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アンソロジー(小池真理子・他)『YUMING TRIBUTE STORIES』

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2022年7月1日、新潮社(新潮文庫)より出版。  “松任谷由実デビュー50周年記念オリジナル小説集"が出版された。 ユーミンの名曲6曲を、6人の女性作家が書き下ろしたオリジナル小説集だ。 小池真理子「あの日にかえりたい」 1975年10月5日にリリースされた、荒井由美6枚目のシングル(「あの日にかえりたい c/w 少しだけ片想い」)より。 著者紹介によると小池真理子は1952年生まれ。ユーミンと同年代なので10代の多感な時期に1969年〜1972年にかけて燃え上がり鎮火した全共闘〜新左翼運動の激動の時代の景色を見ていただろう。もちろんそれぞれの受け取り方は違うと思うが…。 主人公の女性が著者やユーミンと同年代とすると、2022年から1972年を振り返ったと思われる設定で、主人公の友人や同じアパートに住む住人達の物語。左翼活動家や大学の立て看板、アジビラが登場する、あの頃…。 “今愛を捨ててしまえば 傷つける人もないけど” という歌詞のフレーズに深く切り込んだような内容の、読み応えのある作品となっている。 桐野夏生「DESTINY」 1979年12月1日リリースのアルバム『悲しいほどお天気』収録曲。 オチのついた歌詞のアップテンポな私も大好きな曲。桐野夏生は『OUT』や『グロテスク』など、ヘヴィな内容の小説をいくつか読んでるけど、規則正しい日常を過ごすことを第一とし、感情のざわつくことを出来るだけ避けている若い会社員が“運命の人”に出会ってしまう、ライトで楽しめる内容。 江國香織「夕涼み」 1982年6月21日リリースのアルバム『PEARL PIERCE』収録曲。この曲の原曲はフィリピン人歌手クー・レデスマ(Kuh Ledesma)に曲のみ提供した「夏物語(One Day Soon)」 (作詞はGreg Starr)。 ユーミンが夏のある1日の終わりを描いた内容を、江國は、結婚生活で竦むような恐怖を経験した姉とこれから結婚する妹の会話を中心に、姉が外国で目撃した夕涼みの思い出話が奇妙な印象を残す。 綿矢りさ「青春のリグレット」 1985年11月30日リリースのアルバム『DA・DI・DA』収録曲。もとは1984年麗美に提供した曲で麗美のシングルとしてリリースもされているから、あどけない雰囲気の麗美ヴァージョンは当時よく聴いた。 歌詞の内容を巧みに織り込み、刺...

MY PLAYLIST Vol.1『YUMING BEST SONGS from 1991 to 2009』

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1972年のデビューから今年で50周年、ユーミンの新しいベスト盤がリリースされている。長いキャリアだから当然ベスト盤も多くなると思うけど、デビュー35周年からはほぼ5年毎にベスト盤がリリースされているな。 1998年リリースのベスト『ノイエ・ムジーク』からはアルファ(荒井由美)時代を含めた、オールタイムベストとなり、収録曲も30曲を越えた。このころは1970年代〜1980年代の楽曲が多く選曲されている。 1980年代までの楽曲を含まない、1990年代からの楽曲を集めてユーミンのベスト盤を作ってみたいな、と思ったのが2010年頃。アルバム『そしてもう一度夢見るだろう』がリリースされた後だ。1991年リリース『DAWN PURPLE』から2009年リリース『そしてもう一度夢見るだろう』までのアルバムから選曲することにし、CD-Rに焼くため、CD1枚に収まる収録時間にした。 以下、私の選んだYUMING BEST SONGS from 1991 to 2009。  1. Sunny day Holiday   from『スユアの波』(1997年)  2. 黄色いロールスロイス  from『そしてもう一度夢見るだろう』(2009年)  3. ただわけもなく  from『Wings of Winter, Shades of Summer』(2002年)  4. 虹の下のどしゃ降りで  from『A GIRL IN SUMMER』(2006年)  5. 真夏の夜の夢  from『U-miz』(1993年)  6. 最後の嘘  from『Cowgirl Dreamin'』(1997年)  7. groove in retro  from『ノイエ・ムジーク』(1998年)ベスト・アルバム収録リリース時新曲  8. 時のカンツォーネ  from『スユアの波』(1997年)  9. Walk on, Walk on by  from『KATHMANDU』(1994年) 10. 恋の1時間は孤独の千年  from『TEARS AND REASONS』(1992年) 11. Hello, My Friend  from『THE DANCING SUN』(1994年) 12. Spinning Wheel...

追悼・ROBERT GORDON

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ロバート・ゴードン逝く。 AMASSの記事 によると、10月18日に亡くなり、75歳だったという。 ネオ・ロカビリーの帝王とも呼ばれたロバート・ゴードン。代表作はRCA移籍第一弾のアルバム『ロック・ビリー・ブギー』(1979年)と思うが、RCAからの2枚目のアルバム『バッド・ボーイ』も好きだった。 RIP...

佐野元春『カフェ ボヘミア』

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ありふれた痛み を 抱きかかえ 10月の太陽の下 おだやかに横たわる ストリートの理想主義者たち は 日曜の午後 路上で 若き クズ を無造作に 並べたてる 心理学的に トレスアップした ニキ には 猥雑なBEAT が身ごもっている  彼女のドアの前で君は待つ-永遠に  彼女のドアの前で君は泣く-真剣に 雨にさらされ 今にも はがれかけそうな そのスピリチュアルなパスポート に NO MORE WAR という文字を 滲ませて from 7inch single「Young Bloods c/w Young Bloods <Hello Goodbye Version>」picture sleeve

町田康著『私の文学史』

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2022年8月10日、NHK出版(NHK出版新書)より刊行。 副題は「なぜ俺はこんな人間になったのか?」 この本はNHK文化センター青山教室にて、2021年10月から2022年1月にかけて行われた講座「作家・町田康が語る<私の文学史>」の講義をもとに加筆・修正し、編集したもの。 NHK出版新書って買ったの初めてだが、よくある新書っぽいオレンジのカヴァーに上に町田の顔写真のカヴァーが被せられているが全面帯なのかな(町田町蔵+北澤組名義で1992年にリリースしたアルバム『腹ふり』のジャケットに使われたものと同じ写真で撮影はアラーキー)。 内容は、町田の読んできた文学、町田の著作に影響を与えた文学、町田のあの特異な文体がいかに考案され作られているか、等について町田自身の言葉で語られている。表紙には “はじめての自分語り”と書かれているが、"享楽に溺れ、放埒無残な暮らしをした” という若き日々の事柄については語られていない。 古典に魅力を感じ現代の熱狂から距離を置く姿勢を語り、町田の音楽活動における詞作について語っている箇所もある。江戸時代を舞台にした小説にシャム69やフランク・ザッパやボブ・マーリーやジミー・クリフの名がセリフの中に登場するようなアナーキーな文体がどのように考案され生み出されたのか、感覚ではなく論理的に説明されており、その一端を知ることができる、とても興味深い内容だった。

チバユウスケ著『EVE OF DESTRUCTION』

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2022年9月13日、ソウ・スウィート・パブリッシングより刊行。 以前紹介した、 真島昌利の『ロックンロール・レコーダー』 に続き、チバユウスケが所有するアナログ盤をディスクガイド的に紹介した本『EVE OF DESTRUCTION』が発売された。本のサイズは7インチ・シングル・レコードのサイズ。 チバのレコード・コレクションというと雑誌『ROCKS OFF Vol.6』の「オレの100枚」という連載企画で取り上げられていたから、まぁ同じ様な内容になるかなーと思って購入するか迷ったんだけどね…。 チバのROOTSを始めに、PUNK、PUB ROCK、GARAGE、ROCKABILLY&PSYCHOBILLY等ジャンル分けをし、アルバムや7インチのジャケット写真を掲載している。それぞれの章にはチバのコメントがある。T-SHITコーナーはいらなかったかなぁ。意外にブルースのレコードなかったけど、このあたりはあまり聴かないのか、それともCDで聴いているのかな。 ROOTSではルースターズやザ・モッズ、爆裂都市のサントラが掲載されていた。クラウンからリリースされたルースターズ『unreleased』のジャケット写真はタイトルのエンボス加工がよく出ていて綺麗。 ダムド、好きなんだなぁ。まぁミッシェルのバンド名由来だし。ダムドは一番多い10枚のレコードを掲載。パブロック系もフィールグッズ、ウィルコ関係、ビショップスのシングルなど多く取り上げている。私の好きなオムニバス『The London R&B Sessions』も取り上げられていた。「オレの100枚」では、“さすがにブートは紹介できません”と言われていたコステロの1979年ワシントンでのブート・ライヴ盤『Elvis Goes To Washington And Dave Edmunds And  Rockpile  Don't』のジャケットも掲載されている。 ロカビリー、サイコビリー系も多く紹介されているが、BRITISHのコーナーではロカビリーな要素もあるザ・スミスやモノクローム・セットのレコードも。90年代中期のモッド/ポップ・バンド、ザ・ウィークエンダーズの3曲入りシングル「Inelelegantly Wasted In Papa's Penhouse Pad In Belgravi...

鮎川誠 Play The SONHOUSE『 ASAP (THE LATEST LIVE & STUDIO ’22)』

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2022年7月24日、HOUSE ROCKIN’ RECORDSよりリリース。 鮎川誠、サンハウスを歌う。 2022年5月2日の鮎川誠・74歳バースディライヴ(at下北沢シャングリラ)から12曲、4月23日大江戸・鬼平祭(at 南青山レッドシューズ)から3曲、6月22日博多Bassicでのライヴから7曲、6月23日博多ハートストリングス・スタジオの録音から14曲の全36曲をCD2枚に収録。 メンバーは、 Vocal&Guitar:鮎川誠 Bass:奈良敏博 Drums:坂田“鬼平”紳一 Guitar:松永浩 Vocal:LUCY 鮎川誠・74歳バースディライヴからは当日Play The SONHOUSEとして演奏した全曲が収録されており、音質もよく、サンハウスの名曲の数々を鮎川のヴォーカルで堪能できる。こうしてまとめて鮎川のヴォーカルで聴いてみると、サンハウスのヴォーカル柴山の持つシアトリカルな雰囲気や発せられる毒気というものが鮎川のヴォーカルにはほぼ感じられない。そのストレートな歌声は諧謔さを含み、“ちぎっては投げるような歌い方”はディランに似ているなと思うところもある。 メンバーとのコンビネーションは完璧とは言えないところもあるが、円熟の演奏、時にレイジーなブルースと白熱のロックンロールをどうぞ。「僕にもブルースが歌える」と「もしも」では鮎川の娘LUCYがヴォーカルを担当している。 4月23日レッドシューズのライヴと6月22日博多Bassicでのライヴ、松永浩がオーナーの博多ハートストリングス・スタジオでの録音(リハーサル風景という感じ)はいずれもエアー録音なのか、あまり音質は良くない。 ハートストリングス・スタジオでの録音で「あとの祭り」が収録されているが、サンハウスの音盤でリリースはされていない曲と思う(鮎川誠『LONDON SESSION #1』には「Rumour (Atonomatsuri)」のタイトルで収録されていた)。 私はAMAZONで購入したのだが、A4サイズのブックレット『月刊鮎川誠 No.2』とSONHOUSEのステッカーが付いてた(右上のジャケ写)。 アルバム・タイトルの『ASAP』は、録音〜リリースまで短期間(6月23日からはほぼ1ヶ月)だから、“できるだけ速く”なのかな。 ブログ『Let's Go Steady--Jポッ...

若松宗雄著『松田聖子の誕生』

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2022年7月19日、新潮社より刊行(新潮新書) 1978年に開催された「ミスセブンティーン・コンテスト」のオーディション・テープの山、200近い曲数の中から蒲池法子の歌声を見つけ出した、CBS/ソニー・プロデューサー若松宗雄による松田聖子誕生の物語。 オーディションの地区予選九州大会で優勝しながらも、娘が歌手になることに頑強に反対する父親により、東京での決勝大会を辞退していた蒲池法子。若松プロデューサーの粘り強い説得で芸能界入りを許された後も難航する所属プロダクション探し。芸名が松田聖子に決まり(別名の候補があったという)、デビュー時期の調整、デビュー曲の作曲を人気作家筒美京平に打診するも断られ…と、歌声に惚れ込んでからデビューするまでの苦闘の2年間が本書の約半分を占めている。その後はデビュー後初期のエピソードを中心に50ページ程、「アルバムとシングルについて」と題して松田聖子と若松プロデューサーが共に活動し制作したアルバム、1980年リリース『SQUALL』から1988年リリース『Citron』までのアルバム解説に55ページ程記載されている。これ非常に興味位深いエピソード満載。 対象が松田聖子、書き手が伝説のプロデューサー若松宗雄だけに、新書じゃなくもっとエピソードや写真、図版を追加して単行本として出版すればとも思うが、新書だからこそ多くの人に読んでもらえる手軽さがあるのかも。本書の帯には蒲池法子の歌う「気まぐれヴィーナス」(オリジナルは桜田淳子)が入っているオーディション用カセット・テープと思われる写真が…赤ペンで福岡、蒲池と書いてある。 蒲池法子というマテリアルを入手し、プロデューサーのアイディアと指揮のもと、作詞家、作曲家、ミュージシャン、アレンジャー、デザイナー、フォトグラファー、スタイリスト…さまざまな分野のクリエイターが結集して松田聖子というプロダクツを生み出す。 THE BIRTH OF SEIKO MATSUDA こんな英語タイトルはどこにも書いてないけど、そう呼びたくなる。 1983年からは松田聖子による作詞や作曲の楽曲がアルバムに収録されるようになり、やがて松田聖子は与えられた楽曲を歌う歌い手としてだけではなく、自己を表現するために作詞作曲、プロデュース、マネジメントを含めた彼女自身によるプロダクツを生み出す環境を整えていく。

ニーナ・アントニア著・新井崇嗣訳『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド・完全版』

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2022年7月15日、シンコーミュージックより刊行。 ニーナ・アントニアにより書かれたジョニー・サンダースの伝記本『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』。日本では1988年に鳥井賀句による邦訳で日本語版が刊行されて以来、絶版となり長らく入手困難だったが、ジョニー・サンダース生誕70年という記念の年に、それもジョニーの誕生日(1952年7月15日)に新しく新井崇嗣の訳により完全版として復活した。奥付には翻訳協力としてHiroshi The Golden Arm Nakagomeのクレジットがある。 『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』のオリジナルは1987年に英ジャングル・ブックスより刊行、日本版は1988年シンコーミュージックより鳥井賀句訳で刊行されているが、この時はまだジョニー・サンダース存命中の出版であり、パティ・パラディンとのアルバム『コピー・キャッツ』(1988年)制作前という時期だった。 その後、2000年に英チェリーレッドから改訂英語版が、2015年には伊パイプラインからイタリア語版が刊行された(こちらも改訂されている様だ)。今回の日本語訳完全版は、 おそらく2019年にJungle Recordsからリリースされた電子書籍版(英語)『 Johnny Thunders - In Cold Blood ebook 』をもとにしていると思われる。 今回の邦訳では、パティ・パラディンとのアルバム『コピー・キャッツ』制作から、訪れていたニューオーリンズでのジョニーの最期(1991年4月23日)とその後、さらにジョニーの盟友ジェリー・ノーランの死(1992年1月14日)を記した新たな章が加えられた。それまでの章にもインタビューを含む取材や考察により大幅に加筆されており、1988年日本語版とはほぼ別物と言っていいと思う。またカラー写真を含む多くの図版が掲載されている。 邦訳初版巻末にあったディスコグラフィは無くなり、今回の日本語版にはニーナ・アントニアがジョニー・サンダース関連の音源リリース時に執筆(インタビュー含む)した下記のライナーノーツが掲載されている。 ・ニューヨーク・ドールズ『MANHATTAN MAYHEM:A History of New York Dolls』(2003年) ・ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ『L...

私の放浪音楽史 Vol.95 四人囃子『二十歳の原点』

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1973年10月25日、東宝レコードよりリリースのアルバム。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社刊・1971年)を原作に大森健次郎監督が映画化(東京映画・1973年)した際に制作されたサウンドトラック・アルバム。オリジナル盤は、主演の角ゆり子のセリフ(朗読)と、映画のテーマ曲『二十歳の原点のテーマ』(小野崎孝輔作曲、アンサンブル・ブーケ演奏)、四人囃子の楽曲が収録されていた。 このアルバムの制作は、バンド側からすると来るべき自分達のファースト・アルバム制作を自分達が思うように作業するための、東宝レコード側からすると担当ディレクターが四人囃子のファースト・アルバムを自社からリリースすることを会社側に説得する材料とするための、交換条件としての仕事だった。レコーディングはポリドールのスタジオで2日間、森園のみ別スタジオでヴォーカルのダビング、と実質的なレコーディング期間は3日〜4日間であったという。 私が四人囃子の『二十歳の原点』の楽曲を聴いたのは、1976年9月に東宝レコードからリリースされた編集盤『TRIPLE MIRROR OF YONINBAYASHI』だった。1973年のオリジナル盤(Tam AX-6006)は当時既に入手困難だったと思う。『TRIPLE MIRROR〜』はアルバム『一触即発』+シングル「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ c/w BUEN DIA」+『二十歳の原点』の楽曲部分(小野崎孝輔作曲、アンサンブル・ブーケ演奏『二十歳の原点のテーマ』を含む)を2枚のLPに収録したもの。たぶん1977年頃に友人から借りて聴いたと思う。 この編集盤により『二十歳の原点』という映画、高野悦子の日記というものがあるのを知った。映画はその頃に観ることは出来なかったが(まぁ名画座で上映していたとは思う)、原作の日記はベストセラーになったこともあり、おそらく古本屋で単行本を買った。1969年、新左翼運動へ傾倒するも、自ら命を絶った立命館大学生高野悦子の愛と孤独と闘争の日々。二十歳の誕生日から自殺の二日前まで(1969年1月2日〜6月22日)の日記を書籍化している。 サウンドトラック『二十歳の原点』には四人囃子の曲が下記の8曲収録されている。 ・今朝は二十歳 ・学園闘争 ・あなたはわたし ・涙の年令 ・青春 ・夜 ・? ・四人囃子から高野悦子さん江 全作曲・編曲は四人囃子。 「今...

追悼・坂下秀実

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四人囃子のキーボーディスト、坂下秀実が2022年7月31日に逝去。 ザ・サンニンに坂下が参加後、四人囃子として活動、アルバム『NEO-N』(1979年)を除けば常に四人囃子のサウンドを彩っていた坂下のキーボード・プレイ。上の動画はアルバム『一触即発』(1974年)収録の「空と雲」。 坂下が弾くローズの音色が心地よく響く。 RIP

私の放浪音楽史 Vol.94 鮎川誠『クール・ソロ』

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1982年2月21日、アルファ・レコードよりリリースのライヴ・アルバム。 以前に少し書いたが、SHEENA & THE ROKKETSのセカンド・アルバム『真空パック』は購入したものの、その頃はテクノ化したロックンロールが理解できず。借りて聴いたその後の2枚、同じ体制で制作された『チャンネル・グー』しかり、YMOを離れミッキー・カーチスのプロデュースで制作された『ピンナップ・ベイビー・ブルース』はテクノ色は払拭されたが、フューチャーされたサックスの音色がややオールドな雰囲気を感じた(今はどのアルバムも抵抗なく聴けるけど)。 鮎川誠ソロ名義の『クール・ソロ』は1982年にリリースされ、すぐに聴いたと思う。混じり気も飾り気も無し、純度100%のロックンロール・アルバムだった。ジャケットは白地にポーズを決める鮎川の姿(フォト by 半沢克夫)と右上に縦書き明朝体で鮎川誠。初の鮎川名義のアルバムとして、そのデザイン(by 原耕一)は名刺代わりのよう。レコードの帯には “ 百万人のロックンロール ”の文字。 このアルバムは、1981年10月17日、日比谷野音でおこなわれたSHEENA & THE ROKKETSの“ピンナップ・ライヴ ”の録音から、鮎川のヴォーカル曲をセレクトして収録したものだ。当日は30曲が演奏され、全曲録音されていたらしいが、シーナが自分のところは嫌だといって、鮎川のところだけ選んでリリースしたという。 収録されているのは下記の9曲で、 1. JUKEBOXER 2. DEAD GUITAR 3. クレイジー・クール・キャット 4. どぶねずみ 5. アイラブユー 6. ビールス・カプセル 7. ブーンブーン 8. GOOD LUCK 9. ぶちこわせ 1〜3、5〜8は『SHEENA & THE ROKKETS #1』、『チャンネル・グー』、『ピンナップ・ベイビー・ブルース』のいずれかで鮎川が歌っていた楽曲。5〜7は『SHEENA & THE ROKKETS #1』で再録されていたサンハウス・ナンバー。6はルースターズが2ndアルバムで取り上げた曲だが、そのころはこの曲のサンハウスによる録音物は無く、サンハウスのオリジナル・メンバー鮎川のVo&G、サンハウス(再結成するまでの)最後期メンバーだったD川嶋一秀、B浅田孟...

RKB毎日放送・ムーブ 2022年第10回『74歳のロックンローラー 鮎川誠』

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鮎川誠、74歳。衰えることのないロックンロール魂。 鮎川がよく言ってたマディ・ウォーターズの「The Blues Had A Baby They Named It Rock And Roll」じゃないが、ブルースの子供ロックンロールもずいぶんと歳をとった。娘のルーシーとステージに立ち、可愛くてとてもしっかりしたお孫さんもいる。黒のレスポールもさらに塗装が剥がれ年季が入ってるな。 上の動画はYouTubeのRKB毎日放送公式チャンネルより、期間限定公開らしい。 以下、RKB毎日放送HPより。 1948年5月2日生まれの鮎川誠は今年74歳になった。 福岡県久留米市で米軍人だった父と母の間に生まれた彼はビートルズでロックに夢中になり、福岡のロックバンドの草分けと言われるサンハウスを経て妻とシーナ&ロケッツを結成し上京。バンドは「ユーメイドリーム」の大ヒットを飛ばし女性ロックボーカルの草分けとして多くの女性を勇気付けた。 しかし2015年、バンドのボーカルにして妻であり3人の娘の母でもあったシーナが亡くなる。 公私にわたるパートナーを失った鮎川だったが、バンドはそれまで以上にライブ活動に力を入れる。「ステージに立つとシーナがそこにいるから」という鮎川を、次女の鮎川純子がマネージャーとして支え、最近では末娘のルーシーがボーカルを務める。 彼を慕う人が多い理由の一つは、その温かい人柄と朴訥とした筑後弁で語られる真摯な言葉だ。 「ガキの頃に出会って夢中になった音楽のそばにずっとおれてよかったし、好きなことを変わらずにできることが嬉しい。これからもそんな俺をシーナに見せていきたい」 74歳になる鮎川誠はどこまでもシンプルでピュアなままだ。そんな音楽漬けの日々と家族との姿を追う。

MODERN DOLLZ『THE UNRELEASED TRACKS vol.3』

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2022年7月13日、HEROESよりリリースのコンピレーション・アルバム。 モダン・ドールズの未発表トラック集の第3集がリリースされた。 第1集 は2016年1月に、 第2集 は2017年12月にリリースされていた。こういった発掘音源はVol.1と銘打ったものの、その後が続かないというイメージがある。第2集から4年半ほど間が空いているが、うれしいリリースだ。 今回のCDでは、Vo佐谷光敏、G松川泰之、D下鳥浩一の他、ギタリストの平山克美が脱退し小峰勇治が加入、ベースは田中宏行が脱退し田浦祐蔵が加入後の1985年2月、7月の録音と、ベースが田浦祐蔵から池田淳一に交代しキーボードに高野尚登が加入した1986年2月の録音を収録している、 ほとんどは1985年7月5日と6日の録音が収録されていて、以前からのレパートリー「ジャスト・ア・ヒーロー」、「インスタント・ラブ」、「浮気なジャングルビート」は1985年メンバーでの録音。  “知らないんだろ? イエロー・ジャーナリズム ”という歌詞が意味深なヨコスカ・ベース・キャンプ・ソングでファンキーな「EXOTIC NOISE」、緊張感のあるアレンジの名曲「ヌーベルバーグにつまづいて」、ファンキーでダンサブルな「去年チェルシーのバーで」、バラードの「YOKOHAMA'S MEMORY」。この4曲は1986年6月にカメレオン・レコードからリリースされるモダン・ドールズ初のアルバム『ドゥ・イマジネイション』収録の楽曲。「去年チェルシーのバーで」と「YOKOHAMA'S MEMORY」の2曲は1986年2月の録音で、アルバム『ドゥ・イマジネイション』と同じテイクという気がする…。「EXOTIC NOISE」と「ヌーベルバーグにつまづいて」はアルバム『ドゥ・イマジネイション』とはメンバーが違う1985年7月の録音。 ポリス〜エルヴィス・コステロな雰囲気の「S.O.S」、ベース田浦の作曲によるクールなビート・ナンバー「カルチャー・クライシス」、ハートブレイク・ソングだけど軽快な「フライト505」、メロウなラヴ・ソング「ブールバードに車を停めて」、謎めいた歌詞の「ハムレットが消えた夜」、ロカビリーな「ニュー・エイジ・シンドローム」、ダンサブルなアレンジの「消えたシューティング・スター」、ややサイコビリーな雰囲気の「サイレント・...

私の放浪音楽史 Vol.93 ARB『トラブル中毒』

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1983年4月21日、ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 1983年4月1日〜3日、新宿ロフトでARB3Daysライヴを終えた後、ギタリストでリーダーの田中一郎がARBから脱退を表明、このアルバムのレコーディングは1982年12月〜1983年3月におこなわれたと付属リーフレットに記載があるが、このレコーディング時、既にバンド内の雰囲気はとげとげしいものだった、とも言われている。 ARBでは自由に曲作りが出来ない、ベーシストが気に入らない、事務所の体制が嫌だ 、さらに、少し前から石橋凌を通じて活発となっていた “ 役者との付き合いがつらかった ” と田中一郎はARBから離れた理由を説明している。田中一郎の脱退を知ったのはいつだったか覚えていないが、このアルバムがリリースされた時は知らなかったと思うし、そんな内部事情など当時知る由もなかった。凌、一郎、サンジ、キースの4人体制で活動してきたARBのひとつの高み、到達点となったアルバムという感想を持ち、繰り返し聴いたARBの6枚目のスタジオ・アルバム。 強烈に映像を喚起させる酔いどれた男と少年の真昼の邂逅。ひとときのふたりの会話と男の長い過去を捉えた秀逸な歌詞が歌われるパワフルで緊張感を持った石橋凌作詞作曲「Do It! Boy」でアルバムは始まる。ややクラッシュ「This Is Radio Clash」のリズムを思わせるダンサブルな「Give Me A Chance」はパーカッションや女性コーラスもフューチャー。この時期ベトナムなどから小型の船で流れ着いた難民がボート・ピーブルと呼ばれニュースに取り上げられていたが、その難民の心情を優しいメロディとアレンジで歌った「ボート・ピーブル」。 ヘヴィなリズムのブルース「Black Is No.1」。ARBは、さまざまな社会的出来事を歌の中に取り込み、サウンドは基本的にはシンプルなR&R。そのイメージは黒。カラフルなサウンドや浮ついた歌詞とはかけ離れたイメージだ。理不尽な規制からの解放と自由を叫び、社会の不正と不条理、腐敗に実直に抗ったARBの姿勢は、こう言われることも多かったろう、TOO DARK!! アナログ盤だとA面のラストは、サンジの弾くベース・ラインのイントロが印象的な「ピエロ」。幾重にも重ねられたギター、パーカッションと練られたリズム・アレンジ...

ニーナ・アントニア著『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』再刊!

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1988年に日本語版が刊行され、長らく入手困難だったジョニー・サンダースの伝記本、ニーナ・アントニア著『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』が完全版と銘打って待望の再刊! シンコーミュージックから新井崇嗣による新訳で2022年7月15日発売。 以下、 シンコーミュージックのサイト より。 “ ニューヨーク・ドールズ、ハートブレイカーズ、そしてソロで活躍、パンク・ロック前夜から音楽シーンに絶大な影響を与え続けた孤高のギタリスト、ジョニー・サンダース。日本では長らく絶版だった伝記が、新たに日本版のみのテキストも追加した新訳・完全版で復活!! 公私ともにジョニー・サンダースと親しかった著者が入念に取材、ジョニー伝の決定版としてファンに愛されてきた『イン・コールド・ブラッド』。その改訂・最新版を、ジョニー生誕70年の節目に新訳で日本発売。日本版のみ、著者が過去に執筆したジョニー関連アルバムのライナーノーツと、今年取材した著者のインタビューを巻末に掲載。“伝説”に翻弄された天才ロッカーの真実を伝える、全ファン必携の1冊です!! ” 右上の写真は1988年版『ジョニー・サンダース イン・コールド・ブラッド』。邦訳は鳥井賀句だった。 ニューヨーク・ドールズのベスト盤『NIGHT OF THE LIVING DOLLS』と一緒に撮ってみた。

私の放浪音楽史 Vol.92 THE ROOSTERZ『COLLECTION 1980-1984』

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1985年7月21日、日本コロムビアよりリリースのベスト・アルバム。 ザ・ルースターズのヴォーカリストが花田裕之になった最初の音盤『SOS』とまったく同じ日にリリースされたルースターズ初のベスト盤。デビュー・シングル「ロージー」から1984年初めにリリースされたシングル「サッド・ソング」までが収録され、1985年初頭にルースターズを脱退したヴォーカリスト大江慎也在籍時の7インチ・シングルを総括するアルバムとなったが、突然の脱退による大江不在にとまどい、立ち上がったばかりの花田ルースターズを見守ろうとする当時のファンにとっては、なんとも複雑な気持ちにさせるリリースだった。 ザ・ルースターズが1980年から1984年にリリースした7インチ・シングルは下記の7枚。 1980年11月1日リリース「ロージー c/w 恋をしようよ」 1981年2月1日リリース「どうしようもない恋の唄 c/w ヘイ・ガール」 1981年5月1日リリース「One More Kiss c/w DISSATISFACTION」 1981年7月1日リリース「GIRL FRIEND c/w WIPE OUT〜TELSTAR」 1982年3月1日リリース「レッツ・ロック c/w ゲット・エヴリシング」 1983年10月21日リリース「THE AIR c/w DESIRE」 1984年1月1日リリース「SAD SONG (Winter Version) c/w HEART'S EDGE (Remix Version)」 この中から「DESIRE」と「HEART'S EDGE (Remix Version)」の2曲を除き、年代順に「DISSATISFACTION」までをA面に、「GIRL FRIEND」からをB面に収録し、「どうしようもない恋の唄」と「ヘイ・ガール」の間に当時未発表だった「LEATHER BOOTS」を収録した13曲の“ルースターズ・ベスト・シングルス”。 このベスト盤が出た当時「THE AIR」と「SAD SONG (Winter Version)」はまだ売っていたと思うが「レッツ・ロック」までは廃盤で入手困難。アルバム・ヴァージョンと比べると入念に編集されたデビュー・シングルの「ロージー」、エンディングがフェイド・アウトの「One More Kiss」、アルバム未収録でポップ...

BRUTUS No.964 「TATSURO'S MUSIC BOOK・山下達郎の音楽履歴書」

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2022年6月15日発売の雑誌ブルータス No.964は、新譜『SOFTLY』がリリースされる山下達郎特集。ブルータスで山下達郎特集というとサンソン25周年記念の2018年2月発売No.863以来だ(4年も前か… )。前回の特集は解説も細かな誌上サンソンだったが、今回の特集はクリス松村と達郎のロング対談を中心に、大貫妙子、細野晴臣、矢野顕子、林哲司、といった人々や、竹内まりやからの証言で振り返る山下達郎の音楽活動履歴、ジャケット・アート・ヒストリー、山下達郎全仕事リスト、さらに田島貴男、曽我部恵一、横山剣等による新譜『SOFTLY』楽曲解説、と私のようなコアな達郎ファンでなくても読みやすい内容。アーティスト写真も大きく掲載されていて良いね。 クリスとの対談の中で、ミュージシャンが亡くなった後にリリースされる未発表音源に関する、達郎のアーティストとしてはっきりした発言もある。 新譜『SOFTLY』のジャケットは、達郎自身が漫画家のヤマザキマリに依頼して描いてもらった肖像画を使用。私的にはなんとなく海外ドラマ『ツイン・ピークス The Return』(第3シーズン)に登場するクーパー捜査官(カイル・マクラクラン)みたいだなーと思っていたんだけど、印象変わった。

Arthur Rimbaud「Le Mal」(アルチュール・ランボー「戦渦」・堀口大學訳)

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言語道断な狂気沙汰のおかげで 幾十万の兵が、見るまに屍の山と変ってゆきつつあるというのに、 ___大自然よ、哀れじゃないか、夏草に埋もれ、 お前の歓喜のさなかに、死んでゆく者どもが、 お前はあれほど聖らなものに、人間を造っておいたのに!___ 『ランボー詩集』(新潮文庫)「戦渦」より抜粋

Les Rallizes Dénudés オリジナル・アルバム 3タイトル再リリース

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裸のラリーズのオリジナル・アルバム 『'67-'69 Studio et Live』 『Mizutani』 『'77 Live』 いずれも1991年にCDリリースされ長らく入手困難であったが、 オフシャルHP によると、 2022年晩秋、タフビーツから再発されるようだ。アナログ盤なのかな…。 上の画像はオフシャルから拝借した。