投稿

CHATMONCHY「惚たる蛍」

イメージ
2005年11月発表の『Chatmonchy Has Come』より。 今や大ブレイクしたチャットモンチーのメジャー・デビュー盤。 何が気になったかというと、ジャケットが1980年代初め頃によく聴いていたアメリカのバンド、The Feeliesの『Crazy Rhythms』のジャケットによく似てる。The Feeliesの1stアルバムだった『Crazy Rhythms』はギターがシャカシャカ、ドラムはタムタムを多用したドコドコなサウンドだったが、 ユルいだけではない楽曲のシャープさを持っていた。 チャットモンチーは飾り気の無い言葉(といっても表面的なものに終わっていない)をグランジ後のサウンドにのせて聴かせる。ボーカル&ギターの橋本絵莉子は高校時代から遊ぶ暇も惜しんで練習していたというだけあって、メロディ、曲の構成や演奏力は確かでオリジナルなものを感じさせる。収録された6曲は緩急つけた選曲でどれも楽しめるが、 “真っ暗の中で光る蛍は まるで私の体の中の悪い部分のように”  という一節がひっかかるスローなこの曲を選んだ。 Drum Technicianとしてクレジットされているのは三原重夫。

TRIBUTE MAIN STREET「TEENAGE DREAM」

イメージ
1996年発表の『Tribute』より。 CDライナーによるとメインストリートというバンドは“1976年に野田敏(Vo.G)、渡辺三希雄(Key)を中心に九州熊本で結成され、 2人以外は流動的なメンバーで地元を中心に活動していた。 80年代に入り博多80's Factoryなど九州一円に活動を広げ、80年代後半には東京へ活動の場所を移す。ヒートウェイブの山口洋、アンジーの水戸華之助、アクシデンツのスマイリー原島など多数のアーティストに影響を与えたが、1990年活動を停止”と書かれている。 私は九州の音楽誌Blue Jagのコンサートレビューなどで名前を見たことがある程度で、その音を聴いたことは無かった。 このCDはトリビュート盤という形で、スマイリー原島や山口洋、谷信雄、中村義人(横道坊主)、岡本有史(アンジー)、大島治彦(Ziggy)などが参加し、メインストリートの曲を演奏しているが、メインストリートとしての音源も3曲収録されている。 Track 4「中産階級の子供たち」(録音1981年) Track 7「愛を抱きしめて」(録音1984年) Track 10「夜の行進の途中で」(録音1979年) 他の曲でメンバーが参加したのは、 Track 3「僕らの生まれ変わりに」 Track 11「センセーション」に野田敏がVoとGで参加、 Track 1「カモメ」 Track 5「美しい夜に」 Track 6「何の権利があって」 Track 9「あやまるべきか」 Track 12「Teenage Dream」に渡辺三希雄がKey、Piano等で参加している。 ここで紹介する「Teenage Dream」はOrg.渡辺三希雄、Vo.スマイリー原島、G.高木克、B.岡本有史、D.大島治彦、Cho.中村義人で演奏されたバージョン。モット・ザ・フープル(というかデイヴィッド・ボウイ)の「全ての若き野郎ども」を彷彿とさせるナンバーで、アコースティック・ギターと粘っこいスライド・ギターが作り出すサウンドが印象的なイントロ。押えた演奏に浮かんでくる渡辺のオルガンの音をバックに、ティーンエイジャーの日常の断片を歌うスマイリー原島のボーカルは、年下の少年に向かって語りかけるような、やわらく暖かさをもったものだ。 もっとも、歌われている内容はそのグラムなサウンドとあいまって、スクーター...

LIVE REPORT・恒松正敏グループ at 渋谷クラブ・クアトロ

イメージ
恒松正敏グループ at 渋谷クラブ・クアトロ・2008年2月18日 Set List 1.No Way Out 2.ひとつ 3.Leave Me 4.欲望のオブジェ 5.Close 6.天使 7.Pain In My Heart 8.Stone Cold 9.Dance On Ice 10.Shakin' Time 11.Lunatic Animal 12.夜の旅へ encore 13.Crazy Dream *右上の写真はアルバム『欲望のオブジェ』より。 Photo by Nakafuji Takehiko

クリス・セールウィクズ著・大田黒奉之訳 『リデンプション・ソング』

イメージ
2007年9月出版、副邦題:“ジョー・ストラマーの生涯”。 ジョーと個人的にも親しかった著者によるジョー・ストラマーの伝記。 2002年12月22日、50歳で生涯を突然閉じたジョー。著者は家族、バンドのメンバー、スタッフなど300人に及ぶ関係者を取材、生い立ちから、寄宿舎生活、兄の死、アートスクール、音楽への傾倒、スクワッテイング(不法住居占拠)、101'ers、The Clashの結成~解散、ソロ活動、映画音楽、ポーグスとの活動、メスカレロスの結成、野外イベントへの愛着、その死までが650ページ余に綴られている。家族、プライベート、バンドなどの写真、個人的な手紙、ジョーが描いたイラスト、メモなども豊富にある。 最大の核はクラッシュに関わる箇所だろうが、あらゆる箇所が興味深く読む事が出来る。音楽に目覚めていくところ、他ミュージシャンからの影響などをほんの少し紹介すると、 “初めて買ったレコードはビートルズの「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」”とか“ビーチ・ボーイズがきっかけになりポップミュージックに取りつかれた”、“人生を変えたレコードはストーンズの「ノット・フェイド・アウェイ」”、“13歳にはチャック・ベリーの音楽を追い求め” 、『ストロベリー・フィールズ~」の頃にはビートルズへの興味を失い、ブルース・ブレイカーズやクリーム、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、レッド・ツェッペリン、ドアーズなどに興味は移る。 ウクレレでチャック・ベリーを弾いてバスキングしていたが、ギターを本格的に始める。初めはチューニングもままならかったが、1973年にはニューポートで初めてのバンドにボーカリスト兼ギタリストとして参加、「ヴァルチャーズ」というバンドで墓堀人をしながら活動した。 1974年にはロンドンへ戻り、101'ersを結成、75年にロンドンで行われたスプリングスティーンの3時間に及ぶライブを見て影響されたという。 読んでいて感じるのはジョーが音楽制作とライブへ捧げる情熱は相当なものだったということだ。音楽制作やオーディンスに対して正直でありたい、と自らを追い込んでいたとも思えるし、それがジョー本来の性格だったとしても、パプリックイメージに苦しめられていた気もする。加えてクラッシュをクビにしたトッパーやミックに対しての後悔の念...

THE STALIN「玉ネギ畑」

イメージ
2007年10月発表の『Stop Jap Naked』より。 1982年7月にリリースされたスターリンのメジャーデビューアルバム『Stop Jap』がレコ倫によってかなり歌詞修正を余儀なくされた、という事はミチロウのエッセイ集『2003年版 嫌ダッと言っても愛してやるさ!』にも書いてあった。 それもスターリン・シフトで、他のアーティストが良くてもスターリンだとダメな言葉があった(“偏執狂”がルースターズはOKでスターリンはダメだった等)。このレコ倫によるチェックは、ミックスダウンした後におこなわれた。“ピー音で消す事も検討されたが、結局修正箇所の歌を入れ直し、 再度ミックスダウンしたものが1982年に発売された『Stop Jap』だ。 今回の『Naked』は残されていた修正前の歌詞の歌に戻し、テープスピードを早めていた「ロマンチスト」、「Miser」は元のスピードに戻している。ミックスダウンも新たにおこなわれ、全体的に太い音に生まれ変わっている。修正された箇所はかなりの数で、なぜダメなのか理解に苦しむような言葉もあるし、これではミチロウも怒るはずだ。 「玉ネギ畑」はスターリン初期から「コルホーズの玉ネギ畑」として演奏されている曲だが、 1982年版『Stop Jap』の呟くようなボーカルから、この『Naked』ではボーカルトラックがまるごと差し替えられ、ミチロウの激しいボーカル(ヒステリー・バージョン)になっている。 “玉ネギ病”については先の『2003年版 嫌ダッと言っても愛してやるさ!』に詳しいが、訳も無く泣けて、ほおっておくと死ぬほど健康的になるというのがこの病気の特徴らしい…。 それにしてもこの曲の“雨、風、陽照り”と歌われる箇所は最高にイマジネイティブ。この曲に限らずアルバム全て素晴らしい出来上がり。

3/3「せなかのコード」

イメージ
2007年10月発表(リイシュー)の『3/3』より。 レックとチコ・ヒゲがFriction以前に組んでいたバンド(ベースはヒゴヒロシ)のアルバムで、 それもプレス数が10枚程度という幻のアルバムが正規リリースされた。もともとプロモーション目的で制作された私家盤というべきアルバムだったので、オフィシャル・リリースなんて無いと思ってた。それが、そのアルバムのオリジナル音源と、それと同時期の音源2トラックを追加してディスク1(すべて1974年の音源)、 ギターにアンドウ(後にミラーズ)が参加し、4人組になってからのライブ録音(全て未発表)がディスク2(1976年~1977年の音源)の2枚組CDとして のリリースだ。 4人組となった3/3の演奏力は格段に向上しているし、表現力も増していると思う。さらにFrictionとして発表されていた曲が既に3/3の時に出来上がっていたのは驚きだった。「Pistol」や「Crazy Dream」を演奏していたのは知っていたが、「I Can Tell」や「せなかのコード」、「かがやき」を演奏していたとは。 オムニバス『東京ロッカーズ』に収録されている「せなかのコード」は恒松のスライドが強烈な印象を残すフリーキーな3分弱のナンバーだったが、3/3の演奏では9分に達しようかという長尺なトラックとなっている。レックは“テレビジョンにやられた”と語ったと、CDのライナーに記されているが、なるほどジミヘン・ミーツ・テレビジョンといった趣だ。 この曲は1977年2月25日“にんじん”でのライブを収録したものだが、この後まもなくレックとヒゲはニューヨークへと旅立つ。そしてスピードと解体されたビートを手に入れ、1年後東京へ戻ってきた。

LIVE REPORT・PANTA & 陽炎 at 初台ドアーズ

イメージ
陽炎 at 初台ドアーズ・2007年9月24日 パンタ率いる“陽炎”、夏のツアーファイナル。 Set List 1.フローライン 2.TKO NIGHT LIGHT 3.キック・ザ・シティ 4.フライディ・フライト 5.アウディ80 6.ブリキのガチョウ 7.スカンジナビア 8.悲しみよようこそ 9.午後の悪魔 10.ダマスカス 11.ムシュフシュの逆襲 12.メルティング・ポット 13.フロイトは大嫌い~R&Rトリートメント 14.ドーベルマン 15.屋根の上の猫 16.マーラーズ・パーラー 17.Crusin' encore 1 18.429ストリート 19.ようようと(新曲・漢字でどう書くんでしょうか) 20.Don't Forget Yesterday encore 2 21.走れ熱いなら 22.ルイーズ 23.マラッカ encore 3 24.ナハトムジーク 25.Pas De Deux パンタのライブというと、膨大なレパートリーの中から今日はどの曲を演奏してくれるのかな?というのはひとつの楽しみだが、 今回は1.2.5.6.8.などが聴けてよかった、という曲だった。 なかでも6.はめったにライブでは演奏しないといっていた。8.はうれしいけど個人的には他の曲と浮いてるような気がする。不買運動も起きたスウィート路線も今となっては演奏する事が珍しく、歓迎される曲。 アンコールでは、1曲のみ新曲が披露され、ディレイのかかったギターにのって、パンタと同年代の世代への応援歌とも受け取れそうな歌詞が聞き取れた、“ようようと”(洋々?揚々?)。 良い曲だと思う。パンタ節。でもどうなんだろう、めずらしく昔を懐かしむ曲、ちょっと私には気恥ずかしい気が…。 それにしてもパンタは松葉杖を使って3度のアンコールに応えてくれ、椅子に座りながらも熱いライブを繰り広げてくれた。パンタは水を口に含んで客席に向かって吹きかけ、ペットボトルの水を撒いたり、ご乱交も少し。パンタの煽りでおなじみの曲では合唱&こぶし振り上げ、会場内はかなりの盛り上がり。 「ドーベルマン」のリズム、なかなかノリ難い。よく演奏決まるなぁ。さすが熟練の猛者たち。「スカンジナビア」の“アドルフ”は今回は“グスタフ”になってた。「ルイーズ」は“腰骨にくるぜ”が“くるぶしにくるぜ”になっていて会場を笑...

THE ZOMBIES「HUNG UP ON A DREAM」

イメージ
1968年4月発表の『Odessey & Oracle』より。 ゾンビーズを好んで聴くようになったのは、1990年代前半にセンチュリーから出てたソフト・ロックのコンピレーション盤『Love Suite』を聴いてから。ゾンビーズの他には、ニルヴァーナ/UK、フラワーポット・メン、モンキーズなどが収録されていて、私をソフトロックへ導いてくれた好コンピレーションだった。 ビート・バンドと思っていたゾンビーズだが、このコンピに収録されていた7曲は「Hung Up~」を含む6曲が『Odessey & Oracle』から、1曲が解散後に「ふたりのシーズン」のヒットにより、CBSから要請され新たに録音した曲からの「Smokey Day」で、そのソフトながらサイケデリック、構成が複雑ながらポップな曲にこのバンドの素晴らしさを認識、 彼らのセカンド・アルバムを入手したのであった。 「Hung Up On A Dream」はリリカルに響くピアノのイントロから、夢の中を彷徨うような憂いのあるメロディに効果的なバッキング・ギター、ドラムのフィル、ストリングス、ギターが絡み合う間奏を経て、 “A sweet confusion~I'm hung up on a dream.”の部分が感動的。 曲の後半では、ストリングスとコーラスの中を雨だれのようなピアノが印象的に響く。 個人的には重層的に作り上げられた音の空間が実感できるステレオ・ミックスが好み。 

THE PALE FOUNTAINS「(THERE'S ALWAYS) SOMETHING ON MY MIND」

イメージ
1998年発表の『Longshot For Your Love』より。 ペイル・ファウンテンズを最初に聴いたのはFMで流れていた「Beyond Fridays Field(邦題:金曜日は別れのとき)」だった。トランペットが“パーパー”と鳴って、当時アズテック・カメラやザ・スミスを聴いていた耳には、少しシャープさに欠けるな、などと思ったものだ。  その良さが解ったのはかなり後のこと。このグループのソフト・ロック、ジャズ、ボサノヴァやバカラック、ジョン・バリー等を吸収したサウンドは本当に独特の味わいがある素晴らしいものだ。 が、それが理解できるのはそのあたりの音楽を聴くようになってからだった。 その多彩なアレンジ、リズムに驚き、ペイル・ファウンテンズに対する考えを改めることになる。 「(There's Always) Something On My Mind」は1982年の夏にオペレーション・トワイライトからリリースされたデビュー・シングル「Jsut A Girl」のカップリング曲。 後のアルバム『Pacific Street』収録とは異なるシングル・バージョンだ。シックな印象のアルバム・バージョンも良いが、このシングル・バージョンは、アコースティックギター、ストリングス、ピアノ、ラテンパーカッションが混ざりあった、少し未整理ながらも瑞々しい素敵な仕上がりのサウンドに 自己存在の不安と焦り(そう、若き日々には常につきまとうものだ)が歌われる。 歌のつなぎにフィルが入るが、ほぼドラムはリムショット。スネアを叩くのは間奏部で、鮮烈な弦の響き~トランペットがソロをとる素晴らしい間奏 を盛り上げている。後にこの曲のリミックス・バージョンが「Thank You」の12インチに収録された。 こちらは歌、各楽器のバランスが整理され、すっきりした仕上がり。 間奏後半部にピアノが付け加えられ、さらにドラマチックになった。 『Longshot For Your Love』はドイツのレーベルMarinaからリリースされた編集盤で、ファーストシングル曲やBBC音源、コンピレーション収録曲などが集められている。名盤『Pacific Street』や2枚目でラストとなるアルバム『...From Across The Kitchen Table』を補完するものだ。 シークレット・トラックで「...

LOU REED「METAL MACHINE MUSIC 1~4」

イメージ
1975年7月発表『Metal Machine Music *The Amine β Ring』より。 ノイズ系というのはほとんど聴いていないが、たまにガイド本に載っているCDを購入することはある。 内容が唸り声、叫び声とか、楽器じゃなくて日用品を鳴らしてとか、だと自分にとって苦手なのでCDは手元に残っていない。 それでも、これはどんな内容だろうかという興味や、怖いもの見たさというのはあるもので、 ルー・リードのアルバム『メタル・マシーン・ミュージック』も聴いてみたいと思いつつCDショップで手には取ってみるが、レジには持っていかないという位置づけのものだった。 少し前にルー・リードのCDアルバムが紙ジャケット仕様で再発された。そうするとそれまで持っていたプラケース仕様のCDを手放すという人もいる。私の友人もこの買換えをし、ルー・リードのプラケース仕様をまとめて安く譲ってくれたなかにこのアルバムが入っていた。 恐る恐る(そこまで大袈裟じゃないけど)CDをプレーヤーにセットする。 流れてきたのはエレクトリックな音の洪水だ。 ディストーション、フィードバック、トレモロ、反復、リバーブ.…。ギターとエフェクターのみ(シンセサイザーは使っていない)の音源を加工、 幾重にも重なった音が、ふと旋律を生み出したり、人や動物の声に聴こえたり、爆発音に聴こえたりする。全曲インストルメンタル。ヘッドフォンで大音量にして聴くと、そのサウンドは頭の中に直接響いてくる。 『トランスフォーマー』、『ベルリン』、『ロックンロール・アニマル』と傑作を生み出し、 『サリー・キャント・ダンス』が少し不評(私的には結構いい)だったが、ライブ盤を挟んでリリースしたアルバムがこの2枚組、片面に1曲ずつ全4曲、合計1時間余りのサイケデリック電子音楽では、リアルタイムに聴いていた人には、確かに物凄く不評、悪評だったのは理解できる。金返せと言いたくなるであろう。 アルバムの注釈でルー・リードは、これが今表現したい事であり「私が目前にしている現実の音像化」、「私の頭の一部から他人への贈り物」と書いているが、「どうしてもこの作品を好きになれなくてもあなた方を責める気はない」とも付け加えている。 あまりの不評、非難、セールスの不振によりルー自身このアルバムを出したのは冗談だったと語った、と真しやかに言われている。このアル...

THE CLASH「BANKROBBER」

イメージ
2006年12月発表の19枚組ボックス『The Singles '77-'85』より。 (オリジナルは1980年8月発表) シングルボックスがリリースされて、聴きながらクラッシュのシングル曲ではどれが一番気に入ってるかな、と考えてみたところ、 はっきり言って選べない(まぁ選ぶ必要も無いんだけど)が、あえて選ぶとすれば...。 「I Fought The Law」、映画『ルードボーイ』のステージシーンも最高だし…でもカバー曲じゃないのを選ぶか…。 オリジナル曲で、というとこれまた迷うところだが、「ロック・ザ・カスバ」、「トミーガン」、「ロンドンコーリング」、「7人の偉人」…うぅ選べない。アルバムからのカットじゃないのにしようか…。 シングルリリースのみというと、「Complete Control」もいいし「ハマースミス宮殿の白人」も…んー、えぃ!「バンクロバー」だ。 雑誌「THE DIG」ムック本Special Editonの中でチバユウスケも語っていたが、私にとってもレゲエ、ダブ、スカというものを意識したのはクラッシュの「ハマースミス宮殿~」や「アルマゲドン・タイム」、 10インチに収録されていた「Kick It Over~Justice Tonight」、アルバム『London Calling』なんかを聴いてからだ。もちろんレゲエやダブについて詳しくは無かったが、「バンクロバー」を聴いた時には、レゲエのサウンドっていうのは気持ちいいものなんだなって思ったのを憶えている。 イントロのドラムフィル、太いベース音とキレのいいギターカッティング、 続く掠れたジョーストラマーの“My daddy was a bankrobber…”と歌う声。強盗の哀れな末路を歌っているわけじゃないから、なるほどCBSが発売を渋ったのも分からないでもないが、 生きていく上での貧富や労働、反抗、アウトローといった内容が歌い込まれているこの曲は痛快だ。そのストーリーはまるで短編映画を観たような気にさせる。 歌詞の内容、レゲエのリズム、プロモビデオのジョーの歌い方なんかも含めて、海外・国内問わずこの曲に影響されたバンドは多いのでは。

PANTA「DAMASCUS~ダマスカス」

イメージ
2006年12月発表の『CACA』より。 「ダマスカス」は、パンタがアルバム『RED』制作時に書き始めた小説『闇からのプロパガンダ』(未完)に登場するモサドの女エージェント・ナディアとフォトジャーナリスト・滝野の出会いと別れをモチーフにした、三部作の三作目となる曲。長らく未発表だったが新録されてのリリースとなった。私にとっては1988年に渋谷LIVE-INNで聴いて以来(“♪ダマ~スカス”というサビの部分が印象的だった)。 動乱の東南アジアで出会い、お互いの立場を超えて愛し合った二人。やがて訪れた成田空港での別れとベルリンでの再会を誓うシーンを描いた「Again & Again」(アルバム『RED』収録曲)。 高いコンクリートで東西に分断されていたベルリンで再びめぐり会った二人だが、 ナディアは“ダマスカス”と書いた置き手紙を残し去って行ってしまう。「Nacht Musik」(アルバム『クリスタル・ナハト』収録曲)。そして「Damascus~ダマスカス」。 モサドのエージェントにとってシリアの首都ダマスカスは敵地であろう。 高地にあるこの乾いた砂漠の都会は、イスラエルと敵対する中東のさまざまな民族解放/革命組織の活動の場でもある。そこで二人がひと時を過ごした後、滝野はベオグラード行きの飛行機に乗り、ダマスカスを後にする (ベオグラードは当時ユーゴスラビアの首都で、1988年にはゴルバチョフによる新ベオグラード宣言が発表され、この宣言はベルリンの壁崩壊~東欧革命への足掛かりとなった )。 “海を裂いて 渡れもせず ただ祈り続けてる” モーゼのエグゾダスを思い起こさせる歌詞だが、 2人が平穏のうちに暮らす事は奇跡でも起こらない限り叶う事はなく、 ナディアの過酷な未来を思い、彼女の無事を“ただ祈り続け”るしかない滝野の想いだろうか。 パンタ自伝『歴史からとびだせ』の中に『RED』の後12インチシングルで発表した「プラハからの手紙」を “ベルリンに向かう旅の途中の歌”とパンタが語っているとの記述があるが、 この「プラハからの手紙」の “夜が明けて、そしてまた陽が暮れて” を繰り返す部分(“冬~春”や“死~生”など言葉は変わるが)は、 「ダマスカス」の “繰り返す昼と夜を いつまで見てればいいんだろ” に引き継がれている様に思う。 パンタが書き始めた小説『闇からのプロ...

THE MODS「ONE MORE TRY」

イメージ
2006年6月発表の『Fight or Flight - Wasing』 DVDより。 1982年6月20日、日比谷野外音楽堂。 「Crazy Beat」の演奏が終わる頃降り始めた雨は、あっという間に強く、激しくなり、バンドも客もずぶぬれのままステージが続けられた。アンコールで森山は“この雨はたぶん俺達の(1周年の)お祝い、そうだろ?”と言って「Two Punks」を熱気がもくもくと蒸気となって立ち上る客と合唱した。次の「One More Try」が始まってすぐ、 森山のボーカルマイクはキンキンと鳴って、辛うじて声を伝えるだけになってしまった。苣木のギターの音は細くなり、やがてまったく音が出なくなった。 ベースの音量も不安定だ。激しい雨がライトに照らされ針金のように降っている。 “柔らかいベッドはもうないぜ  暖かい毛皮のコートもない  あるものといえば握り拳くらいのものさ” 森山はこの歌詞を歌った後、壊れたマイクを手放した。苣木はスペアのギターを取りにバックステージへ姿を消した。ステージの上にあるのは“握り拳くらい”しか残っていないバンドの姿だった。ドラムとベースのビートに、4,000人の歌声。 “さあもう一度 思い切りやれよ  さあもう一度 思い切りやれよ  One More Try One More Try” 客達が歌う。森山は客席に降りて行き共に叫んだ。 苣木が森山のギターを持ってステージに戻ってきた。PAからも森山の声が聞こえるようになった。バンドはこの後2曲を演奏し、ステージを後にしたが、終るのを待っていたかの様に雨は小降りになったという...。 あきらめずにステージを続けるバンド、それを全身で受け止め支える観客達。もちろんスタッフも対応に追われ走り回る。過酷な状況でも、楽器がこわれても、全てが剥ぎ取られたとしても、今出来ることを思い切りやれよ。 THE MODSが図らずも自らの歌を具現化したこの日のライブ映像は、心破れた若者達が辿り着いた約束の地(北里談)への貴重な記録。

P.K.O.「オートバイ」

イメージ
2006年10月発表のライブ・アルバム『Live In Japan』より。 パンタと鈴木慶一のユニット“Panta Keiichi Organization”が1993年、1994年に行ったライブを収録した2枚組CDから、 アコースティック・セットで演奏された、鈴木慶一作詞・作曲の「オートバイ」。 PANTA & HALとしては2枚目のアルバム『1980X』に収録されていたナンバーだ。 鈴木慶一のマリンバをフューチャーした夢幻的なオリジナル・バージョンを、 ドアーズやジェファーソン・エアプレインを思わせるギター・フレーズでサイケデリック風味にアレンジした。 1番をパンタが、2番を鈴木慶一がボーカルをとる。鈴木慶一の音節を区切るように歌うスタイルはパンタとは対照的。 このP.K.O.のライブアルバムと同時期に発売された『石井聰亙DVD Box Early Years』でDVD化された映画「狂い咲きサンダーロード」に PANTA & HALのオリジナル・バージョンが使用されていた。「狂い咲き~」の中で、 バイクに乗る事を夢見る主人公がベッドの上に座り、空想のバイクを走らせるシーンで印象的に流される。 鈴木慶一はこの曲を作った当時、免許を持っていないのでパンタにバイクの走る仕組みを教えてもらいながら(走り出しはファーストギアで...) 歌詞を書いたという。そんな事が信じられないほど、というか、生身の身体がバイクを走らせるという根本的な事柄を含む歌詞だからこそ、「狂い咲き~」で描かれていた“ただ走りたい”という願望だけになった主人公の想いとマッチしていたのだろう。

THE ORDINARY BOYS「RUDI'S IN LOVE」

イメージ
2005年6月発表のアルバム『Brassbound』より。 2004年にデビューした四人の“フツーの男の子達”(モリッシーの曲から付けられたという)のセカンド・アルバム。ブリティッシュの伝統を受け継ぐと紹介されているが、確かにいつの世代にもメロディ、コーラス、アレンジの面でイギリスらしさを 感じさせるバンドは出てくるものだ。 このグループ、メンバーの生まれた年が1982年とか1985年とかだから、20代前半。確かにボーイズだよなぁ。 歌詞には消費することに大半の時間を費やしている人々や、退屈な現状を過ごしている人々へ“それでいいのか?” といったメッセージが多く見受けられるが、それもボーイズならでは (セカンドアルバム収録曲の「A Few Home Truths」の“家にいてテレビを見ていたい、自分じゃとても怖くて出来ないようなことを誰かがするのを見ていたい” というフレーズは鋭い)。 オリジナル曲でも推薦したい曲はあるが、どうもLocomotiveのカバー「Rudi's In Love」が気に入ってしまった。 ドラムロールの後、ワーグナーの「結婚行進曲」の一節が流れ、スカのリズムでルーディの恋を歌う。 恋に落ちた一人のならず者。幸せそうな彼を見たら誰もが争いをやめるだろう...。という内容の歌を素敵なコーラスとブラスのアレンジで仕上げた。 “I can see by the stars above”の部分が最高にドリーミー。

細野晴臣「STELLA」

イメージ
2006年9月発表のDVD『東京シャイネス』初回限定盤特典ディスクより。 2005年9月4日狭山稲荷山公園「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」。  午後3時過ぎから降り出した雨は激しく降り続き、観客は雨に打たれ、ぬかるんだ土の上か、 坂になっているコンクリートの上を流れてゆく雨水に足を浸けて立ってステージを見るしかなかった。もちろん出演者達も、豪雨と対峙していたことはいうまでも無い。雨粒に向かって叫び、雨音と競演し、雨風を通じて観客と一体化していた。 観客達のためにセットリストを変えた佐野元春のステージが終わるころ、4時間近く降り続いた雨がようやく止もうとしていた。 佐野の最終曲「インディビジュアリスト」が熱狂的に終り、アンコールを求める歓声が主催者の“アンコールはありません”のアナウンスに よって収まると、観客を静寂と虫の声が包んでいた。 あの豪雨の中で誰もが“最後まで続けられるのか”と思ったことだろう。 観客は“見続けられるのか”、スタッフや出演者達は“予定通りに全出演者のライブを終了させられるか” と考えたに違いない。過ぎ行く夏の日にレジャーシートの上で横になり、のんびりとライブを見ようと思ってやって来た人達、 またそんなライブを創りあげようとしてきたスタッフ、出演者にとってこの長時間の豪雨はまったく予想外だった。 そして予想外の緊張を生んだ。 この『東京シャイネス』の本編(特典ディスクではなく、福岡と京都でのライブ)に付属しているブックレットの「ろっかばいまいべいびい」 の細野自身による解説で、その日の細野の気持ちというか考えが語られていて興味深い。 “普通であれば中止になるような危険なほどの雨が降って、僕自身試されていた”が、雨が上がりライブが出来て“奇跡的なライブだった”。しかし状況的にも心情的にも“危ない橋を渡ったという感じです”と言う発言をしている。 福岡、京都のライブでは落ち着いて、リラックスした表情を見せているが、この特典ディスクで見られる狭山での細野の表情はどこか緊張している。 もちろん昔の曲を、自身の新しいバンドにより大勢の前で演奏するという緊張感はあるだろうが、 やはり先に引用したような気持ちがあったのだろう。 当日私はステージとミキサー卓の中間あたりで見ていて、細野の表情は見えなかったが、今回の特典ディスクの内容は、 こ...

PANTA & HAL「IDカード」

イメージ
2006年7月発表のアルバム『Live! 1980.11.2』より。 ウラワロックンロールセンターが、主催したライブ音源をCDリリースしているシリーズから、 PANTA & HALの最後期のライブ音源が発売された。 HALはこのライブのあと4ヶ月も経たず解散してしまう。 PA卓からのライン録音ということで音質は良い。ジャケットは何とかならなかったのか。 もう少しデザインされたものにして欲しかった。 このCDのリリースがアナウンスされた時、最大の期待は未発表(一度だけFMでデモ音源が放送された)の 「メルティング・ポット」だった。 このライブでもキリキリした緊張感はあるものの、ギターソロ後の演奏ミスは非常に残念。 これまでの曲を再アレンジして“今”の自分達のカラーを出す、 もしくは同じ演奏に飽きてきて変化をつけるというのは続けていくバンドの常かも知れないが、 このアルバムに収録されている「マーラーズ・パーラー‘80」の考えすぎというか、 こねくり回されたアレンジにはHALというバンドの末期的なものを感じてしまう。 やはりアレンジし直された「IDカード」はアルバム『1980X』に収録されていた曲で、スタジオ・バージョンでは無機的でズッシリ重い ナンバーだったが、ここでは無機的に感じられるけれど、焦燥感のあるアレンジになっている。 さりげないイントロのギターの入り方から、“秒刻みに数を~”の所からのパンキーなアレンジ、 “とりすました笑いは~”の部分のタメたリズムとギターのカッティングはスリリングだ。 『1980X』では地味に感じられた曲が、このアルバムの中ではベスト・トラック。 便利さと引き換えにIDとPASSワードがそれこそ秒刻みに増えているネットの現在を考えると、この歌詞は非常に面白い。

OASIS「DON'T LOOK BACK IN ANGER」

イメージ
1995年10月発表のアルバム『(What's The Story) Morning Glory? 』より。 2006年6月に開幕したサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会。それにあわせるように公開された映画「GOAL!」は、 メキシコからアメリカへ不法入国した少年がやがてイギリスへ渡り成功していくというサクセス・ストーリー(だと思う、映画は未見)。 この映画のTVコマーシャルでオアシスの「モーニング・グローリー」が流れていたので、久しぶりにこのアルバムを取り出して聴いてみた。 もう10年も前になるのか、と思う。確か勤め先のアルバイトのA君に輸入盤を借りたんだよな。 分厚いギターサウンドとストン、ストンと決まるドラム。リアムの歌い方には?と思う箇所もあったが、気に入って自分で国内盤を買った。 4曲がシングルになっているし、緊張感のあるタイトル曲「Morning Glory」、キュートな「She's Electric」、 ポール・ウェラー参加「Champagne Supernova」など、聴き応えというか、ブリティッシュでポップな聴き易い、Oasis節ともいえるメロディに溢れたアルバムだった。 この中でも一番気に入ってたのがアルバムからの4番目のシングルになった「Don't Look Back In Anger」。 ギターのノエル・ギャラガーがボーカルをとるこの曲は、 ノエルがポール・ウェラーのアルバム『スタンリー・ロード』のレコーディングに参加 (Dr. Johnのカバー「I Walk On Gilded Sprinters」のアコースティック・ギター)したとき、 彼の前で演奏されたウェラーの曲「Wings of Speed」に触発されて制作が進められた曲であるという。 ピアノのイントロ(先の「Wings of Speed」を思わせる)から、粘りのあるノエルのギター、 ストリングスを絡めたダイナミック&ドラマティックな王道ミディアム曲。 終盤の歌詞に出てくる “でも頼むからロックンロールバンドなんかに君の人生をゆだねないでくれ/自分にさえ責任がもてないような奴らに” というフレーズは ロックに漬かりきった者に対する戒めか、それとも救済か。 イギリスで1996年2月19日にシングル・リリースされ初登場No.1を獲得、 CDシングルのカップリングに...

スターリン「WALK BOY」

イメージ
1989年10月発表のアルバム『スターリン』より。 THE STALIN解散から4年後の1989年にSTALIN結成(途中VIDEO STALINというのがあるが)。 1989年は、2月にシングル「包丁とマンジュウ」、アルバム『JOY』、7月ビデオ『P』、9月シングル「勉強ができない」、10月アルバム『スターリン』 発売とリリースラッシュだった。それだけアーティスト、レコード会社側も新しいバンドに力を入れていたのだろう。 ギターにTHE LIPSの山盛愛彦、ベースにはパラノイア・スター時代にもベースを弾いていた西村雄介、ドラムはローザ・ルクセンブルグ、ルースターズの三原重夫。 ホームページ「三原重夫のページ」の中の「人のケツ見て24年」にこの頃のレコーディングや合宿についての記述があるが、 三原の“キーとリズムを中心に緩い構成がある他は自由にし、ソロパートなど長さも決めない演奏にミチロウの詞を融合する”という提案に “ミチロウも喜んだ”と書かれている。この三原の提案した即興性を重視したアプローチでこのアルバム製作は進められ、 3人が完成させたサウンドにミチロウの歌を後録りするという形がとられた。前作『JOY』では作詞・作曲遠藤ミチロウだったが、 『スターリン』収録曲の作曲は全てバンド名義でクレジットされている。 「Walk Boy」はディレイのかかったギターのフレーズと三原の弾くキーボードで始まり、シンプルなベース(音符の置き方が変わってるけど)、 ドラムが入り、ミチロウが羊の数を数え始める…。 歌詞は、“行かなけりゃ/Walk Walk Boy/こんなに遠くまで来たはずなのに/ ここがどこだかちっとも気にならない”という短いもの。 “こんなに遠くまで来たはずなのに”という表現がなんとも気持ち悪い。 淡々とした曲調だが、羊の数が100に近づく頃、曲の盛り上がりがピークを迎える。 羊は眠る為に数えているのではなく、歩き続け彷徨える羊(少年)たちを数えているのか。

PLASTICS「RELAX」

イメージ
2005年7月発表のベスト・アルバム『Origato25』より。 デビュー25周年を記念してリリースされた2枚組ベスト・アルバムで、1979年11月にイギリスのラフトレードからリリースされたシングル 「Copy c/w Robot」の2曲(初CD化)、未発表曲2曲のレアトラックを収録。 その未発表の1曲「Relax」は、曲が似ているわけではないがOMDの「Electricity」を思わせる不思議な浮遊感と疾走感を持った曲。 ギターのペナペナ具合も程良く決まっている。 プラスチックスはクールなイメージのバンドだったが、中西俊夫の低音と裏声を駆使した性急なボーカルスタイルは、クールでありながらも 聴き手の精神をホットにさせる魅力を持っている。そのパンキッシュなダンディズムはこの未発表曲「Relax」や例えば2ndアルバム収録曲でスローな「Park」にも顕著に現れている。 またステージがホットだったことは、同じく25周年を記念して発売された『Hard Copy』のDVD映像や、屋根裏ライブCDのジャケット写真を見ても証明済み。 そしてこのベストには「Copy」が3バージョン!収められている。ラフトレードバージョンはベースラインがダダダダッと直線的、他と歌詞が若干異なり、途中のチカによるホラーな叫びが特徴。 おなじみ1stアルバム『Welcome Plastics』収録バージョンはカラフル&キュートな音作り。 再録音アルバム『Welcome Back Plastics』収録バージョンは、ザクザクと刻むGang of Fourのようなギターがかっこいい。 曲調もファンキーになり(特にベースライン)、ボーカルも3種のなかでは一番力強い印象だ。