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私の放浪音楽史 Vol.50 BRUCE SPRINGSTEEN『BORN TO RUN』

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1975年8月25日、Columbiaよりリリースのアルバム。日本盤は1975年10年25日CBSソニーよりリリースされた。 『Born To Run』30周年盤のブルースによる解説には、こう書かれている。 (アズベリーパークの)“ボードウォークの近くのキングズレーとオーシャンというふたつの大通りが、地元の者たちがサーキットと呼ぶ楕円形のレーストラックを形成していた” (1974年)“その夏、俺は2000ドルで、生まれて初めて車を買った。57年型のシェビー。4気筒のデュアル・キャプレター、ハーストのギアシフト。 ボンネットにはオレンジ色の羽のように広がる炎が描かれていた” 公道をサーキットがわりに走ることでスピードに自暴的なスリルと生きるための僅かな希望を見出す。ブルース自身がそうしていた訳ではないと思うが、そこで行われている出来事や集う若者たちに自分との共通した感情を見出し、観察することで歌=物語を紡ぎだしていたのだろうと思う。このアルバムの事を夏のある一晩、様々な場所で起きた出来事を歌った、とブルースは語っていた。 このアルバムがリリースされたのは1975年、私が聴いたのはその6年後くらいだったと思う。友人に借りて聴いたのだが、“発見”だったなぁ、1975年にこんな衝撃的な内容のアルバムがリリースされていたとは。ロック・ジャーナリストのジョン・ランドウが1974年5月にライヴ評をボストンのリアル・ペーパーに載せている。 “I saw rock and roll future and its name is Bruce Springsteen.  And on a night when I needed to feel young, he made me feel like I was hearing music for the very first time.” そう、まるで音楽を初めて聴いたときのような気分にしてくれた。私が『Born To Run』を初めて聴いたときも全くその通りだった。 夜に隠された魔法を解き明かそうとし、無防備ともいえる若さのもとでの友情と愛情、信頼と裏切り、自由と拘束を歌い、自分たちが何者なのかを問い、ここではない何処かを目指して走りだそうとする姿を描いた。その推敲された詩/物語とデリケートに選び抜かれた音色とパワフル/リリカルな演奏ス...

私の放浪音楽史 Vol.49 佐野元春『HEART BEAT』

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1981年2月25日、Epicソニーよりリリースのアルバム。 佐野元春のアルバムを初めて聴いたのは『ハートビート』か『サムディ』(1982年)か、どっちだったか思い出せない…。けど、まずはセカンド・アルバムの『ハートビート』。ジャケットが好き。収録曲の「Night Life」を映像化したようなモノクロームのフォト。 “決まったぜ”という裏ジャケもいい。勢いを感じるなぁ。アルバム・タイトルはバディ・ホリーの楽曲からとられたいう。 佐野元春のサウンドは私が当時聴いていたパンク/ニューウェイヴとはまた違った新しさを感じさせるものだった。言葉をコラージュするように描く都市の風景、登場人物たちのユーモラスな会話や時にシリアスなモノローグ、その言葉をビートの効いたサウンドに出来るだけ詰め込んだポップチューン、イメージをたくさん盛り込んだリリカルなバラッド。クールでエネルギッシュでソウルフル。そして何より各曲ギターソロというものがない。間奏にギターを使ってない。これは個人的に画期的だった(何しろハードロックを聴いてきたからね…)。 オープニングの「ガラスのジェネレーション」は、Get Happy!と歌うカラフルでポップな曲だが、ラストに“つまらない大人にはなりたくない”というフレーズがあるため、佐野が年齢を重ねるにつれて歌う事を逡巡させることになる曲。個人的には佐野元春版マイ・ジェネレーションと思うのだが。THE WHOの「My Generation」には“I hope I die before I get old”という歌詞があるが、佐野はTHE WHOほど刹那的なフレーズじゃなく“街に出て/恋をしようぜ”と訴えるポジティヴな内容で、少年の心(=ピュアネス)を持ち続けたい、という気分を歌っていると思う。まぁこの時の佐野は気分という生易しいものじゃなく決意表明してしまっているんだが…。そして自分達とリスナーであるティーン達(ガラスの世代)の新しさを高らかに宣言し、自分達よりも少し年上の革命的ジェネレーション(1969年には佐野はまだ13歳だ)との決別を告げるセンセーショナルなポップ・ソングでもある。 続く「Night Life」。金曜の夜、精一杯お洒落した若きカップルのナイトライフ。グルーヴィーなアレンジが気持ちいいし、 “時計を気にしながら早く服を付けて髪も整えたらタクシーで1...

私の放浪音楽史 Vol.48 浜田省吾『ON THE ROAD』

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1982年2月25日、CBSソニーよりリリースのライヴ・アルバム。 浜田省吾のアルバムとしては、このライヴ・アルバムを初めて聴いたんじゃないかな。確か貸しレコード屋で借りた気がする。2枚組でそのうちの1枚は3曲入り12インチ・シングルって扱いだった。1981年12月26日、27日、28日の広島郵便貯金ホールと浜省としては初の1982年1月12日の日本武道館でのライヴから収録。ライヴの演奏はFuseと名付けられたバンドによるもの。 サウンドとしてはアメリカンテイストでハードなロックンロールがベースだが、私が80年代前半に入れ込んでいたパンクとはまた別のストリート感を持った歌詞や、パンクやニューウェイヴでは取り上げられない “愛の追求” が魅力だった。私のまわりでも浜省好きは多かったなぁ。 ジャクソン・ブラウンのライヴ・アルバム『Running On Empty(邦題:孤独なランナー)』をカラフルに模したジャケットもよかった。今持ってるCDは1枚にまとめられ、アナログ盤2枚目のA面に収録されていた「路地裏の少年」がCD化の際に5曲めに、B面に収録されていた「Midnight Blue Train」が11曲目、「On The Road」(スタジオ録音)が12曲目に収録されている。 アルバムの始まりが1976年リリースのデビュー・シングルB面曲でミディアム・テンポの「壁にむかって」からというのも渋い。この曲のライヴ・ヴァージョンではスタジオ・ヴァージョンにあった“恋して愛され決めた彼女とひとつ屋根の下で暮らしてゆく~” で始まる2番の歌詞が歌われていない。ちょっと生活感があり過ぎたかな。以下収録順ではないが簡単に紹介。 1969年の大学闘争を振り返ったフレーズが出てくる「明日なき世代」、ロックンロールの初期衝動を歌った「終わりなき疾走」、都市の底辺を映しだした「東京」の3曲は、スピーディでハードな演奏が聴ける。特に「東京」は爆発寸前のギリギリの感情を表現したスリリングで緊張感がある優れた曲だと思う。スプリングスティーンの「Tenth Avenue Freeze Out」のアレンジをスピード・アップしたような「土曜の夜と日曜の朝」は工員を主人公にした曲。アラン・シリトーの小説に同タイトルあり。読んだなぁ、シリトーの小説。 浜省といえばバラードというイメージを持つ人もいるかもし...

リチャード・ヘル著・滝澤千陽訳『GO NOW』

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2004年5月、太田出版刊。 リチャード・ヘルが書いた小説で本国では1996年に刊行されたが、邦訳が出たのは2004年。 最近ではめっきり小説を読むことも少なくなったが、本屋で見かけ“あの”リチャード・ヘルの書いた小説か、 読んでみるか…。 リチャード・ヘルを聴いたのは1982年リリースのヴォイドイズとしてのセカンド・アルバム『ディスティニー・ストリート』が最初だったんじゃないかな。友人が持ってた輸入盤を借りた。ディランのカヴァーがかっこよかったな。当時『ブランク・ジェネレーション』は入手困難だったような気がする。そのセカンドアルバムリリース後しばらくしてヘルは音楽活動を停止、小説を書いているというのは知っていたが翻訳も出ていたんだ…。帯には町田康による“地獄のパンク文学”の推薦文。 内容はというと、バンド活動停滞中のパンク・ロッカー、ビリーと女性フォトグラファー、クリッサがカリフォルニアからニューヨークまで車を運転して運ぶ仕事を依頼される。全ての経費は依頼者持ちだ。その道中で“なにか”を探し、ビリーが書き、クリッサが写真に撮る、さらにその内容を本にする、というのが依頼者のアーティスティックな興味であり2人にとって真の仕事でもあった。 ロード・ストーリー的な内容になっているが、ビリーはヘロイン中毒で、ヘロインを打つ/調達と旅先で出会う女とのセックスによる快楽を求め続ける日々。そんなビリーが起こす様々な裏切り行為や破滅的とも言える行動、ビリーが感じる自己嫌悪、快楽を求めるがゆえに陥る自己欺瞞。だから旅の先々で“なにか”を探すなんていうのはビリーには二の次であり、優先度は最下位ほどに低い。ただ自分の欲望を満足させるため、誰かにたかり、誘惑し、懇願し、自分さえも騙し、自分と他人の心を傷つけ、満足したと思ったとたんに渇望という小さな穴が開いているのに気付き、その穴が次第に広がってゆく。それを繰り返し、繰り返し、繰り返し…。 この小説を読み進めていっても、つまり同じこと。自己の快楽追求に忠実に生き続ける姿を見続けるだけだ。 セックス・ドラッグ、それにロックンロール…はない。音楽に関しての記述は殆どない。もちろんこれはヘルの自伝ではなくビリーの物語だが、ヘルの体験に基づいてもいるという。芸術、文学、それに少しだけ語られる音楽に対するビリーのセリフや考え方はヘルに近いんじゃないか...

Drop's「未来」

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2015年4月22日、STANDING THERE, ROCKS/キングからリリースのシングル『未来』より。 去年の12月に買った『さらば青春』が気に入ってから、それ以前のDrop'sのディスクを集めてUSBに入れて車ではずーっとほぼDrop's。なので待ってました新しいシングル。 “未来”で“春”な新曲ということで、アップテンポでキャッチーなナンバーかなぁと思っていたが、そこは軽~く裏切られ、ぼんやりとした倦怠とふわりとした春風を思わせるミディアム・ナンバー。スプリング・ブルーなジャケットが象徴してるかな。 ドラムのフィルから太い音色のギターが続くイントロ、薄く鳴るオルガン、ベースもフレーズを紡ぎながらしっかりとサウンドを支えている。中野のヴォーカルは丁寧で“ぶらりぶらり”や“じわりじわり”といった繰り返すフレーズを効果的に使っている。繰り返しを多用するのは、毎日(≒未来)が仕事や学校など決まった生活の繰り返し、という意味合いがあるかも。サビの聴き手に問いかけるような“もしもし”というフレーズが耳に残る。漠然とした未来への不安を内包しているが、三拍子というリズムの演出でジャンプアップ、飛び越えるような気配は常に感じられる。アウトロのテンポアップは、躊躇している気配を振り切り一気に駆け出すイメージか。 ただ、まぁこれまで未来という時間を棒に振ってきて、このあと大して未来も残っていないオヤジが聴くよりは、やはり演奏者と同年代が聴く曲だよなぁ。世の多くの若者達にぜひ聴いて欲しい。 カップリングはオールディーズ風でストーリー仕立ての「恋は春色」。 “おろしたての陽ざしが よく似合う白い靴”っていう出だしが上手い。続いてギターの荒谷がゼップに影響を受けリフを作ったという「Purple My Ghost」は打って変わってヘヴィなナンバー。恒例のカヴァーはキャロル・キングの「You've Got A Friend」で、この曲も丁寧なヴォーカルに好感が持てる。出だしがスリリング。ギターのダビングも工夫されていて良い仕上がりだと思う。 サウンド・エンジニアは山口州治。バラエティに富んでいるが、決して散漫ではない。 これからのDrop'sを予感させる。Play it loud!で聴きたいシングルだ。「未来」のMVは、ボタン・ドロップのスケアクロウと中野...

私の放浪音楽史 Vol.47 THE ROOSTERS『INSANE』

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1981年11月25日、日本コロムビアよりリリースのアルバム。 ルースターズのライヴを初めて見たのは1982年5月23日の明治公園反核集会だった。随分前の事なので記憶は僅かしかないが…。調べてみるとこの日は日曜日。誰と行ったのかは思い出せない。天気は良く集会日和だった気がする。当時は今とは違った政治的緊張感があって、限定的な核攻撃・報復を想定した戦術核兵器の配備問題というのがヨーロッパを中心にしてあり、限定核戦争が起こる可能性も大きいと感じた人々の反核運動は大きな盛り上がりを見せていた。 音楽的な面からみるとクラッシュやジャムやイアン・デューリーらが楽曲を提供したオムニバス・アルバム『Life In The European Theatre』のリリースや、様々なミュージシャンのCNDへの支持なんかがあったが、その反核運動の盛り上がりは日本へも波及。…そんなノー!ニュークスな志を持って私が明治公園へ行ったかどうかは今となっては不明だ。その集会ではフリーコンサートがありルースターズがタダで見られる、という情報は得ていたんだろう。 それでライヴの内容だが、どんな曲を演奏したか覚えてないのだけれど記憶に残っているのは、コンサートは野外でステージがかなり高く作られていたこと、大江慎也の着ていたジャケットの鮮烈な黄色、 “軍事費を減らして電気代をを安くして”(ガス代だったかも)という大江のMC、それに強烈な印象を残したのが「In Deep Grief」の演奏だった。青空にダークなサウンドを響かせ、大江慎也は分厚く重そうな本を抱え呟いていた。 “Out of the depths I cry to you, O Lord, Lord hear my voice” 既にアルバム『インセイン』は聴いていたと思う。音を聴いただけでは気が付かなかったが、 大江のその姿を見た時、朗読しているのは、たぶん聖書の一節じゃないかな、と思った。後々この曲が収められたアルバム『インセイン』の歌詞カードを見て調べてみると旧約聖書・詩篇の一節だったことがわかる。 アルバムのタイトルは『INSANE』。インセインなんて単語はこのアルバムで初めて知ったんじゃないかな。あとになってジム・モリソンやルー・リードなんかの歌詞やタイトルで見かけるんだけど。正気ではいられない程の内容を持ったアルバム、ってことなんだろ...

私の放浪音楽史 Vol.46 PUBLIC IMAGE LIMITED『FLOWERS OF ROMANCE』

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1981年4月10日、ヴァージンよりリリースのアルバム。 1978年1月ジョニー・ロットンは“ロックは死んだ”と言い残してセックス・ピストルズを去り、本名のジョン・ライドンとしてパブリック・イメージ・リミテッドを結成する。ピストルズのロックンロール・フォームを棄て、レゲエ/ダブからの影響下にもありつつ、反復するドラムパターンの上にフリー・フォームな演奏、ジャー・ウォブルのベースは重心低く唸り、キース・レヴィンのギターはフリーキーに切っ先鋭く、ジョンは歌うというより叫び、語り、アジテイトする。 ファースト・アルバム『パブリック・イメージ』はそれでも曲によってはロックのフォームを残してはいたが、続くセカンド・アルバム『メタル・ボックス』でさらに解体は進み、スタジオ第3作の『フラワーズ・オブ・ロマンス』ではジャー・ウォブルが脱退しベースレスとなったことから、土着的なドラムサウンド、またはパーカッシブなトラックが大きくフューチャーされ民族音楽的ともいえる内容。キース・レヴィンのギターはやや抑えめ、ジョン・ライドンはまるで祭司のような抑揚で言葉を紡ぐ。マーティン・アトキンスは「Four Enclosed Walls」、「Under The House」、「Banging The Door」の3曲でドラムをプレイしているが、その他のトラックではキース・レヴィンがドラムを担当したようだ。 冒頭の歌詞“Doom sits in gloom in his room. Destroy the infidel”にドキリとする「Four Enclosed Walls」でアルバムは幕を開け、エクスペリメンタルな「Track 8」や「Phenagen」が続く。「Flowers of Romance」はアルバムに先行して7インチと12インチでシングル・リリースされているタイトル・トラック。複数のパーカッションをダビングし、ダンサブルというか高揚感をもたらす「Under The House」、インストゥルメンタルの「Hymies Him」、シンセサイザーとドラム、ジョンのヴォイス三つ巴の「Banging The Door」、キース・レヴィンのギターの絡みがカッコいい「Go Back」、ラストは混沌の「Francis Massacre」でノイジーに終了。 “フラワーズ・オブ・ロマンス”…セックス・ピ...

私の放浪音楽史 Vol.45 JOY DIVISION『CLOSER』

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1980年7月18日、ファクトリーよりリリースのアルバム。 パンク・サウンドからスタートしたジョイ・ディヴィジョンだが、リリースを重ねるごとにサウンドを変化させていき、イアン・カーティスの遺作となったセカンド・アルバム『クローサー』に至っては、他に比べるもののないジョイ・ディヴィジョン独自のサウンドの完成形を聴くことが出来る。 ジョイ・ディヴィジョンの日本盤がリリースされたのは1984年で、前作『アンノウン・プレジャーズ』と同時発売されているが、私が『クローサー』を聴いたのはたぶん1981年~82年頃だったと思う。 ジョイ・ディヴィジョンのシングルやアルバムを輸入盤で集めていた友人に借りたんじゃないかな。ジャケットはシングル「Love Will Tears~」のところでも書いたがイタリアのジェノヴァにある墓所の写真が使われている。こんな沈鬱な嘆きのジャケットに包まれたダークなサウンドの魅力に取りつかれていったな、この頃は。イアン・カーティスの神経質な少しくぐもった様なヴォーカルが苦手という人もいたけど。歌われているのは、愛と苦悩について人間の内面に深く分け入っていくもので、イアンの死へと向かう過程で制作されたアルバムと思って聴いていると確かに息苦しく感じる事もあるが、その音楽は決して聴き手を拒否するものではない。全英チャート6位を記録。 J.G.バラードの短編からタイトルをとった「Atrocity Exhibition」は“This is the way.Step Inside.”というフレーズが耳に残る。それに工作機械のような、または捻じれたサウンドを作り出すギターが強烈だ。シンセの煌びやかな音色が印象的な「Isolation」、単調な中にもサウンドに意匠を凝らしてある「Passover」、鬼気迫るヴォーカルの「Colony」、ベースラインの印象的な「Means To An End」はジョイ・ディヴィジョン以後の典型的ニューウェイヴ・サウンドの見本と言えるんじゃないか。 イアンの深淵から聴こえてくるようなヴォーカルの「Heart And Soul」はのちのCD4枚組アンソロジーのタイトルにもなった。個人的にはこのアルバムの中で最も好きな「Twenty Four Hours」は緩急のある作り込まれた魅力的なサウンド。ピアノやシンセが使われた「The Eternal」...

『日本パンク・ロッカー列伝』

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シンコーミュージック・エンタテイメント発行、2015年3月10日発売。 雑誌『Bollocks』の連載インタビュー「The Story of Legends」をまとめた本が発売された。 雑誌掲載分(No.007~017)から仲野茂、大江慎也、遠藤ミチロウ、パンタ、難波章浩、ヒカゲ、柴山俊之、NAOKI、BAKI、KATSUTA、中川 敬のインタビューを再録、取り下ろし取材でチャーミー、平野悠、南部裕一を追加して14人のインタビューが掲載されている。新旧の写真ページ、簡単な年表とアーティストの場合はディスコグラフィを含め各人12ページから20ページのボリューム。 最年長はロフトプロジェクトの平野悠・71歳、一番若くてハイスタの難波章浩・44歳。60代が3人、あとは40代後半~50代ってとこか。生い立ちから各グループでの活動内容、現在の活動までを手短にまとめてある。あの時はどうだったとか、あの頃バンドメンバーの関係はどうだったとか、伝説の裏付けをとる、みたいな感じもあるなぁ。 他の雑誌とかで読んだ内容もあるけど、まぁ人に歴史あり、でそれぞれ読めば面白い。 パンタのインタビューで言ってた氷川丸の証言をまとめて本にしたいっていうのは実現してほしいな。映画『狂い咲きサンダーロード』を見て真面目に音楽を聴くようになったという元・鉄アレイのKATSUTAは年表になぜか逮捕歴も記載。 いちばん興味深かったのは、柴山俊之のインタビュー。 1982年末新宿ロフトでのゲスト出演時のエピソード、1983年野音でのサンハウス再結成。その頃からサンハウスのパブリックイメージを演じ続けていた苦悩、などが語られている。最後の方で“この時代に生きていると、音楽なんて誰も欲してないんだ”って言葉、何年前かに他で聞いたフレーズだが、自分のやりたいことでそこを乗り越える、と音楽に対する意欲も語っていた。 中川敬の自分のやりたいことをやってきたインタビューも突っ走っていて痛快。現役感も強烈だ。関西イベンターで現・スマッシュウェストの南部裕一のインタビューも色んなエピソードがあり面白いものだった。

VARIOUS ARTISTS『SWEETER! ROOTS OF JAPANESE POWERPOP 1971-1986』

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2015年2月18日、ポップトラックス/クリンクからリリースのコンピレーション・アルバム。 パワーポップというと連想するのは、まずニック・ロウ「Cruel To Be Kind(邦題:恋するふたり)」。それとブラム・チャイコフスキー「Girl of My Dreams」かな。キャッチーなメロディ、 アコースティック・ギターのジャングリーな感じ、コーラス・ワーク、 やや手数の多いドラム、ギターソロもメロディアスに作ってあったり。ボトムを効かせたリズムがありながらも、爽やか&甘酸っぱいイメージも少々。アメリカだとリアル・キッズ「All Kindsa Girls」が思い浮かぶ。日本だと…。 このコンピは1970年代中頃に活躍した日本のバンドのレアな音源を中心に旧東芝EMIのカタログから選ばれた18曲を高木龍太がコンパイルしたもので、10年越しの企画がようやく実ったということだ。“日本のパワーポップのルーツ”と題されている。どうやら諸々の事情でパーフェクトな選曲となっていないようだが、素晴らしい内容に変わりはない。 このCDの曲順ではなくバンド毎にブックレットからの情報をもとに内容を紹介 (収録曲名の後の数字はリリース年月日)。 リンドン ・「陽気な雨」(1974.5.5)シングルA面 ・「タンポポ・ガール」(1974.5.5)シングルB面 ・「悲しき想い」(1974.10.5)シングルB面 ・「赤いドレスは着ないでおくれ」(1975.12.1)シングルA面 の4曲を収録。 このCDを購入する大きな理由がリンドンの楽曲を聴きたかったから。リンドンは、 田中信昭(Vo,B):のちにTHE BADGE 田中一郎(G,Vo):のちにARB 伊藤薫(Ds,Vo):のちにチューリップ というメンバーのスリーピース・バンドで1971年に結成。1974年5月にシングル「陽気な雨 c/w タンポポ・ガール」でデビュー。同年10月セカンド・シングル「夏の日の恋 c/w 悲しき想い」をリリース。1975年12月に3枚目のシングル「赤いドレスは着ないでおくれ c/w 雨の日にさようなら」をリリース。アルバム制作の動きもあったようだが実現せず、1977年初頭に解散している。今回はリンドンの残した3枚のシングルから4曲が収録された。 収録された4曲は全て田中信昭の作詞作曲で、やはりのちにザ・バッヂに...

GLIM SPANKY「MOVE OVER」

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2014年12月8日、ヴァージン/ユニヴァーサルからリリースの配信シングル。 スズキの軽自動車ワゴンRスティングレーのCMを見たとき、水原希子の真っ赤なドレス姿に見惚れてはいたが、使われている音楽はジャニスだなぁと思っていた。ジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』を購入したのはいつ頃だったろうか。1980年代の後半かな。ニュー・ウェイヴからルーツ・ロックやソウルなんかにも少しずつだが興味が出てきた時期だった。ソウルフルな「Cry Me」やアカペラで歌う「Mercedes Benz」なんかが好きだった。もちろんアルバムのトップでキャッチーなナンバー「Move Over」も。 スティングレーの宣伝を見てるうちに(ってテレビでしょっちゅう流れるわけじゃないが)これジャニスが歌ってるんじゃないな…と思うようになって、ネットで調べてみると、あーやっぱり違うんだ、日本人なんだ。ということでグリム・スパンキーに辿り着く。 グリム・スパンキーは松尾レミ(ヴォーカル)と亀本寛貴(ギター)の男女2人組ユニット。もとはベースとドラムを加えた4人組バンドだったようだが、2010年に2人組のユニットとなりサポート・メンバーを加えライヴ活動を続けている。音源としては自主制作盤を経て2014年6月にミニアルバム『焦燥』でメジャーデビュー。2014年11月に7インチ・アナログ「焦燥 c/w Move Over」をリリース。同年12月に「Move Over」を配信リリースした。 “私と付き合うの?私の愛を受け入れるの?はっきりしてよ!”って感じで、優柔不断な男に“消えちまいな”と啖呵を切った気っ風のいい歌詞をシャウトする松尾レミ。なるほどハスキーなジャニス的なヴォーカルだが、このカヴァーではジャニスよりシャープな印象。ヴォーカルとユニゾンでメロディを奏でるギターは原曲と同様だが、原曲でフューチャーされていたキーボード類は無し、その分ギターが活躍している。またドラムの音色やギター・ソロ以降のリズム、ベースフレーズなど現代のカヴァーならではの工夫がされている。トレブルが効いた好カヴァーだ。 CMのオンエアは終わっているのだろうか。 SUZUKI ワコンRスティングレー TVCM「15秒の誘惑」編 改めて聴いてみるとCMとヴァージョン違うな。

私の放浪音楽史 Vol.44 ARB『指を鳴らせ!』

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1981年11月21日、ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 前作から8ヶ月後という短いインターバルでリリースされたARB、4枚目のアルバム。 ドラムのキースが胆石で入院し、元ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(当時サッキング・ルージュ)の相原誠、元サンハウス(当時トランプ)の浦田賢一、アナーキーの小林高夫がヘルプでドラムを叩いている。なので、“KIETH (IN THE HOSPITAL)”とクレジットされている。渋いモノトーンのジャケットは井出情児によるもの、裏ジャケットのメンバーの写真もいい。歌詞カードの各曲をモチーフにしたイラスト(Rのサインがあるから凌が描いたものだろう)も楽しい。一目惚れ“Love at first sight”という英語を知ったのもこのアルバムだなぁ。 その“Love at first sight”が歌いこまれた「イカレちまったぜ!」、緊張感のあるサウンドの「13番街のワル」、一目惚れの後日談のような「I'm Jumping」は、“この一瞬をずっと待っていたんだぜ”というフレーズがとても印象的。「Hip,Shake,Hip」はアルバムタイトルに通じる“フィンガー・スナッピング”も歌いこまれたブルージィなナンバー。田中一郎のB.B.キングばりのブルース・ソロも聴きものだ。老いも若きも魅了するR&Rの「教会通りのロックン・ロール」。 スピーディかつややハードなロックンロール「Standing On The Street」、渋くジャジィな煙草ソング「PALL MALLに火をつけて」。えぇ買いましたよ“PALL MALL”。あの頃は高かったけどね(あ、今も高いのかな)。ロカビリーな「シティ・ギャング・シャッフル」。パブ・ロック風な“お楽しみはこれから”「Well Well Well」、石橋凌の実兄や友人をモデルにしたという「さらば相棒」は、ARBのアルバムに1曲は収録されていた物語仕立ての楽曲。この曲をモチーフにして1年後の1982年11月に宇崎竜童監督、石橋凌主演で映画化された(ディレクターズ・カンパニーが制作したピング映画3本立てのうちの1本で、 他の2本は高橋伴明監督「狼」と泉谷しげる監督「ハーレム・バレンタインディ」)。ピンク映画(死語かな…)という事で予算は3本で1,000万円、撮影4日間、各映画の時間も5...

私の放浪音楽史 Vol.43 ARB『BOYS & GIRLS』

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1981年3月21日、ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 ARB、3枚目のアルバム。 薄手のPコートの石橋凌、プリントTシャツの上に濃い色のジャケットでギターを抱えた田中一郎、おなじみサングラスに革ジャンのキース、PILの缶バッジをつけたライダースにベースをぶら下げたサンジ。険しい表情の4人が赤をバックに立つジャケットが目を引く。 ARBの代表曲のひとつでもある“狂えない/笑えない”時代の少年・少女達に語りかけた「Boys & Girls」。 久留米から博多へ演奏するために通った国道の思い出を描いた「悲しき3号線」。少女の死をテーマにした「Just A 16」は小さな記事にインスパイアされた曲だという。今だったら弦楽を入れて編曲したくなるような曲だが、バンドだけで演奏しているのが潔い。それでもクラシカルな要素を入れたギター・ソロが聴きどころでもある。 「発(ハッパ)破」、「Believe in R&R」、 “昔の傷も今は忘れちまい”というフレーズが今も効いてる、召集令状をラブレターに見立てた「赤いラブレター」、セカンドラインのリズムがイカしてる「“エデン”で1・2」、柴山俊之作詞の「Mr.ダイナマイト」、 トム・ウェイツ(石橋凌が好きだという)をモデルにした「ウィスキー・マン」、これらは田中一郎が作曲したゴキゲンなロックンロール・ナンバー。 個人的に好きなのは、スカビートを取り入れた「ダディ―ズ・シューズ」とレゲエ・ビートの「Naked Body」。この2曲はサンジのベース・プレイが光る。「ダディ―ズ~」は楽しげに動き回るベースフレーズが、「Naked Body」はブツブツと刻むベースが魅力的だ。このアルバムを聴いていた頃、おやじの靴は小さくて履けなかったが、おやじが着なくなっていたコートはちょっと短かったが学校に行くときも遊びに行くときも着ていた。幾つか缶バッジを付けてね。 私のまわりではそんなおやじの上着を着ている奴が結構いたものだ。皆「ダディーズ・シューズ」という曲が好きだったからだと思う。 「ダディーズ・シューズ」はアルバムに先駆けてシングル・リリースもされており、B面にはアルバム未収録の「シェリーは昼間死んでいる」がカップリングされていた。

私の放浪音楽史 Vol.42 THE MODS『NEWS BEAT』

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1981年10月21日、エピック・ソニーよりリリースのアルバム。 デビュー・アルバムから4か月後というスピードで制作/リリースされたザ・モッズのセカンド・アルバム。バンドにしてみたら『FIGHT OR FLIGHT』の音質はきれい過ぎたらしい。もっとラウドな音質で、ということと『FIGHT OR FLIGHT』をロンドン・サイド、『NEWS BEAT』を東京サイドという2枚でひとつというイメージで短期間で制作された。曲のストックは沢山あったのだろう。「ゴキゲンRADIO」や「夜が呼んでいる」、「熱いのを一発」なんかは博多時代から演奏している曲だ。 当時聴いた印象では、ファーストの緊張感を持った音作りとはやや違い、ラフな録音で歌の内容も“Leave Me Alone!”な印象を受けた。アルバムの1曲目はシングルとしてもリリースされた「ゴキゲンRADIO」で、そんな“ほっといてくれ!”といった内容が歌われるタイトなティーンエイジ・ロックンロール。この曲がアルバム『NEWS BEAT』のムードを象徴していると言ってもいいんじゃないかな。ジャケットはコラージュとメンバーのイラスト。これはあまり好きじゃなかった。コラージュ・ジャケっていいジャケ無いんじゃないの。切り貼りってところでは、ピストルズの脅迫状を模したレタリングの影響は大きいだろうけど。 個人的には、高速ロックンロール「記憶喪失」と「ご・め・ん・だ・ぜ」、クラッシュ・ライクな「夜が呼んでいる」、ワウワウ・ギターで始まり、アコースティック・ギターも効果的に使われた「ハートに火をつけて」は、 “死人のような冷たい体さ でも俺の心はカラッポじゃない”というフレーズがカッコ良かった。ピストルズみたいにボトムの効いた「All By Myself」、 これぞ森山節のマイナー・ビート・チューン「Crazy Beat」。このあたりが好みだった。 他には、やや軽いノリの「熱いのを一発(HOT STUFF)」や、元サンハウスのドラマー浦田賢一が作詞したニヒルな歌詞のスカ・ビート・ナンバー「イヤな事さ(EYANACOOTA)」、ニュース・ビートと言うからには時事性を持ったものも目指したのかな、そんな一面が感じ取れる「Do The Monkey」。 “ポリスとコソ泥”、“テストチューブ・ベイビー”といった単語が並んでいる。「Do The M...

私の放浪音楽史 Vol.41 THE CLASH『SANDINISTA!』

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1980年12月12日、CBSよりリリースのアルバム。 クラッシュの4枚目のアルバムは3枚組の大作となった。おそらくリリースされてすぐ聴いたと思うけど、全てを聴くのに約2時間25分、アナログ・レコード3枚をかけては裏返し、かけては裏返し、通して聴くのはそれなりの覚悟と忍耐(大げさだな…)が必要だった。当時の私のパンクロックあがりの耳に、このアルバムのヴァラエティに富んだ内容はやたらとっちらかって聴こえたものだ。パンク・ロック・スタイルの曲は「Somebody Got Murdered」、「Up In Heaven(Not Only Here)」、イコールズのカヴァー「Police On My Back」の3曲でいずれもミック・ジョーンズがヴォーカルをとっている。この3曲は当時も好きだった曲。それ以外はラップ、ロカビリー、レゲエ、ダブ、カリプソ、ソウル、ディスコ、ゴスペル…と多岐にわたるジャンルの楽曲が収録されている。 アルバム冒頭、シングルとしても発売された「The Magnificent Seven」はラップを取り入れた曲で、ノーマン・ワット・ロイのベースフレーズが気持ちよく(ポールは映画の仕事が入っていた)、歯切れのいいジョーのラップも魅力たっぷり。ここまでクラッシュが変貌を遂げたことに驚いたが、この新しいスタイルがまたカッコよかった。この曲がシュガーヒル・ギャングの「Rapper's Delight」(1979年)からの影響下にあると知ったのはずーっと後の事だ。 UKインディ賛歌でモータウン調の「Hitsville UK」、ディスコ・サウンドのトッパーが歌う「Ivan Meets G.I.Joe」、ジョーが101'ersでも取り上げていた古いR&Bでレゲエアレンジのカヴァー「Junco Partner」、ロカビリー「The Leader」、移民・戦争・核・高齢化など今日的な内容が歌われている「Something About England」は、ヴォーカルがミックからジョーに引き継がれていくメランコリックな曲で今回聴きなおしていいなと思った曲だ。ここまでアナログA面。 「Rebel Waltz」は反逆者たちに捧げる幻想的なワルツの調べ。モーズ・アリソンのカヴァー「Look Here」はトッパーのドラミングがクールで、ミッキー・ギャラガーの...

SHEENA & THE ROKKETS「ロックの好きなベイビー抱いて」

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全曲阿久悠作詞による1994年リリースのアルバム『ROCK ON BABY』からシングルカット曲。 この曲制作のエピソードが阿久悠のHP「あんでぱんだん」 “ あまり売れなかったがなぜか愛しい歌 ” で読むことができる。  “ロックの好きなベイビー抱いて  可愛いママが行く  この子が二十歳になる頃には  この世はきっとよくなっている  だからしばらく ママとおまえで  がんばろうね がんばろうね  ロックで笑う おまえを見ていると  勇気がいつもわいて来るから” ほんと愛しくせつない歌だ。リリースから20年たっているけど…。

追悼・シーナ SHEENA & THE ROKKETS「トレイントレイン」

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2015年2月14日シーナ逝く。 鮎川誠と同じくロックンロールを愛し、ルーツ・ロックにも愛情を持った人だった。 シーナ&ザ・ロケッツのレコードを初めて聴いたのは2枚目のアルバム『真空パック』だった。シュリンクパックされたメンバーのジャケットのLPを購入した。確か1981年頃だと思う。ルースターズやARB、モッズを聴きだした頃で、それらのバンドの先達となるサンハウスからの流れという事で、ソリッドなロックンロールを期待した耳には細野晴臣がプロデュースしたサウンドにはやや違和感があった(今聴くと全然違和感なく最高なんだけど)。とはいえ1987年リリースのライブ『Captain Guitar And Baby Rock』まではアルバム出る度に聴いていたな。でもシナロケのファーストは聴いたことがなく、エルボンからリリースされたオリジナルは1980年代半ばまでは伝説のアルバムだったんじゃないだろうか。 シナロケのファースト・アルバム『Sheena & The Rokkets #1』が聴けるようなったのは1986年にVIVID SOUNDからリイシューされた時で、そこで聴けるのは、ストレートでシンプルなサウンドのロックンロール、派手な装飾の一切ないバンドの姿だった。それに飾り気のないシーナの魅力もたっぷり詰まったアルバムだなと感じた。 後々までシナロケの代表曲となるサンハウスの「レモンティー」が収録されているが、この曲を柴山俊之と同じ感覚で表現できるのはシーナしかいないだろう。思い出したが、もしかしたらシナロケの曲を初めて聴いたのはスネークマンショーのアルバム『急いで口で吸え!』に収録されていた「レモンティー」だったかも。ギターのストロークが強烈な“スネークマン・ヴァージョン”と違い『Sheena & The Rokkets #1』収録の「レモンティー」はフェイドインからすぐに歌が始まる。徐々に盛り上がっていき、ギターソロで最高潮になるが、この曲だけ突出することはなくアルバムにうまくはまり込んでいる。「レモンティー」の他にもサンハウスの「ビールス・カプセル」、「夢みるラグドール」、「アイラブユー」、「ブーンブーン」 を取り上げている。 ファースト・アルバムでのシーナは“シーナロケット”名義でクレジットされている。そのシーナロケット作詞の「トレイントレイン」はカウン...

BRUCE SPRINGSTEEN & THE E STREET BAND「WAITIN' ON A SUNNY DAY」

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2010年6月22日、ColumbiaからリリースのBlu-ray『London Calling Live In Hyde Park』より。 2009年6月28日、ロンドン・ハイド・パークでおこなわれたコンサートをほぼ3時間にわたり収録した映像作品。クラッシュのパワフルなカヴァー「London Calling」で始まる、5万人を前にした圧巻のライヴ・パフォーマンス。明るい時間に行われたため、ずーっと見渡す限り人、人、人が埋め尽くしているのがわかる。すげー。 時間が経って暮れゆくトワイライト・タイムに演奏される「Jungleland」も最高の見どころだが、 コンサートのほぼ中盤に演奏された「Waitin' On A Sunny Day」も見せ場の一つだ。ギターを放り投げ(受け取る人は大変!)、観衆の目前へ飛び出しシンガロング。幼い子供にマイクを向け “Waitin' on a sunny day~”と歌を引き出すところが何とも微笑ましい。 9.11のあとリリースされたアルバム『ライジング』収録の楽曲で、内容は悲しい歌といっていいと思うが、こうしてオーディエンスとの距離を詰めていくパフォーマンスを見ると、歌の、ロックンロールのパワーを感じ取ることが出来る。  “待っている、太陽が輝く日を  雲を追い払い  待っている。太陽が輝く日を”   2001年から10年余り過ぎた。が、世界はまだ雲に覆われている。むしろ更に厚く覆われているような気がする。その世界でスプリングスティーンの歌は今も多くの人を勇気づけ、束の間、心の雲を追い払ってくれる。

BRUCE SPRINGSTEEN「GOTTA GET THAT FEELING」

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2010年12月8日、Sony Music Japanからリリースのアルバム『The Promise~The Lost Sessions』より。 ブルース・スプリングスティーンの3CD+3DVDの6枚組のボックスセット『闇に吠える街 The Promise:The Darkness On The Edge of Town Story』は高価で手が出なかったけど、そこから単独リリースした未発表曲集CD2枚組『The Promise~The Lost Sessions』を最近手に入れた。『The Darkness On The Edge of Town(邦題:闇に吠える街)』制作時に作られたが未発表となっていた楽曲を集めたものだ。曲によっては必要に応じて当時の録音に追加レコーディングをおこなっているという。 『The Promise~The Lost Sessions』にはブルース本人のライナーノートがある。 “『闇に吠える街』はパンクの爆発的な人気が頂点を極めていた頃曲を書きレコーディングした作品でもあった。 俺はニューヨーク・シティにあった行きつけの小さなレコード店で、パンク初期のシングルを出た先から買い占めていた” “これらのレコードの強硬なパワーが『闇に吠える街』に辿り着いたのだ。俺はこのアルバムをこれまでの中で最も強硬な曲のコレクションにすることを選んだ” と、1976年~1977年頃に勃興したパンク・ムーブメントからの影響について記載している。 もっとも音楽的には既にビッグなメロディ、コーラス、豊かなアレンジという方向性が決まっていたということで、 “素材やテーマ選び” に大きく影響をうけたようだ。今回久しぶりに『The Darkness On The Edge of Town』を聴いたが、やはりブルースが “手持ちの曲から最もハードなものを選んだ”というだけあって、沈痛で重く、ロマンティックな印象はあまり感じられず、数曲を除いてはポップな曲調からかけ離れている。なるほどね。パンクからの影響はここに出ていたんだ。ブルースはどんなパンク・バンドの曲を聴いていたんだろうか。パンクのシングルはポップさも兼ね備えていたと思うんだけど。むしろこれらの曲はブルースにとってのハードコアか。 ブルースが1977年~1978年にかけてレコーディングした4枚目のアルバム『The...

竹内まりや DUET WITH 大瀧詠一「 恋のひとこと~SOMETHING STUPID~」

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2014年12月3日、ソニー/ナイアガラからリリースのベスト・アルバム『Best Alaways』より。 大瀧詠一が亡くなって1年経つ。この12月にはレーベルを超えたベスト・アルバムがリリースされた。1971年4月にリリースした、はっぴいえんどの「12月の雨の日」(シングル・ヴァージョン)から2003年10月リリースの「恋のひとこと~Something Stupid~」(竹内まりやとのデュエット)まで、およそ32年間の作品の中からシングルをメインに選曲された35曲。レア・トラックは「夢で逢えたら」の未発表・大瀧詠一ヴォーカル・ヴァージョン。それに幾つかのシングル・ヴァージョンや別ミックスが初CD化収録されている。初回生産限定盤はカラオケを10曲収録したボーナスディスク付きの3枚組。 収録曲のほとんどは(ミックス/ヴァージョンを別にすれば)既に聴いたことがあるから購入をためらっていたけど、代表曲をまとめて聴けるしってことで購入。このベストを通して聴いて思ったのは、はっぴいえんどというキャリアは大瀧詠一にとって異質なものだったんじゃないかな、ということだった。もちろんミュージシャンとしてのキャリアの始まりだが、自分の嗜好の取入れ/表出にかなり抑制がかかっていたのであろう。萩原健太著『はっぴえんど伝説』によれば、大瀧はバッファロー・スプリングフィールドのシングル「For What It's Worth」は “今一つ良さがわからなかった” が、そのB面曲「Do I Have To Come Right Out And Say It」の “ポップな感じがたまらなく好きだった” と語っている。そしてバッファローをモデルとしたバンドを作りたかった細野晴臣と一緒にバンドをやろうということになるのだが、 “はっぴいえんどはさ、セダカ&グリーンフィールドだめ、マン&ウェイル(ワイル)だめ、ゴフィン&キングだめって形で足を踏み入れた世界だった” “シングル2枚含め、初のソロ・アルバムのレコーディングはさ、もう一挙にポップスのラインに行っちゃったの” “ぼくの基本はやっぱりアルドン/スクリーン・ジェムス系のポップスだからね” “正直な話、自分のルーツにたどりつくまでにずいぶん回り道をしてしまった” と大瀧は語っている。 ただ、このベストに収録されている、はっぴえんどの曲は「12月の...