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エスケン著『都市から都市、そしてまたアクロバット 回想録1971-1991』

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2018年6月河出書房新社より出版。 S-KENの回想録が刊行された。 個人的には東京ロッカーズ周辺で認識しているエスケンだが、 “エスケン”となる前、田中唯士として活動していた時期も詳しく書かれている。 ちょこっと内容を紹介すると...。 1971年、「自由通りの午後」の作曲者(歌唱はアイジョージ)としてエスケンはポーランドで行われた音楽祭“ ソボト国際音楽フェスティバル ”へ参加する。音楽祭への旅券は音楽祭終了後、どこへ寄って帰国しても良いという地球周遊券だった。エスケンは音楽祭終了後ロンドンから客として来ていた日本人と共にヒッチハイクで東欧のポーランド、チェコスロバキアへ。 厳しい国境検問所を抜けてヒッチハイクを続け西ドイツ、スイス、フランス、イギリスのロンドンへ。ここで相棒と別れエスケンは飛行機でアメリカへ渡り、ニューヨーク、サンフランシスコ、ハワイへと3ヶ月かけて東京へと戻る。 この時の体験がエスケンの “先入観を捨て古今東西の心揺さぶる音楽、アート、文学て徹底して探索する” 考え方のもとになったようだ。 日本に戻ったエスケンはレコード会社の要請でピースシティーというバンドを結成しリードヴォーカルを担当、「しぶう c/w 僕の愛した花」、「自由通りの午後 c/w バラの花のあなたに」の2枚のシングルをリリースしたが短期で解散。その後、月刊音楽雑誌『ライトミュージック』の編集者となり“世界中の音楽や文化全般を一気に吸収”する。そこでも悲喜こもごもあるわけだが、エスケンは編集者の立場を利用しアメリカ特派員という境遇を作り出し、1975年5月ロスアンゼルスへ旅立ち、ロスで暮らしながら当地の音楽状況を取材、1976年にニューヨークへ移り住む。ここではかねてからエスケンの好きだったニューヨークのラテン音楽“サルサ”に酔いしれる。 エスケンがサルサを気に入るきっかけとなったアーティストで、ライヴに何度も足を運んだウィリー・コロンの『LO MATO』(ロ・マト)というアルバムが紹介されているが、後のエスケンのファースト・アルバムのタイトル『魔都』はここから来てるんだろうなぁ…。 しばらくしてエスケンの特派員生活は終わるが、エスケンはニューヨークに留まることを決意する。興味は映画に移って連日映画館通いとなったが、CBGBへいった事をきっかけにして映画浸りの生活も終わりを告...

映画・石井岳龍監督『 パンク侍、斬られて候』

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2018年6月30日、遂に公開された石井岳龍監督最新作『パンク侍、斬られて候』。 町田康の原作小説は文庫化された時に読んで、これが書ける町田康はすげぇ、やっぱり才能ある、それまでの町田康の最高傑作だ!と思ったものだ。なかなかボリュームのある小説だが、これが映画化されるとは(しかも実写で)まったく想像できなかった。 しかし、石井岳龍は2004年に小説が刊行された際に読んで映画化を考え始めたという…恐るべし。だが技術・資金面で企画は難航、頓挫する。時は流れ2015年、石井岳龍監督の『ソレダケ』を観た伊藤和弘プロデューサーの助力もあり再び企画が動き出し、映画化実現へ大きく動き出す。町田康は映画化を快諾、宮藤官九郎が脚本に起用された。最初は2時間尺の配信コンテンツとしてdTVで配信する予定であった企画は全国映画館で公開される映画となった。2016年の冬には初稿が完成し、2017年6月クランクイン、8月末にクランクアップ、ポストプロダクションを経て遂に映画は完成、2018年6月30日公開となった。 これを書いているのは7月1日だが、昨日、地元田舎の映画館で初日初回で観に行きましたよ、 えぇ、なにしろ石井・ex聰亙・岳龍の新作映画を近所で観られるんだから。 で、感想なんだけど、まだ公開されたばかりで内容細かく書くのもつまらんし、後日機会があれば…。 石井監督の持ち味のひとつであるダークな部分は抑えられ、やや脚本の宮藤官九郎側に振れているような気がするが、格闘シーンのスピード感、腹ふり党のモブシーンはさすがの迫力。個人的には納得の出来。 主人公は綾野剛ってことになっているが、登場人物はいずれもクセ者ばかり、豊川悦司(只今朝ドラ出演中)の演技には感嘆するところあり、國村隼しかり、浅野忠信しかり、そして幕暮孫兵衛こと染谷将太が素晴らしい。もう出演者誰もが快演・怪演なのだが、これまた特筆すべきは北川景子の演技で感動ものです。 主題歌はセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」。 なぜ日本の映画のそれも時代劇にこの曲が、と気になる向きもあるとは思う。 かつて原作者の町田康(当時町蔵)が主演し、山本政志が監督した『熊楠』という映画があった。『熊楠』は資金難のため製作が中断し未完となってしまったが、町田が演じた学者、南方熊楠は、古今東西、地域・時代・学問・雑談を分け隔てなく全てを対...

追悼・森田童子「球根栽培の唄」

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1983年11月30日、ワーナー/アトランティックよりリリースのアルバム『狼少年 wolf boy』より。 森田童子の訃報。 4月24日に心不全で死去。65歳だった。 前にも書いたが森田童子の音楽を初めて聴いたのは1983年か1984年頃、大学に通っていたT君が下宿していたアパートだった。友人の何人かで泊まりに行ったのだが、近くの吉野家で牛丼を買って夕飯を済ませ、宮崎駿・作の漫画『風の谷のナウシカ』を読んだりしながら、T君が聴かせてくれたのが森田童子の『マザー・スカイ』だった。青空の下で砕け散る十字架という印象的なジャケット、深く染み入る楽曲、ルックスと歌声のギャップは衝撃だったなぁ。 弱さ、孤独、悲しさ、絶望がそのまま歌になっている。励ましとか希望を歌にしているんじゃない。だけどその言葉が、歌詞が彼女の声によって歌われると仄かな優しさとぬくもりを感じとることができる。結晶化した悲しさを、炭化した絶望を歌っていても森田童子の歌には鎮痛剤のような作用・効能がある。 森田童子は“東京に生まれ学園闘争で高校を中退、1972年友人の死をきっかけに自作の歌を歌い始めた” とロフト創設者の平野悠著『ライヴハウス「ロフト」青春記』に記載されている(出身や歌い始めたきっかけや学生運動の関わりには諸説あるようだ)。そして1975年10月“私にここで歌わせてください”と西荻窪ロフトを訪ねて来たという記述がある。 『ROCK IS LOFT』のスケジュールを見ると西荻の1976年3月~1977年6月までほぼ月いちで森田童子の名前があり、1976年10月に新宿ロフトがオープンしてからは新宿ロフトのスケジュールにも名前が出てくるようになる。途中ライヴ休止時期もあったようだが、1983年12月までロフトの常連だった。ラストライヴは新宿ロフト1983年12月25日、26日の2DAYSだった。引退の告知等何もなかったという。 「球根栽培の唄」は森田童子の1983年リリースのラスト・アルバム『狼少年 wolf boy』に収録されている。オリジナル・アナログ盤には歌詞カードは付属せず、丸尾末広の漫画と森田童子の写真が印刷された2つ折りのリーフレットが封入されていた。1975年リリースのファーストアルバム『グッドバイ』と比べると随分とアレンジも多彩になっている印象のアルバムだ。そんな中でも「球根栽培の唄...

大江慎也「恋をしようよ」

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2018年6月3日、Soapland recordsよりリリースのアルバム『The Music Goes On』より。 大江慎也、久々にソロ名義でのCDリリース。前ソロ作『The Greatest Music』が2006年だから12年振りか…。音源としては、2016年の金原千恵子関連の企画アルバム『WITH』参加、金原千恵子 WITH 大江慎也 塚本功名義の7インチ「Rosie(The Minimalize Remix) c/w Rosie(7inch Mix Version)」リリース以来になる。 “音楽は続く”と題されたアルバムは、花田のCDやDVDのリリースもしているGALLERY SOAPが運営しているSoapland recordsからのリリースで、2018年2月25日、GALLERY SOAPで行われたライヴの模様を収録。ディストーションを効かせたエレクトリック・ギターとヒート・アップした大江のヴォーカルによる弾き語りライヴだ。ギターは出来ればもう少しナチュラルなトーンで聴きたい…全体的に…個人的には…。 「Rosie」、「One More Kiss」、「Case of Insanity」、「Go Fuck」、「Good Dreams」、「Venus」等ルースターズ時代の代表曲の数々に『The Greatest Music』からの「何処に行こうか」、「Go For The Party」、「I Dream」、2012年頃書かれたオリジナル曲「Why Does The Sun(Rough Blues)」、2013年ルースターズの京都のステージでも演奏していたJohn Hiattのカヴァー「Riding With The King」など全16曲を収録している。 ラストに収録されている「恋をしようよ」では、大江が“ここで聴いたことのないブルースを1曲…”と言って演奏を始める。 ルースターズのオリジナルはハイ・スピードのロックンロールだが、ゆっくり、スピードを落としたスロー・ブルースとして歌われているのが新鮮だ。大江のヴォーカルも渋みを感じさせる。だけど、最後は結局スピード・アップして “やりたいだけ!” ジャケット・フォトは大江本人によるもので、なかなか雰囲気のある仕上がり。 2018.6.11追記: ブログ<Let's Go Steady――Jポップス...

Shiggy Jr.「お手上げサイキクス」

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2018年5月23日、ビクターエンタテインメントからリリースのミニ・アルバム『KICK UP!!E.P.』より。 5月のある晴れた日、車のラジオをチューニングしていると耳馴染みのある声が。これはShiggy Jr. 池田の声か...ライヴだな…。 江口ジャケのミニ・アルバム『Listen To The Music』で興味を持って、メジャーのユニバーサルへ移籍後リリースしたシングル「サマータイムラブ」までは購入していたが、続くシングル「GHOST PARTY」を聴いて、曲もだけどジャケットやPVのイメージも含めて個人的にはちょっと違うかな…思って離れてたんだけど、このFMで放送されたライヴ(TOKYO FMのKIRIN BEER "Good Luck" LIVE)はポップな中にもなかなかパワフルなバンド・サウンドもあって、くるりのカヴァー「ばらの花」の演奏あり、新曲あり、このFMライヴ途中から聴いたので帰ってからラジコで最初から聴いたけど(8曲がライヴ演奏された)通してよかった。 で、新しくリリースされるというCDをチェックするとどうやらタワレコだけ、くるりのカヴァー「ばらの花」のCDが特典になってる (さきのFMライヴのなかでも特典の事を言ってた)。 まぁこの齢でおまけ目当てに買うのもどうかと思ったが買いましたよ。タワレコで。Shiggy Jr.のディスクとしては3年振りだ。 このカヴァーは原曲にほぼ忠実なアレンジで、良い出来なのでこの曲を紹介しようと思ったが、やっぱりオリジナル曲をね。 アニメのオープニング曲で“アニメのキャラクターたちを踊らせたい”というスタッフからの要望で出来上がった「お手上げサイキクス」。 メタルコアやプログレバンドをかけ持ちしていたという諸石和馬が叩きまくるドラムが何より爽快でスピード感抜群。絡むベースのフレーズもダイナミックに動き回り、エナジーみなぎるギター炸裂。ヴォーカルの池田はアニメに沿ったフレーズ(全てを操るとか君を支配するとか)をおり込みながらスラップスティックな歌詞を歌う。一度聴いたら“Put your hands up”の部分は覚えてしまうカッ飛びチューン。 “たとえばもし明日が来ないとしたらどうするんだろうって最近ふと思ったんですけど…”で始まるセリフ・パートも意表をついてる。 漫画原作のアニメ『斉木楠雄...

JULEE CRUISE「FLOATING (DEMO) 」

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デイヴィッド・リンチとアンジェロ・バダラメンティと共に制作したジュリー・クルーズのファースト・アルバムに収録されていた、 「Floating」 「Falling」 「The World Spins」 の3曲のデモ・ヴァージョンを収録したアナログ12インチが2018年8月にSacred Bones Recordsからリリースされるとアナウンスが。   12インチはピンク・ヴィニールで1,000枚の限定リリース。これは欲しいなぁ。 「Floating (Demo)」がYouTubeにアップされている。

井上尭之「一人」

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1976年、ATLANTIC/ワーナーよりリリースのアルバム『ウォーター・マインド』より。 花田裕之が2015年にリリースしたDVD『NAGARE KYUSHU 2014』には北九州市、久留米市、熊本八代市、鹿児島出水市へと流れ、ひとりホームで電車を待つシーンや文庫本片手に電車に揺られ移動するドキュメントを挟みながら、小さなライヴ会場で歌う花田の姿が収められている。2014年11月21日北九州市門司PENNY LANEでのライヴでは、 “チュチュチュチュ誰も いない チュチュチュチュひとりだけでただ歩く” という印象的なフレーズの曲が歌われていた。 クレジットを見ると「一人」という曲で、作詞:岸部修三、作曲:井上尭之とある。調べてみたら井上尭之がリリースしたアルバム『ウォーター・マインド』に収録されている曲だとわかった。筋肉骸骨腕ジャケットが印象的な『ウォーター・マインド』というアルバムは何度かアナログの中古を見かけて手に取ったことはある。井上尭之と言えば「傷だらけの天使」のテーマや「太陽にほえろ!」のテーマ曲演奏なんかで名前を知っていたから、内容はインストっていうか劇伴なんだろうな、と思いこんでいて購入することはなかったのだが、実際は1曲(ラストの「さよならログ・キャビン」)を除き井上尭之のヴォーカル入り、歌ものアルバムだ。 それにこの「一人」という曲、ドラマ『傷だらけの天使』の挿入歌としても使われていた。『傷だらけの天使』の本放送は1974年~1975年だが私はリアルタイムでは見てない。まだ小学生だったからね。再放送は何度か見たなぁ。特にオープニングの映像に影響された。あれ見てトマトに塩かけて丸ごと食べるようになった。腹が減ったら牛乳に丸ごとトマト、それにコンビーフ、魚肉ウィンナー。あと修と亨が住んでいた屋上の部屋、あんな所に住みたいなぁと思ったものだ。 つい先日までTVKで再放送していた『傷だらけの天使』が終了した。 あらためて見ると、ショーケンはアドリブが多いなとか、出演者のセリフと共に白い息が映る事が多く、寒いところで撮影してるんだなぁとか細かいところに気付く。 最終回、修がヌード写真が敷き詰められた部屋で死んでいる亨を見つけるシーンはやはり強烈だった。ラスト、夢の島でドラム缶をのせたボロボロのリヤカーをひくショーケンの姿はやはり圧倒的に迫ってきた。そのド...

JEFF BUCKLEY「HALLELUJAH」

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1994年9月8日、Sony Music Entertainmentよりリリースのアルバム『GRACE』より。 これを書いている2018年4月1日、もうすっかり季節は春、私の住む地域ではいつもより早めに満開となった桜もあと数日で散ってしまうだろう。 平昌オリンピックもあったウィンター・スポーツの今シーズンは既に終了。オリンピックはお隣韓国開催で時差が無い分、夜と休日はよく見たなぁ。 今シーズンのフィギュア・スケートもグランプリシリーズ、全日本、四大陸選手権、オリンピック、世界選手権とテレビ放送があれば見てた。オリンピック出場権を手に入れたいという緊張感、怪我からの復活、世代交代など男女とも色々話題があったシーズンだった。個人的には宮原知子の怪我からの復活、全日本優勝、オリンピック出場、世界選手権で銅メダルが嬉しかった。フィギュア・スケートでは数年前から演技に使用する曲に、歌詞付き(ヴォーカル入り)の曲が使用できるようになって、今シーズンは多くのスケーターがヴォーカル入りの曲を使用していた。今シーズン幾つかの国際大会を見ていてパトリック・チャンのフリーの演技に使われている曲が気になった。 アイス・スケートリンクに静かに響き渡るエレクトリック・ギターのテンションを感じさせる爪弾き、リヴァーブの効いたカッティングを折り込んで、囁くように歌が始まる。弾き語りで曲は進み、そして“Hallelujah、Hallelujah”と神を賛美する歌詞が繰り返される。 なんだかデイヴィッド・リンチの映画に使われてもいいような曲だ…ディス・モータル・コイルとかクリス・アイザックとか、そんなアーティストを連想させるムードを持った曲だった。放送では曲のタイトルを「ハレルヤ」と紹介していたから、それでさっそく調べてみた。 レナード・コーエンの曲…使用している演奏はジェフ・バックリィのカヴァー・ヴァージョンなんだ。ジェフ・バックリィ…名前は聞いたことがあるが、ん…このCDジャケットは見た事ある。 新譜で出ていたころ雑誌等では大きく紹介していたんじゃないかな…。確か誰かの息子って扱いで。 まぁ今度中古CDを見に行って忘れずにいたら探してみよう…。 平昌オリンピック終了後しばらくしてジェフ・バックリィのアルバム『グレース』を入手。1994年にリリースされた日本盤CDだ。オープニング「Mojo Pin」...

追悼・NOKIE EDWARDS THE VENTURES「BUMBLE BEE TWIST」

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R.I.P. NOKIE EDWARDS

花田裕之「あの頃さ」

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2017年12月1日、soapland recordsよりリリースのアルバム『NAGARE 2017 at GALLERY SOAP』より。 GALLERY SOAPは1997年5月北九州市小倉北区にオープン。2017年4月からは“GALLERY SOAP 20th ANNIVERSARY”として20周年を記念するさまざまなイベントが開催された。2017年6月18日には“花田裕之アコースティックライブ 流れ”が開催され、この時の模様を収録したCDがリリースされた。 PYGの「花・太陽・雨」、“シーナの曲を…”と言って歌い始めるシーナ&ロケッツの「TRAIN TRAIN」、サンハウスの「魅惑の宵」といったカヴァー、ルースターズのラストアルバムから「LADY COOL」と「鉄橋の下で」、 ロックンロール・ジプシーズが2016年に発表した4作目から「あきれるくらい」と「空っぽの街から」、band HANADAが昨年リリースした『ROADSIDE』から「遠くまで」、「ガラガラ ゴロゴロ」、「あの頃さ」と新旧交えて10曲が収録されている。 取り上げたのは「あの頃さ」。 band HANADAの傑作スタジオアルバム『ROADSIDE』に収録されていた曲の弾き語り。このライヴ・アルバムではラストに収録されている。 バンド・ヴァージョンもいいが、この歌とギターとハーモニカのみのライヴ・ヴァージョンも新鮮な魅力がある。深みを増した歌声、語尾には風景と心情が漂う。 ライヴの収録は6月だが今、冬の終りに聴くとまた味わい深い。  “ガキの頃にはぐれた夢  あの森に探しに行こうか  久しぶりに  冬枯れのあぜ道の上に  置いてきたままの気分のかけらを  忘れることなんて出来ないから  どんなにオレが変わっても 変わらない  どんなにオレが変わっても 変わらない  あの頃さ” 誰の心にも残っている風景の中で感じた気持ちをうまく歌に込めていると思う。 年をとったとしても、この先も変わることのない、あの頃。忘れないからいつでも探しに行けるし、久しぶりでも必ず見つかる。 このライヴでは付け足された歌詞が歌われている。  “どんなにこの世が変わっても  どんなにおまえが変わっても 変わらない  あの頃さ” それに、なんといってもCDジャケットのギルドを抱えた穏やかな表情の花田...

RICHARD HELL & THE VOIDOIDS「BLANK GENERATION」

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2017年11月24日 Sire/Rhinoからリリースの『BLANK GENERATION -40th Anniversary Deluxe Edition』より。 リチャード・ヘル・アンド・ザ・ヴォイドイズが1977年にリリースしたファースト・アルバム『ブランク・ジェネレイション』が、CD2枚組の40周年記念デラックス・エディションとしてリリースされた。CD1枚目にはリマスタリングしたオリジナル・アルバム『ブランク・ジェネレイション』10曲。1990年にリイシューされた時に別ヴァージョンに差し替えられていた「Down At The Rock And Roll Club」はオリジナルLP収録のヴァージョンに戻されている。 CD2枚目は「Love Comes In Spurts」や「Blank Generation」、「Whow Says?」の別ヴァージョンや、エレクトリック・レディ・スタジオで録音されたアウトテイクの「You Gatta Lose」(以前オムニバス『The Sire Machine Turns You Up』に収録されていた)、バンドとしては公式デビュー・ライヴとなる1976年11月16日CBGBでのライヴ2曲、1977年のCBGBでのライヴ、1976年のオークレコード・リリースEPから「Another World」、2000年のオリジナル・ヴォイドイズ復活リリース「Oh」、サイアー・レコードの1977年ラジオ・スポットCMを収録している。 パッケージはデジパックだが、ジャケットはオリジナル・アートワークが使用されて、24ページのブックレットが付属している。ブックレットにはヘルのコメント、ヘルとアイヴァン・ジュリアンの対談、メンバーのレアな写真、「Blank Generation」の草案歌詞が書かれたヘルのノートや、当初計画されていたジャケットもあり興味深い(1990年のCD化の際ブックレットの裏に使用されていた、4人がにらみを利かせている写真がフロントに使われている)。この計画ジャケット(printer's proof for originally planed version of Blank Generation)の曲順は下記の通り。 side one 1.Love Comes In Spurts 2.Liars Beware 3.N...

私の放浪音楽史 Vol.82 ECHO & THE BUNNYMEN『NEVER STOP (DISCOTHEQUE)』

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1983年7月、KOROVAよりリリースの12インチ・シングル。 『Never Stop (Discotheque)』は私が最初に購入したエコー&ザ・バニーメンの12インチ・シングルだったと思う。 友人に見せてもらった今はなき雑誌“DOLL”に掲載されたエコー&ザ・バニーメンのディスコグラフィ。リリースされたばかりだった前回紹介のミニアルバム『Echo and The Bunnymen』までが掲載されていたから、おそらく1983年末か1984年初めころの号だったのだろう。1ページの半分をシングルとアルバムのジャケット写真、残りの半分を黒田義之による文章で、7インチや12インチ、オリジナル・アルバム、オムニバス・アルバムの内容やリリース時期を簡潔だがポイントを押さえて紹介していた。今とは違ってディスクの情報が乏しい時代、オリジナル・アルバムとミニ・アルバム以外は全部輸入盤のみのディスクということもあり、たった1ページのディスコグラフィだが非常に重宝したものだ。このディスコグラフィを読んでバニーズはアルバム未収録の12インチ(の特にB面)を聴かないとダメだなぁ、と思い、ジャケットも綺麗だし手に入れたいと思うようになった。 だけどこの時点で容易に新品で入手できる12インチ・シングルはこの『Never Stop (Discotheque)』だけだったんじゃないかな。たしか池袋のOn Stage Yamano/山野楽器で購入したと思う。まぁ取寄せ注文をしたり中古で高めの値段を出せばこれ以前のシングルも手に入ったと思うが。 「Never Stop (Discotheque)」は前回で紹介したし、アルバム未収録ヴァージョンのカップリング「Heads Will Roll(Summer Version)」と「The Original Cutter-A Drop In The Ocean」の2曲も、前々回のアルバム『ポーキュパイン』の回で紹介したんで省略するが、ロイヤル・アルバート・ホールの写真に着色された花と空の青が美しいジャケットも魅力。 英盤の7インチは「Never Stop c/w Heads Will Roll」のカップリングで、7インチ・ヴァージョンの「Never Stop」とアルバムからの「Heads Will Roll」が収録されていたが、日本盤7インチ(たぶん日本で初...

私の放浪音楽史 Vol.81 ECHO & THE BUNNYMEN『ECHO AND THE BUNNYMEN(ネヴァー・ストップ)』

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1983年12月21日、ワーナー/コロヴァよりリリースのアルバム。 エコー&ザ・バニーメンのミニ・アルバム。バニーズのレコードでは2枚目に購入したと思う。 1983年10月から行われた、日本を含むアジア、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカをまわるワールド・ツアーにあわせて、ツアー先の国々でリリースされた。バニーズは1984年1月に初来日しているが、日本では来日記念盤として1983年12月21日にリリースされている。 メインはA面の1曲目「Never Stop (Discotheque)」で、イギリスでは1983年7月にリリースされたシングル曲の12インチに収録されていた“ディスコティック”ヴァージョン。7インチ収録ヴァージョンより1分ほど長いロング・ヴァージョンになっていて、この12インチ・ヴァージョンのミックスはデイヴィッド・バルフとバニーメンによるもの。 1983年当時、エレクトロ一辺倒のディスコ・ミュージックに対抗する意識もあったのだろうか、チェロなどアコースティックな弦楽器を使用し、弦の響きやピアノ、パーカッションを上手く使ったダンス・ミュージックに仕上げられた、いわばウッド・テイストのディスコ・チューン。 プロデュースはヒュー・ジョーンズ。日本盤帯には英ダンス・フロア・チャートで1位を記録した、とある。「Never Stop」はイギリスのシングル・チャートでは15位を記録した。 「Never Stop (Discotheque)」に続いては、時代をさかのぼり1980年リリースのセカンド・シングル曲でファースト・アルバム『クロコダイルズ』収録曲「Rescue」、それにアルバム『ポーキュパイン』からのシングル曲「The Cutter」でアナログ盤はA面終了。 B面はアルバム『ポーキュパイン』収録のシングル曲「The Back of Love」で始まり、このミニアルバムのもうひとつのハイライト、「Do It Clean」のライヴ・ヴァージョンが2曲目に収録されている。 1983年7月18日、ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールにおけるライヴ・ヴァージョンで、 セカンド・ギタリストやストリングスも参加、後半イアンが即興的に歌うビートルズの「All You Need Is Love」、ジェイムス・ブラウン「Sex Machine」、ナット・キング・コール「...

私の放浪音楽史 Vol.80 ECHO & THE BUNNYMEN『PORCUPINE』

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1983年3月12日、ワーナー/コロヴァよりリリースのアルバム。 エコー&ザ・バニーメンの3枚目のアルバム。私にとっては初めて聴いたバニーズのアルバムだった。この頃のバニーズは音楽雑誌の評論家やミュージシャンの間でも評価が高く(花田裕之も気に入ってるバンドだってインタビューで答えてたし、ゼルダのさちほも1983年のベスト・アルバムに『ポーキュパイン』を選んでた)、中古で売っていたこのアルバムを見つけ購入。たぶん1984年の春頃だったと思う。 まずそのジャケットからしてアーティスティックで、凍り付いた広大な滝を見下ろす場所に佇むバニーメン。アナログのLPジャケットはちょっとした迫力だ。 イントロのヴァイオリンの響きがエキゾティックな印象の1曲目「The Cutter」。 ショットの強烈なピート・デ・フレイタスのドラム、ビートに絡みつくようにグルーヴを生み出すレス・パティンソンのベース、空気を切り裂き・震わせるウィル・サージェントのギター、甘くクールなイアン・マッカロクのヴォーカル。冒頭からバニーズの世界に引き込まれる。「The Cutter」はイギリスでは1983年1月にシングル・リリースされ、バニーズとしては最初のトップ10ヒット(全英8位)となったナンバー。 ヴァイオリンを弾いているのはインド人ヴァイオリニストのシャンカールで、ウィル・サージェントがシャンカールに“キャット・スティーヴンスの「Matthew & Son」のメロディみたいなイントロをつけてくれ”と言ったことから、このヴァイオリンのイントロが加えられたという。もともとのアレンジはイアン曰く“ウィルのスパイキーなギターがグレートなナンバー”で、少しテンポが遅い。(この元のヴァージョンは「The Original Cutter」として1983年7月にイギリスでリリースされた12inchシングル「Never Stop」のカップリングに収録された)。 2曲目「The Back of Love」はイギリスではアルバムに先駆けて1982年5月にシングルリリースされ彼等初のトップ20(全英19位)となったナンバー。もともとは少しスローな曲調で“Taking Advantage”という曲名だった。1982年2月にBBCラジオで放送されたピール・セッションにその曲名での演奏が残されている。 英国人作家ジョン・ウ...

MODERN DOLLZ「時代は変わる」

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2017年12月25日、HEROESよりリリースのアルバム『THE UNRELEASED TRACKS vol.2』より。 モダン・ドールズの未発表トラック集の第2集がリリースされた。 第1集からほぼ2年振りのリリースだ。前回が1981年11月~1983年10月までの録音を集めたものだったので、今回はその続き、CDには1983年11月~1984年8月までの録音(ライヴ録音を含む)が集められ20曲を収録、DVDには1984年のミュージック・ヴィデオや1984年に行われた4ヶ所のライヴから選ばれた映像35曲を収録した2枚組、全55曲のボリュームだ。メンバーはドラムが倉井から下鳥にかわり、Vo佐谷、G松川、G平山、B田中、D下鳥というラインナップとなっている。 1984年4月にはバンドしてピクチャー・ソノシートに続く音源となるカセット・テープ『robber & lover』をリリース(今回の『THE UNRELEASED TRACKS vol.2』のジャケットは、このカセットのジャケットを模したものになっている)、4月26日には天神のビブレホールでワンマン・コンサート、5月からは広島・神戸・大阪・名古屋・東京へのツアー、8月10日には都久志会館で“CHANGES”と銘打ったコンサートを行うなど、バンドとしてひとつのピークに達した1984年の記録だ。 取り上げたのはCDの1曲目に収録されている「時代は変わる」。 曲の副題に~Changes~とあり、それは8月10日の都久志会館のライヴのタイトルにもなっている (DVDにはこの日のライヴが7曲収録されているが映像は6曲で「時代が変わる」は静止画)。自分が変えようとしている古い世代の感覚、古きモラル、因習といったものと、否応なく変わり続ける時代を見据え、飽くまでもモダンにこだわり、若者に自分の心の変革を促す。 ギターのオクターブ奏法が特徴のエネルギッシュなナンバーだ。  “とにかく とにかく時代は変わる  さあ走れ バスが今を乗せて過去へと走り出す  バスが今を乗せて過去へと走り出す前に  Change Own Mind ” 親の世代とのギャップ、自分達の考える音楽業界とのギャップを感じ、その葛藤を表わした曲でもある。  “親と呼ばれる者よ 分かったふりはやめる事さ  若い冒険旅行はあんたの手におえる相...

ANGEL'IN HEAVY SYRUP「君に」

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2017年11月15日、テイチクエンタテイメントよりリリースのライヴ・アルバム『Dreamy Live -Unreleased Live Album-』より。 エンジェリン・ヘヴィ・シロップ初のライヴ・アルバムがリリースされた。 1989年結成~2000年バンド消滅の間に4枚のスタジオ・アルバムをリリース、いくつかのコンピレーションに参加、と決して多くはない作品数ながら、濃密な内容を作り出していた彼女達の実像をさらに補完する意味でも、このライヴ作品のリリースは意味深いものだと思う。リリースされたライヴ・アルバムには下記の9曲が収録されている。 1.Breath of Life 2.Thirsty Land 3.Naked Sky High 4.Crazy Blues 5.君に 6.Water Mind 7.Breath of Life 8.君に 9.My Dream(Bonus Track) 1~5が1994年9月10日、大阪・難波ベアーズでのライヴで3rdアルバム録音中の時期にあたる。 6~8が、その3rdアルバムをリリース後しばらくしての1995年9月22日、同じく大阪・難波ベアーズでのライヴ。 9が1993年9月3日、ロスアンジェルス・バークレイのLarry's Blakeにおけるライヴだ。 ボーナストラック扱いの9曲目がおそらくオーディエンス録音のカセットテープをマスターとしているらしく音質が劣るが、1~8はライン録音されたものをマスターとしていると思われ、発掘音源としてはまぁまぁ良好と言っていいだろう。 今回紹介する「君に」は、4枚目のスタジオ・アルバム収録曲だが、4thアルバムは1999年10月のリリースだから、その5年も前、1994年9月の時点でライヴ演奏されていた。それに4thアルバムはドラムがオタニナオコにチェンジしているから、タカハラトモコのドラム演奏による同曲は初出ということになる。 スタジオ・ヴァージョンでは冒頭からダイナミックなアレンジだが、このライヴ・ヴァージョンではブルースがかったギター・フレーズがイントロに少し入り、徐々に盛り上げてダイナミズムを作り上げていくアレンジ。この曲は1994年と1995年の2回分が収録されているが、1994年のライヴがやや不安定な歌と演奏なのに対し、1995年のライヴではしっかりと安定した演奏で、ド...

THE ROLLING STONES「COME ON」

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2017年12月1日リリース、『オン・エア ~2CDデラックス限定盤~』より。 ザ・ローリング・ストーンズがBBC(British Broadcasting Corporation:英国放送協会)に残した音源が初めて公式リリースされた。 ストーンズ最初のBBC音源は1963年だから、なんと54年前だ。ビートルズ(1994年)、ゼップ(1997年)、スモール・フェイセス(1999年)、フー(2000年)、ボウイ(2000年)等々のBBC音源がリリースされていたこと思えば随分と待たされたな、という感じ。 とはいっても、これまでストーンズのBBC音源はブートで接していたファンも多いと思うが、 私が愛聴していたのは『GET SATISFACTION…IF YOU WANT!(The Best of BBC Radio Recordings 1963-65)』と題された、Swingin' Pigから出てたブートだった。確かアナログ盤を友人のKBちゃんに借りたと記憶しているが、Discogsで調べてみるとリリースは1988年、2枚組のLPだったんだな。ブートとは言え放送音源だからクリアな音質で聴ける初期ストーンズのソリッドなライヴは新鮮でかっこよかった。それをカセットに録音して随分愛聴したなぁ。パソコンを買ってからはカセットからCD-Rに録音して部屋で聴いたり、iPodに入れて車で聴いたり、数年前にこのブートのCD盤を見つけて購入(やれやれこれでカセットとCD-Rは不要になるな)と、お気に入りのブート盤だった。ジャケットもいいしね。今回の公式盤のジャケよりもよっぽど良いと思うんだけど。ブート盤『GET SATISFACTION…』はインタビューを除くと18曲入りで8曲はBBCのテレビ番組からの音源だったけど、今回の公式盤は全てBBCラジオで放送された音源からで、デラックス盤はCD2枚全32曲が収録されている。もっともCDの収録時間を考えるともうちょっと曲数増やしてもよかったんじゃないかっていう気はする。 収録曲は初期のストーンズらしい、チャック・ベリーやボ・ディドリー、マディ・ウォーターズ等のカヴァー曲がずらりと並ぶが、今回紹介するのはストーンズのデビュー・シングル曲でもある「Come On」。 チャック・ベリーの「Come On」をデビュー・シングルに選曲したのはスト...

THE SMITHS「I KNOW IT'S OVER」

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2017年10月25日リリース、『ザ・クイーン・イズ・デッド~デラックス・エディション』より。 ザ・スミスの1986年6月にリリースした3枚目のオリジナル・アルバム『ザ・クイーン・イズ・デッド』が3枚のCD(日本盤はSHM-CD)、1枚のDVDというデラックス仕様でリリースされた。オリジナルに加えて収録曲の別ヴァージョン、ライヴ・ヴァージョン、映像と多角的に『ザ・クイーン・イズ・デッド』を堪能出来るデラックス版だ。 CD1はオリジナル『ザ・クイーン・イズ・デッド』の2017年最新リマスターで、マスタリングはダン・ハーシュとビル・イングロットのコンビによる。 CD2は“アディショナル・レコーディング”と題された『ザ・クイーン・イズ・デッド』収録曲のデモ、別ヴァージョン、シングルB面曲を集めたもの。 CD3は“ライヴ・イン・ボストン”と題されたザ・スミスにとって2回目の北米ツアー中の1986年8月5日、マサチューセッツ州マンスフィールドにあるグレート・ウッズ・センター・フォー・パフォーミング・アーツ(現在はエクスフィニティ・センター)で行われたライヴを収録。 当日は19曲が演奏されているがCDに収録されたのは13曲。このパッケージのどこにもクレジットがないが、クレイグ・ギャノンが参加していた5人態勢での演奏だ。クレイグ・ギャノンはザ・ブルーベルズやアズテック・カメラに一時期在籍していたギタリストだが、『ザ・クイーン・イズ・デッド』リリース直前にドラッグ依存でバンドを解雇されたアンディ・ルークの代わりにベーシストとしてザ・スミスに加入、アンディがすぐに戻ってきたためセカンド・ギタリストとしてバンドに参加した。 既に1988年にリリースされている1986年10月23日のライヴを収録したライヴ・アルバム『ランク』に比べ 今回の『ライヴ・イン・ボストン』は各楽器・ヴォーカルともセンターにまとめて配置されているので楽器のセパレーションが今一つ、そのせいか「How Soon Is Now?」、「The Queen Is Dead」、「Rubber Ring/What She Saidメドレー」といった曲では2本のギターを活かした演奏を聴かせるが、その他のシンプルでジャングリーな曲ではクレイグが参加した効果があまり確認できない。まぁもともとギターのアンサンブルはあまり考えられていない...

ジョニー・マー著・丸山京子訳『ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽』

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2017年9月出版、原題:“SET THE BOY FREE”。 ジョニー・マーの自伝が出版された。原書は2016年11月に出版されていたようだが邦訳版はシンコーミュージックからで、日本語訳はザ・スミスのヒストリー本『モリッシー&マー・茨の同盟』も訳していた丸山京子によるもの。 ジョニー・マーは1963年10月31日マンチェスター生まれ。5歳で小さな木製のギターを手にして以来、ジョニー・マーの傍らにはギターがずっとあった。飽くなきギター・テクニックの研究とギター・サウンドの実験。ブルース、フォーク、カントリー、ロカビリーから60年代ガール・ポップ、ソウル、ファンク、グラム、 ストーンズ、ロリー・ギャラガー、Tレックス、イギー・ポップ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、バズコックス等のパンク…とあらゆるギタースタイルを吸収していった。そして自らにとって最高のバンドを結成するためのシンガー探し、モリッシー宅訪問からザ・スミス結成。 ザ・スミスはリアルタイムで聴いていたバンドだから、やはりスミス結成から飛躍的な活躍を経てスミスの解散までが一番興味深い箇所だが、 そのあたりはこの本の概ね三分の一程の分量。 スミスの後、トーキング・ヘッズやプリテンダーズとの仕事、マット・ジョンソンとのザ・ザ、 ニューオーダーのバーナード・サムナーとのエレクトロニック(私がジョニー・マーを追いかけていたのはこの頃までだった)。その後、自らのバンド、ヒーラーズや、モデスト・マウス、ザ・クリプスへの参加、そしてソロ・アーティストとしての活動開始、アルバム『プレイランド』リリース後のツアーまで、ギターをその両腕に抱き歩んだ長い長い道のりを振り返る。 新旧ミュージシャンとの交流も多く紹介されているが、ブレイク以前のオアシスのノエル・ギャラガーとのギターをめぐるエピソードがいい。デニス・ホッパー監督の映画サントラ制作でのホッパーとのやりとりも笑える。キャメロン首相のスミス好き発言に反応するマーのエピソードも興味深い(このあたりに関連するザ・スミスのTシャツを着た女性が機動隊に立ち向かう姿を捉えたカラー写真も巻頭に掲載されている)。 プライヴェートな部分にも多く触れており、マーの家族や親戚、恋人から伴侶となるアンジー、二人の子供達、友人達(そのなかにはスミスのベーシストのアンディ・ルークも含まれ...

私の放浪音楽史 Vol.79 THE ROOSTERS『DIS.』

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1983年10月21日、日本コロムビアよりリリース。 ザ・ルースターズ、4作目のアルバム。 『DIS.』については こちら(2001年1月の古い記事だけど)でも書いたので、繰り返しになるところもあるが補足的に紹介。 1983年6月、来日したイギー・ポップのフロントアクトとして行ったライヴ・ツアーを最後にドラムの池畑潤二がルースターズを脱退。 確かに池畑の脱退のニュースは驚きだった。井上・池畑による鉄壁の、日本のロックバンドとしては最強のビートとグルーヴを生み出してきたリズム隊から、ドラマーが欠けてしまうとは…。当時の雑誌では、実家の稼業の事情で九州へ戻るためバンドを脱退すると書かれていたが、後々のインタビューで池畑は “ずっと4人でやってきてて、それが崩れてゆくことへの恐怖感が途中から常に付きまとうようになっていた” と当時の池畑にかかっていた重圧について語り、そこから“もしかしたら逃げ出したかったのかもしれない”と心情を語っている。 フロントマンであり作詞作曲も手掛ける大江慎也の健康状態は否応なくルースターズというバンド活動に影響を及ぼしていた。大江とは薔薇族(1976年)~人間クラブ~ルースターズと長くバンド活動を共にしてきた池畑。なんとかバンドを維持しようという責任感が強くあっただろうことは想像に難くない。病を抱えた当時の大江を池畑が支えていた部分が強くあった、と花田もインタビューで語っている(Rockin'on Japan vol.36 1990)ことから、様々な調整役として動いていくことに池畑が疲れてしまった結果、バンドを離れたとも想像できる。 それにしても実家の仕事をする為の脱退という記事を読んで、あんな才能と技術のある人がドラムスティックを置くんか…と思ったものだが、翌1984年4月には九州でレッドスティック&スペクターを結成、バンド活動を再開している。 池畑最後のツアーになったイギー・ポップのフロントアクトでは、大江の復帰直後だったこともあり、花田が歌う「Drive All Night」や「Bad Dreams」、ロキシー・ミュージックのインスト・ナンバーのカヴァー「The Numberer」を演奏するなどヴォーカリストの負担を軽減する選曲だったようだ。大江も参加して「Case of Insanity」、「ニュールンベルグ」、「C.M.C」を...