梶原阿貴著『爆弾犯の娘』
この本を読むきっかけは以前紹介した『昭和40年男 2026年2月号 vol.95「俺たちを直撃したパンク/ニューウェイヴの衝撃」』で紹介されていたのを読み、池袋駅北口の描写がリアルだってことが書いてあって、読んでみたいなと思ったのだった。
私が池袋駅北口で思い出すのは、かつてあった中古レコード屋「CHICAGO(シカゴ)」。北口から大塚方面に歩いて数分、ビルの2階にあった。階段を上がり店に入って右側にレジカウンターがあり、それほど広くはないが手頃な価格で好きな中古屋さんだった。いつも暗い時間帯に行っていた気がするのは多分店内に窓がなかったからだと思う。なぜかレジ横に置かれていたクラッシュの7インチアナログ『シングルボックス77-79』 の映像が頭に浮かぶ。近くの吉野家(いつからあった不明だが)にもよく行った。ファミリーが来店する今とは違ってビールを飲むオッサン、学生、サラリーマンの男のみ、ほぼ女子供のいない飯どころだった。吉野家の向かいあたりにあった古本屋にも行った。もう少し池袋のレコード店の話をすると、この本に出てくる池袋駅の東口と西口を結ぶ、徒歩または自転車で通行可能なションベンガード(We Road)を通って東口へ、私が初めて輸入盤を買ったのは場所は覚えてないのだがビルの2階か3階にあった、たしか「EVERGREEN」という名前の店だったと思う。1980年頃かな。三越からサンシャイン方面へ向かって歩いていくと左側のビル2階に「レコード社」、それに南口方面へ行って公園の近くに「レコファン」、まだディスクユニオンもタワレコも無かった(どの店も池袋から姿を消した)。…と『爆弾犯の娘』にはこんなレコード屋の話題は出てこないので、念のため。
さて『爆弾犯の娘』だが、先の『昭和40年男〜』で読んだ以外は前情報はなにも入れないまま、ノンフィクションなのか小説なのかあやふやなまま読み始めたのだが、著者梶原阿貴の半生・小学生〜2024年に映画『「桐島です」』の脚本を担当するまでを振り返った自叙伝。前半は母と娘、そして”あいつ”が暮らすミステリアスなホームドラマな要素もありつつ、娘の成長につれて明らかになっていく真実。娘はもがきながらもその事実を受け入れ自分の生きていく術を身につけていく…ドライでユーモアもあって時にシニカルな筆致で書かれており、親しみやすい文体で読みやすい。彼女が辿ってきた50年の歴史をたかだか280ページに収めるには何を書き何を除くのか、明らかになる事実と、次々と発生する出来事の裏で想像もできない感情の嵐が渦巻いていただろうが、その感情を長々と綴るわけでもなく、むしろ淡々としているところが潔いと感じた。詳しくは書かないが、こんな事があるのだろうか、というほど波乱に満ちている。
この本の終盤に記述がある梶原阿貴が脚本を担当した映画『夜明けまでバス停で』(高橋伴明監督・2022年)を観た。実際にあった事件をモチーフにしているが、パラレルワールド的なストーリーとなっている。梶原阿貴の体験から柄本明演じる“バクダン”というキャラクターが生まれ、物語を立体的にしている。それに『「桐島です」』(高橋伴明監督・2025年)も観た。こちらは『爆弾犯の娘』に書いたエピソードをいくつか盛り込み、謎に包まれた東アジア反日武装戦線のメンバー桐島聡の逃亡生活の描写に起伏と梶原にしか書きえないリアリティをあたえている。書籍『爆弾犯の娘』も映画『夜明けまでバス停で』、『「桐島です」』も実際に起きた事件を題材した作品だが、梶原阿貴はセンシティブなそのモチーフをドライな感覚で表現しつつも、苦しみと悲しみの中から“やさしさ”を紡ぎ出そうとしているように思う。
