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竹内まりや DUET WITH 大瀧詠一「 恋のひとこと~SOMETHING STUPID~」

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2014年12月3日、ソニー/ナイアガラからリリースのベスト・アルバム『Best Alaways』より。 大瀧詠一が亡くなって1年経つ。この12月にはレーベルを超えたベスト・アルバムがリリースされた。1971年4月にリリースした、はっぴいえんどの「12月の雨の日」(シングル・ヴァージョン)から2003年10月リリースの「恋のひとこと~Something Stupid~」(竹内まりやとのデュエット)まで、およそ32年間の作品の中からシングルをメインに選曲された35曲。レア・トラックは「夢で逢えたら」の未発表・大瀧詠一ヴォーカル・ヴァージョン。それに幾つかのシングル・ヴァージョンや別ミックスが初CD化収録されている。初回生産限定盤はカラオケを10曲収録したボーナスディスク付きの3枚組。 収録曲のほとんどは(ミックス/ヴァージョンを別にすれば)既に聴いたことがあるから購入をためらっていたけど、代表曲をまとめて聴けるしってことで購入。このベストを通して聴いて思ったのは、はっぴいえんどというキャリアは大瀧詠一にとって異質なものだったんじゃないかな、ということだった。もちろんミュージシャンとしてのキャリアの始まりだが、自分の嗜好の取入れ/表出にかなり抑制がかかっていたのであろう。萩原健太著『はっぴえんど伝説』によれば、大瀧はバッファロー・スプリングフィールドのシングル「For What It's Worth」は “今一つ良さがわからなかった” が、そのB面曲「Do I Have To Come Right Out And Say It」の “ポップな感じがたまらなく好きだった” と語っている。そしてバッファローをモデルとしたバンドを作りたかった細野晴臣と一緒にバンドをやろうということになるのだが、 “はっぴいえんどはさ、セダカ&グリーンフィールドだめ、マン&ウェイル(ワイル)だめ、ゴフィン&キングだめって形で足を踏み入れた世界だった” “シングル2枚含め、初のソロ・アルバムのレコーディングはさ、もう一挙にポップスのラインに行っちゃったの” “ぼくの基本はやっぱりアルドン/スクリーン・ジェムス系のポップスだからね” “正直な話、自分のルーツにたどりつくまでにずいぶん回り道をしてしまった” と大瀧は語っている。 ただ、このベストに収録されている、はっぴえんどの曲は「12月の

『宝島AGES No.1』

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宝島社発行、宝島2月号増刊、2014年12月25日発売。 雑誌宝島を毎月読んでたのは1982年~1984年頃かなぁ。1985年~1988年頃までは時々買っていたと思う。当時の宝島は音楽、映画、書籍、ファッション、流行りものからちょっと懐かしい70年代もの、カウンター・カルチャーを含め若者カルチャー全般を取り上げていて、私は主に新譜やライヴ・レポートなんかの音楽情報、邦楽アーティストのインタビューが目当てだったけど、核とかコンピュータ等のテーマを取り上げて解説した“キーワード図鑑”のコーナーも面白かった。確か90年代はグラビア誌でそのあと経済誌に変わってたと記憶しているけど、今は全く手に取ることもない。調べてみると月刊で雑多な情報を扱う雑誌になってるな。 忌野清志郎が表紙の『宝島AGES』は1980年代の日本のカルチャーを振り返る増刊号。80年代前半の宝島といえばRCサクセションとYMOというイメージもあるが、この増刊号には、RCは三宅伸治と片岡たまき(元マネージャー)の対談、YMOはデザイナーの奥村靫正への取材が掲載されている。私的に一番面白く読んだのは1980年代を振り返る町田康とよしもとばななの対談で、6ページとボリュームがあり笑える内容でもある。映画『爆裂都市』に関しての話しもあり。 80年代の漫画といえばやはり『AKIRA』で、アシスタントの高畠聡へのインタビュー、これも興味深く読んだ。“今を生きる80'sバンド”というコーナーでは、ラフィンのチャーミーとPON、スタークラブのHIKAGE、ニューロティカのアツシ、ガスタンクのバキパーソンズのJILLと渡邊、KENZI&THE TRIPSのケンヂ、原爆オナニーズのTAYLOW、ジューシーフルーツのイリアとトシ、ピーズの大木へのインタビューがある。多くはアラウンド50ってところで、老いゆく身体へのいたわりが感じられる。髪の毛問題も深刻か。 “アトミック・カフェ 反核・脱原発の30年”と題されたAtomic Cafe Festivalを振り返る記事も面白かった。ルースターズは1984年~1986年まで毎年アトミック・カフェ関連のライヴに参加しているな。 まぁそんな感じの内容だけど、やはりVOWは爆笑もの。No.1だけど次はあるのかな。80年代を振り返るというのは懐古趣味なのか再評価なのか、雑誌一冊

自殺『LIVE AT 屋根裏 1979』

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2014年12月11日、いぬん堂からリリースのライヴ・アルバム。 オムニバス・ライヴ・アルバム『東京ニュー・ウェイヴ'79』に2曲、津島秀明監督の映画『ロッカーズ』に1曲が収録されていたのみで、1978年9月~1980年にかけて活動していたバンド、自殺の発掘音源ライヴ・アルバムがリリースされた。 今から35年前、1979年6月ライヴ・ハウス屋根裏での記録。音はプライヴェート音源に慣れている耳であればまぁ良好と言えるものだ。マスターはおそらくオーディエンス録音のカセット・テープだろうと思うが、元のテープの状態により再生が安定していない箇所がある。この録音時はヴォーカル:川上浄、ギター:栗原正明、ベース:中嶋一徳、ドラム:佐瀬浩平というメンバーで、『東京ニュー・ウェイヴ'79』の時とはベースとドラムが交代しているが、ベースの中嶋一徳は『東京ニュー・ウェイヴ'79』録音時は8 1/2のメンバーであった。『LIVE AT 屋根裏 1979』は企画:佐瀬、監修:中嶋、栗原という元メンバーの協力のもとに制作されている。ブックレットの写真は地引雄一。 アルバムはイギー・ポップの「Gimme Some Skin」の凶暴日本語カヴァーで始まる。構成が面白い「みずたまりにて」。川上浄が自殺の前に活動していたバンドは“セカンド・スーサイド”だったが、そのバンド名と同じ「セカンド・スーサイド」はヘヴィなナンバー。ベースの中嶋一徳が作詞作曲したロックンロール・ナンバーで、もともとは中嶋が在籍していた8 1/2のレパートリーだったという「3-2-1-0」はポップな曲調。 「I Got A Right」は再びイギーのカヴァー(こちらは英語詞のまま)。「I Got A Right」と「Gimme Some Skin」はイギー・ポップがアルバム『Raw Power』(1973年)とほぼ同時期に録音していた曲で当時未発表だったが、Siamese Recordsが1977年頃にこの2曲を収録したシングル盤をリリースしている。ほぼインストに近い「ファンシー」はイメージ的にはTHE WHO×NEU!な感じか。CD後半は長尺な曲が続く。「Woo-」は穏やかなさと激しさが交差する曲でベースのフレーズが印象的だ。ファンキーかつ混沌とした「ひなたぼっこ」で破壊的に終了。 初回限定でボーナスC

Drop's「さらば青春」

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2014年12月3日、STANDING THERE, ROCKS/キングからリリースのシングル『さらば青春』より。 Drop'sは去年(2013年)に友人から存在を教えてもらっていたけど、その時はミッシェル経由のブルースやっているなって印象はもったが特にCD買おうという気にはならなかった。先日たまたまDrop'sのヴォーカル/ギター・中野ミホを迎えてのラジオ番組をやっていて、そこで流れたのが「さらば青春」。一聴して気に入ってしまった。良い曲書くなぁ。その時にカップリングの曲「メトロ・ランデブー」も流れたがこちらも気に入った。中野のインタビューの受け答えも印象がよくて、何の質問か忘れたけど “ステージでは革ジャンなんか着てかっこつけてます”って答えていて、そういうのは大事だよな、と思ったり。ロックンロールは艶つけにゃあかん。インタビューでは「さらば青春」のミュージック・ヴィデオについての話もあり、冬の感じを出すため、たしか冷凍庫で撮影したと話していた。とても寒くて洋服の内側にホッカイロとか貼っていたけどギターを持つ手が震えて…みたいな内容を話していた。このヴィデオも良くできている。 「さらば青春」は中野が高校3年生の頃に作った曲だが、これまで録音されていなかった。少女から大人へ移り変わっていく姿を描き出したこの曲をリリースするのはこのタイミング(彼女たちは21歳だ)が最適だろう。ラジオで言っていたが曲が出来て、高校を卒業して、今改めてこの曲に対すると、作った時とは違う俯瞰した視点で向き合えることができたという。多くを語る歌詞ではないが、語られない部分に思いを馳せることもできる優れた内容だと思う。2014年のスローバラードと言える曲だ。今回のレコーディングにあたっては“何も言わず さらば青春よ~”のCメロの部分を加えて完成させた。この部分に卒業から今まで、そしてこれからの思いが込められている。 個人的には冬という季節があまり好きではないが、この曲を聴くとこれまで過ごしてきた冬の思い出の断片(たぶん楽しかったのだろう)がフラッシュバックされて、ちょっぴり冬という寒い季節が好きになった気がする。 カップリング収録は3曲。ギター荒谷朋美作曲のシャープなエッジのロックンロール「メトロ・ランデブー」はギターとキーボードのコンビネーションも最高だし、途中のドラムロー

My Wandering MUSIC History Vol.40 JOY DIVISION『LOVE WILL TEAR US APART』

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1980年4月、ファクトリーよりリリースのシングル。 ジョイ・ディヴィジョンの楽曲を聴いたのはこのシングルが初めてじゃなかったと思うが、この「Love Will Tear Us Apart」は強力な印象を残した。私が手にしたのは12インチだったが(7インチはジャケが違う)、ジャケットのゴシックな嘆きの天使の墓石というかトゥームのモノクロ写真だけでもインパクト大。あらためてネットで調べてみると(今は便利)イタリアのジェノヴァにある墓地“Staglieno Monumental Cemetery”というところで撮影された写真を使用している (アルバム『クローサー』のジャケットも同所のトゥームを使用しているようだ)。ファクトリーのデザイナー、ピーター・サヴィルによるスリーヴ・デザインはまさに芸術作品といえるジャケット。シングルのリリースはヴォーカリストのイアン・カーティスが自死した1980年5月18日の前月、1980年4月だった。 閃光のように始まりを告げるアコースティック・ギターのカッティング、メロディを際立たせるベースライン、深みと広がりを与えるシンセサイザーのフレーズ、イアン・カーティスの低く、精神の深淵を思わせる歌声は、お互いの愛が近づけば傷付けあうものである事を告白し、“もう一度、愛が僕らを引き裂く”と歌う。 「Love Will Tear Us Apart」のレコーディングは1980年3月に2回のセッションが行われており、 シングルのA面にはストックポートのストロベリー・スタジオで録音されたヴァージョンが収録されている。このヴァージョンは性急にハイハットを刻む歪んだ16ビートが特徴で、流れるようなメロディとの対比が歪な美しさを感じさせる。テンポはやや遅め。もう1回のセッションはオールダムのペナイン・スタジオで録音され、こちらはストロベリー・スタジオのヴァージョンと比べるとテンポが速く、ドラムはハイハットの刻みを工夫しているがエイトビートを基調としリズムは安定していて、バンドの一体感が感じ取れるヴァージョンだ。シングルのB面2曲めに収録されている。今聴くとこちらのヴァージョンが好み。 B面の1曲めにはやはりペナイン・スタジオで同時期に録音された「These Days」が収録されている。この曲もアレンジが工夫されていて得にギター・ストロークのタイミングや鳴りが絶妙