー・パークでのライヴを収録。ジャケットは1978年9月のバターシー・パークで

My Wandering MUSIC History Vol.14 OZZY OSBOURNE『BLIZZARD OF OZZ』

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1980年Jetよりリリースのアルバム。 ブラック・サバスが1978年にリリースしたアルバム『ネヴァー・セイ・ダイ!』を当時聴いて、アメリカナイズされた内容に、悪くはないが “なんか違うんだよな~”と違和感を感じたものだが、この後サバスを脱退(というかクビ)したオジーは自身のバンドを結成。クワイエット・ライオットにいたランディ・ローズがギター、レインボーにいたボブ・デイズリーがベース、ドラムスにユーライア・ヒープにいたリー・カースレイクというメンバーにより制作されたファースト・アルバム。邦題は『血塗られた伝説』というタイトルだった。キーボードにレインボーにいたドン・エイリーが参加している。 アメリカ人のランディと組んだ楽曲制作は良い意味でのブリティッシュとアメリカンをミックスしたものとなり、聴き易くメロディアスでありながらヘヴィでダークな世界を表現することに成功しており、オジー・オズボーン完全復活を印象付ける仕上がりとなった。イギリスでは1980年にリリースされたが日本では確か少し遅れて1981年の初めに国内盤が出たと思う。 ランディ作のクラシカルなインスト小品「Dee」も含め全9曲、捨て曲なしの名盤。ハード・ドライヴィンな曲もいいが、リリカルな「Goodbye To Romance」、オカルティックなイメージの「Mr.Crowley」、ドラマティックな「Revelation (Mother Earth)」も聴きどころだ。このオジーのソロ・デビュー作の確かなギター・プレイによりランディは新しいギター・ヒーローとなった。 リアル・タイムで私がハード/ヘヴィのレコードを買っていたのはこのあたりまでで、オジーの2枚目も聴いたがあまり魅力を感じなくなっており、本格的にパンク/ニュー・ウェイヴへ興味が移行していった。

My Wandering MUSIC History Vol.13 IRON MAIDEN『IRON MAIDEN』

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1980年EMIよりリリースのアルバム。 1979年頃に勃興したブリティッシュ・ハード・ロックの新しい動き、"NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL" ムーブメント。レインボーなどの旧来のハード・ロック・グループがアメリカナイズされ、ポップで聴き易くなっていったなか、硬質でタイト、スピーディ&ヘヴィでアグレッシブな演奏をする一群でストリート感もある佇まいも特徴だった。デフ・レパード、ガール、サクソンといったバンドが私のまわりでは聴かれていたが、なんといっても一番人気があったのはアイアン・メイデンだ。 エディ(発売当時はこういう名前とは知らなかった)が描かれた強烈なジャケット(右上のジャケ写は1998年にリリースされたリマスターCDのものでオリジナルとは異なる)、1曲目「Prowler」のギターリフに続くハードでタイトな演奏とスピーディな展開には確かに新しい息吹を感じた。長~いギターソロがなくメリハリのあるコンパクトなナンバーで一気に聴かせるアルバム内容。ベースのフレーズが効いているのも特徴だ。インスト「Transilvania」でスピードアップした後の静かな「Strange World」も聴かせるナンバー。 アイアン・メイデンはこのあと日本でリリースされた12インチEP『ライヴ+ワン』まで聴いた。