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PATTI SMITH「PEOPLE HAVE THE POWER」

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That people have the power To redeem the work of fools Upon the meek the graces shower It's decreed the people rule The people have the power The people have the power The people have the power The people have the power

BRUCE SPRINGSTEEN & THE E STREET BAND「WAR」

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War What is it good for Absolutely nothing Say it again War What is it good for Absolutely nothing War It's nothing but a heartbreaker War Friend only to the undertaker War is enemy of all mankind The thought of war blows my mind Handed down from generation to generation Induction destruction Who wants to die

真島昌利著『ロックンロール・レコーダー』

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2022年2月10日、ソウ・スウィート・パブリッシングより 真島昌利の “自伝的ディスク・ガイド” 『ロックンロール・レコーダー』が発売された。 本のサイズは7インチ・シングル・レコードのサイズで、裏表紙は7インチ・アナログ盤のレーベルを模してある。マーシーが小学6年生で出会い衝撃を受けたビートルズから50年代のロックンロール、ストーンズ、ブルース、ソウル、パンク、レゲエ、ネオスカ、ネオアコ等の私物レコードのLP、7インチ(日本盤シングル多し)をオール・カラー撮り下ろしで紹介している。さらに日本のグループのレコードも紹介しているのもうれしい。まぁディスク・ガイドというより、レココレで連載していた大鷹俊一の「レコード・コレクター紳士録」や雑誌『ROCKS OFF』に連載されていた「オレの100枚」的な内容ともいえる。ピストルズ「God Save The Queen」やダムド「炎のロックン・ロール(原題:Neat Neat Neat」など、7インチ・ジャケットが原寸大で紹介されているものもあり。 ディスクを紹介する文章はマーシーがレコードを手に入れ聴いた当時のピュアな感想・衝撃をその時の出来事も交えて綴られており、“ロックンロールの神様の声” が何度も聞こえる、読んでいてわくわくするような内容だし、さりげなく名言多し。1978年クリスマス・イヴ at S-Ken Studioでマーシーライヴしてるんだ(B中嶋一徳、D田島カズヒト)…もはや東京ロッカーズ/ニューウェイヴと言っていいな。お兄さんや親父さんとのエピソードも微笑ましい。初めて手に入れたエレキ・ギターのグレコ・レスポール・モデルなどのギターも紹介されている。フジロックでのジョー・ストラマーにはホロリ。 あっという間に読了したが、ロック/パンクの初期衝動と暴力性、自由な感覚とスピード感をオールカラーのジャケ写とマーシーの言葉でうまくパックした、Fuck Boredom, Let's Rock!な一冊。Vol.2出して欲しいな。 右上の表紙写真はディスクユニオンのオリジナル特典“レコード帯型特製しおり”と一緒にスキャンしたもの。

追悼・LEE PERRY

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リー・ペリーが逝去。 キンキンなハイハットの音とジャッキジャキなギターカッティング、ヘヴィなベース、ダブは日本のミュート・ビート経由でリー・ペリーを聴くようになった。リー・ペリーはクラッシュの「コンプリート・コントロール」のプロデュースもあったな。クラッシュがカヴァーした「Police and Thieves」も作者はジュニア・マーヴィンとリー・ペリーだった。 この動画は「Police and Thieves」のアップセッターズ(リー・ペリー)によるダブ・ヴァージョン「Grumbling Dub」。

追悼・CHARLIE WATTS THE ROLLING STONES「TIME WAITS FOR NO ONE」

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チャーリー・ワッツ逝く。 Time can tear down a building Or destroy a woman's face Hours are like diamonds Don't let them waste Time waits for no one No favours has he Time waits for no one And it won't wait for me from Album 『It's Only Rock'n' Roll』 R.I.P. Charie

私の放浪音楽史 Vol.90 THE ROOSTERZ『φ PHY』

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1984年12月21日、日本コロムビアよりリリース。ザ・ルースターズ、6作目のアルバム。 1984年10月28日に当時三軒茶屋にあった日本大学農獣医学部東京校舎 三茶祭「日大 Beat Pop Gig 84」、11月3日には上智大学お祭り広場に出演したルースターズ、どちらも無料ライヴで、どっちか見に行ってると思うんだがほぼ記憶なし…。その後11月上旬に東北地方でのライヴを数本行い、12月21日に6枚めのアルバム『φ PHY』をリリースした。 レコーディングはスターシップ・スタジオでおこなわれているが、日付のクレジットはなし。 ロッキンオン・ジャパン1988年9月号のインタビューで下山は、“ 『φ』のレコーディングは2ヶ月かかった(略)本当は1月もかからずに出来たんだけど、肝心のボーカルの人が来ないの。今日は1行録れたか、て感じだったから ”、” 時間がどんどん過ぎていって、2ヶ月のうち1ヶ月は彼の時間 ” またロック画報17「特集・めんたいビート」(2004年)のインタビューでも下山は、 “ これは3ヶ月位かかってるんですよ。僕はヒマだったんで、ギター・パートを何回も録り直したりしてました。 ”と語っている。スケジュール的にみて、おそらく10月〜11月頃にかけてレコーディングが行われたと思われる。花田は、“『φ』のレコーディングの1ヶ月前ぐらいかな、大江がまた入院しちゃって。その時、曲が2曲ぐらいしかなくて、でも出せってレコード会社から言われるし ”と語っている。 大江の体調不良と準備不足がありながらもレコーディングを進めざるをえなかったようだ。 レコーディングメンバーのクレジットは、 大江慎也:Vocal 花田裕之:Guitars 下山淳;Guiatrs, Bass 灘友正幸:Drums 安藤広一:Keyboards で、柞山はレコーディングに参加しておらず、ベース・パートは下山が担当した。 さらに下山によると、このアルバムのドラムに関して” 実はクレジットされてないけど、タイコの半分は、俺の友達が叩いてる ”と内情を明かしている。 オリジナルのアナログ盤(AF-7334)はジャケットをシュリンクで包み、帯はなくタイトル・ステッカーを左上に貼り付けた仕様。このステッカー、地球をグリーンランドを中心に左下がアメリカ大陸、右上はヨーロッパ大陸という視点のものが使用され...

HEARTBREAKERS『L.A.M.F. 』the found '77 masters

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ハートブレイカーズ『L.A.M.F.~最終版ファウンド・マスター』がMSI(ミュージック・シーン)から2021年10月27日に発売。 以下、日本盤インフォメーションより。 ジョニー・サンダース率いる、ハートブレイカーズの名盤『L.A.M.F.』はマスタリング工程のミスで音が籠った状態の悪名高き通称”泥”ミックスが施された状態で発売され、ミックスに対する批判が溢れたものの、泥ミックス前のオリジナル・マスターが見つからないため、何度かオリジナルに近づけたリミックスやリマスターが行われ、現在ではアウトテイクからオリジナルに近いヴァージョンで構成された「ロスト77ミックス」(94)が『L.A.M.F.』として流通していたが、昨年本作の共同プロデューサー、ダニエル・セクンダのロフトからアーティスト名が表記されていない「Copy Master 12.7.77」と書かれたマスター・テープが見つかり、それこそが泥を被る前のオリジナル・マスターであることが判明し発売から40年以上の歳月を経て遂に本物の『L.A.M.F.』がオフィシャル・リリース!!  ディスク1はオリジナル・アルバム全14曲を、ディスク2には「ボーン・トゥ・ルーズ」「チャイニーズ・ロックス」のシングル・ミックス、77年2月エセックス・スタジオでのデモ3曲、76年夏、ビリー・ラス加入後のジェイ・ナップ・スタジオでのデモ6曲、同年1月リチャード・ヘルが参加したSBSスタジオでのデモ4曲、ジェリー・ノーランが脱退しクラッシュのオリジナル・メンバーだったテリー・チャイムズが加入した77年12月リヴァーサイド・スタジオでのデモ3曲に、シングル「ワン・トラック・マインド」のカップリングだった「キャント・キープ・マイ・アイズ・オン・ユー」のライヴを収録。ハード・カバー・ブックレット使用。32ページに及ぶブックレットの対訳付。

VARIOUS ARTISTS『ORK RECORDS: NEW YORK NEW YORK』

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2015年10月30日、Numero Groupよりリリースのコンピレーション・アルバム。 アンディ・ウォーホル一派で、映画に関する本やポスターを扱っていたシネマビリアという書店を経営していたテリー・オーク(出生名ウィリアム・テリー・コリンズ)。トム・ヴァーレインとリチャード・ヘルはその書店で働いていて、リチャード・ロイドはオーク所有の空き部屋に“住んでいた”。オークはセカンド・ギタリストを探していたヴァーレインとヘルにロイドを紹介し、練習場所として所有していたロフトを、アンプ購入やステージをやれるよう資金をバンドに提供した。ヴァーレインとヘル、そしてビリー・フィッカのネオンボーイズは、バンド名をテレヴィジョンに変え活動を開始した。 1974年3月2日、テレヴィジョンとして初のライヴを告知するチラシにはこう書かれている。 “ ウィリアム・オーク・プレゼンツ TELEVISION ” 活動が進んでいくにつれて、一向にベース・プレイの技術が上がらないリチャード・ヘルをバンドが追い出し、ブロンディにいたフレッド・スミスが参加した。 1975年8月19日、テレヴィジョンはオーク所有のロフトで録音を行う。ジェイ・ディー・ドハーティの所有するTEAC4トラックレコーダーを使用、2時間で「Little Johnny Jewel」は録音された。この録音を7インチ・シングルとしてリリースするため、テリー・オークは自らの名前を冠したオーク・レコード(Ork Records)を設立する。 1975年9月、テレヴィジョンの7インチレコード「Little Johnny Jewel (Part 1) c/w Little Johnny Jewel (Part 2) 」をリリース。 以降、オーク・レコードのリリースは1977年まで続くが、そのリストを記すと、 1. Television:Little Johnny Jewel (Part 1) c/w Little Johnny Jewel (Part 2) :ORK81975:Sep.1975 2. Richard Hell:(I Could Live With You) (In) Another World c/w (I Belong To The) Blank Generation, You Gotta Lose :ORK81976:Nov...

レッグス・マクニール&ジリアン・マッケイン著・島田陽子訳『プリーズ・キル・ミー アメリカン・パンク・ヒストリー無修正証言集』

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2020年6月3日 ele-king booksより出版。 副題にあるようにオーラル・ヒストリー(口承記録)、当事者たちによって語られるUSパンク・ロックの歴史。 原書は1996年に出版され、2007年にはGarageland Jam Booksより邦訳が出版されている。私も何度か中古ショップで見かけて手に取ってはいたのだが、証言集かーと思って未読となったいた。なかなか厚い本だしね。けれどここのところジョニー・サンダースやNYパンク関連に興味が再熱、2020年に邦訳再刊となった「プリーズ・キル・ミー」も読んでみたくなり購入。2007年の邦訳ではピンク一色の装丁だったが、今回はウォーホル一派の写真(ヴェルヴェッツ、ニコ、 アンディ・ウォーホル、ダニー・ウィリアムス、ジェラルド・マランガ、スティーブン・ショア、ポール・モリセイ)が表紙に使われている。 1965年ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成するルー・リードとジョン・ケイル、スターリング・モリソンの証言から始まり、大別すると、 ヴェルヴェッツと宿命の女ニコ、アンディ・ウォーホルのファクトリー関係者、 ザ・ドアーズに続けとばかりに浮上してきた淫力魔人イギー・ポップのストゥージズと武闘派MC5のデトロイト勢、 派手な化粧と女物の衣装を着た突然変異のようなルックスでプリミティヴなロックンロールが支持されたニューヨーク・ドールズ、 パティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズを生み出した極最初期のニューヨーク・パンク、 それらのメンバー、バンド関係者、メディア、グルーピーたちにより語られる、赤裸々で、生々しく、無修正の証言…。 繰り返し刺激を求める日々、貴重なはずの自由を退屈と名付け刹那的に費やし、ロックンロールを求める…。セックス、とにかく常にドラッグ、ロックンロール、さらにヴァイオレンス…若き彼・彼女らの無軌道なロックンロール・ライフ。 後半では、なんでもありの無法な日々が破綻していく様が証言により浮き彫りにされていく。 MC5、ストゥージズ、ニューヨーク・ドールズが解散。ウェイン・カウンティとディクテイターズのハンサム・ディック・マニトバの騒動、デッド・ボーイズのメンバーとローディ絡みの事件、パティ・スミスがステージから転落負傷し、セックス・ピストルズの訪米と解散、ナンシー・スパンゲンとシド・ヴィシャスが死亡した。...

恒松正敏・音楽活動引退へ

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いぬん堂のBBSに恒松正敏が音楽活動から引退につき、自身のギターをヤフオク!に出品している、と書かれていた。 たしかにギブソンのファイヤーバードとグレコのリッケンモデルが出品されている。 ライブ活動の引退に伴い家族の友人が代理で出品しているとコメントがある。 CDR(息子さん)のtwitterでも CDR @HikaruAmen60606 この度、僕の父親であるギタリスト「恒松正敏」がライヴやレコーディングで弾いていたギターがヤフオクに出品されることになりました。よろしくお願いいたします。 と書き込みあり。 恒松のオフィシャル・ブログでは病気療養中、から長く更新されていないが、そうかー、音楽活動引退か…残念だが。

追悼・立花隆

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“知の巨人” または 猫ビルの主人、立花隆逝去。 2021年4月30日のことだった。 初めてその著作を読んだのは『宇宙からの帰還』だった。その内容に感動、感嘆、興奮したなぁ。実際にあったことを掘り起こす取材力、文章に表す知見と表現力。こうして真実に近づいていくのか、という感想も同時にもった。そこに書かれていた人間が宇宙空間へ行くという体験、宇宙から地球を眺めた後の宇宙飛行士の思考は、ボウイの「スペース・オディティ」やジョン・レノンの「イマジン」を想起させるものでもあったかな、私的には。 そのあと『田中角栄研究』、『日本共産党の研究』、『中核VS革マル』、『アメリカ性革命報告』、『マザーネイチャーズトーク』、『脳死』、『青春漂流』、『同時代を撃つ』、『ぼくはこんな本を読んできた』、『解読・地獄の黙示録』なんかを読んだ。こうして見ると1980年代の半ば~1990年頃が立花隆の著作を読んでいた時期のようだ。『宇宙からの帰還』を読んで遡って1970年代の著作を、80年代後半から90年頃は興味ある新刊で、という感じか。 『解読・地獄の黙示録』は2000年代の著作だが、映画『地獄の黙示録 特別完全版(原題:Apocalypse Now Redux )』公開後に書かれた解説書で『地獄の黙示録』ファン必読の書といえる。 右上の表紙写真は1988年に講談社文庫から出版された『青春漂流』で、さまざまな職業の “自分の人生を大胆に選択して生きようとしている男たち”  当時22歳〜36歳の11人を取材し、雑誌『スコラ』の連載をまとめたもの(1984年単行本刊行)。取材された一人がレコーディング・エンジニアの吉野金次(当時36歳)で、幼少期〜高校時代、東芝EMI入社、社内エンジニアとしてのキャリアを積み、ビートルズの音との出会いと研究、フリーエンジニアになるまでが語られており、アウトサイダーで痛快、興味深い内容だった。 立花隆はテレビにも度々出ていたが、日本人として初めて宇宙へ行った秋山豊寛の打ち上げ時の特番での立花隆の嬉しそうな顔や、シベリア抑留を体験した画家・香月泰男の番組での涙をながす立花隆の姿を今も思い出す。

私の放浪音楽史 Vol.89 THE ROOSTERZ『パラノイアック・ライヴ』

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1984年10月21日、COLUMBIA VIDEO/日本コロムビアよりリリース。 1984年7月15日に東京港区のラフォーレミュージアム赤坂でおこなわれたライヴをヴィデオ・シューティングした作品でルースターズにとっては初のヴィデオ作品だった。監督は『狂い咲きサンダーロード』、『爆裂都市・バーストシティ』の石井聰亙、プロデューサー緒方明、撮影監督・笠松則通と石井映画でおなじみの面々。白くまるで白骨のような木々が並ぶ風景や建物を飲み込んだ溶岩が固まっている風景の映像は、おそらく1983年の三宅島噴火後に撮影したものと思われる。 ラフォーレミュージアム赤坂は1983年7月23日〜8月7日にブライアン・イーノの「ビデオアートと環境音楽の世界」を開催してオープンした多目的スペースで、ローリー・アンダーソンの日本公演が1984年6月15日〜17日におこなわれている他、NYから帰国した佐野元春がツアー直前の1984年9月にメディア向けコンヴェンションをおこなった場所でもある。 当時このソフトはVHS、ベータ共テープが12,800円、レーザー・ディスクが7,800円という高額商品。この作品だけじゃなく60分以上の映画や音楽ソフトの販売価格はテープだと1作品1万円台、レーザーディスクが少し安いという設定。なので個人的には映像作品は買うものではなくレンタルショップで借りて観るものだった。この『パラノイアック・ライヴ』はレンタルがあったのかわからないが、何年か後に友人のKBちゃんに観せてもらった。それに『パラノイアック・ライヴ』の音だけテープに録音してもらって聴いてたなー。 ソフトも高かったが、その頃にはハードも値段が下がってきていたとはいえ、HI-FI録画再生ヴィデオ・デッキは定価200,000円以上はしていたと思う。今回記憶を頼りに私が買ったヴィデオ・デッキをネットで探してみたら、私が買ったのは、Victor HR555というデッキで定価は218,000円。1985年にグッドデザイン賞を受賞しているので、たぶん1986年頃に購入したのかなぁ。たしかバイト代貯めて買った覚えがある。私が『パラノイアック・ライヴ』のソフトを購入したのは廉価再発になった3,400円(税抜)型番:34HC-345のVHSテープ(右上のジャケ写)。 ラフォーレミュージアム赤坂のステージにはロシア語・キリル文字...

追悼・LEW LEWIS LEW LEWIS & REFORMER「SHAKE AND FINGER POP」

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RIP...Lew Lewis

追悼・村上 “ポンタ” 秀一

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村上 “ポンタ” 秀一逝去。 ステージを見たのは泉谷しげるwith LOSERの時に数回だけど、存在感と、迫力というか圧力を感じるドラムは一度見たら聴いたら忘れられない。 右上の写真は泉谷しげるwith LOSERのライヴ盤『HOWLING LIVE』ブックレットより。 RIP…。

デイヴィッド・リンチ&クリスティン・マッケナ著・山形浩生訳『夢みる部屋』

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2020年10月24日 フィルム・アート社より出版。 デイヴィッド・リンチの伝記/自伝の邦訳が刊行された。ハードカバー、総ページ数704、価格4,500円(税抜)、重い…。原書は2018年にランダム・ハウス社から出ていたようだ。私は邦訳発売後、1ヶ月くらいしてから購入したものの、本の厚さと重さに恐れをなしてか、なかなか手に取らず、やっと読み始めても読み進むスピードが遅かったが、『ブルーベルベット』あたりのエピソードからは一気に読み進み、先日やっと読了。 16の章からなり、リンチ出生から、幼少時代、アートへの目覚め、絵画制作、学生時代、映画制作開始、『イレイザーヘッド』制作、その反響から『エレファントマン』制作と成功、『デューン』制作と失敗、その反省から『ブルーベルベット』制作、テレビドラマ『ツイン・ピークス』の大きな成功、その後、数々の映画制作とテレビドラマ制作、 舞台、絵画、写真、音楽、ウェブ・サイトでの作品発表等、リンチの生まれた1946年1月20日から2017年『ツイン・ピークス・ザ・リターン』放映までの71年を振り返る。 評論家・ジャーナリストのクリスティン・マッケナが関係者にインタビュー・取材をおこないリンチの足跡を記し、その後にデイヴィッド・リンチが同時期の出来事を回想する。つまり各章では、同じ時期を取材者とリンチ本人が辿ることになり読者は同時期を2度読むことになる。 もちろん視点が違うので、同じ出来事を扱ってもその感じ方や捉え方が違うから、面白いと言えば面白いのだが読者としてはややまどろこしい。 訳者の後書きに書いてある通り、その手法はリンチらしいとも言えるのだが、それで本が厚くなっているのでは…。まず客観的な視点で書かれた出来事を読み、その情報に基づいて読者が頭に描くであろう映像に、リンチが主観的に語るその手法はDVDやブルーレイで言えばコメンタリー的と言えるかも。 実現しなかった映画…『ロニー・ロケット』、『ワン・サライヴァ・バブル』、『ザ・ドリーム・オブ・ザ・ボヴァイン』をはじめ、現れては製作できず消えてゆく計画の数々、『ブルーベルベット』後にマーク・フロストと映画化をすすめていた、マリリン・モンローの死にケネディが関与していたという、モンロー最後の数ヶ月を追った『女神』、『ローラ・パーマー最後の7日間』の後に映画化を構想していたという伝説のブル...

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』

  NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が終了。 大河ドラマを最初から最後まで見たのは、『龍馬伝』、『いだてん』に続いて3作目か。 織田信長といえば私的には半村良著の小説『戦国自衛隊』、そして原作をほぼ忠実にコミック化した田辺節雄の劇画。俗っぽくなってしまった映画版はともかく、劇画版は何度も読んだなー。自動小銃、迫撃砲、ヘリコプター、哨戒艇、装甲車等の兵器で武装した自衛隊が、その圧倒的な武力と作戦能力で戦国の世を平定し、自衛隊員がかつて生活していた民主主義の世界を遠くに見据え、天皇親政の政治体制を敷こうとした(それゆえ彼らの身を危うくする)物語は魅力的だった。その表現は日本国憲法下の現代(作品の発表時は1970年代)におかれた武装組織としての矛盾をも示唆していた。現代の武力により過去の歴史を修正するという伝奇ロマン。ラストは衝撃的だった。 それで『麒麟がくる』は信長の時代を詳しく描くのであれば面白そうだなーと思い、その織田信長役を、石井岳龍監督の作品『ソレダケ』で瞬発力のある主人公を演じ、『パンク侍、斬られて候』では腹ふり党に帰依してゆく役を怪演していた染谷将太とあれば、ラディカルでビザールな信長像を期待した。このキャスティングだけで見始めたといってもいいかも。その染谷信長に、長谷川博己演じる明智光秀がどう絡んでいくか興味があったし、戦国に平和(麒麟がくる世)を求めるストーリー、ということで、戦国の世に平和を希求するということがどう描かれるのか興味があった。 カラフルな衣装が特徴的だったし、もっくん(本木雅弘)の過剰かつ鋭利な演技も見ていて面白かった。駒ちゃんは可愛らしいし、伊呂波太夫もはまり役だった。それに帰蝶役の川口春奈は美しかったし演技も素晴らしい。コロナ中断前はかなり帰蝶様ポイント高かったけど、再開後はあんまり出演がなかったのが残念。最終回のひとつ前、光秀と帰蝶のふたり、幼馴染が思い出話をするように信長の暗殺を語り合うシーンが妙に心に残ったな。 帰蝶には道三と光秀が今の信長を作ったと言われ、信長自身にはお前が私を変えたのだと言われた光秀。民を大事にする大きな国を作るはずだったのが、信長と光秀の溝は深まり、ふたりの歩む道は離れてゆくばかりだった。光秀の慕う足利義昭を殺してこいと言われ、もはや自分で蒔いた種は刈り取らなければならないと決意した。 最終回、本能寺...

FILMS BY ボブ・グルーエン アンド ナディア・ベック『NEW YORK DOLLS・ALL DOLLED UP』

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2006年5月24日、コロムビア・ミュージック・エンタテイメントよりリリースのDVD。 昨年シンコーから出版された「コンプリート・ジョニー・サンダース」を読んで続いているジョニー・サンダース関連の音源探訪。 ニューヨーク・ドールズはオリジナル・アルバム2枚と編集盤『ロックン・ロール』を聴いているものの、その実像は私にとって掴みにくかった。動くドールズも見てみたい!と思っていたところ(まぁYouTubeでも見られるんだけど)、たまたま中古で見つけたこのDVD。たしか『コンプリート・ジョニー〜』にも掲載されていたなーと思い出し購入。 『ALL DOLLED UP』はフォトグラファーのボブ・グルーエンと妻のナディア・ベックがソニー・ポータパックという初期の家庭用ビデオ機材を購入、 3年間に渡りビデオ撮影された40時間以上の映像から厳選した映像で制作されたDVD作品。本編は約1時間30分ほどの全編モノクロ映像、良好とは言えない音質だが、マックス・カンサス・シティやマトリックス、ウィスキー・ア・ゴー・ゴー、ヒッポドロームなどのステージ・シーン、オフ、ツアー同行、テレビ出演時、リラックスしたインタビューなどの映像を見ることができる。 オープニングのスリリングな「Courageous Cat Theme」からエンドロールのシルヴェイン作「Teenage News」までラウドでナスティ、ポップなドールズの魅力を堪能した。『コンプリート・ジョニー・サンダース』のなかのジョニー・サンダース映像作品を紹介するページ(文・谷川信太朗)には、このDVDのことを“ 情報が0から100になった感はある ”と記載しているが、まったくそのとおりの作品。本編ではドールズの演奏シーンは細切れになっているが、ボーナス・フッテージにはその中から下記の12曲がフル演奏で収録されている。 at Kenny's Castaways 1. Human Being 2. Bad Girl at Max's Kansas City 3. Subway Train 4. Trash at Whisky A Go Go 5. Vietnamese Baby 6. Looking For A Kiss 7. Jet Boy at The Matrix 8. Mystery Girls 9. Personali...

追悼・南正人

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南正人逝く。 南正人の曲を聴いたのは『第4回全日本フォーク・ジャンボリー1989』のCDに収録されていた、「スタート・アゲイン」が初めだったろうか。その後どこかの中古レコード屋でアナログ盤『南正人』(オリジナルリリース1973年)のジャケットを見て、これは買わなきゃいかんな、というある意味ジャケ買いであった(右上のジャケ写)。私が買ったのは1980年の再発盤だが、キャラメルママの演奏に、迫力と繊細さを兼ね備えた南正人の歌声、スワンプな味わいのある名盤だった。 それから『回帰線』(オリジナルリリース1971年)のCDを入手。こちらの演奏もリズム隊は細野+林立夫で1曲目の「Train Blue」のかっこよさに痺れた。リリカルな「夜をくぐり抜けるまで」、熱い想いが溢れる「愛の絆」や「青い面影」等、このアルバムもブルース/アコースティックなテイストも感じられる名盤だ。裸のラリーズの水谷孝がギターで演奏に参加した「果てしない流れに咲く胸いっぱいの愛」でアルバムの最後をキメている。「夜をくぐり抜けるまで」と「愛の絆」はオムニバス『OZ Days』に弾き語りで収録されていたな。文字通り命尽きるまで歌い続けた。 耳の奥底に残る南正人の歌声は、いつまでも我々の胸をきしませるだろう。

私の放浪音楽史 Vol.88 JOHNNY THUNDERS & THE HEARTBREAKERS『L.A.M.F. Revisited』

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1984年、Jungle Recordsよりリリースのアルバム(日本では1984年、SMSよりリリース)。 1984年にリリースされたジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズの『L.A.M.F. Revisited(邦題:L.A.M.F.〜復活)』。 このアルバムを聴くきっかけはもう覚えていないのだけれど、たぶんジョニーのソロ『ソー・アローン』を借りて聴いて気に入ったことから、ジョニーがソロ以前に発表していたグループの作品ということで日本盤アナログをやはりH君から借りたんだと思う。黒地にスプレーペイント風にL.A.M.F.とピンクで印刷されたジャケット・デザインはヴィヴィッドな印象を受けたし、当時は “ REVISITED ” といっても私はオリジナル盤『L.A.M.F.』を聴いていないから比べようもなく、私にとっては初めて聴いた『L.A.M.F. Revisited』が長年オリジナルといってもよかった。 1984年当時既にパンク・ロックからニュー・ウェイヴへと興味が移っていたものの、パンクというカテゴライズよりも、プリミティヴな魅力にあふれた、もっと根源的な魅力にあふれたロックンロールの作品として聴けた。アナログ盤からカセットテープに録音して愛聴したなぁ。 “ L.A.M.F.” ジョニー達が少年時代暮らしていたニューヨークで跳梁跋扈していたストリート・ギャングが壁に残すスプレー文字で“ Like A Mother Fucker ” の略。アルバム・タイトルにしたのはジェリー・ノーランのアイディアだという。オリジナル盤のジャケットではHEARTBREAKERS名義だったが、このリミックス盤ではJohnny Thunders & The Heartbreakers名義に変更されている。 “ REVISITED ” 調べてみると、再訪、再考、見直し、という意味があるようだけど、1977年秋にロンドンで録音・英トラック・レコードからリリースされたオリジナル盤のミックスに不満があったバンドや、ミックス/音質に批判的なメディア、リリース後1978年春頃にはトラック・レコードが倒産したため長く廃盤状態が続いた『L.A.M.F.』という曰く付きのアルバムにとって、6年余り後の1984年2月にジョニー・サンダース(アシスタントはジェネレーションXのトニー・ジェイムス)...

NHK連続テレビ小説『エール』

  NHK朝ドラ「エール」終了。 新型コロナウィルスの影響で撮影と放送中断もあり、最後は駈け足となった印象だが、通じて面白く見ていられた。最初の原始人のシーンやオヤジ幽霊登場、途中のバンブーの2人のなれそめや、オペラ歌手の環(柴咲コウ)と恋人とのエピソードなど意表をついたり突然挿入された逸話も面白かった。 最終話の自宅の床から砂浜へ続く演出も優しく想像力にあふれたシーンだったと思う。戦場のシーンでは、歌の練習をする兵士たちの野太い声に混ざった森山直太郎の高い声に、寂しさと虚しさを感じ、赤く染まった水溜りのシーンに息を呑んだ。 主人公のモデルとなった古関裕而の作品だが、具体的に歌のタイトルなど知らないものの、メロディは聴いたことがあったり、この曲も古関作品かーという程度の関わりしかないけど、ネットで調べると軍歌、応援歌、社歌、自衛隊歌、仏教歌と、歌謡曲にとどまらない幅広い作曲活動していたんだな。 手元にある古関作品としては、ヒカシューの巻上公一がソロアルバム『民族の祭典』(1982年)の中で歌った「イヨマンテの夜」と、リザードのモモヨがTHE UNLIMITED DREAM COMPANY. Featuring NUTS名義でリリースした、12インチ・シングル『MOTH-LAH』(1983年)の中でRiekoにより歌われた「モスラの歌」。エキゾチックな旋律が耳に残る、この2曲がやはり馴染みがあるなー。 エールの最終回・カーテンコール、「イヨマンテの夜」を歌う馬具職人・岩城(吉原光夫)、 「モスラの歌」を歌う、藤丸(井上希美)と千鶴子(小南満佑子)、が聴けたのもよかった。 そういえば主人公の娘の結婚式でロカビリー歌手アキラ(宮沢氷魚)がバンドで歌うシーン、 結構な長さで演奏が放送されて、なかなかロカビリーな曲と演奏でカッコいいなと思っていたら、演奏にはロカビリーバンドThe Biscatsのメンバー、ギター&ベースが参加していた。