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私的・日本のロック・アルバム・ベスト25(1980年代編)

私の選ぶ日本のロック・アルバム・ベスト25・1980年代編。 1位のルースターズは12inchシングルだが、レココレで近田春夫の『Vibra Rock』がランクインしてるので、これもありかと。 ということで、私が選んだ日本のロック・アルバム・ベスト25 1980代編。  1.THE ROOSTERS/ニュールンベルグでささやいて  2.PANTA&HAL/1980X  3.INU/メシ喰うな!  4.THE STALIN/TRASH  5.フリクション/軋轢  6.THE ROOSTERS/INSANE  7.RCサクセション/ラプソディー  8.佐野元春/VISITORS  9.E.D.P.S/BLUE SPHINX 10.V.A./爆裂都市オリジナル・サウンド・トラック 11.戸川純とヤプーズ/裏玉姫(カセット) 12.ARB/BAD NEWS 13.RCサクセション/カバーズ 14.暗黒大陸じゃがたら/南蛮渡来 15.SS/LIVE! 16.THE MODS/FIGHT OR FLIGHT 17.PLASTICS/WELCOME PLASTICS 18.ヒカシュー/ヒカシュー 19.CARNAVAL/ZELDA 20.V.A./GREAT PUNK HITS(REBEL STREET Ⅱ) 21.アナーキー/アナーキー 22.小山卓治/NG! 23.子供ばんど/WE LOVE 子供ばんど 24.サンハウス/CRAZY DIAMONDS 25.大滝詠一/A LONG VACATION 1位と2位の盤は不動と思うが、3位以下は時期や気分で変わると思う。まぁほとんど順位付けに意味は無いか…。選んだのが80年代初期に集中しているけど、それだけインパクトが強いレコードが多かったという事で。 まだまだ入れたい盤はあり、パンタ『TKO NIGHT LIGHT』やスターリンの『虫』やTHE COMES『NO SIDE』や泉谷『吠えるバラッド』、『SELF COVERS』、リザード『ジムノペディア』、タイマーズ、ユーミン、フリッパーズ・ギター、ムーンライダーズ『マニア・マニエラ』、真島昌利『夏のぬけがら』、松田聖子『CANDY』なんかも入れたかった…。 で、10枚選ぶの?各1~5位を並べるだけかな?

私的・日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト25(1960〜1970年代編)

日本のフォーク・ロック10枚を選ぶに先立ち、レココレ8月号、9月号にならって1960~1970年代と1980年代で25枚ずつ選んでみようかなと思い、何日間か考えていたが、これは難しい。まぁ選ぶのは良いとして順位を付けるというのが抵抗あり。それに寝る前に選盤、順位付けしていると寝られなくなってしまって、翌日の仕事に影響が…。 ということで以下、私の選ぶ日本のロック・フォーク・アルバム・ベスト25・1960~1970年代編。  1.PANTA&HAL/マラッカ  2.四人囃子/一触即発  3.カルメンマキ&OZ/カルメンマキ&OZ  4.V.A./東京ロッカーズ  5.泉谷しげる/'80のバラッド  6.サンハウス/有頂天  7.ジャックス/ジャックスの世界  8.頭脳警察/頭脳警察3  9.リザード/リザード 10.P-MODEL/IN A MODEL ROOM 11.V.A./東京ニューウェーブ'79 12.PANTA/PANTAX'S WORLD 13.はっぴいえんど/風街ろまん 14.ムーンライダーズ/モダーン・ミュージック 15.SHEENA&THE ROKKETS/真空パック 16.サディステック・ミカ・バンド/サディステック・ミカ・バンド 17.RCサクセション/シングルマン 18.山口冨士夫/ひまつぶし 19.細野晴臣/HOSONO HOUSE 20.荒井由実/ひこうき雲 21.シュガーベイブ/SONGS 22.ザ・フォーク・クルセダーズ/ハレンチ 23.イエロー・マジック・オーケストラ/イエロー・マジック・オーケストラ 24.CHAR/CHAR 25.上田正樹とサウス・トゥ・サウス/この熱い魂を伝えたいんや トップ5位までは不動と思うが、6位以下はどうにでも、というか時期や気分で順位は変わる気がする。もちろん未聴のアルバムも多々あるわけで。 レココレの選者の方々も仕事とはいえ、思い切りのいる、なかなか大変な作業だったのでは。 80年代はもう少し考えてから…。

『レコード・コレクターズ 2010年9月号 日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100(80年代編)』

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レココレ2010年9月号は「日本ロック・アルバム・ベスト100」80年代編。 このあたりはリアルタイムなんで楽しみにしてた。 1位ロンバケは想定内、2位は「メシ喰うな!」かなと思ってたけど、7位はちょっと低いのでは。じゃがたらの2位もありだけど。 80年代、続々デビューの九州勢からはルースターズのみランクイン。ARBもモッズもロッカーズもなし。ルースターズ37位、47位もちょっとね、なランク。これ80年代 “ロック” の順位なんだろ?アナーキーの1stはどうした? パンタは「1980X」がランクインせず、「TKO NIGHT LIGHT」が90位(ナハトが30位)。うーむ。 さて、レココレでは “あなたが選ぶ日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト10・1960-1989” の投票を実施中。 私も選んでみようと思っているが…。

『レコード・コレクターズ 2010年8月号 日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100(60〜70年代編)』

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最近ではめっきり購入機会も減っているレココレ。 2010年8月号は「日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100」60〜70年代編という特集なので買ってみた。60~70年で100枚といっても、60年代からはジャックス、フォークル、岡林、早川義夫、スパイダース、加藤和彦のソロ、加山雄三(ランチャーズ)と数える程。 1位のみ1ページ全てを使って紹介されているが、2位からは1ページに2枚~4枚のアルバムを紹介。その1ページに1枚は、はっぴいえんど~ティンパンアレー、風都市系の関連アーティストがランクイン。やはりはっぴいえんどのメンバーの確かな演奏力、技術力に裏打ちされた、ミュージシャンとしての仕事の広がり、新しいものや異文化を積極的に取り込んでいく姿勢、によるものなのか...。 しかし欧米で76年から始まったパンクムーブメントの日本での広がり、というか音源のリリースが本格的になるのは80年になってから。その系列ではアーントサリーのスタジオアルバム39位、コンピ『東京ロッカーズ』73位のみとは寂しい...。リザードのファーストは、『東京ニューウェーブ79』は。 “闇雲に音盤をランキングする、という暴挙” は話題の喚起であったり、趣味的なものだと思うけれど、ランキングした上での考察がもっとあって良かったのでは。 個人的には志田歩の選んだ25枚がほぼストライクな気がする。1位~3位は特に。

中込智子監修『ジャパニーズ・オルタナティブ・ロック特選ガイド』

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2010年5月、CDジャーナル・ムックより出版。 日本のオルタナティヴ・ロックの本というと、ミュージックマガジン社から出ていた『NU SENSATIONS -日本のオルタナティヴ・ロック 1978-1998』が重宝していたが、現在は2010年、1999年から現在までのバンド/ディスクで良いものに出会いたいと思っていたところに、CDジャーナル・ムックから出版されたのがこの「ジャパニーズ・オルタナティヴ・ロック特選ガイド」。 年代は5つに区切られていて、各章にはキーマンへのインタビューや対談があり、また、その年代のトピックなアーティスト、バンド、イベント等が 1ページまたは2ページ分の記事として紹介され、ディスク・ガイドがあるという構成。以下各章の年代分けとインタビューについてを紹介。 第一章は1979年~1985年。ここでは遠藤ミチロウのインタビューがあり、自らのサウンドの変遷やインディ/メジャー に対する考え方について等が語られている。 第二章は1986年~1990年。ラフィン・ノーズのチャーミーへのインタビュー。古くからのファンは知っている内容なのかもしれないが、バンド結成以前からラフィンの盛衰、再開後について語られていて興味深い内容。 第三章は1991年~1995年。インタビューはビヨンズの谷口健。ハードコアに惹かれるムード、そして自身のサウンドとしてのハードコア後について等が語られている。 第四章は1996年~2000年。ここではブラフマンのTOSHI-LOW、バックドロップ・ボムのSHIRAKAWA、フロンティア・バックヤードのTAGAMIの対談。 “ロックに、バンドに救われたっていう世代でいえば、俺達が最後の世代なんじゃないか”というTOSHI-LOWの言葉が印象深い。インタビューはPIZZA OF DEATHレコーズのスタッフDA。アメリカの大学のミュージック・ビジネス科に進んだDAがハイスタと出会い、 PIZZA OF DEATHで勤め始めるまでの経緯や、プロモーションなどの仕事について語っている。 第五章は2001年~2010年。インタビューはバンド・アパートの荒井岳史と原昌和。意外性を追求する彼らの意欲に注目。 遠藤ミチロウとDA以外はインタビューを監修者の中込智子がおこなっており(対談も)、リアルタイムで現場を見て、音源を聴いてきた者ならではの視...

追悼・忌野清志郎 RCサクセション「トランジスタ・ラジオ」

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1980年12月リリースのアルバム『Please』より。 忌野清志郎が亡くなった。2009年5月2日のことだ。 その日はGWの初日、CD屋巡りをしながら「清志郎、再入院したけど最近情報がないね」なんて話しもしていた。夜遅く帰ってきて飛び込んできた訃報に愕然となって、その夜は眠れなくなり自分でもそのショックの強さに驚いた。 1980年(昭和55年だ)の冬休み私は初めてアルバイトをした。 年末年始に郵便局で募集していた郵便配達のバイトだ。自転車で自分の受持ちの地域へ葉書や封書や年賀状や時には現金書留なんかを配達した。最初の頃は配る家を間違えたりして注意を受けたりしたが、その休み中は雨が降らなかったこともあり、楽しい思い出だ。自転車に乗りながら口ずさんでいた歌が「トランジスタ・ラジオ」だった。 リリースされたばかりのこの曲(シングルリリースは1980年10月)をよく聴けたなと思うし、憶えていたなぁと思うのだが、友人がアルバム『プリーズ』を買っていて借りたのかもしれないし、ラジオでオンエアされたのを聴いていたのか、テープに録音したのかもしれない。  “ベイエリアから リバプールから”というところが妙に気に入っていた憶えがあって、毎日何回も歌いながら町中をくるくる廻っていた。 その時の幾ばくかのお金は、自分自身の初めてのラジカセになった。 だからこの曲を聴いたり歌ったりすると、実家の近くの細い道を郵便局に向かって走っている朝の風景や 配達先のアパートの近くを走っている風景が浮かんでくる思い出深い曲だ。もう少し、RCや清志郎について書いてみよう。 初めてRCを聴いたのは『ラプソディ』だった。やはり「雨上がりの夜空に」に強烈な印象を持った。ちょうど同じ頃リリースされた子供ばんどのアルバム『WE LOVE子供ばんど』に収録されていた「サマータイムブルース」とともに 私達音楽少年の愛唱歌になった。 やがて自分の興味がパンク、ニューウェイブへ移っていき、もっとソリッドで硬質な(当時のRCにその要素が無いとは言わないが)、日本のバンドだと東京ロッカーズ周辺やP-MODEL、ARB、ルースターズ、INU、スターリンなどを聴くようになり、しだいに成功していった RCを横目で見ながら、私は自主制作のシングル盤を出しているようなバンドを聴いたりするようになっていた。 1982年になる頃に...

A CERTAIN RATIO「ALL NIGHT PARTY」

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2009年1月27日リリースのCDボックスセット『Factory Records Communications 1978-92』より。 ファクトリー・レーベルの歴史を振り返る4枚組CDボックスがリリースされた。 レーベルの活動当時、ファクトリーのアーティストを聴いたのはほんの一部だったが、こうしてまとめて聴いてみると、やはりファクトリーはJoy Division~New Orderのレーベルだったんだな、と改めて感じた (もちろん聴き所は充分にあるし、聴く度に発見があるボックスセットだ)。レーベルの後期に登場し、もうひとつのヒットメイカーだったHappy Mondaysに思い入れがない分、余計そう感じるのかもしれない。 あと思い入れがあるのはThe Durutti Columnの初期だが、EP『Factory Sample』に収録されていたThe Durutti Columnの 「No Communication」はこのボックスセットに入れて欲しかった。 今回ボックスセットから1曲選ぶにあたり、Joy Division~New Order以外で選ぶのに悩んだのだが、A Certain Ratioのデビューシングル(A面曲)を選んだ。 レーベルにとって2枚目にあたるレコードとして1979年5月にリリースされ、ファクトリーの通し番号FAC-5が付けられた(通し番号はポスターなどにも付けられ、FAC-1、3、4はポスター、FAC-2が『Factory Sample』だった)。このシングルは、A Certain Ratioがドラムレスだった時の録音で、ドラマー加入後のファンクな特徴はまだ無い。しかし、裏打ちのギターカッティング、まとわりつく重たいベース、暗闇に響くようなボーカルが 焦燥感をかきたて、ダークな雰囲気を魅力的に醸し出している(バウハウスに通じる雰囲気)。

THE CLASH「THE MAGNIFICENT SEVEN〜ARMAGIDEON TIME」

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2008年10月リリースのライブアルバム『Live At Shea Stadium』より。 はっきり言って、この1982年10月13日アメリカ・ニューヨークのシェイ・スタジアムで録音されたライブ・アルバムは1曲選ばなくても全てが素晴らしい。 この曲を選んだのは、「7人の偉人」に「アルマゲドン・タイム」を挟んだバージョンがユニークで珍しいと思うから (この頃はこの形でよく演奏されていたようだ)。 沢山のブートレグを持ってるって? -この音質、ミックスバランスの良さはオフィシャル・リリースにはかなわない。 ドラムがトッパーじゃないって? -何の問題も無い。テリー・チャイムズはクラッシュの初代ドラマーだぜ。 その姿が今回初めてクラッシュのジャケットに…。 収録曲が少ないって? -このザ・フー解散ツアーのフロントアクトは持ち時間が50分と短く代表曲をパッケージしたものになった。 それでも、この「7人の偉人」のようにアレンジされものや、スタジオ・バージョンよりスピードを落とした「スペイン戦争」の渋味、 随所に聴かれるジョーのアドリブの語りもかっこいい。 「7人の偉人」~「アルマゲドン・タイム」に移るところでは、 “ある晩俺達はニューヨークの黒人のリズムを盗んだ。そして、これからみんなをジャマイカへ連れてくぜ” みたいな語りが聴こえる(このあたりMC対訳もつけて欲しかったなぁ)。それに数万人の歓声がバンドを勢いをあたえている臨場感もたまらない。 PLAY IT LOUD!! だけど、もう少し曲を聴きたければ以前リリースされたライブ・コンピレーション 『From Here To Eternity』に同時期のアメリカツアー(1982年9月のライブ)から「クラッシュ・シティ・ロッカーズ」、「ハマースミス宮殿の白人」、「権利主張」、「ストレイト・トゥ・ヘル」が収録されているので聴いてみてはいかが。

THE MIDDLE CLASS「OUT OF VOUGE」

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2008年9月発表の編集盤『Out of Vouge-The Early Material』より。 私がハードコアを聴くようになったのはこのThe Middle Classと日本のSSを知ってからだ。津島秀明監督の映画『ロッカーズ』には1978年末に演奏するSSの映像が収められていて、その速さ、あっという間に演奏が終る短さに唖然とし、その潔さに感動したが、The Middle Classを聴いた時も“Fast!”な演奏に痺れた。 「Out of Vouge」が収められているオリジナル7インチEPレコードも1978年のリリース、最初のハードコア・レコードと言われている。(4曲で約5分!)アメリカのカリフォルニアで、Atta3兄弟と友人のMike Pattonの4人で1977年に結成。2枚の7インチと1枚のコンピレーション参加、1枚のアルバムを残している。 Out of Vouge : EP Scavenged Luxury : EP Tooth & Nail : Compilation LP Homeland : LP The Middle Classはハードコアに純化せず、唯一のアルバム『Homeland』の時にはニューウェイブ的な音になっている。今回リリースされた『Out of Vouge-The Early Material』は、2枚の7インチ、コンピ収録曲、1stシングル以前に録られたデモを収めたもので、ライナーに記されているようにプロト・ハードコア・マテリアルといった内容だ。既に2枚目のEPから音を変化させているのがわかる。 Sex Pistolsがアメリカで空中分解した年、世界のあちこちで強烈にスピードアップしたパンク・ロックが生まれ出ていた。

THE COMES「バカコケ」

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1983年11月発表のアルバム『No Side』より。 オリジナル・レコードは、オークションなどで万以上の高値がついているThe Comesの1stアルバムが2008年8月に初CD化された。1980年代初期、日本のハードコアの中核として活動していたThe Comes。このアルバムは雑誌DOLLがシティロッカーに続いて立ち上げたドグマから、ギズムのアルバム『Detestation』と同時期にリリースされた。 のめり込むビートにハード・ドライヴィンなギター。そして性急さと焦燥感を感じさせるチトセのボーカルが魅力だ。メタリックとも思えるその声は時にヒステリックだが、耳障りではない。奇跡的とも思えるハードコア・サウンドが手軽に聴けるようになった今回のリリースを喜びたい。 今回のCD化ではオムニバス『アウトサイダー』に収録されていた3曲をボーナストラックとして追加。ハードコアの魅力が詰まっているこのアルバム、どの曲もお勧めだが、シンプルかつ深遠な「バカコケ」を。

THE SMITHS「PLEASE PLEASE PLEASE LET ME GET WHAT I WANT」

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YouTubeを見ていると“この曲でこんな映像をつけるのか”とか、“こういうイメージもありだな”という動画に出会ったりする。 ザ・スミスの曲に女優達のポートレイトをモーフィングした画像を合わせたこのビデオを見たときは、すげーなと思ってしまった。スミスのレコードジャケット=映画俳優というイメージはあるものの、この曲を聴いて映画女優の映像というイメージは思い浮かばなかった。  だけど、“これまでどんなにツイてない人生だったか/これじゃ善人も悪人になってしまう/ だから どうか どうか どうか今度は僕の望みを叶えて下さい”と一片の希望が歌われる美しいバラードに、失われるであろう若さや美貌、いつ落ちるか分からないスターとしての地位、といった女優達が持つ儚さを重ね合わせる事が出来るだろうか。 「Please Please Please Let Me Get What I Want」は1984年8月リリースのシングル「William, It Was Really Nothing」のカップリング曲。編集アルバム『Hatful of Hollow』にも収録されている。 

頭脳警察「時代はサーカスの象にのって」

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2008年6月発表のシングル「時代はサーカスの象にのって」より。 2002年10月15日、新宿厚生年金会舘でおこなわれた“Rock Legends Vol.2”(出演は頭脳警察と四人囃子)にて初めて聴いた「時代はサーカスの象にのって」。以来、スタジオバージョンが早く聴きたいと待ち焦がれていた曲がやっとリリースされた。 “Rock Legends Vol.2”のあと、2002年末のカルメンマキのライブにゲスト参加したパンタが “頭脳警察で寺山さんの「時代は~」に曲を付けて、 アルバムも出して、シングルも…” という話しをしていたし、1990年の復活以来ギターを弾いているThe Grooversの藤井一彦が、Groovers HP「GROOVEYARD」のなかで “頭脳警察のシングル用のレコーディングをしてきた” と2003年の初めに書込みをしていたので、これは絶対「時代は~」の事だ、などと私はひとり決め付けていたのだ。しかし、それから幾年月…。 やっとリリースされたこの曲だが、演奏者のクレジットにずっとサポートしていた藤井一彦や、2001年復活から一緒のJigen(桃梨)、ヨシロー(Cobra他)の名前は無い。パンタ+トシに“陽炎”のメンバーが支援特型として参加している。なにしろCDのオビには頭脳警察「最強人員・完全武装復活」と書かれているのだ。このリレコーディングされたバージョンがパンタ(頭脳警察)として“今”出したかった姿なのだろう。 変化のスピードを速めようと嵐が吹き荒れていた1969年、寺山は時代の移り変わりを象の歩みに見立てたのか。急激な変化を望まぬ臆病者として。およそ40年前の言葉が現代に暮らす我々の心に響く。親しみやすいメロディにのって。サウンドはこれまで演奏されてきたギター中心のアレンジをもとに中山努の弾くキーボードが彩りを加えたアレンジになっている。 カップリングには2001年6月の復活から演奏されている「間際に放て」。ぜひ多くの人にこのシングルを聴いてもらいたいと思う。 「時代は~」には幾つかバージョンが存在する。 もともとは2002年8月におこなわれた『寺山修司の映画と舞台の夏2002』において上演された、 月蝕歌劇団と制服向上委員会による『時代はサーカスの象に乗って2002』にパンタが提供した曲だが、 2003年8月1日リリースの制服向上委員会...

CHRIS ISAAK「WAITING FOR MY LUCKY DAY」

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1996年発表の『Baja Sessions』より。 初夏という季節によく取り出すアルバムがある。 クリス・アイザックの『バハ・セッションズ』。 半袖でもいいくらいの気候で、太陽の光がしっかりと熱を持って眩しく、でも風が吹くとすーっと涼しい。 乾いた空気が花と緑を鮮やかにする季節に聴きたい。休日に少し遅く起きた朝でも、太陽が真上にある日中でも、日が暮れるのが遅くなった夕方でも、涼しい夜でもピッタリのアルバムだ(まぁ真夏でも晩夏でもいいとは思うが…)。 このアルバムはクリスがメキシコ・ツアー中に構想が生まれ、メキシコの地名にちなんで名付けられた。 南国的な雰囲気のアコースティックなアレンジで統一され、ドリーミーでリラックスしたアルバムだ。クリスのファーストアルバム『Silvertone』から3曲、ヒットアルバム『Heart Shaped World』から1曲、 『San Francisco Days』から1曲(映画『True Romance』に使われていた「Two Hearts」)をリ・レコーディング、 ロイ・オービソンの「Only The Lonely」、スタンダード・ナンバー「South of The Border」、 他にもカリプソ、ハワイアンも歌われている。 どの曲を選んでもよいのだが、このアルバム用のクリスのオリジナル2曲から1曲を選んだ。 ドリーミーでリラックス、と書いたが、サウンドがそう聴こえても歌っている内容となると、そうでもない。ロイ・オービソンの「Only The Lonely」が象徴しているように、歌われている内容の大半は恋に破れ、片思いの、孤独な男 。または幸せな日々から取り残された男(例外は幸せな2人を歌ったハワイアン「Sweet Leilani」)。これはクリスのデビューから変わらない特徴だ。 「Waiting For My Lucky Day」はゆったりしたリズムにのって、テキサスの地で全てを失い、うまくいかない日々に耐えながら、風向きが変わるのを待っている。陽が昇るのを待っている男が歌われている。その歌が悲しく湿ったものにならないのは、サウンドが乾いていて、クリスの歌い方がやさしく、暖かいトーンを持っているからだろう。 クリス・アイザックを聴き始めたのはデイヴィッド・リンチが映画に使用した曲や、リンチが撮ったプロモビデオ等が入り口だった...

CHATMONCHY「惚たる蛍」

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2005年11月発表の『Chatmonchy Has Come』より。 今や大ブレイクしたチャットモンチーのメジャー・デビュー盤。 何が気になったかというと、ジャケットが1980年代初め頃によく聴いていたアメリカのバンド、The Feeliesの『Crazy Rhythms』のジャケットによく似てる。The Feeliesの1stアルバムだった『Crazy Rhythms』はギターがシャカシャカ、ドラムはタムタムを多用したドコドコなサウンドだったが、 ユルいだけではない楽曲のシャープさを持っていた。 チャットモンチーは飾り気の無い言葉(といっても表面的なものに終わっていない)をグランジ後のサウンドにのせて聴かせる。ボーカル&ギターの橋本絵莉子は高校時代から遊ぶ暇も惜しんで練習していたというだけあって、メロディ、曲の構成や演奏力は確かでオリジナルなものを感じさせる。収録された6曲は緩急つけた選曲でどれも楽しめるが、 “真っ暗の中で光る蛍は まるで私の体の中の悪い部分のように”  という一節がひっかかるスローなこの曲を選んだ。 Drum Technicianとしてクレジットされているのは三原重夫。

TRIBUTE MAIN STREET「TEENAGE DREAM」

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1996年発表の『Tribute』より。 CDライナーによるとメインストリートというバンドは“1976年に野田敏(Vo.G)、渡辺三希雄(Key)を中心に九州熊本で結成され、 2人以外は流動的なメンバーで地元を中心に活動していた。 80年代に入り博多80's Factoryなど九州一円に活動を広げ、80年代後半には東京へ活動の場所を移す。ヒートウェイブの山口洋、アンジーの水戸華之助、アクシデンツのスマイリー原島など多数のアーティストに影響を与えたが、1990年活動を停止”と書かれている。 私は九州の音楽誌Blue Jagのコンサートレビューなどで名前を見たことがある程度で、その音を聴いたことは無かった。 このCDはトリビュート盤という形で、スマイリー原島や山口洋、谷信雄、中村義人(横道坊主)、岡本有史(アンジー)、大島治彦(Ziggy)などが参加し、メインストリートの曲を演奏しているが、メインストリートとしての音源も3曲収録されている。 Track 4「中産階級の子供たち」(録音1981年) Track 7「愛を抱きしめて」(録音1984年) Track 10「夜の行進の途中で」(録音1979年) 他の曲でメンバーが参加したのは、 Track 3「僕らの生まれ変わりに」 Track 11「センセーション」に野田敏がVoとGで参加、 Track 1「カモメ」 Track 5「美しい夜に」 Track 6「何の権利があって」 Track 9「あやまるべきか」 Track 12「Teenage Dream」に渡辺三希雄がKey、Piano等で参加している。 ここで紹介する「Teenage Dream」はOrg.渡辺三希雄、Vo.スマイリー原島、G.高木克、B.岡本有史、D.大島治彦、Cho.中村義人で演奏されたバージョン。モット・ザ・フープル(というかデイヴィッド・ボウイ)の「全ての若き野郎ども」を彷彿とさせるナンバーで、アコースティック・ギターと粘っこいスライド・ギターが作り出すサウンドが印象的なイントロ。押えた演奏に浮かんでくる渡辺のオルガンの音をバックに、ティーンエイジャーの日常の断片を歌うスマイリー原島のボーカルは、年下の少年に向かって語りかけるような、やわらく暖かさをもったものだ。 もっとも、歌われている内容はそのグラムなサウンドとあいまって、スクーター...

LIVE REPORT・恒松正敏グループ at 渋谷クラブ・クアトロ

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恒松正敏グループ at 渋谷クラブ・クアトロ・2008年2月18日 Set List 1.No Way Out 2.ひとつ 3.Leave Me 4.欲望のオブジェ 5.Close 6.天使 7.Pain In My Heart 8.Stone Cold 9.Dance On Ice 10.Shakin' Time 11.Lunatic Animal 12.夜の旅へ encore 13.Crazy Dream *右上の写真はアルバム『欲望のオブジェ』より。 Photo by Nakafuji Takehiko

クリス・セールウィクズ著・大田黒奉之訳 『リデンプション・ソング』

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2007年9月出版、副邦題:“ジョー・ストラマーの生涯”。 ジョーと個人的にも親しかった著者によるジョー・ストラマーの伝記。 2002年12月22日、50歳で生涯を突然閉じたジョー。著者は家族、バンドのメンバー、スタッフなど300人に及ぶ関係者を取材、生い立ちから、寄宿舎生活、兄の死、アートスクール、音楽への傾倒、スクワッテイング(不法住居占拠)、101'ers、The Clashの結成~解散、ソロ活動、映画音楽、ポーグスとの活動、メスカレロスの結成、野外イベントへの愛着、その死までが650ページ余に綴られている。家族、プライベート、バンドなどの写真、個人的な手紙、ジョーが描いたイラスト、メモなども豊富にある。 最大の核はクラッシュに関わる箇所だろうが、あらゆる箇所が興味深く読む事が出来る。音楽に目覚めていくところ、他ミュージシャンからの影響などをほんの少し紹介すると、 “初めて買ったレコードはビートルズの「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」”とか“ビーチ・ボーイズがきっかけになりポップミュージックに取りつかれた”、“人生を変えたレコードはストーンズの「ノット・フェイド・アウェイ」”、“13歳にはチャック・ベリーの音楽を追い求め” 、『ストロベリー・フィールズ~」の頃にはビートルズへの興味を失い、ブルース・ブレイカーズやクリーム、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、レッド・ツェッペリン、ドアーズなどに興味は移る。 ウクレレでチャック・ベリーを弾いてバスキングしていたが、ギターを本格的に始める。初めはチューニングもままならかったが、1973年にはニューポートで初めてのバンドにボーカリスト兼ギタリストとして参加、「ヴァルチャーズ」というバンドで墓堀人をしながら活動した。 1974年にはロンドンへ戻り、101'ersを結成、75年にロンドンで行われたスプリングスティーンの3時間に及ぶライブを見て影響されたという。 読んでいて感じるのはジョーが音楽制作とライブへ捧げる情熱は相当なものだったということだ。音楽制作やオーディンスに対して正直でありたい、と自らを追い込んでいたとも思えるし、それがジョー本来の性格だったとしても、パプリックイメージに苦しめられていた気もする。加えてクラッシュをクビにしたトッパーやミックに対しての後悔の念...

THE STALIN「玉ネギ畑」

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2007年10月発表の『Stop Jap Naked』より。 1982年7月にリリースされたスターリンのメジャーデビューアルバム『Stop Jap』がレコ倫によってかなり歌詞修正を余儀なくされた、という事はミチロウのエッセイ集『2003年版 嫌ダッと言っても愛してやるさ!』にも書いてあった。 それもスターリン・シフトで、他のアーティストが良くてもスターリンだとダメな言葉があった(“偏執狂”がルースターズはOKでスターリンはダメだった等)。このレコ倫によるチェックは、ミックスダウンした後におこなわれた。“ピー音で消す事も検討されたが、結局修正箇所の歌を入れ直し、 再度ミックスダウンしたものが1982年に発売された『Stop Jap』だ。 今回の『Naked』は残されていた修正前の歌詞の歌に戻し、テープスピードを早めていた「ロマンチスト」、「Miser」は元のスピードに戻している。ミックスダウンも新たにおこなわれ、全体的に太い音に生まれ変わっている。修正された箇所はかなりの数で、なぜダメなのか理解に苦しむような言葉もあるし、これではミチロウも怒るはずだ。 「玉ネギ畑」はスターリン初期から「コルホーズの玉ネギ畑」として演奏されている曲だが、 1982年版『Stop Jap』の呟くようなボーカルから、この『Naked』ではボーカルトラックがまるごと差し替えられ、ミチロウの激しいボーカル(ヒステリー・バージョン)になっている。 “玉ネギ病”については先の『2003年版 嫌ダッと言っても愛してやるさ!』に詳しいが、訳も無く泣けて、ほおっておくと死ぬほど健康的になるというのがこの病気の特徴らしい…。 それにしてもこの曲の“雨、風、陽照り”と歌われる箇所は最高にイマジネイティブ。この曲に限らずアルバム全て素晴らしい出来上がり。

3/3「せなかのコード」

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2007年10月発表(リイシュー)の『3/3』より。 レックとチコ・ヒゲがFriction以前に組んでいたバンド(ベースはヒゴヒロシ)のアルバムで、 それもプレス数が10枚程度という幻のアルバムが正規リリースされた。もともとプロモーション目的で制作された私家盤というべきアルバムだったので、オフィシャル・リリースなんて無いと思ってた。それが、そのアルバムのオリジナル音源と、それと同時期の音源2トラックを追加してディスク1(すべて1974年の音源)、 ギターにアンドウ(後にミラーズ)が参加し、4人組になってからのライブ録音(全て未発表)がディスク2(1976年~1977年の音源)の2枚組CDとして のリリースだ。 4人組となった3/3の演奏力は格段に向上しているし、表現力も増していると思う。さらにFrictionとして発表されていた曲が既に3/3の時に出来上がっていたのは驚きだった。「Pistol」や「Crazy Dream」を演奏していたのは知っていたが、「I Can Tell」や「せなかのコード」、「かがやき」を演奏していたとは。 オムニバス『東京ロッカーズ』に収録されている「せなかのコード」は恒松のスライドが強烈な印象を残すフリーキーな3分弱のナンバーだったが、3/3の演奏では9分に達しようかという長尺なトラックとなっている。レックは“テレビジョンにやられた”と語ったと、CDのライナーに記されているが、なるほどジミヘン・ミーツ・テレビジョンといった趣だ。 この曲は1977年2月25日“にんじん”でのライブを収録したものだが、この後まもなくレックとヒゲはニューヨークへと旅立つ。そしてスピードと解体されたビートを手に入れ、1年後東京へ戻ってきた。

LIVE REPORT・PANTA & 陽炎 at 初台ドアーズ

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陽炎 at 初台ドアーズ・2007年9月24日 パンタ率いる“陽炎”、夏のツアーファイナル。 Set List 1.フローライン 2.TKO NIGHT LIGHT 3.キック・ザ・シティ 4.フライディ・フライト 5.アウディ80 6.ブリキのガチョウ 7.スカンジナビア 8.悲しみよようこそ 9.午後の悪魔 10.ダマスカス 11.ムシュフシュの逆襲 12.メルティング・ポット 13.フロイトは大嫌い~R&Rトリートメント 14.ドーベルマン 15.屋根の上の猫 16.マーラーズ・パーラー 17.Crusin' encore 1 18.429ストリート 19.ようようと(新曲・漢字でどう書くんでしょうか) 20.Don't Forget Yesterday encore 2 21.走れ熱いなら 22.ルイーズ 23.マラッカ encore 3 24.ナハトムジーク 25.Pas De Deux パンタのライブというと、膨大なレパートリーの中から今日はどの曲を演奏してくれるのかな?というのはひとつの楽しみだが、 今回は1.2.5.6.8.などが聴けてよかった、という曲だった。 なかでも6.はめったにライブでは演奏しないといっていた。8.はうれしいけど個人的には他の曲と浮いてるような気がする。不買運動も起きたスウィート路線も今となっては演奏する事が珍しく、歓迎される曲。 アンコールでは、1曲のみ新曲が披露され、ディレイのかかったギターにのって、パンタと同年代の世代への応援歌とも受け取れそうな歌詞が聞き取れた、“ようようと”(洋々?揚々?)。 良い曲だと思う。パンタ節。でもどうなんだろう、めずらしく昔を懐かしむ曲、ちょっと私には気恥ずかしい気が…。 それにしてもパンタは松葉杖を使って3度のアンコールに応えてくれ、椅子に座りながらも熱いライブを繰り広げてくれた。パンタは水を口に含んで客席に向かって吹きかけ、ペットボトルの水を撒いたり、ご乱交も少し。パンタの煽りでおなじみの曲では合唱&こぶし振り上げ、会場内はかなりの盛り上がり。 「ドーベルマン」のリズム、なかなかノリ難い。よく演奏決まるなぁ。さすが熟練の猛者たち。「スカンジナビア」の“アドルフ”は今回は“グスタフ”になってた。「ルイーズ」は“腰骨にくるぜ”が“くるぶしにくるぜ”になっていて会場を笑...