My Wandering MUSIC History Vol.105 小山卓治『HIMAWARI』
1984年7月21日、CBSソニーからリリース。
前作からほぼ1年ぶりに発表された小山卓治のセカンド・アルバム。オープニングはアコースティック・ギター〜アコーディオンの2分以上ある長いイントロを経て歌が始まる「ひまわり」。もともと“ガソリン・タウン”というタイトルで、受けとった絵はがきも、ひまわりじゃなく街のネオンの写真だったという。日常に潜むものや感情を抉り出すのではなく、目に見える日常の風景をつないでゆく手法を使用して歌詞を作り上げた。ドラムのリムショットが間奏の手前でスネアに変わるところは劇的で、間奏ではイントロのアコースティックギターのフレーズが再登場する。女性コーラスも効果的に使われ、練られた歌詞に楽曲の構成・アレンジは小山卓治が次のステップに進み、ただのスプリングスティーン・フォロワーじゃないことを証明した曲と思う。
工場のサイレン(実は空襲警報の効果音だという)で始まりレゲエのリズムで歌われる「煙突のある街」は当時ブレイカーズでヴォーカル&ギターを担当していた真島昌利の曲を取り上げた。真島もバッキングヴォーカルで参加している。労働者の健康被害、組合の賃上げ闘争、ラストはおそらく工場の煤煙と排水による河川の汚染により会社が訴えられたと思われる内容。“時間を殺す場所さ 自分を殺す場所さ”という歌詞は、アルバイトというと工場の長時間労働をしていた私にとっては身につまされる歌だった。重厚で聴き応えのある曲だが、効果音の挿入がやや過剰に思える。真島昌利は1992年リリースの3枚目のソロアルバム『RAW LIFE』で「煙突のある街」を録音している(若干歌詞が違う)。
「下から2番目の男」は怖いもの知らずでプライドとハッタリは一人前の働く若者の歌。2分半でオチも付いたコンパクトな傑作。続いて4枚目のシングルだった「DOWN」でアナログ盤A面終了。
B面のはじまりはリズムボックスのバスドラの音を強調して強烈なドスッという音像をつくりあげた「家族」。父親を亡くし、母親・兄・姉と僕の4人で暮らす家族。まともな職につかず母親に心配をかけ続ける兄貴と恋人に騙されている姉、これまたどん底な曲だが、“ゆっくりと流れる河に沿った石畳 僕は自転車に乗って毎日ここを通る”の歌詞とメロディにはヨーロッパ的な風景が感じられる。ヴィスコンティ『若者のすべて』やデュヴィヴィエ『パリの空の下セーヌは流れる』あたりの感じで作ったと小山卓治が語っていた。続いて3枚目のシングルだった「傷だらけの天使」、「DOWN」のカップリング「土曜の夜の小さな反乱」を収録。
「Paradise Alley」は軽快でポップな曲、桑田りんのコーラスがいい。望まぬ妊娠と堕胎というデリケートな題材をあつかった「記念日」は、“そんなに時間はかからなかったよ ぼんやりすることがなくなるまで”の後にそれまでのヴォーカル・エフェクトが消え、本来の小山卓治の声で“俺は前より君を強く抱くようになった”と歌われるのが効果的だ。
ジャケットの写真はスタッフのディレクターが見つけてきたもので、ドイツの写真家アルベルト・レンガー=パッチュ(Albert Renger-Patzsch)の写真。ジャケット裏にも同じ写真があり「Essen-Bergeborbeck, 1929」と記載されている(表ジャケの「Himawari-Takuji Oyama, 1984」の表記と対比している訳だな)。雨に濡れた道、工場の煙突、1929年のドイツ・エッセンだけどアルバムの内容にぴたりとあった写真。1980年代前半頃の海外ニューウェイヴやネオアコっぽいアートワークとも思える。アナログ盤の歌詞カードには他に6枚のレンガー=パッチュの写真が掲載されていた。
参考文献:ミニコミ『OYAMA TIMES VOL.3』(1984年りぼん)