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MODERN DOLLZ「時代は変わる」

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2017年12月25日、HEROESよりリリースのアルバム『THE UNRELEASED TRACKS vol.2』より。 モダン・ドールズの未発表トラック集の第2集がリリースされた。 第1集からほぼ2年振りのリリースだ。前回が1981年11月~1983年10月までの録音を集めたものだったので、今回はその続き、CDには1983年11月~1984年8月までの録音(ライヴ録音を含む)が集められ20曲を収録、DVDには1984年のミュージック・ヴィデオや1984年に行われた4ヶ所のライヴから選ばれた映像35曲を収録した2枚組、全55曲のボリュームだ。メンバーはドラムが倉井から下鳥にかわり、Vo佐谷、G松川、G平山、B田中、D下鳥というラインナップとなっている。 1984年4月にはバンドしてピクチャー・ソノシートに続く音源となるカセット・テープ『robber & lover』をリリース(今回の『THE UNRELEASED TRACKS vol.2』のジャケットは、このカセットのジャケットを模したものになっている)、4月26日には天神のビブレホールでワンマン・コンサート、5月からは広島・神戸・大阪・名古屋・東京へのツアー、8月10日には都久志会館で“CHANGES”と銘打ったコンサートを行うなど、バンドとしてひとつのピークに達した1984年の記録だ。 取り上げたのはCDの1曲目に収録されている「時代は変わる」。 曲の副題に~Changes~とあり、それは8月10日の都久志会館のライヴのタイトルにもなっている (DVDにはこの日のライヴが7曲収録されているが映像は6曲で「時代が変わる」は静止画)。自分が変えようとしている古い世代の感覚、古きモラル、因習といったものと、否応なく変わり続ける時代を見据え、飽くまでもモダンにこだわり、若者に自分の心の変革を促す。 ギターのオクターブ奏法が特徴のエネルギッシュなナンバーだ。  “とにかく とにかく時代は変わる  さあ走れ バスが今を乗せて過去へと走り出す  バスが今を乗せて過去へと走り出す前に  Change Own Mind ” 親の世代とのギャップ、自分達の考える音楽業界とのギャップを感じ、その葛藤を表わした曲でもある。  “親と呼ばれる者よ 分かったふりはやめる事さ  若い冒険旅行はあんたの手におえる相...

ANGEL'IN HEAVY SYRUP「君に」

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2017年11月15日、テイチクエンタテイメントよりリリースのライヴ・アルバム『Dreamy Live -Unreleased Live Album-』より。 エンジェリン・ヘヴィ・シロップ初のライヴ・アルバムがリリースされた。 1989年結成~2000年バンド消滅の間に4枚のスタジオ・アルバムをリリース、いくつかのコンピレーションに参加、と決して多くはない作品数ながら、濃密な内容を作り出していた彼女達の実像をさらに補完する意味でも、このライヴ作品のリリースは意味深いものだと思う。リリースされたライヴ・アルバムには下記の9曲が収録されている。 1.Breath of Life 2.Thirsty Land 3.Naked Sky High 4.Crazy Blues 5.君に 6.Water Mind 7.Breath of Life 8.君に 9.My Dream(Bonus Track) 1~5が1994年9月10日、大阪・難波ベアーズでのライヴで3rdアルバム録音中の時期にあたる。 6~8が、その3rdアルバムをリリース後しばらくしての1995年9月22日、同じく大阪・難波ベアーズでのライヴ。 9が1993年9月3日、ロスアンジェルス・バークレイのLarry's Blakeにおけるライヴだ。 ボーナストラック扱いの9曲目がおそらくオーディエンス録音のカセットテープをマスターとしているらしく音質が劣るが、1~8はライン録音されたものをマスターとしていると思われ、発掘音源としてはまぁまぁ良好と言っていいだろう。 今回紹介する「君に」は、4枚目のスタジオ・アルバム収録曲だが、4thアルバムは1999年10月のリリースだから、その5年も前、1994年9月の時点でライヴ演奏されていた。それに4thアルバムはドラムがオタニナオコにチェンジしているから、タカハラトモコのドラム演奏による同曲は初出ということになる。 スタジオ・ヴァージョンでは冒頭からダイナミックなアレンジだが、このライヴ・ヴァージョンではブルースがかったギター・フレーズがイントロに少し入り、徐々に盛り上げてダイナミズムを作り上げていくアレンジ。この曲は1994年と1995年の2回分が収録されているが、1994年のライヴがやや不安定な歌と演奏なのに対し、1995年のライヴではしっかりと安定した演奏で、ド...

THE ROLLING STONES「COME ON」

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2017年12月1日リリース、『オン・エア ~2CDデラックス限定盤~』より。 ザ・ローリング・ストーンズがBBC(British Broadcasting Corporation:英国放送協会)に残した音源が初めて公式リリースされた。 ストーンズ最初のBBC音源は1963年だから、なんと54年前だ。ビートルズ(1994年)、ゼップ(1997年)、スモール・フェイセス(1999年)、フー(2000年)、ボウイ(2000年)等々のBBC音源がリリースされていたこと思えば随分と待たされたな、という感じ。 とはいっても、これまでストーンズのBBC音源はブートで接していたファンも多いと思うが、 私が愛聴していたのは『GET SATISFACTION…IF YOU WANT!(The Best of BBC Radio Recordings 1963-65)』と題された、Swingin' Pigから出てたブートだった。確かアナログ盤を友人のKBちゃんに借りたと記憶しているが、Discogsで調べてみるとリリースは1988年、2枚組のLPだったんだな。ブートとは言え放送音源だからクリアな音質で聴ける初期ストーンズのソリッドなライヴは新鮮でかっこよかった。それをカセットに録音して随分愛聴したなぁ。パソコンを買ってからはカセットからCD-Rに録音して部屋で聴いたり、iPodに入れて車で聴いたり、数年前にこのブートのCD盤を見つけて購入(やれやれこれでカセットとCD-Rは不要になるな)と、お気に入りのブート盤だった。ジャケットもいいしね。今回の公式盤のジャケよりもよっぽど良いと思うんだけど。ブート盤『GET SATISFACTION…』はインタビューを除くと18曲入りで8曲はBBCのテレビ番組からの音源だったけど、今回の公式盤は全てBBCラジオで放送された音源からで、デラックス盤はCD2枚全32曲が収録されている。もっともCDの収録時間を考えるともうちょっと曲数増やしてもよかったんじゃないかっていう気はする。 収録曲は初期のストーンズらしい、チャック・ベリーやボ・ディドリー、マディ・ウォーターズ等のカヴァー曲がずらりと並ぶが、今回紹介するのはストーンズのデビュー・シングル曲でもある「Come On」。 チャック・ベリーの「Come On」をデビュー・シングルに選曲したのはスト...

THE SMITHS「I KNOW IT'S OVER」

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2017年10月25日リリース、『ザ・クイーン・イズ・デッド~デラックス・エディション』より。 ザ・スミスの1986年6月にリリースした3枚目のオリジナル・アルバム『ザ・クイーン・イズ・デッド』が3枚のCD(日本盤はSHM-CD)、1枚のDVDというデラックス仕様でリリースされた。オリジナルに加えて収録曲の別ヴァージョン、ライヴ・ヴァージョン、映像と多角的に『ザ・クイーン・イズ・デッド』を堪能出来るデラックス版だ。 CD1はオリジナル『ザ・クイーン・イズ・デッド』の2017年最新リマスターで、マスタリングはダン・ハーシュとビル・イングロットのコンビによる。 CD2は“アディショナル・レコーディング”と題された『ザ・クイーン・イズ・デッド』収録曲のデモ、別ヴァージョン、シングルB面曲を集めたもの。 CD3は“ライヴ・イン・ボストン”と題されたザ・スミスにとって2回目の北米ツアー中の1986年8月5日、マサチューセッツ州マンスフィールドにあるグレート・ウッズ・センター・フォー・パフォーミング・アーツ(現在はエクスフィニティ・センター)で行われたライヴを収録。 当日は19曲が演奏されているがCDに収録されたのは13曲。このパッケージのどこにもクレジットがないが、クレイグ・ギャノンが参加していた5人態勢での演奏だ。クレイグ・ギャノンはザ・ブルーベルズやアズテック・カメラに一時期在籍していたギタリストだが、『ザ・クイーン・イズ・デッド』リリース直前にドラッグ依存でバンドを解雇されたアンディ・ルークの代わりにベーシストとしてザ・スミスに加入、アンディがすぐに戻ってきたためセカンド・ギタリストとしてバンドに参加した。 既に1988年にリリースされている1986年10月23日のライヴを収録したライヴ・アルバム『ランク』に比べ 今回の『ライヴ・イン・ボストン』は各楽器・ヴォーカルともセンターにまとめて配置されているので楽器のセパレーションが今一つ、そのせいか「How Soon Is Now?」、「The Queen Is Dead」、「Rubber Ring/What She Saidメドレー」といった曲では2本のギターを活かした演奏を聴かせるが、その他のシンプルでジャングリーな曲ではクレイグが参加した効果があまり確認できない。まぁもともとギターのアンサンブルはあまり考えられていない...

ジョニー・マー著・丸山京子訳『ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽』

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2017年9月出版、原題:“SET THE BOY FREE”。 ジョニー・マーの自伝が出版された。原書は2016年11月に出版されていたようだが邦訳版はシンコーミュージックからで、日本語訳はザ・スミスのヒストリー本『モリッシー&マー・茨の同盟』も訳していた丸山京子によるもの。 ジョニー・マーは1963年10月31日マンチェスター生まれ。5歳で小さな木製のギターを手にして以来、ジョニー・マーの傍らにはギターがずっとあった。飽くなきギター・テクニックの研究とギター・サウンドの実験。ブルース、フォーク、カントリー、ロカビリーから60年代ガール・ポップ、ソウル、ファンク、グラム、 ストーンズ、ロリー・ギャラガー、Tレックス、イギー・ポップ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、バズコックス等のパンク…とあらゆるギタースタイルを吸収していった。そして自らにとって最高のバンドを結成するためのシンガー探し、モリッシー宅訪問からザ・スミス結成。 ザ・スミスはリアルタイムで聴いていたバンドだから、やはりスミス結成から飛躍的な活躍を経てスミスの解散までが一番興味深い箇所だが、 そのあたりはこの本の概ね三分の一程の分量。 スミスの後、トーキング・ヘッズやプリテンダーズとの仕事、マット・ジョンソンとのザ・ザ、 ニューオーダーのバーナード・サムナーとのエレクトロニック(私がジョニー・マーを追いかけていたのはこの頃までだった)。その後、自らのバンド、ヒーラーズや、モデスト・マウス、ザ・クリプスへの参加、そしてソロ・アーティストとしての活動開始、アルバム『プレイランド』リリース後のツアーまで、ギターをその両腕に抱き歩んだ長い長い道のりを振り返る。 新旧ミュージシャンとの交流も多く紹介されているが、ブレイク以前のオアシスのノエル・ギャラガーとのギターをめぐるエピソードがいい。デニス・ホッパー監督の映画サントラ制作でのホッパーとのやりとりも笑える。キャメロン首相のスミス好き発言に反応するマーのエピソードも興味深い(このあたりに関連するザ・スミスのTシャツを着た女性が機動隊に立ち向かう姿を捉えたカラー写真も巻頭に掲載されている)。 プライヴェートな部分にも多く触れており、マーの家族や親戚、恋人から伴侶となるアンジー、二人の子供達、友人達(そのなかにはスミスのベーシストのアンディ・ルークも含まれ...

私の放浪音楽史 Vol.79 THE ROOSTERS『DIS.』

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1983年10月21日、日本コロムビアよりリリース。 ザ・ルースターズ、4作目のアルバム。 『DIS.』については こちら(2001年1月の古い記事だけど)でも書いたので、繰り返しになるところもあるが補足的に紹介。 1983年6月、来日したイギー・ポップのフロントアクトとして行ったライヴ・ツアーを最後にドラムの池畑潤二がルースターズを脱退。 確かに池畑の脱退のニュースは驚きだった。井上・池畑による鉄壁の、日本のロックバンドとしては最強のビートとグルーヴを生み出してきたリズム隊から、ドラマーが欠けてしまうとは…。当時の雑誌では、実家の稼業の事情で九州へ戻るためバンドを脱退すると書かれていたが、後々のインタビューで池畑は “ずっと4人でやってきてて、それが崩れてゆくことへの恐怖感が途中から常に付きまとうようになっていた” と当時の池畑にかかっていた重圧について語り、そこから“もしかしたら逃げ出したかったのかもしれない”と心情を語っている。 フロントマンであり作詞作曲も手掛ける大江慎也の健康状態は否応なくルースターズというバンド活動に影響を及ぼしていた。大江とは薔薇族(1976年)~人間クラブ~ルースターズと長くバンド活動を共にしてきた池畑。なんとかバンドを維持しようという責任感が強くあっただろうことは想像に難くない。病を抱えた当時の大江を池畑が支えていた部分が強くあった、と花田もインタビューで語っている(Rockin'on Japan vol.36 1990)ことから、様々な調整役として動いていくことに池畑が疲れてしまった結果、バンドを離れたとも想像できる。 それにしても実家の仕事をする為の脱退という記事を読んで、あんな才能と技術のある人がドラムスティックを置くんか…と思ったものだが、翌1984年4月には九州でレッドスティック&スペクターを結成、バンド活動を再開している。 池畑最後のツアーになったイギー・ポップのフロントアクトでは、大江の復帰直後だったこともあり、花田が歌う「Drive All Night」や「Bad Dreams」、ロキシー・ミュージックのインスト・ナンバーのカヴァー「The Numberer」を演奏するなどヴォーカリストの負担を軽減する選曲だったようだ。大江も参加して「Case of Insanity」、「ニュールンベルグ」、「C.M.C」を...

「小室等の新音楽夜話」予告・No.167 ゲスト・パンタ

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“音楽夜話”だけど現在は土曜の朝に放送している、TOKYO MX『小室等の新音楽夜話』。2017年8月19日のゲストはパンタ。 ライヴ演奏は「さようなら世界夫人」と「時代はサーカスの象にのって」。小室等とパンタのセッション!今まであったのかな? 

サンハウス「LOCO MOTION」

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2017年6月20日、HOUSE HEADS RECORDよりリリースのライヴ・アルバム『SON HOUSE SHOW 1973.3.12』より。 1973年3月12日、福岡市の明治生命ホールでおこなわれたサンハウス初のワンマン・コンサートの模様を収録した2枚組CDがリリースされた。メンバーは柴山、鮎川、篠山、ドラム浦田賢一のオリジナル・メンバーに、ベースは浜田卓から奈良敏博に変わって数ヶ月過ぎたという時期のもの。 オープニングSEや途中のMCも含め2時間余り、ブルースのカヴァーを序盤に、当時曲数の増えていったオリジナル曲を中盤にたっぷり、終盤はロイド・プライス「Lawdy Miss Clawdy」、 ジョニー ・ティロットソン「Cutie Pie」、ファッツ・ドミノで知られている「Bluebelly Hill」、 リトル・エヴァ「Loco Motion」、ラストはおなじみチャック・ベリーの「Johnny B.Goode」とロックン・ロール、オールディーズのカヴァーで盛り上げている。このオールディーズ・カヴァーはサンハウスのメンバー達がオリジナル曲やブルースのカヴァーを始める以前、ダンスホールや米軍キャンプでライヴ演奏していた曲達なのではないかと想像するが…。 サンハウスのオールディーズ・ポップスの演奏は珍しいと思って取り上げてみたのは「Loco Motion」。 ゲリー・ゴフィン/キャロル・キング作でリトル・エヴァによる1962年のオリジナルは全米1位のヒットとなった。日本では伊藤ゆかりの日本語カヴァーでも知られている。 サンハウスのカヴァーは普段聴きなれてる歌唱からすると、やや違和感がある投げやりな柴山のヴォーカルだが、曲調からなんだか可愛らしくも感じる。ただこの曲の訳詞を調べてみるとドゥ・ザ・ブランニュー・ダンスで、それも“A chug-a chug-a motion like a railroad train”なダンスってことで、 なかなかサンハウス向きかなとも思えてくる。 タイトなドラムと鮎川のギターソロも印象的。コーラスも…まぁ決まっているか…。 「Loco Motion」演奏前に柴山が“参加したい人ステージに上がって”と繰り返し呼びかけているが、CD付属の解説書によればこの曲のコーラスには若きシーナも参加しているということだ(1973年3月というとシー...

追悼・逸見泰成 アナーキー「心の銃」

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R.I.P.マリ。

小森みちこ「鏡の中の水平線」

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2017年4月26日、クリンク・レコード/徳間ジャパンよりリイシューのアルバム『REMEMBER』より。 パンタ(中村治雄)がプロデュースした小森みちこのアルバムが初CD化された。 小森みちこは、1978年~1981年にかけて活躍した3人組アイドル・グループのトライアングル(キャンディーズ・ジュニアから改名)の元メンバー。当時は本名の森光子という名前で愛称はミッチ。1981年1月にトライアングルは解散、森光子は小森みちこと名前を変えて、1982年10月公開のにっかつ映画『あんねの子守歌』、1983年3月公開の『あんねの日記』に主演している。1983年4月25日にシングル「リメンバー c/w 鏡の中の水平線」でソロ・レコード・デビュー。A面の「リメンバー」は映画『あんねの日記』の挿入歌でもあった。1983年5月25日には先のシングル両面曲を含むアルバム『REMEMBER』がジャパン・レコードよりリリースされた。 アルバムのプロデュースはパンタこと中村治雄。パンタはアルバム11曲中、語りの「ひとり遊び」と「めざめ」を除く9曲を作曲(「めざめ」は編曲でクレジットされている)、パンタ作詞はシングル曲だった「リメンバー」と「鏡の中の水平線」の2曲で、他の作詞は佐藤奈々子、篠塚満由美、高橋修、よこすか未美、青木茗。レコーディング・プレイヤーはパンタのスウィート路線のレコーディングやライヴで関係の深かったT-BIRD、アディショナル・プレイヤーとして元PANTA&HALの平井光一、浜田文夫、中谷宏道、この後パンタ・バンドに参加する鈴木匠、等が参加するなど、パンタ人脈が活用されている。編曲は平井光一の他、元・美乃家セントラル・ステイションのメンバーだった小田健二郎、式部聡志がクレジットされている。 当時も今も元アイドルでハダカ路線へ、というのはよくある事だが、映画公開当時は結構話題になったのではないかな。私のまわりではパンタ・プロデュースでその存在を認識されていた小森みちこだけど。たぶん貸しレコードで借りたのか、パンタ好きのHS君に借りたのか。確かテープに録音したはずだが、大量にあったカセット・テープは殆ど処分してしまったからね。時々中古レコードを見かけたが、購入するまではいかなかった。だけど三十数年振りの初CD化、久しぶりに聴いてみたいなと思って購入。 ボーナストラック2...

私の放浪音楽史 Vol.78 PANTA『SALVAGE』

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1983年9月21日 ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 『KISS』、『唇にスパーク』と続いたパンタのスウィート路線は、3作目としてアダモの「ブルージーンと革ジャンパー」やザ・ドアーズの「ラヴ・ストリート」等のカヴァー集が計画されていたが、この路線にパンタ自身が飽きてしまう。1983年の流行語として軽薄短小という言葉があったり(まぁこの時期コンパクト・ディスク登場のように何事も小型軽量薄型がもてはやされる)、ネアカというキーワードもあり、パンタとしては“何かを真剣に考えたり、思い悩んだりすることが世の中から排除されている”ことへの反発という気持ちが当時あったようだ。パンタだってスウィート路線で明るく軽ーいサウンドメイクに挑戦していたはずだが、その反動で今度は重厚長大なロック・アルバムを作ろうという事になった。 バンドはスウィート路線でライヴのバックを務めていたバンドT-BIRDから引き続きキーボードの中山努、HALでベースを弾いていた中谷宏道、中谷の知り合いだったドラムの西山嘉治、ギターはスウィート路線のライヴでもギターを弾いていたデューセンバーグの鈴木匠というメンツになった。パンタとバンドは1983年5月に東大五月祭で初ステージ後、6月~7月にかけてすぐさまレコーディングに入り、完成したアルバムが『SALVAGE(浚渫)』だ。ジャケットは久々にパンタのポートレイトが使われず(頭脳警察の『誕生』以来2度目となる)、鷲がモチーフに使われた(パンタの鷲鼻にかけたといわれている)。 個人的にはリアルタイムとしては初めてのパンタの“ロック”アルバムだし、このアルバムは良く聴いた。西山の豪快なドラムで始まる「429 Street」。昭和天皇の誕生日(今は昭和の日)やシニクがきっかけとしてあるらしい。そうすると昭和街道ぶっとばすぜ的な内容かと言えばなんだかヤンキーな感じがするが、死肉街道ぶっとばすぜ的な内容と言えばパンタの言わんとするニュアンスは伝わるだろうか。 軽薄短小な時代に対するアンチな気持ちを直接的に歌った「BOUFRA(孑孑)」。多彩なリズムの応酬でノリは抜群だ。これ今どこかのガールズ・アイドル・グループが歌ったら面白いと思うんだけど…。これも各楽器イントロの入り方難しいんじゃないか「Desire」はクール/無表情に装う時代にあえて欲望を吐き出せよと...

band HANADA「お天道さま」

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2017年4月1日、HANAYA RECORDSよりリリースのアルバム『ROADSIDE』より。 band HANADAのアルバムがリリースされた。花田裕之は弾き語りスタイルやRock'n' Roll Gypsiesとは別に、2001年頃から井上富雄と椎野恭一とともに花田裕之バンドとして活動を始め、コンスタントにライヴをおこなっていた。2005年頃からはギタリストに大西ツルを迎えバンド表記は“band HANADA”に。band HANADAとしてはライヴ・アルバム『Live Rollin'』を2008年にリリースしているが、スタジオ録音の音源リリースは初めてとなる。 収録曲は7曲、全て花田作の新曲。 1. 遠くまで 2. ガラガラ ゴロゴロ 3. あの頃さ 4. 渡るしか 5. 二人なら 6. お天道さま 7. 根無し草 CDプレイヤーのプレイ・ボタンを押して流れる1曲目「遠くまで」のサウンド、一瞬で傑作とわかるものだ。あくまでも低い井上のベース、独特の湿度感のある椎野のドラム、揺らぎ、浮遊感のある大西と花田のギター・プレイ、枯れた味わいのある花田のヴォーカル、歌われる気怠く投やりな歌詞。 続く「ガラガラ ゴロゴロ」はギター抱えての旅の歌。ロックンロール・ビジネスで時々出会う場面なのかな、欲の皮とツラの皮の厚い人達が登場する。“シラフじゃやってられない”って歌う花田がいい。こういうタイプも時々作っているなぁ、昔を懐かしむ「あの頃さ」。 “この世の甘い汁の上澄み食って生きてるオレ達”ってフレーズにドキリとする「渡るしか」。こんなラヴ・ソングがアルバムに一緒に入ってるのが素敵だなと思う「二人なら」。これからも流れ続けると歌う「根無し草」。 と、全曲いいんだけど、1曲選んだのは「お天道さま」。 生身の肌の温もりと生きている実感を感じさせてくれる曲だ。無理のない歌詞とメロディ。花田裕之にしか生み出せない歌。  “流れてるのか流されているのか  オレにはもうわからない  でも本当はそんなことどうでもいいのさ  お天道さまを拝めれば今日も” 花田が “ハイウェイを降り” たのは、ソロになってリリースを続けていた東芝EMIを離れ、リスぺクタブル・ルースターズ・トリビュート盤の盛り上がりも一息ついた2000年頃と思う。ひとり弾き語りのライヴを始め、その身軽...

じゃじゅうか「Why…!?」

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2017年3月15日、LABORATORY RECORDSよりリリースのアルバム『じゃじゅうか』より。 前作リリースから約2年半ぶりの新作。ヴォーカル&ギター・ヒノケン、ドラム・マルに、日本脳炎の元メンバー、ギター・パティ、ベース・130(ヘルプらしい)が加わりメンツは最強に。私的に思うのはROCK'N' ROLL GYPSIES化したな…。バンド名の表記はひらがなの“じゃじゅうか”にあらためられた(ロゴの感じから思うに暗黒大陸じゃがたらの南蛮渡来の影響あり)。予算の関係なのか、プラケースやジャケットもなく、CD収納袋にCDを入れて曲名表記のシールを貼ってあるだけの簡素な作り。作詞作曲者名も、メンバーや録音クレジットも、もちろん歌詞を印刷したカードも付属していない。まぁ大方のインフォメージョンはネットから得られるということか…。私は通販で購入したが思わず購入先にジャケットはないのかと連絡したくなった。うーん、これでいいのかと思ったが、そんな些末な事はCDプレイヤーのプレイ・スイッチを押すまでの事だ。これだよ、これ。パティのポップなギターとヒノケンのブルージーなギターの絡み。キレとパワーのあるリズム隊、ヒノケンのヴォーカルにはロックンロールの魂が宿っている。今回はアルバムということで、これまで発表してきた曲も新たにレコーディングして収録されている。 収録曲は、 1. Howlin' 2. Frustration Army 3. Particular Girl 4. 真夜中のシークレット 5. 100%の退屈 6. Why...!? 7. 僕と悪魔のブルーズ 8. サヨナラベイビー 1はTHE BACILLUS BRAINSのアルバム『祭り囃子が聴こえる』に「Hellhound」として、Jajoukaの1stシングル「Hellhound On My Trail」として収録、Jajoukaの2ndシングルにもボーナストラック収録されていた曲の再録。 4はJajoukaの3rdシングルに収録曲の再録。5は日本脳炎のアルバム『香港カフェ』やTHE BACILLUS BRAINSのアルバム『電撃都市通信』収録曲の再録。7はJajoukaの1stシングルやJajoukaの3rdシングルに収録曲の再録。8はTHE BACILLUS BRAINSのアル...

小沢健二「流動体について」

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2017年2月22日、ユニヴァーサル/ヴァージンよりリリースのシングル「流動体について」より。 小沢健二、19年振りのCDシングル・リリース。テレビ番組出演も多く積極的なプロモーション。 7インチ・シングルサイズのジャケットで限定盤(相当大量に生産してるだろうけど)。そういうことでつい購入。田舎町でもオザケンのシングルは手に入る。でもリリースから1週間くらいたっての入荷だったけど…。 まぁ小沢健二の熱心なリスナーというわけではない。なにしろ友人の彼女がカラオケで歌っていたフリッパーズの「恋とマシンガン」を聴いて、あーフリッパーズ・ギターって面白い曲作ってんだなぁ、という感想から興味が始まっているくらいで。それも1990年代の中頃~後半頃かな? それでフリッパーズ~オザケンのCDを買ったという後追い。ファースト・ソロ『犬は吠えるがキャラバンは進む』にはベースで井上富雄が参加してるしね。2枚目のアルバム『LIFE』と3枚目のアルバム『球体の奏でる音楽」、その時期リリースのシングルが好き。フリッパーズではシングルの「Camera! Camera! Camera!」が良かったなぁ。 今回のシングル「流動体について」、オリコンの週間チャートでは2位を記録するヒット。 皆待ち焦がれていたのかな。やはり19年振りの新曲発売となれば往年のファンも飛びつくし、ニュース番組まで含んだテレビのプロモーションも話題を呼んだしね。大人数アイドルが闊歩する日本のチャートに小沢健二が入ってくるのも痛快というか。久しぶりに聴いたオザケンの歌声は、少し年をとったなぁと思わせるが、それは当たり前のこと。文学的で独特な歌詞は、いまのオザケンのひとつの魅力だろう。 このシングルを買ってから小沢健二のオフィシャル・サイト「ひふみよ」を訪れているのだが、見応えがあるというか読み応えがあるというか、文章、写真、音源、色々と工夫を凝らしたサイトになっていて、ついつい読み過ぎると目がチカチカ。できれば紙で読みたいなぁ、年寄りとしては。まとまった書籍としては出てないのかな。「ひふみよ」に掲載されているいろいろな読み物を読んでいると、オザケンの文才、素晴らしい文章の表現力を感じる此の頃である。 「流動体について」の歌詞の内容はパラレルワールドもの。SFではよく使われるテーマでタイムスリップものでも見受けられる手法だ。間...

ウィルコ・ジョンソン著・石川千晶訳『ウィルコ・ジョンソン自伝 不滅療法』

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2017年2月1日、リットー・ミュージック刊 ウィルコ・ジョンソンの自伝が刊行された。原題は“Don't You Leave Me Here”で、邦題にはドクター・フィールグッドのセカンド・アルバムの邦題をもじって“不滅療法”とタイトルがつけられている。邦訳は石川千晶。 生まれ故郷のイギリス・キャンヴェイ島のエピソードから始まり、ウィンドウ越しのテレキャスターや愛妻アイリーンやリー・“コリンソン”ブリローとの出会い、インド放浪の旅、ドクター・フィールグッドの結成、教職、バンドの人気上昇、アルバム制作のエピソード、フィールグッドとの別れ、ソロ活動、愛妻との死別、自らの癌告知、フェアウェル・ツアー、手術の決意~闘病生活、そしてステージ復活まで。ウィルコ・ジョンソンが自らの人生を振り返った読み応え十分な自伝だ。  全体を通して読みやすく、興味深い内容ばかりだが。特に楽しいのは、やはりフィールグッド結成~人気を獲得していくところや、イアン・デューリーのブロックヘッズに合流したあたりかな。それに何度も来日しているウィルコなだけに日本に関するエピソードも頻繁に登場し、日本に対する思いも温かい。しかし終盤の術後の格闘描写は壮絶というほかない。 写真も豊富に掲載されているが、ステージ写真の他にオフ・ステージ、ウィルコの家族写真も。だけどウィルコの体に刻まれた“メルセデス・マーク”を見るのは痛々しい。天文学好きやサイクリング好きなど趣味のエピソードもあり。 ディスコグラフィやギゴグラフィはないが、ドクター・フィールグッドの1~3枚目まではジャケ写真付きで1ページを使って曲名とパーソネルが紹介されている。 私が生ウィルコを観たのは1991年3月2日のインクスティック鈴江ファクトリー。Ki君のマルニBMWに乗って行ったなぁ。開演前に子供連れの鮎川夫妻が「ハウンドドッグの鮫島はおらんか」みたいな会話をスタッフとしながらこちらに向かってきたときは、鮎川夫妻の迫力にびっくり。ライヴはすげー盛り上がって、ウィルコのギターの弦が切れて張りかえるときのパフォーマンスも可笑しかった。 自伝の中でレコーディング風景が記されているロジャー・ダルトリーとのアルバムは未聴なんで入手するかな。

追悼・CHUCK BERRY「BYE BYE JOHNNY」

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1960年7月、CHESSよりリリースのアルバム『Rockin' At The Hops』より。 2017年3月18日、ロックンロールの偉大なパイオニアのひとりであるチャック・ベリーが亡くなった。 私がパンク・ニューウェイヴを盛んに聴いていた1980年代の頃には、ロックンロール・フォーマットの解体なんてお題目で、チャック・ベリー・スタイルのロックンロールを過去の遺物として否定していたものだったが、例えばライヴ・ハウスでルースターズの大江慎也が歌う「Come On」や、鮎川誠が歌う「Around And Around」を間近に見聴きすれば、チャック・ベリーの曲のカッコ良さを感じることが出来た。 そこからストーンズのアルバムを聴いて、さらにチャック・ベリーのオリジナルを聴いて、その偉大さに気付いたんだ。ストレイ・キャッツが演奏する「Beautiful Drlilah」やウィルコ・ジョンソンが歌う「Bye Bye Johnny」なんかも同様にチャック・ベリーを馴染みあるものにしてくれたな。 チャック・ベリーのオリジナル・アルバムでは4枚目となる『Rockin' At The Hops』。 「Bye Bye Johnny」、「Down The Road A Piece」、「Let It Rock」といったストーンズがカヴァーした曲を含むアルバムだ。花田裕之も“オレの100枚”で選んでいたっけ。

『小室等の新音楽夜話』予告・ムッシュかまやつ追悼

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TOKYO MX『小室等の新音楽夜話』で3月1日に亡くなったムッシュかまやつの追悼特集が放送された。 ライヴ演奏は「あの時君は若かった」と、尾崎亜美、小原礼が参加しての「どうにかなるさ」。トーク部分も興味深い。MX1での放送は終了しているが、MX2で2017年3月20日(月)23:30~23:55に再放送がある。

追悼・中西俊夫 TYCOON TOSH feat.MEW

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あれから6年…。 2017年2月25日に亡くなった中西俊夫(Tycoon Tosh名義)がヴォーカロイドを使用して2012年に制作した「WORLD'S END」。坂本美雨の声を使用したヴォーカロイドで制作されている。 もともとは2007年にナチュラル・カラミティのクニ杉本とTycoon Tosh and Kuni Sugimotoとしてリリースした『LET IT DUB』に収録されていた楽曲のリメイクだ。 メロンの「Final News」、ソロワークでの鉛装丁カセットとかチェルノブイリ後にリリースした『Chinasyndrome』と、反核・反原発の立場を明確にしていたミュージシャンでもあった。 この曲にもその願いは込められている。

THE ROOSTERS「GO FUCK」

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2004年9月29日リリースのオフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』より。 1982年12月号の「プレイヤー」誌に掲載された山名昇によるルースターズのレコーディング・レポート。レコーディングは1982年9月30日と10月8日とある。一部引用すると、 “この間、完成されたのは8曲。「ニュールンベルグでささいて」、「撃沈魚雷」、「バリウム・ピルス」、「ロージー」、「ゴー・ファック」、「巡航ミサイル・キャリア」、「ゴミ」、「ニュー・カレドニア」。後半分の4曲は、近い将来、何らかのかたちで発表されることになるだろう”と記載されていた。 前半分の4曲は1982年11月にShan-Shanからリリースされた12インチ『ニュールンベルグでささやいて』収録曲だ。後半分4曲のうち「巡航ミサイル・キャリア」は「C.M.C」に、「ニュー・カレドニア」は「カレドニア」とタイトルを替え、1983年7月に2枚目の12インチ『C.M.C』に収録された(リリースに向けては追加レコーディング作業がおこなわれたと推測する)。「ゴミ」は1984年4月にリリースされたアルバム『グッド・ドリームス』に収録された。こちらはベーシックトラック制作時期1982年9月と記載があるから、追加レコーディングをして完成させたトラックだ。 そして「Go Fuck」だけが発表されず長い年月が過ぎていった…。 なぜこの曲が未発表だったのか明確な説明は無かったと思うが、歌詞の内容がレコード会社側からして発表を躊躇させるものだったのか、それともとりあえず各楽器、歌のテイクはOKとしてレコーディングは終了したものの、リリースにむけて更に手を加える事にバンド側が興味を失い放置してしまったのか。バンド側に無許可で未発表の楽曲をリリースされることもあったルースターズだが、この曲に関しては管理がしっかりされていたのか、アンオフィシャルでのリリースもなかった。機会としてはアルバム『グッド・ドリームス』に収録するのもありだったと思うが…(当時のイメージではなかったかな?)。 そして録音から実に22年の時を経た2004年9月29日、27枚のCD、5枚のDVDからなる32枚組(+特典DVD1枚)オフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』がリリース。その中のCD-27「Rare Studio T...

私の放浪音楽史 Vol.77 THE ROOSTERS『C.M.C』

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1983年7月1日 Shan-Shan/日本コロムビアよりリリース。 ザ・ルースターズ通算5枚目の作品集、12インチ・シングル。 『C.M.C』については前回と同じく こちら(2004年5月の古い記事だけど)でも書いたので、繰り返しになるところもあるが補足的に紹介。 1982年10月、『ニュールンベルグでささやいて』レコーディング終了後、大江慎也の精神状態は“どうにもならない状態”にまで悪化。花田裕之もこの時の事を振り返り語っている。“『ニュールンベルグ~』のジャケット撮影の時とか、かなりキツそうな感じでした。もう、行動がおかしいというか…あの時には本当にヤバいなと” 見かねた大江の母親は息子をレコーディング終了後、九州へ帰郷させ精神科を受診させる。大江はそのまま10月末には入院。『ニュールンベルグでささやいて』リリースにあわせて予定されていたライヴはキャンセルとなった。ライヴの休止と大江の病状を知らせる当時の音楽雑誌には神経性の急性胃炎や急性肝炎で入院と記載されていた。 翌1983年6月14日、新宿ロフトで行われた1984のライヴ。その日アンコールで演奏された「Case of Insanity」で大江がヴォーカルをとりライヴ復帰。続けて来日したイギー・ポップのフロントアクトとしてルースターズは6月19日~21日にライヴを行っている。 スタジオ・レコーディングは1983年5月におこなわれ、新たに「Drive All Night」をレコーディング。 前作『ニュールンベルグ~』収録曲を録音した1982年9月~10月のセッションで残された「C.M.C」と「カレドニア」の2曲にも手を加えていると思われる。さらに1981年12月の新宿ハローホリデーにおけるライヴ・テイクの「Case of Insanity」を加えて、4曲入り・45回転盤『C.M.C』を1983年7月1日にShan-Shanレーベルからリリースする。 ジャケットには鏑木朋音のドローイングによる大江の肖像画。ポップなタイポグラフィが使われ、アート・ディレクションは前作に続いて戸田ツトム(Tztom Toda)が担当した。 前作『ニュールンベルグでささやいて』アナログ盤裏ジャケットの山名昇によるライナー・ノーツには、 ”この12インチ45rpm盤の後、彼等は既に80年代最大のプロテスト・ソングを用意している。さりげ...