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追悼・立花隆

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“知の巨人” または 猫ビルの主人、立花隆逝去。 2021年4月30日のことだった。 初めてその著作を読んだのは『宇宙からの帰還』だった。その内容に感動、感嘆、興奮したなぁ。実際にあったことを掘り起こす取材力、文章に表す知見と表現力。こうして真実に近づいていくのか、という感想も同時にもった。そこに書かれていた人間が宇宙空間へ行くという体験、宇宙から地球を眺めた後の宇宙飛行士の思考は、ボウイの「スペース・オディティ」やジョン・レノンの「イマジン」を想起させるものでもあったかな、私的には。 そのあと『田中角栄研究』、『日本共産党の研究』、『中核VS革マル』、『アメリカ性革命報告』、『マザーネイチャーズトーク』、『脳死』、『青春漂流』、『同時代を撃つ』、『ぼくはこんな本を読んできた』、『解読・地獄の黙示録』なんかを読んだ。こうして見ると1980年代の半ば~1990年頃が立花隆の著作を読んでいた時期のようだ。『宇宙からの帰還』を読んで遡って1970年代の著作を、80年代後半から90年頃は興味ある新刊で、という感じか。 『解読・地獄の黙示録』は2000年代の著作だが、映画『地獄の黙示録 特別完全版(原題:Apocalypse Now Redux )』公開後に書かれた解説書で『地獄の黙示録』ファン必読の書といえる。 右上の表紙写真は1988年に講談社文庫から出版された『青春漂流』で、さまざまな職業の “自分の人生を大胆に選択して生きようとしている男たち”  当時22歳〜36歳の11人を取材し、雑誌『スコラ』の連載をまとめたもの(1984年単行本刊行)。取材された一人がレコーディング・エンジニアの吉野金次(当時36歳)で、幼少期〜高校時代、東芝EMI入社、社内エンジニアとしてのキャリアを積み、ビートルズの音との出会いと研究、フリーエンジニアになるまでが語られており、アウトサイダーで痛快、興味深い内容だった。 立花隆はテレビにも度々出ていたが、日本人として初めて宇宙へ行った秋山豊寛の打ち上げ時の特番での立花隆の嬉しそうな顔や、シベリア抑留を体験した画家・香月泰男の番組での涙をながす立花隆の姿を今も思い出す。

私の放浪音楽史 Vol.89 THE ROOSTERZ『パラノイアック・ライヴ』

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1984年10月21日、COLUMBIA VIDEO/日本コロムビアよりリリース。 1984年7月15日に東京港区のラフォーレミュージアム赤坂でおこなわれたライヴをヴィデオ・シューティングした作品でルースターズにとっては初のヴィデオ作品だった。監督は『狂い咲きサンダーロード』、『爆裂都市・バーストシティ』の石井聰亙、プロデューサー緒方明、撮影監督・笠松則通と石井映画でおなじみの面々。白くまるで白骨のような木々が並ぶ風景や建物を飲み込んだ溶岩が固まっている風景の映像は、おそらく1983年の三宅島噴火後に撮影したものと思われる。 ラフォーレミュージアム赤坂は1983年7月23日〜8月7日にブライアン・イーノの「ビデオアートと環境音楽の世界」を開催してオープンした多目的スペースで、ローリー・アンダーソンの日本公演が1984年6月15日〜17日におこなわれている他、NYから帰国した佐野元春がツアー直前の1984年9月にメディア向けコンヴェンションをおこなった場所でもある。 当時このソフトはVHS、ベータ共テープが12,800円、レーザー・ディスクが7,800円という高額商品。この作品だけじゃなく60分以上の映画や音楽ソフトの販売価格はテープだと1作品1万円台、レーザーディスクが少し安いという設定。なので個人的には映像作品は買うものではなくレンタルショップで借りて観るものだった。この『パラノイアック・ライヴ』はレンタルがあったのかわからないが、何年か後に友人のKBちゃんに観せてもらった。それに『パラノイアック・ライヴ』の音だけテープに録音してもらって聴いてたなー。 ソフトも高かったが、その頃にはハードも値段が下がってきていたとはいえ、HI-FI録画再生ヴィデオ・デッキは定価200,000円以上はしていたと思う。今回記憶を頼りに私が買ったヴィデオ・デッキをネットで探してみたら、私が買ったのは、Victor HR555というデッキで定価は218,000円。1985年にグッドデザイン賞を受賞しているので、たぶん1986年頃に購入したのかなぁ。たしかバイト代貯めて買った覚えがある。私が『パラノイアック・ライヴ』のソフトを購入したのは廉価再発になった3,400円(税抜)型番:34HC-345のVHSテープ(右上のジャケ写)。 ラフォーレミュージアム赤坂のステージにはロシア語・キリル文字...

追悼・LEW LEWIS LEW LEWIS & REFORMER「SHAKE AND FINGER POP」

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RIP...Lew Lewis

追悼・村上 “ポンタ” 秀一

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村上 “ポンタ” 秀一逝去。 ステージを見たのは泉谷しげるwith LOSERの時に数回だけど、存在感と、迫力というか圧力を感じるドラムは一度見たら聴いたら忘れられない。 右上の写真は泉谷しげるwith LOSERのライヴ盤『HOWLING LIVE』ブックレットより。 RIP…。

デイヴィッド・リンチ&クリスティン・マッケナ著・山形浩生訳『夢みる部屋』

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2020年10月24日 フィルム・アート社より出版。 デイヴィッド・リンチの伝記/自伝の邦訳が刊行された。ハードカバー、総ページ数704、価格4,500円(税抜)、重い…。原書は2018年にランダム・ハウス社から出ていたようだ。私は邦訳発売後、1ヶ月くらいしてから購入したものの、本の厚さと重さに恐れをなしてか、なかなか手に取らず、やっと読み始めても読み進むスピードが遅かったが、『ブルーベルベット』あたりのエピソードからは一気に読み進み、先日やっと読了。 16の章からなり、リンチ出生から、幼少時代、アートへの目覚め、絵画制作、学生時代、映画制作開始、『イレイザーヘッド』制作、その反響から『エレファントマン』制作と成功、『デューン』制作と失敗、その反省から『ブルーベルベット』制作、テレビドラマ『ツイン・ピークス』の大きな成功、その後、数々の映画制作とテレビドラマ制作、 舞台、絵画、写真、音楽、ウェブ・サイトでの作品発表等、リンチの生まれた1946年1月20日から2017年『ツイン・ピークス・ザ・リターン』放映までの71年を振り返る。 評論家・ジャーナリストのクリスティン・マッケナが関係者にインタビュー・取材をおこないリンチの足跡を記し、その後にデイヴィッド・リンチが同時期の出来事を回想する。つまり各章では、同じ時期を取材者とリンチ本人が辿ることになり読者は同時期を2度読むことになる。 もちろん視点が違うので、同じ出来事を扱ってもその感じ方や捉え方が違うから、面白いと言えば面白いのだが読者としてはややまどろこしい。 訳者の後書きに書いてある通り、その手法はリンチらしいとも言えるのだが、それで本が厚くなっているのでは…。まず客観的な視点で書かれた出来事を読み、その情報に基づいて読者が頭に描くであろう映像に、リンチが主観的に語るその手法はDVDやブルーレイで言えばコメンタリー的と言えるかも。 実現しなかった映画…『ロニー・ロケット』、『ワン・サライヴァ・バブル』、『ザ・ドリーム・オブ・ザ・ボヴァイン』をはじめ、現れては製作できず消えてゆく計画の数々、『ブルーベルベット』後にマーク・フロストと映画化をすすめていた、マリリン・モンローの死にケネディが関与していたという、モンロー最後の数ヶ月を追った『女神』、『ローラ・パーマー最後の7日間』の後に映画化を構想していたという伝説のブル...

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』

  NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が終了。 大河ドラマを最初から最後まで見たのは、『龍馬伝』、『いだてん』に続いて3作目か。 織田信長といえば私的には半村良著の小説『戦国自衛隊』、そして原作をほぼ忠実にコミック化した田辺節雄の劇画。俗っぽくなってしまった映画版はともかく、劇画版は何度も読んだなー。自動小銃、迫撃砲、ヘリコプター、哨戒艇、装甲車等の兵器で武装した自衛隊が、その圧倒的な武力と作戦能力で戦国の世を平定し、自衛隊員がかつて生活していた民主主義の世界を遠くに見据え、天皇親政の政治体制を敷こうとした(それゆえ彼らの身を危うくする)物語は魅力的だった。その表現は日本国憲法下の現代(作品の発表時は1970年代)におかれた武装組織としての矛盾をも示唆していた。現代の武力により過去の歴史を修正するという伝奇ロマン。ラストは衝撃的だった。 それで『麒麟がくる』は信長の時代を詳しく描くのであれば面白そうだなーと思い、その織田信長役を、石井岳龍監督の作品『ソレダケ』で瞬発力のある主人公を演じ、『パンク侍、斬られて候』では腹ふり党に帰依してゆく役を怪演していた染谷将太とあれば、ラディカルでビザールな信長像を期待した。このキャスティングだけで見始めたといってもいいかも。その染谷信長に、長谷川博己演じる明智光秀がどう絡んでいくか興味があったし、戦国に平和(麒麟がくる世)を求めるストーリー、ということで、戦国の世に平和を希求するということがどう描かれるのか興味があった。 カラフルな衣装が特徴的だったし、もっくん(本木雅弘)の過剰かつ鋭利な演技も見ていて面白かった。駒ちゃんは可愛らしいし、伊呂波太夫もはまり役だった。それに帰蝶役の川口春奈は美しかったし演技も素晴らしい。コロナ中断前はかなり帰蝶様ポイント高かったけど、再開後はあんまり出演がなかったのが残念。最終回のひとつ前、光秀と帰蝶のふたり、幼馴染が思い出話をするように信長の暗殺を語り合うシーンが妙に心に残ったな。 帰蝶には道三と光秀が今の信長を作ったと言われ、信長自身にはお前が私を変えたのだと言われた光秀。民を大事にする大きな国を作るはずだったのが、信長と光秀の溝は深まり、ふたりの歩む道は離れてゆくばかりだった。光秀の慕う足利義昭を殺してこいと言われ、もはや自分で蒔いた種は刈り取らなければならないと決意した。 最終回、本能寺...

FILMS BY ボブ・グルーエン アンド ナディア・ベック『NEW YORK DOLLS・ALL DOLLED UP』

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2006年5月24日、コロムビア・ミュージック・エンタテイメントよりリリースのDVD。 昨年シンコーから出版された「コンプリート・ジョニー・サンダース」を読んで続いているジョニー・サンダース関連の音源探訪。 ニューヨーク・ドールズはオリジナル・アルバム2枚と編集盤『ロックン・ロール』を聴いているものの、その実像は私にとって掴みにくかった。動くドールズも見てみたい!と思っていたところ(まぁYouTubeでも見られるんだけど)、たまたま中古で見つけたこのDVD。たしか『コンプリート・ジョニー〜』にも掲載されていたなーと思い出し購入。 『ALL DOLLED UP』はフォトグラファーのボブ・グルーエンと妻のナディア・ベックがソニー・ポータパックという初期の家庭用ビデオ機材を購入、 3年間に渡りビデオ撮影された40時間以上の映像から厳選した映像で制作されたDVD作品。本編は約1時間30分ほどの全編モノクロ映像、良好とは言えない音質だが、マックス・カンサス・シティやマトリックス、ウィスキー・ア・ゴー・ゴー、ヒッポドロームなどのステージ・シーン、オフ、ツアー同行、テレビ出演時、リラックスしたインタビューなどの映像を見ることができる。 オープニングのスリリングな「Courageous Cat Theme」からエンドロールのシルヴェイン作「Teenage News」までラウドでナスティ、ポップなドールズの魅力を堪能した。『コンプリート・ジョニー・サンダース』のなかのジョニー・サンダース映像作品を紹介するページ(文・谷川信太朗)には、このDVDのことを“ 情報が0から100になった感はある ”と記載しているが、まったくそのとおりの作品。本編ではドールズの演奏シーンは細切れになっているが、ボーナス・フッテージにはその中から下記の12曲がフル演奏で収録されている。 at Kenny's Castaways 1. Human Being 2. Bad Girl at Max's Kansas City 3. Subway Train 4. Trash at Whisky A Go Go 5. Vietnamese Baby 6. Looking For A Kiss 7. Jet Boy at The Matrix 8. Mystery Girls 9. Personali...

追悼・南正人

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南正人逝く。 南正人の曲を聴いたのは『第4回全日本フォーク・ジャンボリー1989』のCDに収録されていた、「スタート・アゲイン」が初めだったろうか。その後どこかの中古レコード屋でアナログ盤『南正人』(オリジナルリリース1973年)のジャケットを見て、これは買わなきゃいかんな、というある意味ジャケ買いであった(右上のジャケ写)。私が買ったのは1980年の再発盤だが、キャラメルママの演奏に、迫力と繊細さを兼ね備えた南正人の歌声、スワンプな味わいのある名盤だった。 それから『回帰線』(オリジナルリリース1971年)のCDを入手。こちらの演奏もリズム隊は細野+林立夫で1曲目の「Train Blue」のかっこよさに痺れた。リリカルな「夜をくぐり抜けるまで」、熱い想いが溢れる「愛の絆」や「青い面影」等、このアルバムもブルース/アコースティックなテイストも感じられる名盤だ。裸のラリーズの水谷孝がギターで演奏に参加した「果てしない流れに咲く胸いっぱいの愛」でアルバムの最後をキメている。「夜をくぐり抜けるまで」と「愛の絆」はオムニバス『OZ Days』に弾き語りで収録されていたな。文字通り命尽きるまで歌い続けた。 耳の奥底に残る南正人の歌声は、いつまでも我々の胸をきしませるだろう。

私の放浪音楽史 Vol.88 JOHNNY THUNDERS & THE HEARTBREAKERS『L.A.M.F. Revisited』

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1984年、Jungle Recordsよりリリースのアルバム(日本では1984年、SMSよりリリース)。 1984年にリリースされたジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズの『L.A.M.F. Revisited(邦題:L.A.M.F.〜復活)』。 このアルバムを聴くきっかけはもう覚えていないのだけれど、たぶんジョニーのソロ『ソー・アローン』を借りて聴いて気に入ったことから、ジョニーがソロ以前に発表していたグループの作品ということで日本盤アナログをやはりH君から借りたんだと思う。黒地にスプレーペイント風にL.A.M.F.とピンクで印刷されたジャケット・デザインはヴィヴィッドな印象を受けたし、当時は “ REVISITED ” といっても私はオリジナル盤『L.A.M.F.』を聴いていないから比べようもなく、私にとっては初めて聴いた『L.A.M.F. Revisited』が長年オリジナルといってもよかった。 1984年当時既にパンク・ロックからニュー・ウェイヴへと興味が移っていたものの、パンクというカテゴライズよりも、プリミティヴな魅力にあふれた、もっと根源的な魅力にあふれたロックンロールの作品として聴けた。アナログ盤からカセットテープに録音して愛聴したなぁ。 “ L.A.M.F.” ジョニー達が少年時代暮らしていたニューヨークで跳梁跋扈していたストリート・ギャングが壁に残すスプレー文字で“ Like A Mother Fucker ” の略。アルバム・タイトルにしたのはジェリー・ノーランのアイディアだという。オリジナル盤のジャケットではHEARTBREAKERS名義だったが、このリミックス盤ではJohnny Thunders & The Heartbreakers名義に変更されている。 “ REVISITED ” 調べてみると、再訪、再考、見直し、という意味があるようだけど、1977年秋にロンドンで録音・英トラック・レコードからリリースされたオリジナル盤のミックスに不満があったバンドや、ミックス/音質に批判的なメディア、リリース後1978年春頃にはトラック・レコードが倒産したため長く廃盤状態が続いた『L.A.M.F.』という曰く付きのアルバムにとって、6年余り後の1984年2月にジョニー・サンダース(アシスタントはジェネレーションXのトニー・ジェイムス)...

NHK連続テレビ小説『エール』

  NHK朝ドラ「エール」終了。 新型コロナウィルスの影響で撮影と放送中断もあり、最後は駈け足となった印象だが、通じて面白く見ていられた。最初の原始人のシーンやオヤジ幽霊登場、途中のバンブーの2人のなれそめや、オペラ歌手の環(柴咲コウ)と恋人とのエピソードなど意表をついたり突然挿入された逸話も面白かった。 最終話の自宅の床から砂浜へ続く演出も優しく想像力にあふれたシーンだったと思う。戦場のシーンでは、歌の練習をする兵士たちの野太い声に混ざった森山直太郎の高い声に、寂しさと虚しさを感じ、赤く染まった水溜りのシーンに息を呑んだ。 主人公のモデルとなった古関裕而の作品だが、具体的に歌のタイトルなど知らないものの、メロディは聴いたことがあったり、この曲も古関作品かーという程度の関わりしかないけど、ネットで調べると軍歌、応援歌、社歌、自衛隊歌、仏教歌と、歌謡曲にとどまらない幅広い作曲活動していたんだな。 手元にある古関作品としては、ヒカシューの巻上公一がソロアルバム『民族の祭典』(1982年)の中で歌った「イヨマンテの夜」と、リザードのモモヨがTHE UNLIMITED DREAM COMPANY. Featuring NUTS名義でリリースした、12インチ・シングル『MOTH-LAH』(1983年)の中でRiekoにより歌われた「モスラの歌」。エキゾチックな旋律が耳に残る、この2曲がやはり馴染みがあるなー。 エールの最終回・カーテンコール、「イヨマンテの夜」を歌う馬具職人・岩城(吉原光夫)、 「モスラの歌」を歌う、藤丸(井上希美)と千鶴子(小南満佑子)、が聴けたのもよかった。 そういえば主人公の娘の結婚式でロカビリー歌手アキラ(宮沢氷魚)がバンドで歌うシーン、 結構な長さで演奏が放送されて、なかなかロカビリーな曲と演奏でカッコいいなと思っていたら、演奏にはロカビリーバンドThe Biscatsのメンバー、ギター&ベースが参加していた。

Kadoi The Heartbreak & Hiroshi The Golden Arm監修「『JOHNNY THUNDERS Complete Works - the Art of Cosa Nostra」

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2020年4月11日 シンコーミュージック・エンタテイメントより出版。 しばらく前に出版されたジョニー・サンダースの全仕事(2019年にリリースされた音源まで)をまとめた労作。大きさがA4判で、個人的にはこの手の本としては、ちょっと大きいなーと思って購入するのを迷ってたんだけど、結局6月頃に買ってみて、ジョニー本人、ウォルター・ルアーやパティ・パラディン、ニーナ・アントニア、グレン・マトロック等のインタビューを読んだり、メモラビリアや、アナログ盤ベースで大きく紹介されているニューヨーク・ドールズ、ハートブレイカーズ、ソロ作をパラパラと眺めて、やはり大きい、重い、と言う本だったのだが、日本盤CDの帯付ジャケット写真がずらりと掲載されているのが壮観。 初版から再発されてるもの、再々発されてるもの、小さい写真ながら125枚が並んでいて、リリース年、カタログ番号、短くコメントも記載されてるのを見て、これは凄い本だ、という思いがじわじわと湧いてきた。 ジョニー・サンダースはそれほど枚数聴いてない。 ソロ・アルバム『So Alone』を聴いたのは1980年代初め頃か。1984年にリリースされた『L.A.M.F. Revisted(邦題:L.A.M.F.〜復活)』、ライブ盤『DTK』、リチャード・ヘル在籍時のハートブレイカーズのライヴ盤『What Goes Around』や『Live At Mothers』、ROIRからカセットで出てた『Too Much Junkie Business』、アコースティックな『ハート・ミー』、このくらいか。『コピー・キャッツ』は聴いてないな。あとニューヨーク・ドールズのファースト、セカンドか。 1988年2月6日に渋谷公会堂でおこなわれたイベント、THE COVER SPECIALでジョニー・サンダースを見た。 ピンクのスーツに身を包んだジョニーは、ディランのカヴァー「Joey Joey」、ジョニーのオリジナル「You Can't Put Your Arms Round A Memory」をアコースティックの弾き語りで演奏した後、G花田裕之、B寺岡信芳、D Kiethという職人肌のミュージシャンをバックに、ギターをレスポールJr TVに持ち替え、「Gloria」、「Rock Me Baby」を演奏、その派手な佇まいもさることながら、次第に自...

陣野俊史著『ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説』

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2020年10月26日 河出書房新社より出版。 陣野俊史が2000年に出版した、じゃがたらの評伝「じゃがたら」は、バンド活動当時じゃがたらを聴いていなかった私に、じゃがたらの音楽の素晴らしさを教えてくれた本だった。その陣野俊史が新たにザ・ブルーハーツの本を出版した。 ザ・ブルーハーツが1987年にインディで出したシングル「人にやさしく c/w ハンマー」、同じく1987年にリリースしたメジャーデビュー・シングル「リンダリンダ c/w 僕はここに立っているよ」は友人に借りて聴いた。ピストルズやクラッシュ・タイプのパンク・ロック。 1987年…。セックス・ピストルズの解散からは9年が経ち、1985年にはクラッシュも解散、ダムドやストラングラーズも音楽性を変えていたし、1982年にザ・ジャムを解散したポール・ウェラーはスタイル・カウンシルを結成、ジャズやソウルを取り込み音楽性を大きく変えていた。 1980年代も半ばを過ぎての初期パンク・ロック・スタイルには今更感があり、ブルーハーツの活動していた当時、私は特に好んで聴いていたわけではなかった。だけど1989年にリリースされた真島昌利のソロ・アルバム『夏のぬけがら』を聴いて気に入り、遡ってザ・ブルーハーツも聴くようになった。 『ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説』は、バンドの経歴や当時の世相を折り込み、現代の視点からザ・ブルーハーツの歌詞を詩として読み解く、という本で、新型コロナウィルス感染に怯える現代に再び読まれているというカミュ著「ペスト」を通して「リンダリンダ」で歌われるドブネズミを読み解き、「チェルノブイリ」は反原発なのかを考察、「手紙」でヴァージニア・ウルフを紐解き、マーシーのソロ作品をも取り上げる。「少年の詩」や「世界のまん中」で孤独と世界を対比し、「すてごま」や「やるか逃げるか」で自衛隊派遣との関連を検証、「幸福の生産者」や「ヒューストン・ブルース」でブルーハーツの解散について考えてみる、といった具合だ。 この他にもブルーハーツにとどまらず、ハイロウズ、クロマニヨンズからも歌詞がセレクトされ、取り上げられている。バンドメンバーや関係者の言葉は過去出版された書籍やインタビュー記事を参照していて、直接のインタビューはない。歌詞、および歌詞の背景の考察・解釈としては文学的側面からのアプローチとなっていると思うが、ヒロ...

浅川マキ『SINGLE COLLECTION』

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2020年9月30日、ユニバーサルからリリースのコンピレーション・アルバム。 配信限定でリリースされていた『シングル・コレクション』が、浅川マキ没後10年となる2020年に初CD化された。 浅川マキというと下山淳と池畑潤二、奈良敏博 が参加した曲を含むライヴ・アルバム『夜のカーニバル』や 『Stranger's Touch』、『black』といったアルバム、ビクター・ニューロック・シングル集『からのベッドのブルース』に収録された浅川マキのデビュー・シングル「東京挽歌 c/w アーメン・ジロー」を聴いたことはあった(ビクター・ニューロック・シングル集には頭脳警察のシングル曲が収録されていたので購入)。 上記の他には通販用と思われるベスト『夜が明けたら』(The CD Club)をどこかの古本屋で安く買ったくらいだった。 再デビューといってもいい1969年7月リリースの「夜が明けたら」から1988年12月リリースの「見えないカメラ」まで、東芝からリリースされた全11枚のシングルAB面の楽曲が年代順に収録されており、そのなかには初CD化のシングル・ヴァージョンを含み、CD2枚組で2,500円(+税)という価格でリリースされるというのだから、浅川マキ入門編として良いのではないかと思い購入。このシングル集で再デビューから約20年の浅川マキの変遷を(わずかな楽曲ではあるが)辿ることができる。 オリジナル・アルバムを持っていないので聴き比べは出来ないが、ライナーノーツ(藤脇邦夫による・読み応えあり!) より引用すると、 シングル・ヴァージョンを収録しているのは、 「夜が明けたら」:蠍座でのライヴ・ヴァージョン 「ちっちゃな時から」:ヴォーカルの音量を上げたシングル用ミックス 「ふしあわせという名の猫」:ストリングス入りの別テイク 「港の彼岸花」:アルバムとは別テイク 「赤い橋」:シングル・ヴァージョンと記載があるが違いの記載はなし 「こんな風に過ぎて行くのなら」:アルバムとは別テイク 「さかみち」:シングル・ヴァージョンと記載があるが違いの記載はなし 「翔べないカラス」:明大前キッド・アイラック・アート・ホールでのライヴ・ヴァージョン 「マイ・マン」:アルバムとは別テイク 「こころ隠して」:シングル用のエディット・ヴァージョン 「アメリカの夜」:1986年のアルバム『アメ...

水上はるこ「アインシュテュルツェンデ・ノイバウンテン、そして石井岳龍監督の『半分人間』」

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MUSIC LIFE CLUBに連載されている、水上はるこ「最低で最高のロックンロール・ライフ」 第4回 に「アインシュテュルツェンデ・ノイバウンテン、そして石井岳龍(当時は石井聰亙)監督の『半分人間』」が掲載されている。 ハンブルグ~西ベルリン~ロンドン~ローマ~東京。 水上はるこの足跡をたどり、東京で交差した若き才能の融合を書き下ろしで掲載している。なかでも石井聰亙が朝飯前と廃工場(鉄工所の廃墟)を探し出し、ゲリラ的に道路上の撮影を実行する記述には、ニヤリとしてしまう。 『半分人間』のヴィデオは日本では未DVD化だと思う。チェリーレッド・レコードでDVD化されていたけど(右上のジャケ写)これも廃盤になっているようだ。挿入されるスクラップヤードのカット、廃工場で炎をバックに演奏するノイバウンテン。舞踏集団・白虎社の起用もイマジネイティヴだし、電気ドリルやサンダーなど“楽器”が紹介されているのもユニーク。水上はるこはコーディネイターとしてクレジットされていた。 余談だけどレコーディング・ディレクターでクレジットされているのは柏木省三。たしかブリクサは『逆噴射家族』がドイツで上映された時に観てとても気に入り、石井聰亙にバンドのフィルムを撮ってほしいとアプローチしたとどこかで読んだ。

追悼・筒美京平

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作曲家・筒美京平逝く。 1970年代、1980年代の歌謡曲・アイドルのヒット曲は、歌唱が男でも女でも覚えようとしなくても覚えてる曲もあるし、今でも歌えるものもある。まぁ女性アイドルはシングル盤を持ってる曲もある。作曲リストを見ると「ブルーライトヨコハマ」かなぁ。最初にリアルタイムで聴いたのは。男性が歌った曲だと「また逢う日まで」だなぁ、子ども心に印象に残ったのは。思い出とともにある数えきれない曲たち。 やはり「強い気持ち・強い愛」かな。 50年以上におよぶ作曲家生活、お世話になりました。 

映画『BLADE RUNNER』FIVE-DISC ULTIMATE COLLECTOR'S EDITON DVD

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 『ブレードランナー』のブルーレイ(3ヴァージョン収録版)を買ったり、『ブレードランナー2049』をレンタルで見たり、町山智浩著『映画の見方がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』や『ブレードランナー究極読本』を買ったりして自分の中でブレードランナーがちょっとブームだったのは去年の2月頃だったが、ようやく“2つで充分ですよ”の謎の答えを目撃できた。 ワークプリントを収録している、2007年にリリースされた『25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション』を購入。まぁブルーレイ版もあるけど、中古で安かったのでDVDボックスにした。“2つで充分ですよ”の謎の答えとなる映像はワークプリント版とこのボックスに収録されている未公開シーン集にも登場する。その2つの物はワークプリントと未公開シーン集では違って見えるのだが、わたしは未公開シーン集に映っているのが好み。あーすっきりした。 ワークプリント目当てでこのボックスを購入したのだが、ディスク4に収録されている未公開シーン集も劣らずというかそれ以上に興味深い内容で、ホールデンの入院シーンやデッカードとレイチェルの濃厚なラヴシーン、ブライアンとガフのオフィスでのデッカードに関する謎めいた会話など、劇場公開版では見ることができない知られざる『ブレードランナー』の奥深さを見ることができる。 同じようにディスク2に収録されている『デンジャラス・デイズ メイキング・オブ・ブレードランナー』も非常に面白い。あの“2つで充分ですよ”の屋台は“ホワイト・ドラゴン”という名前の店だった。『ファイナル・カット』も初めて見た。鳩の飛び去るシーンはこれまでのものが私は好きだ。たとえ状況と矛盾していても、青空に飛び去る鳩はロイとデッカードの死闘の後には相応しい。

JAJOUKA『ASADACARIBU』

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2020年9月16日、LABORATORY RECORDSよりリリースのアルバム。 前作リリースから約3年半ぶりのJAJOUKAの新作。 ほぼ日本脳炎のメンバーが揃い2016年にバンド名がひらがな表記になり、前作『じゃじゅうか』を2017年にリリース、さらにバンド名は日本脳炎じゃじゅうかに変更。2018年初頭にはバンドHPのブログに日本脳炎のヴォーカルだったキイチをバンドに誘っていたという逸話が掲載されていた。数度バンドに誘うもキイチは ”このバンドで俺に何が出来るか自信がない” と固辞した、とある。日本脳炎再生は実現しなかった。2019年にはバンド名がじゃじゅうかに戻り、ベースの130が去り、ヒノ(=松)は弾き語りライヴを始め、2020年早々にはギターのパティ脱退の報告が。 Vo/G ヒノ& D マルは、2人でユニットとして活動していくことを確認、バンドスタイルの音源(つまり前作)は、じゃじゅうかのファーストアルバムにはしたくないってことで今回、全てを自身(Vo/G ヒノ& D マル)の力で製作しようとPCやソフトを一新し自らが納得のいく音源をDIY作成したのがこのアルバム。バンド結成10周年記念盤。 収録曲は、 1. DRY 2. WHY 3. FRUSTRATION ARMY 4. 真夜中のシークレット 5. 100%の退屈 6. 流線形 7. 紛れ込んでブルー 1はJajoukaの3rdシングル「ERECTROCK」収録曲の再録。 2は前作『じゃじゅうか』に「Why...!?」として収録されていた曲の再録。 3も前作『じゃじゅうか』収録曲の再録。 4はJajoukaの3rdシングルや前作『じゃじゅうか』収録曲の再録。 5は日本脳炎のアルバム『香港カフェ』やTHE BACILLUS BRAINSのアルバム『電撃都市通信』、前作『じゃじゅうか』収録曲の再録。 6は日本脳炎の代表曲で『狂い咲きサタデーナイト』収録曲の再録。 7はJajoukaの1stシングルやJajoukaの3rdシングル、前作『じゃじゅうか』収録されていた「僕と悪魔のブルーズ」を改題して再録。 こうしてみると前作『じゃじゅうか』収録曲をプラスして、エレクトリッック/テクノ路線を追求した3rdシングルを発展させたものといえるか。 現体制での最初の音源ということで、前作収録曲を再録音...

佐野元春&ザ・コヨーテバンド「エンターテイメント!」

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  NHK「SONGS」佐野元春を見る。 インタビューした武田真一アナは熱心な元春ファンだそう。ライヴはコヨーテバンドと、 「約束の橋」 「ニューエイジ」 「エンタテイメント!」 の3曲を演奏した。 「約束の橋」 いつの間にか佐野元春の代表曲になったな。この曲を聴くと牧瀬里穂とゴローちゃんを思い出す。“くるおしくミツバチの群をすり抜けながら”って歌詞が好き。 「ニューエイジ」 革新的アルバム『VISITORS』収録曲。“昔のピンナップはみんな壁からはがして捨ててしまった”って繰り返すところが好き。アズテック・カメラ「Walk Out Winter」の一節を思い起こさせる。 「エンタテイメント!」 新曲。YouTubeにこの曲のヴィデオがアップされた時に聴いた。その時は、苦しい時をエンタテイメントが癒すっていうアップテンポでポップな曲だな、と思ったのだが、今回「SONGS」で初めて歌詞を読んで、これはエンタテイメント業界に向け痛烈に異議申し立てたシリアスな歌詞だな、と思った。佐野自身もRolling Stone Japanのインタビューで “エンタテイメントへの愛と皮肉の背中合わせって感じ ”と語っている。爽やかなアレンジの演奏にのせて、 It's just entertainment 束の間でいい イヤなことを忘れる夢のような世界 と歌い、あたかもエンタテイメント讃歌のように聴こえてしまうが、転調部分ではこう歌われている。 落ちてゆく星を見ていた夜 It's just Entertainment 誰もが落ちてゆくあの人を見ていた夜 It's just Entertainment この曲は去年(2019年)に書かれたというが、最近輝きを消してしまった幾つかの星を思うと、またせつなく響く。

モリッシー著・上村彰子訳 『モリッシー自伝』

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2020年7月17日 イースト・プレスより出版。 モリッシーの自伝がついに邦訳刊行。原書はPenguin Classicsから2013年10月に出されていた。 ジョニー・マーの自伝(邦訳は2017年)を読んだ時、モリッシーの自伝は無いのかな?と調べたことがあったが、その時はモリッシーの自伝の邦訳は認められなかった、みたいなことをどこかで読んだ。なので邦訳が出版されることを知った時は、モリッシーの言葉でザ・スミス結成〜解散の真実を知ることができるんだろなーと、非常に期待は高まったのだが…。 もちろんそんな簡単な単純なお気楽な事柄ではなかった…。 邦訳はハードカヴァー、448ページ、章立ては無し、重い…。 自伝はモリッシーの幼年期から始まるが、関わり合う人間への、学校への、先生への、友人への、地域への、家族への延々と続く恨み節。小学校生活は “ 人を不幸にさせる力を持っており、その力だけがこの小学校が発するメッセージだった ” と記されている。公立小学校を11歳で卒業すると、当時のイギリスでおこなわれていた11歳にして学力により進む道を選別する「イレブン・プラス」という試験を受ける。このモリッシー自伝では、 成績上位25%が大学進学を前提とした中等教育機関「グラマースクール」へ進学、 その下の成績の子供は技術学校の「テクニカルスクール」へ、 さらに下位の成績の子供は「セカンダリーモダンスクール」という手に職をつけることを目指す学校に入る、と説明がある。 イギリスのミュージシャンの生い立ちを読んでいるとよく目にするこの「イレブン・プラス」試験。ジョニー・マーの自伝にも「イレブン・プラス」についての記述がある。マーはイレブン・プラスに合格、グラマースクールへ進学しており、ザ・スミスのベーシスト、アンディ・ルークもマーと同じ学校だった。マーは入学時のことを “ 中流者階級や上流者階級の子と一緒になるのは生まれて初めてだ ”と記している。 モリッシーはこの「イレブン・プラス」試験に通らなかった。 “ 将来は不安定。未来は運命づけられ (中略)より暗い場所に行かなくてはならなくなった” と絶望し、中等教育卒業に際しては “ セント・メリーズ(モリッシーの通った中等校)での日々は、私に永遠にダメージを与えた” と記している。 モリッシーの音楽の興味はT-REXからデヴィッド・ボウイ...

イヌイジュン著『中央線は今日もまっすぐか? オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』

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2020年6月26日 シンコーミュージック・エンタテイメントより出版。 ザ・スターリンのアルバム『trash』再発とほぼ同じタイミングで刊行されたイヌイジュンによるザ・スターリンと遠藤ミチロウ回顧録。 この本は、東京・国立市にあったぶどう園のアパートのシーンから始まる。 国立にあったぶどう園アパートについては、これまでに読んだことがあった。たとえば、元ミュートビートでDUBトランペッターのこだま和文は、 “ 国立市の西、当時「ぶどう園」と呼ばれていた一画があった。ぶどう畑を囲むように百軒ほどのバラック風のアパートがあった。売れないミュージシャンや画学生、ヒッピー風の若者たちが住んでいた、ぼくも、その中の一人だった。忌野さん縁の地でもある。” (こだま和文著『空にあおいで』K&Bパブリッシャーズ刊より) また、ガセネタのベーシストだった大里俊晴は、 “ 一橋大学の裏手にある、ブドー畑とか、ミュージシャン長屋、というと、知る人は知っているが、何十何百と知れぬミュージシャン、ミュージシャンの卵、自称ミュージシャン、その他モロモロの巣窟だ。 この、年間家賃滞納額が数百万とも噂される大集合住宅地に(中略)くだんのドラマー、乾の部屋を探し続けていた。”(大里俊晴著「ガセネタの荒野」月曜社刊より) ここでガセネタのメンバー(大里、浜野純、山崎春美)3人が訪ねて行ったのがイヌイジュン(乾純)だった。 イヌイはガセネタのドラマーになり、1度だけガセネタとしてライヴをおこなう。イヌイが遠藤ミチロウと出会う以前1978年のことだ。そして1979年春、イヌイは同じくぶどう園に住む遠藤ミチロウに声をかけた 。「パンク、好きなん?」 イヌイジュンはドラマーとして、ザ・スターリン以前のコケシドール〜バラシ〜自閉体から遠藤ミチロウと音楽活動を共にしていた。 コケシドール(1979年4月〜6月)〜バラシ(1979年7月〜10月):Vo&G・遠藤ミチロウ、D・イヌイジュン、B・辻村信也 自閉体(1979年10月〜1980年2月):Vo・遠藤ミチロウ、D・イヌイジュン、G・尾形テルヤ、B・立山ヒロキ 尾形と立山が脱退した1980年初頭、ミラーズ のヒゴ・ヒロシがミチロウとイヌイの写真を撮りたいと連絡があり、吉祥寺マイナーがあったビルの屋上で撮影。この本の巻頭にこの時撮影された7枚の写真が...