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私の放浪音楽史 Vol.107 DATE OF BIRTH『AROUND + AROUND』

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1985年11月1日、ポートレート・レコードよりリリース。 デイト・オブ・バースの初音源となるファースト・アルバム。ポートレート・レコードは当時ルースターズのプロデューサーだった柏木省三がオーナーのレーベルで、この10インチ・アナログレコードが最初のリリースだった(カタログNo.はP001)。 1曲目の「Pack My Bag」。破壊力のあるリズムトラック、マーク・ボランのようでもありテレヴィジョンのトム・ヴァーレインのようでもある痙攣するギター、セクシーでミステリアスなヴォーカル、幻惑的かつスペイシーなキーボード、圧倒的な魅力を感じられる1曲で、私は友人のルースターズ・ファンだったKBちゃんに当時「こんなのあるよー」と借りて聴いたのだが、このクリエイティヴでセンスあるサウンドに驚いたものだ。 続く「Space To Time」と「Mistress of The Night」は、暗闇と星々といったイメージのベーシックはシンプルなドラムレスの曲だが、ファンタスティックなシンセ・ブルースと呼んでいいかも。機械仕掛けのオモチャのような、宝箱のフタを開けたようなイメージ溢れる、サンプリングを多用したサウンドの「Remember Eyes」は、このアルバムの中では唯一日本語詞で歌われ、後々までデイト・オブ・バースの代表曲になるポップな曲。エレクトロでカラフルでダンサブルなサウンドの「Fresh Chapter "Mixed Up 1967"」はキュートなヴォーカルも魅力。ラストの「Backward」は1分に満たないインスト。 全体で約20分のコンパクトなアルバムだが初期デイト・オブ・バースの魅力がぎっしり詰まっている。彼らが管理を任せられていたフチガミ・レコーディング・スタジオで録音され、プロデュース、エンジニアリング、ミックスはデイト・オブ・バース。コ・プロデュースは柏木省三。アートワークはルースターズのジャケットを多く担当した鏑木朋音で、このジャケットに使用している写真はジャン・コクトーの映画『詩人の血(原題:Le Sang d'un poète)』から。 「Pack My Bag」はプロモ・ヴィデオも作られており、ロケットが墜落・爆発するシーンや人力飛行機が飛行に失敗するシーンやトリケラトプスのソフビ(?)がサングラス美女と絡まったり、火山が...

映画・石井岳龍監督作品『箱男』

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2024年8月23日公開、石井岳龍監督最新作『箱男』。 2007年にリリースされた『石井聰亙・DVD-BOX II』のブックレットに、1997年に制作が頓挫した『箱男』の記載があり当時の箱男のデザイン画や写真なども掲載されていて面白そうだな!と思っていたので、27年の時を経て映画が公開されることを知った時は、ぜひ観に行かねばと思っていた。近所のシネコンで上映してなかったので、少し離れたところにある別のシネコンへ車で出かけ鑑賞。パンフレットも買った(右の画像) 安部公房が1973年に発表した小説を映画化。刺激的でエクスペリメンタルな内容の面白さというのもあるけど、見た目の“タテ型洗濯機”のダンボール箱を被った男が、街に潜む!走る!闘う!姿を見るだけでも単純に楽しい(先の『石井聰亙・DVD-BOX II』ブックレットのデザイン画では箱男は“三菱製チルド冷蔵庫”のダンボール箱を被っていた)。 従属を拒み、匿名性を手に入れ、未登録な存在として社会を、世界を覗き見る箱男の存在とは何なのか。“誰が”箱男なのか。難解な物語ではあるが石井監督は娯楽性を盛り込み、デイヴィッド・リンチ的な雰囲気もありつつ、これぞ石井監督!のバトルシーンやサイケデリックなイメージもあり、スラップスティックでメタフィクショナルなエンターテイメント作品である。 迫力と繊細さをあわせもった演技をみせる個性的な男優3人、永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市。オーディションで選ばれた白本彩奈は、ベテラン男優達を翻弄するようにミステリアスな魅力を放ち存在感のある演技を観せた。 そして物語の終わり、現代に生きる我々にとっての箱とは何か、を考えることになる。 石井岳龍監督作品 映画『箱男』(2024年)flyer

鮎川誠 & BLANKEY JET CITY「I'M FLASH “Consolation Prize” (ホラ吹きイナズマ) 」

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2024年10月2日にビクターより鮎川誠の追悼盤『VINTAGE VIOLENCE 〜鮎川誠 GUITAR WORKS』がリリースされるが、鮎川とBLANKEY JET CITYの共演「 I’M FLASH “Consolation Prize” (ホラ吹きイナズマ) 」が8月21日に先行配信され、ビクターエンタテイメントのオフィシャルYouTubeチャンネルで公開されている。 1999年12月に録音され、映画に使用される予定だったが、映画自体がお蔵入りしたことで未発表となっていたレアトラック。 オリジナルはロケッツ(鮎川+浅田+川嶋)のアルバム『ロケット・サイズ』に収録されていた。 THE ROKKETS『ROKKET SIZE』(1984年)

香坂みゆき「気分をかえて」

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まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…その4 夏らしいジャケットを7インチでと思ったがあまりなかった。最後は香坂みゆきの水着姿ジャケット「気分をかえて」(1981年)。といってもA面のタイトル曲は夏らしくはない山崎ハコ作詞作曲のブルースをぶっとばせ!Leave Me Alone!的な歌で、サウンドはブロンディ「コール・ミー」似でスピーディなアレンジ。 なので、どちらかというとジャケに合ってるのはカップリングの「サマー・ブリーズ」のほうで、爽やかな正統アイドル・ソング。作曲と編曲は林哲司。作詞は阿里そのみ(近年ブームとなったジャパニーズ・シティ・ポップで人気のある西城秀樹「かぎりなき夏」の作詞を担当しており、この作詞家については、ALFA MUSICのnote「 西城秀樹の「かぎりなき夏」を生み出した、作詞家・ありそのみと作曲家・滝沢洋一 “奇跡の出会い 」(text:都鳥流星)に興味深い記述あり)。 たぶんリリースされた当時に買ったと思うけど、なんで買ったのかなぁ。ジャケ買いか。おそらく初めて買ったアイドルのレコードじゃないかな。

南佳孝「モンロー・ウォーク」

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まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…その3 南佳孝も夏のイメージが強い印象あるかな。 ジャケは2種類あり、これはセカンドプレスらしいが、夏っぽいイメージだけどシュールな感じ。なかなか ゴージャスなアレンジの 「モンロー・ウォーク」 。 カップリングはストリングスが涼しげな「渚にて」。AB面とも作詞:来生えつこ、作曲:南佳孝、編曲:坂本龍一の、シーサイドなサマーソング。 「モンロー・ウォーク c/w 渚にて」(1980年) 銀色のさざ波 夕陽のプリズム 浜辺のパラソルけだるく なびいて揺れる 「渚にて」

『Let's Go Steady―Jポップス黄金時代!』「40年目の真実――加藤和彦とパンタ 40年前の幻の対談を復刻!」

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雑誌『MUSIC STEADY』初代編集長のブログ『Let's Go Steady―Jポップス黄金時代!』に「 40年目の真実――加藤和彦とパンタ 40年前の幻の対談を復刻! 」と題された加藤和彦とパンタの対談が再掲されている。 万人の心を打つ音楽について、ロックについて、刺激を受けているものについて、パンクについて、等々語っており興味深い読み物となっている。 初出は雑誌『MUSIC STEADY』1984年3月号で、加藤和彦はアルバム『あの頃、マリー・ローランサン』、パンタはアルバム『SALVAGE(浚渫)』を前年の1983年にリリースしている。対談はリレー形式で、加藤和彦がパンタを対談相手に指定したという。 「壁にかける絵のような」加藤の音楽と“鉄のフックでおまえの身体引き揚げる”(「SALVAGE」)と歌うパンタの音楽。この時点で二人のやりたい音楽に差はあれど、グラム・ロックでは共通点あるだろうし、対談の中で二人ともウォーカー・ブラザース好きだったり、ぜひ加藤和彦のプロデュースで作品作って欲しかったなぁ。対談の中ではスウィート路線の3作目になるはずだったカヴァーアルバムを作ろうとした頃、加藤和彦にプロデュースを依頼するって話があった、という記載がある。 それにパンタ自身が『クリスタル・ナハト』が終わったらプロデュースを「加藤さんに頼みにいくかもしれない」と対談で語っているから、構想10年といわれた大作『クリスタル・ナハト』をリリースして、一息ついたアルバムを作るときには加藤和彦にプロデュースを頼んでもいいかな、と思ったのかも。そう考えると『〜ナハト』の後のアルバム『P.I.S.S.』にはそんな雰囲気があるね。もし『P.I.S.S.』を加藤和彦がプロデュースしてたら、もうすこしソフィスティケイトしたサウンドになったかな。でもこの頃のパンタは頭脳警察再結成を控えてかなりハード寄りになっていたからなぁ。 加藤和彦とパンタと聞いて思い出すのは、A面を安井かずみ・加藤和彦、B面を作曲:パンタ(作詞は青木茗=金井夕子)で分けあった岩崎良美のシングル。名盤。 「マルガリータ・ガール c/w Vacance」(1982年) まぁアルバム1枚じゃなくて、シングル1曲でもいいから加藤和彦のプロデュースでパンタの楽曲を聴いてみたかったな…。

追悼・Carl Bevan

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60FT DOLLSのドラマー、カール・ビヴァンが亡くなった。まだ51歳だった。 パワフルでシャープなドラムが魅力で60FT DOLLSのダイナモだった。いつかカールとリチャードとマイクの3人で…と思っていたが、それは永遠に叶わぬこととなった。 CARL BIVAN  60FT DOLLS 「New Loafers」「Talk To Me」 amassのニュース記事「 ウェールズのロック・トリオ 60FT・ドールズのドラマー、カール・ビイヴァン死去 」 BBCのニュース記事「 Drummer from 1990s rock band 60ft Dolls dies 」 SONIC GYPSIES「 UNOFFICIAL 60FT DOLL HOME PAGE 」 RIP…

高中正義「Blue Lagoon」

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まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…その2 夏といえば高中、という時期があったよなぁ。Breezyなサウンド。高中を代表する2曲をカップリングした7インチ。ジャケはそれほど夏じゃないかな。 「Blue Lagoon c/w Ready To Fly」(1980年) Instrumental

パンタ「渚にて」

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8月7日立秋だけど、まだまだ暑いので…夏らしいアートワークのジャケットを…。 「渚にて c/w 想い出のラブ・ソング」(1982年) Ah 色褪せてく 夏の中でキミよ光れ Ah セピア色の サマーシネマよみがえる

追悼・フジコ・ヘミング

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2024年4月21日、フジコ・ヘミング逝く。92歳だった。 クラシック音楽を学校の授業ではなく、自ら聴くようになったのはいつだろう。映画で使用された楽曲で印象に残ったのはキューブリック監督『2001年宇宙の旅』のシュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」、コッポラ監督『地獄の黙示録』のワーグナー「ワルキューレの騎行」、大林宣彦監督『さびしんぼう』のショパン「別れの曲」(日本語詞をつけて主演の富田靖子が歌った)などなど、ロック関連ではEL&Pの「展覧会の絵」や冨田勲の『惑星』を聴いたりしたけど、もっと強く印象に残ったのはブライアン・イーノが『ディスクリート・ミュージック』で使用したり、戸川純が歌詞をつけ「蛹化の女」として歌い、遠藤ミチロウも歌詞をつけて歌った「パッヘルベルのカノン」で、元曲が聴きたくてこの曲が入ったカラヤン指揮・ベルリン・フィル演奏のCDを買ったのが初めてだと思う。モモヨがインスパイアされてリザードのアルバム『 ジムノペディア 』を作ったというエリック・サティ「ジムノペディ」の入ったCDを買ったり。ショパンの「別れの曲」はホロヴィッツのCD買ったな。 1999年2月に放送されたNHK・Eテレのドキュメンタリー『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡」は、たまたま見ていたのだが、フジコの波乱の人生、その人物像、華麗な「ラ・カンパネラ」の演奏は驚きだった。このドキュメンタリーは評判を呼び、フジコは一躍注目されることになる。私の職場でもビル・エヴァンスなどのジャズ好きのAKさんが「見た。フジコの演奏いいね」と言っていた。1999年8月にはCD『奇跡のカンパネラ』がリリースされ大ベストセラーとなる。AKさんが早速買ったので借りて聴いた。フジコは1931年12月生まれだから、この時67歳。この後、フジコを題材としたドラマ、映画、ドキュメンタリーなどの番組がつくられ、フジコの演奏を収めたCDも続々とリリースされ、フジコのコンサートには多くのファンがつめかけた。 髪をカラフル染め、首にスカーフを巻いて、ブレスレットをはめ、演奏中にジャラジャラ音をたてそうな大きなイアリングをつけてピアノを弾くフジコ。「自分らしく血の通った演奏をしたい」、「音を飛ばしたって、間違ったってかまわない。機械じゃないんだから」と強く自己主張をするフジコは、さしずめクラシックのヴ...

追悼・JAMES CHANCE

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2024年6月18日、ジェームス・チャンス逝く。71歳だった。 NO WAVEムーヴメントの代表的な人物のひとりジェームス・チャンス(本名:ジェームス・シーグフリード)はリディア・ランチとともにティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスを結成、フリクション結成前1977年3月にニューヨークに渡ったレックはジェームスとリディア・ランチに誘われティーンエイジ・ジーザスにベーシストとして加わっている。ジェームス・チャンスはティーンエイジ・ジーザスを脱退後コントーションズを結成、レックを追ってニューヨークに渡ったチコヒゲはジェームスに誘われコントーションズの2代目ドラマーとなる。 レック達が関わったNO WAVEといわれたバンド・アーティスト達の音楽性、実験性、芸術性に限らず日常の行動や言動から受けた影響は、帰国後フリクションを形作る大きな初期衝動となった。それゆえ日本において日本のパンクロックについて振り返るときには、必ずフリクションとともにNO WAVEについて語られることになる。それにNO WAVEというムーヴメントを世界的に表出したオムニバスアルバム『 NO NEW YORK 』(1978年)が、日本ではリリース当時から一貫して評価が高く、NO WAVEの衝撃が特に大きかったと言っても良いだろう。そのアルバムに収録された DNA にはレックと共に渡米したモリイクエがドラマーとして参加している。 右上の本はジェームスが来日した2005年にエスクァイア・マガジン・ジャパンから刊行された『NO WAVE ジェームス・チャンスとポストNYパンク』。コントーションズに限らず、DNA、マーズ、ティーンエイジ・ジーザス&ザ。ジャークスのライヴ告知フライヤーの画像や、ジェームスへの100の質問、ジェームス邸訪問、チコヒゲが語るニューヨークでの生活、ファンジン「WATCH OUT Vol.2」からレックのインタビューとモリイクエの私信の再掲、PHEW、大友良英、山野直子などがジェームスやNO WAVEについて語り、椹木野衣によるジェームス・チャンスとNO WAVEの芸術性についての考察は非常に興味深い。スクリーミング・マッド・ジョージや塩井るりが当時のニューヨークを振り返り、ZEレコード創立者マイケル・ジルカによるNO WAVE入門など、当時のニューヨーク、パンク、NO WAVEの雰囲...

私の放浪音楽史 Vol.106 TOM WAITS『CLOSING TIME』

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1973年、アサイラム・レコードよりリリースのアルバム。 このアルバムを聴いたのは1980年代初め頃。その頃聴いたアメリカのバンドやアーティストで強く影響を受けたアルバムが3枚ある。ブルース・スプリングスティーン『 明日なき暴走 』、テレヴィジョン『 マーキー・ムーン 』、そしてこのトム・ウェイツのデビュー・アルバム『クロージング・タイム』だった。 ジャケットのトム・ウェイツが寄りかかる古ぼけたピアノの上には吸い殻の山になった灰皿、グラスに酒瓶、右上の時計の針は(おそらく午前)3時20分過ぎを指している。閉店時間(CLOSING TIME)だ。アルバムの内容を感じさせるカヴァーアート。 オープニングは夜明けを55年型の車に乗って走る情景を描いた「Ol' 55」。ピアノのリリカルな響き、アコースティックなセット中心のゆったりしたサウンドが心地よい。この曲はイーグルスがカントリーなフレイヴァーでカヴァーし『オン・ザ・ボーダー』(1974年)に収録された。フォーキーな「I Hope That I Don't Fall In Love With You」、ジャジーな「Virginia Avenue」、カントリーな「Old Shoes (& Picture Postcards)」、ミュートしたトランペットの音が優しいロマンティックな子守唄「Midnight Lullaby」、アナログ盤だとA面のラストだった切なく苦い「Martha」は40年以上前に付き合い別れた女性へのメッセージ。俺の全てはお前で、お前の全てはおれだった、だけど二人が一緒にいられない理由は、俺が男だったからだ、という男女間の友情がテーマなのかも。 アナログ盤だとB面の始まりはマーサに続いて女性の名前ロージーに語りかける「Rosie」、トム・ウェイツのピアノとヴォーカルのみで思い焦がれる感情を歌うセンチメンタルな「Lonely」、アップテンポな「Ice Cream Man」はセクシャルなイメージの歌詞で歌われ、曲の終わりにはイントロのピアノのメロディがオルゴールの音色となって幻惑的に響く。続いてこれもまた美しいメロディを紡ぐ「Little Trip To Heaven (On The Wings of Your Love)」、夜空に輝くグレープフルーツのような月とひとつの星、消えてゆく輝...

私の放浪音楽史 Vol.105 小山卓治『HIMAWARI』

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1984年7月21日、CBSソニーからリリース。 前作からほぼ1年ぶりに発表された小山卓治のセカンド・アルバム。オープニングはアコースティック・ギター〜アコーディオンの2分以上ある長いイントロを経て歌が始まる「ひまわり」。もともと“ガソリン・タウン”というタイトルで、受けとった絵はがきも、ひまわりじゃなく街のネオンの写真だったという。日常に潜むものや感情を抉り出すのではなく、目に見える日常の風景をつないでゆく手法を使用して歌詞を作り上げた。ドラムのリムショットが間奏の手前でスネアに変わるところは劇的で、間奏ではイントロのアコースティックギターのフレーズが再登場する。女性コーラスも効果的に使われ、練られた歌詞に楽曲の構成・アレンジは小山卓治が次のステップに進み、ただのスプリングスティーン・フォロワーじゃないことを証明した曲と思う。 工場のサイレン(実は空襲警報の効果音だという)で始まりレゲエのリズムで歌われる「煙突のある街」は当時ブレイカーズでヴォーカル&ギターを担当していた真島昌利の曲を取り上げた。真島もバッキングヴォーカルで参加している。労働者の健康被害、組合の賃上げ闘争、ラストはおそらく工場の煤煙と排水による河川の汚染により会社が訴えられたと思われる内容。“時間を殺す場所さ 自分を殺す場所さ”という歌詞は、アルバイトというと工場の長時間労働をしていた私にとっては身につまされる歌だった。重厚で聴き応えのある曲だが、効果音の挿入がやや過剰に思える。真島昌利は1992年リリースの3枚目のソロアルバム『RAW LIFE』で「煙突のある街」を録音している(若干歌詞が違う)。 「下から2番目の男」は怖いもの知らずでプライドとハッタリは一人前の働く若者の歌。2分半でオチも付いたコンパクトな傑作。続いて4枚目のシングルだった「 DOWN 」でアナログ盤A面終了。 B面のはじまりはリズムボックスのバスドラの音を強調して強烈なドスッという音像をつくりあげた「家族」。父親を亡くし、母親・兄・姉と僕の4人で暮らす家族。まともな職につかず母親に心配をかけ続ける兄貴と恋人に騙されている姉、これまたどん底な曲だが、“ゆっくりと流れる河に沿った石畳 僕は自転車に乗って毎日ここを通る”の歌詞とメロディにはヨーロッパ的な風景が感じられる。ヴィスコンティ『若者のすべて』やデュヴィヴィエ『パリ...

私の放浪音楽史 Vol.104 小山卓治「DOWN」

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1984年5月21日、CBSソニーからリリースのシングル。 小山卓治4枚目の7インチシングル。ジャケットの小山卓治はアルバム『インフィデル』(1983年)のディランを彷彿とさせる容貌になり、前作「傷だらけの天使」のジャケからブルーな雰囲気を更に増している(前作と同じく写真は井出情児)。まぁタイトルは「ダウン」で、落ち込んで鬱陶しい気分になる理由を歌うんだから当然である。 それでも桑田りん、佐藤めぐみの女性コーラスを加えてサウンド面では爽やかさを取り入れ、軽快なキーボードの音色にスピーディなリズムで憂鬱さを消し去ろうとしている印象はある。もっともこのシングルリリース後、小山卓治自身が体調を崩し入院してしまうのだが…。 小山卓治初のプロモーション・ビデオも作られ、そこではサングラスもかけず、髭面ではなくさっぱり、すっきりした顔立ちで歌っている。当時はなんの変哲もないビデオだな、と思ったが、今見るとシンプルでいいかな。 この曲のリリースから40年経っているが、このフレーズはずーっと変わらずこの国の音楽業界の実態を表している。   “ガキ共のためのTOP 3が  テレビから流れる  またあの曲を歌うっていうのかい  新しいだけでいいのなら  もう時間の問題だ  ほら次のやつが出番を待ってる” カップリング(B面)はオルガンの音色が印象的なアレンジの「土曜の夜の小さな反乱」で、まもなく三十路の真面目な勤め人が、やり直したいと、きまぐれに足を向けた繁華街に行ったことを後悔する内容。30歳でとうとうおっさんになる、というのも今から思うとちょっと可笑しいけど、DON'T TRUST OVER THIRTYだったからな当時は。 このシングルのレコーディングメンバーは、 ドラム:カースケ ベース:大庭珍太 E.ギター:金井タロー キーボード:ロケット・マツ パーカッション:小松崎政男 というメンバー。バッキング・ヴォーカルには桑田りん、佐藤めぐみ(A面のみ)が参加。

私の放浪音楽史 Vol.103 小山卓治「傷だらけの天使」

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1983年12月12日、CBSソニーからリリースのシングル。 ファーストアルバムから半年で届けられた新曲は1970年代中頃にショーケンと水谷豊が出演していたテレビドラマと同タイトル。私もいろんな面で影響されたドラマ『傷だらけの天使』については 以前も書いた 。 激動の1960年代が終わり、シラケてゆく1970年代を体験した小山卓治がその1970年代を振り返った曲だという。兄弟になった俺達、半端な自由と脆い絆、そして裏切り。曲の後半で歌われる歌詞、“スクリーンの中で男がこう歌う「友よ答えは風の中にある」”は、おそらく映画『バングラディシュ・コンサート』で「風に吹かれて」を歌うディランだろう。 ダイナミックなイントロで始まり、シンプルなビートと掻き鳴らされるアコースティック・ギターのストロークが歌を支えていくが、曲の後半、“せめてこれくらいの格好が お似合いだってあてがわれた 俺達の時代ってやつに せめて最後のお別れを”と歌った後、急激にテンポアップしてフェイドアウト。 B面には「悪夢」を収録。悪夢のような現実の日々、当時一部で広がっていたハンド・イン・ハンドな盛り上がりを一蹴し、自分を欺き、貶めようとする者に抗い、望むものは傷つくことも傷つけることも恐れず、自分の手を汚さなければ掴み取れない。これまでも小山卓治が幾つかの曲で歌ってきた、誰かにあたえられたもので満足することに対する拒絶、あたえられたものじゃなく自分が真に望むものを探し掴み取ること。この曲でもそのために走り出せと歌う。フォーキーな雰囲気がありつつもロッキンなアレンジがいい。 このシングルのレコーディングはファーストアルバムから引き続き小山卓治 with THE CONXで行われており、 ドラム:付岡オサム ベース:大庭チンタ E.ギター:MOONEY E.ギター:金井タロー ピアノ&オルガン:ロケット・マツ サックス:スマイリー・松本 というメンバー。アレンジは「傷だらけの天使」がプロデューサーの前田一郎&THE CONX、「悪夢」はTHE CONXが担当した。モノクロのジャケット写真は井出情児によるもの。 下のジャケ写は作曲・大野克夫、演奏・井上堯之バンドのドラマ主題曲。1974年リリースの4曲入り7インチシングル。 小山卓治のベストをカセットに録音して作った時、この主題曲を入れクロスフェードで小山卓治...

ロック・アーティストの詩集 国内編

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ロック・アーティストの詩集、国内アーティスト編。 『パンタ詩集 ナイフ』(JICC出版局刊・1989年初版) 私にとっては待望のと言ってもよかったかな。パンタが紡ぎ出すポリティカルでロマンチック、アヴァンギャルドでシュールでユニークでラディカル、時に暴走、時に不可解、さらに優しくて聡明な歌詞。えぇ新品で買いましたよ…この詩集は。頭脳警察「銃をとれ!」からソロ・アルバム『クリスタル・ナハト』迄、1970〜1987年の楽曲から、当時未発表の20編を含むパンタ自身が選んだ85編を収録した詩集。ヒロ伊藤と鋤田正義による写真ページ、吉原聖洋による詩の解説と年譜あり。充実した内容だ。帯の裏に書かれた紹介文は橋本治によるもの。 『遠藤ミチロウ全歌詞集 お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(ソフトマジック刊・2001年初版) ザ・スターリン初の音盤、1980年のソノシート「電動こけし」から2000年の「21世紀のニューじじい」(間寛平への提供曲・ミチロウのヴァージョンはアルバム『AIPA』に収録)まで195編の歌詞を収録している。セルフ・カヴァー9曲入りCD付属。阪本順治(映画監督)と宮藤官九郎による解説あり。 『供花』(思潮社刊・1992年初版) 町田町蔵初の詩集。5章に分かれており134編の詩を収録、5章はINUのアルバム『メシ喰うな!』全曲とオムニバス『レベル・ストリート』収録の「ボリス・ヴィアンの憤り」、カセットブック『どてらい男又(やつ)ら』からタイトル曲を除く町蔵作詞の全曲、アルバム『ほな、どないせぇゆぅね』全曲の歌詞を収録している。1〜4章に収録されている詩の書かれ方として“時に書き下ろしを、時に今までのアルバムやライブの歌詞に手を加えたものを、年代順ではなく意識の流れに沿って書いていった”と記載がある。カセットブックのタイトル曲「どてらい男又(やつ)ら」は手を加えられ書き下ろしの詩となり1章に収められている。いくつかの詩の部分は後にリリースされた楽曲の歌詞になっている(「頭腐」、「出戻り春子」、「パワー トゥ ザ ピープル」)。大座談会と年譜、バンドメンバーの一覧あり。 『それから 江戸アケミ詩集』(思潮社刊・1999年新装第一刷) 初版は1993年に刊行。「試作」と題された6編の詩を含む49編が収められている。アケミの発言を文字起こしして掲載している...

ロック・アーティストの詩集 海外編

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ロック・アーティストの詩集、海外アーティストだとこれだけだな読んだのは。全部古本で安く買ったんだと思う。 『ジョン・レノン詩集』岩谷宏訳(シンコーミュージック刊・1986年初版) ジョン・レノンのソロ代表曲にリンゴ・スターへの提供曲「I'm The Greatest」と「Goodnight Vienna」、ジョニー・ウィンターへの提供曲「Rock And Roll People」を含む、歌詞53編を収録。映画『バックビート』の影響でビートルズに嵌ってた頃に買ったと思う。ビートルズの詩集もどこかにあるはず。 『デビッド・ボウイ詩集 オディティ』北沢杏里訳(シンコーミュージック刊・1985年初版) 1969年『スペース・オディティ』から1984年『トゥナイト』までのアルバムから選ばれた歌詞53編を収録。モノクロで4ページの写真あり。1990年代にライコ・ディスクから再発されたボウイのCDを集めてた頃に買ったと思う。 『マーク・ボラン詩集 ボーン・トゥ・ブギ』中川五郎訳(シンコーミュージック刊・1988年初版) マーク・ボランの1965年デビューシングル「The Wizard c/w Beyond The Rising Sun」からボランの死後リリースされたアルバム『ユー・スケア・ミー・トゥ・デス(邦題・霊魂の叫び)』(1981年)まで、シングルやアルバムから選ばれた歌詞77編を収録。鋤田正義によるモノクロの写真ページ(6枚)あり。Tレックスのオリジナル・アルバム(アナログ盤)を借りてカセットに録音して持ってたから歌詞が読みたくて買ったのかも。 パティ・スミスの詩集『バベル』日本版・山形浩生、中上哲夫、梅沢葉子訳(思潮社刊・1994年) アメリカで1978年に出版された『BABEL』が原本。歌詞集じゃないけど。1990年代中頃にパティのCDがボーナストラック入りでリイシューされた頃に買った気がする。 『ロック・オリジナル訳詩集3・僕にはこう聴こえる』町田町蔵、他訳(思潮社刊・1992年) 海外アーティストの歌詞を日本人アーティストが訳すという試みの3冊目。ほとんどが訳者自身の解釈で日本語にしたというか原詞とは別物で、原詞やタイトル、曲からイメージを膨らませて創作している。町田康の小説を読み始めた頃に町田町蔵の訳詞が読みたくて購入した。町田はフランク・ザッパ(マザー...

ルー・リード詩集『ニューヨーク・ストーリー』梅沢葉子訳

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1992年に初版、2013年に改訂版が刊行され、絶版となっていたルー・リード自選詩集『ニューヨーク・ストーリー』(原題:Between Thougt and Expression)が2024年4月に待望の再刊となった。河出書房新社より。 1992年にCD3枚組ボックスセットともにルー・リードのアンソロジー・プロジェクトのひとつとして刊行された詩集であり、CDボックスセット、詩集ともタイトルは『BETWEEN TOUGHT AND EXPRESSION』と共通のタイトルがつけられた。 VUのファースト・アルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』からルーのソロ『ニューヨーク』(1989年)、ジョン・ケイルとの『ソング・フォー・ドレラ』(1990年)まで、ルー自身が選んだ87曲の歌詞が収録され、そのなかには、ニコに提供した「Chelsea Girls」やルーベン・ブラデスのアルバム『ナッシング・バット・ザ・トゥルース』(1988年)収録の「The Calm Before the Strom」と「Letters to the Vatican」、マルコム・マクダウェル主演の映画サントラ『ゲット・クレイジー』(1983年)に収録されていた「Little Sister」も含まれる。 他にUnmmuzzled Ox誌に掲載された2編の詩「The Slide」と「Since Hald the World Is H2O」、文芸誌に依頼された小説『ブルックリン最終出口』で知られる作家ヒューバート・セルビー・ジュニアへのインタビュー(結局雑誌には掲載されなかった)と、ローリング・ストーン誌にインタヴューの依頼をされたチェコスロバキアのハヴェル大統領(当時)が、インタビュアーをハヴェル自身が選んでいいのならとルー・リードを指名し実現したインタビュー(結局ローリング・ストーン誌には掲載されず、ミュージシャン誌に掲載された)が収録されている。 ロック系アーティストの詩集(訳詞集)はいろいろ刊行されているけど、海外のアーティストなら訳詞のついてるCDやレコードがあるし、国内アーティストならだいたい歌詞カードが付いてるわけで、それほど詩集として手元に置きたいということもないのだが、2022年にNHK総合で放送された『映像の世紀バタフライエフェクト』・「ヴェルヴェットの奇跡 革命家と...

ザ・ルースターズ、貴重なシングルを、5/15一斉配信開始!その2

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ザ・ルースターズのシングルが5月15日に配信開始されたのにあわせ、日本コロムビアの ルースターズ・オフィシャル・サイト にはファースト・シングル「ロージー c/w 恋をしようよ」についてルースターズのオリジナル・メンバー大江、花田、井上・池畑のインタビュー(というかコメント)が掲載されている。それにザ・ロッカーズとして観ていた穴井も。これは保存版だろう。 右のジャケ写は2017年に再発された7インチ(COKA-55)。なにしろオリジナルは幻だからね…。

私の放浪音楽史 Vol.102 小山卓治「FILM GIRL」

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1983年3月21日、CBSソニーからリリースのシングル。 小山卓治のデビュー7インチシングル。私はデビューアルバムを聴いた後にこのシングルを入手したと思う。アルバムに収録されていた「FILM GIRL #2」のタイトルがなんで#2なんだ?というところから探した気がする。 AB面ともデビュー前に自主制作されていた音源をマスタリングし直してリリースされた(プロモ用の自主制作盤が存在しており、自主盤のジャケットは切り貼り文字の素朴な作り)。地元の練習スタジオで録音され、小山卓治オフィシャルHPの ディスコグラフィ によると、ギターには佐橋佳幸、ベースと編曲で西村昌敏(後にフェンス・オブ・ディフェンス)が参加していると記載がある。 「FILM GIRL」は、彼女がギョーカイに染まっていく様を描いた曲(実体験らしい)で、詞とメロディが同時に出てきて、ものの5分くらいで出来上がったという。アルバム・ヴァージョンよりテンポは遅くアレンジはいかにもシンガソングライターといった感じで、購入時に聴いた時はアルバムとだいぶ違うな、ロックな感じがしないなと思った記憶がある。カップリングの「西からの便り」はオルガンの音色で始まり、ややフォーキーな印象だ。 CBSソニー盤のジャケットには煙草に火をつけるのか、暗闇を照らすためなのか、ジッポライターの火に手をかざす写真が使われている。この手は小山卓治自身の手を写したものだという。デザイン的には後のデビューアルバム『NG!』やセカンドシングルの「カーニバル」も同様だがスプリングスティーンのアルバム『ネブラスカ』のジャケット風デザインと言えるかな。 参考文献:長谷川博一編『ミスター・アウトサイド わたしがロックをえがく時』(1991年大栄出版)、ミニコミ『OYAMA TIMES VOL.1』、『同VOL.2』(1984年りぼん)