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『私たちが熱狂した 80年代ジャパニーズロック』執筆陣集合・80年代邦楽ロック鼎談

先日紹介した『私達が熱狂した80年代ジャパニーズロック』に寄稿している小野島大、中込智子、兵庫慎司の特別座談会が総合カルチャーサイト・Real Soundに掲載された。 この本を読み終わった後に、80年代ジャパニーズロックを振り返る評論家や当事者による座談会が載っていればよかったのになぁ、と思っていただけにタイムリー。 80年代邦楽ロック鼎談(前編 ) 80年代邦楽ロック鼎談(後編) んー読んでも今一つ “80年代ジャパニーズロック” というものが何だったのか見えてはこないが、この座談会での結果は “何でもありの面白い時代で、日本のロックの思春期、青年期” ということになっている。

『芸術新潮 特集This is 江口寿史!!』

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2015年12月、新潮社刊。 雑誌『芸術新潮』で江口寿史特集。『芸術新潮』の漫画家特集で購入したのは大友克洋の特集以来だ。表紙の“2 Cow Girl”は、楠見清著の単行本『ロックの美術館』のカバーイラストからで、アンディ・ウォーホル “ダブル・エルヴィス” へのオマージュ作品。誌上「江口寿史」展や大友克洋との対談、「パパリンコ物語」第一話再録など約60ページほどの内容。 誌上「江口寿史」展では “The 10th Music Revolution”(2015年)のポスターがカッコいい。ヤマハが主催しているだけあって、持ってるギターがヤマハSGで、カラーがホワイトっていうのもセンスいいなぁ。あと江口寿史が手がけたCDジャケットを集めた写真もあるけど、Shiggy Jr.やスカパラの最新シングル「嘘をつく唇」は写ってないな…。 一番の読みどころは大友との対談。楽しくもお互いにリスペクト感のある対談となっている。それと「パパリンコ物語」第一話の再録は面白い!この作品単行本未収録なんだ? “白いワニの事件簿”も掲載時のスリルと驚愕を思い出させてくれる。アート誌だけあって図版は大きくて綺麗。だけど、もうちょい特集のボリューム欲しかったなぁ。

『私達が熱狂した80年代ジャパニーズロック』

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2015年12月、辰巳出版刊。 1980年代の日本ロック・シーンを当時のバンド・メンバー、関係者の証言から振り返る。 注目のインタビューは、 仲井戸麗市:7ページ 杏子:3ページ 町田康:6ページ 梶浦徹也:4ページ 谷川千央(ブルーハーツの元マネージャー):6ページ 寺田恵子:4ページ 道下善之(元R&R Newsmaker誌編集者でBOOWYについて語る):4ページ というページ数(いずれも写真ページは除く)でちょっと少ない印象。文字も大きめだし。もうちょっとページ数増やして掲載してもよかったんじゃないのかなぁ。 また、証言・懐古談として、 森川欣信(キティ・レコードでRCサクセションの元担当ディレクター) 角田光代(作家・RCのファン代表か…) 田口トモロヲ ケラリーノ・サンドロヴィッチ に取材し4~5ページにまとめた文章。 他には、 ジャパメタや佐野元春やTMネットワークやインディーズブームや80年代後期バンドブーム、ネオGS、ガールズロックなどを音楽ライター達が振り返るコラムや考察、第1~5章までの各章には総論もある。まぁメジャーなところが主な内容の本だけど、このあたりには色んなバンド名も登場する。 んーこうして一冊読んでみて、アーティストのインタビュー/証言では仲井戸、町田、田口あたりは “熱狂” というよりは冷静な視線のほうが伝わってくる。BOOWYのブレイク、ブルーハーツ以後、インディーズ・ブーム、バンドブームの到来を “熱狂した” 80年代といったほうがよいかも。 町田康はこの本のインタビューで “なんとなくですが85年辺りまでと86年以降とでは、80年代もかなり違うかなと” と語っている。 総合カルチャーサイト・Real Soundにこの本のインタビューの一部が掲載されている。 町田康が語る80年代邦楽ロック 元ブルーハーツ梶原が証言するバンドブーム前夜

LOU REED, JOHN CALE & NICO『LE BATACLAN '72』

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2015年11月13日、ロック・ミュージック…バンドとオーディンス…を直接ターゲットにした攻撃から1ヶ月。 先日CDラックを何気なく見ていたら、バタクランはこの演奏が収録されたところだったんだな、と気付いた。 1972年1月29日、パリで再会したルー・リード、ジョン・ケイル、ニコが、ヴェルヴェッツ時代の曲とそれぞれのソロ曲を持ち寄ったアコースティックな一夜。公演はパリのテレビ局によって記録され、2003年になってAlchemy EntertainmentからCDがリリースされている。

私の放浪音楽史 Vol.67 早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』

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1969年11月10日、URCよりリリースのアルバム。 ジャックスの曲を初めて聴いたのは、たぶん小学校の上級生…四年か五年生頃だと思う…学校で聴いた気がする…。授業だったのかな…聴いたのはジャックスの「からっぽの世界」だった。なぜ学校で聴いたのか覚えていないし、タイトルやバンド名をその時覚えた訳じゃないけど “僕唖になっちゃった…” という強烈な歌は忘れられず記憶に残った。キャンディーズや百恵ちゃんや淳子ちゃんやらアグネス・チャンやジュリーなんかの華やかな歌をテレビで見聞きしていた10歳くらいの子供には、聴いてはいけない歌を聴いてしまったような気がしたものだ。深い井戸(表現が古いな)の闇の底から聴こえてくるような歌と演奏で、詳しい内容は分からないもののこんな歌があるのか、という強い印象を幼い心に植え付けられた。 1969年8月にジャックスは解散、70年代で既に伝説化し70年代後半ではレコードの入手が非常に困難であったが、自分でジャックスのレコードを聴いたのは1985年にリリースされた編集盤『レジェンド』だったし、 「からっぽの世界」を再び聴くことが出来たのはラジオ用のスタジオ・ライヴ音源ながら、1986年にソリッドがリリースしたシングル「からっぽの世界」まで待たねばならなかった。 『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』はジャックスのヴォーカリストだった早川義夫の初ソロ・アルバムで、URCから1969年11月にリリースされた。私が聴いたのは1980年にSMSがリリースした再発盤で、1982年~83年頃に確かKG君が貸してくれたんだと思う。 ピアノやギターやオルガンの伴奏のみの素朴な演奏に、みじめで情けない姿の歌を、けれど芯のしっかりした声で歌う。ハードでテクニカルな演奏やラウドな音を長く好んで聴いてきた耳に、すーっと入ってくる簡素なサウンド。スピーカーから流れたこのアルバムの音は、夜の静けさに染み込み、当時の私の部屋にしっくりと馴染んで、まるで家具のように収まっていた。カセットに録音して何度も聴いたなぁ…。ジャケットも奇妙でインパクトがある。 “まっ赤に燃える夕日をせなに”のところがキマっている、数え歌のような「わらべ唄」に始まり、ピアノのフレーズが切ない「もてないおとこたちのうた」、(俳優の)大河内伝次郎のためのエレジーと副題がついている「無用の介」は奇怪な音...

早川義夫著『たましいの場所』

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2012年12月、筑摩書房刊。 早川義夫の本は1990年代に再刊された『ラブ・ゼネレーション』、そのあと古本で買った『ぼくは本屋のおじさん』を読んでたけど、音楽活動を再開した頃1994年からのエッセイをまとめた『たましいの場所』(初刊行は2002年)の文庫本を最近入手して読んだ。 これまでの本も、時に辛辣、時に心のずーっと奥を見つめないと見つけられないような表現で、自分の感情に素直な文章を書く人だなぁと思っていたけど、この『たましいの場所』はさらに包み隠さず赤裸々と思える。音楽活動を再開することによって気付いたこと、早川書店を閉店することで気付いたこと、まぁこのあたりは早川のパブリックな面の延長だから抵抗なく読めるのだが、章が進むにつれて妻、子供、兄弟という家族に関する内容には驚くこともしばしば。さらに早川の恋/恋人に対する事柄もあけすけ。 以前からの深い洞察力は不変。それが広く日常の事柄にもおよんでいるので、多くの人に読まれてもいるし、共感も得られているのだろう(性に対するアナーキーさも不変だ…)。アルバム『ひまわりの歌』(1995年)のプロデュースをした佐久間正英とのエピソードも面白かったし、早川義夫が母の病室で歌を歌うエピソードは歌の持つ不思議で特別な力を感じることが出来た。 早川義夫のパーソナルな出来事も刺激的な読み物だが、個人的には音楽活動に関連したエッセイがもうちょっと読みたいなとも思う。でもそのパーソナルな出来事が早川の作る音楽の創作のもとになるんだと思うとやはり興味深いのだが…。それでも “まだまだ、僕は本当の事は、ちっとも言っていない” と書く早川義夫。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を変わらず追及して音楽や言葉を生み出している。この本の他にも数冊ちくま文庫から出てるので読んでみようか…。 “あなたが一流で、私が三流なのではない。あなたの中に一流と三流があり、私の中に一流と三流があるのだ” 「今を生きる」より。

私の放浪音楽史 Vol.66 白竜『光州City』

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1981年11月1日、キティよりリリースのアルバム。 1980年8月26日、東京都内のスタジオで白竜バンドのライヴが行われた。ヴォーカルの白竜は佐賀県伊万里出身で本名:田貞一(チョン・ジョンイル)。ベースの川上茂幸とドラムスの武田治は元カルメン・マキ&OZ~ZONE、やはり元ZONEでギターの石渡輝彦、この時は大学在学中で後に1990年代日本の音楽業界を席巻する存在となるキーボードの小室哲哉というメンバー。 このライヴはレコーディングされ『シンパラム』というタイトルでその年の秋にリリースされる予定だった。しかし1980年5月に起きた韓国・光州市における民主化運動・蜂起を題材にした収録曲「光州City(バーニング・ストリート)」 の歌詞をレコード制作基準倫理委員会(レコ倫)が問題視しリリース中止となってしまう。その後白竜はアルバム『アジアン』を制作し1981年7月21日にリリースしているが、歌が消されてはならないという白竜達の尽力により、発売中止から1年後の1981年11月にアルバム・タイトルとジャケットを替えて自主制作としてキティからリリースされた。 スライド・ギターが活躍するロックンロール・ナンバー「現実」でアルバムは始まり、レゲエ・アレンジの「体を張って」、リリカルなピアノのイントロで始まるバラードの「飾らない女」に続いて、重たいリズムとギターリフを伴って戒厳令が布かれた光州のストリートの情景を歌うタイトル・トラック「光州City(バーニング・ストリート)」。実質上の軍事政権下にあった当時の韓国で民主化を求める民衆と軍が銃撃戦にまで発展した光州事件は日本でも大きく報道されていたし、リザードがセカンドアルバム『バビロン・ロッカー』(1980年)に「光州市街戦」というタイトルのダブ的な曲を収録している。日本にとっても衝撃的な事件だった。 「光州City(バーニング・ストリート)」は間違いなくアルバムのハイライトだが、この曲で白竜が社会派というイメージが強くなったのも事実だろう。私自身もそういう思い込みを持ったし、そういう歌を歌ってほしいとも思ったが、今回改めてこのアルバムを聴いて、他の曲では厳しい現実と個人が向き合っているパーソナルな内容の歌が多い。歌声も曲調も尖った感じではなく、もっとまろやかさを持っていて、真っ直ぐでオーソドックスなロック・シンガーという...

私の放浪音楽史 Vol.65 ENNIO MORRICONE「SIXTY SECONDS TO WHAT?」

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1990年、BMGよりリリースのコンピレーション・アルバムより。 1982年のクラッシュ来日公演のテレビ放送やラジオ音源を見聞きして、メンバーが登場する時にかかっているカッコいいオープニングSEは何の曲だろうな、と思った。 後にウェスタンの映画音楽を使用しているというのはどこかで読んだのだろうけど、そういうウェスタンな雰囲気を持った曲だった。クリント・イーストウッドのマカロニ・ウェスタンは好きでテレビで放送される度に見ていた。どうやらそのイーストウッド主演のマカロニ・ウェスタンの曲を使っているらしい…でも、どの映画に使われている、何ていう曲なのか…。やはり有名な『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』のどれかだろう…などとあたりをつけて…。 家に『続・夕陽のガンマン』のテーマのシングル盤があった(父親が買ったんだろうな)。原題は“The Good, The Bad And The Ugly”、エンニオ・モリコーネ楽団の演奏だ。聴いてみると、これは違うな…。そのシングルB面には『夕陽のガンマン』のテーマが収録されていた。原題“For A Few Dollars More”。こちらはギター演奏に編曲されているようだ。聴いてみると、これも違うな。それからまぁ熱心に探してた訳じゃないが、ウェスタン・テーマ・ソング集みたいなレコードを買ったりしてたんだけど探し当てられなかった。 探していた曲のタイトルが「Sixty Seconds To What?」だと知ったのはいつ頃だろう。『リデンプション・ソング(ジョー・ストラマーの生涯)』には記載があるから、この本で知ったのかも…。ジョーが亡くなった後の2007年に出版された本だから、ずいぶん長い時間が経ってるな…。 「Sixty Seconds To What?」は1965年セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演のイタリア製西部劇映画『夕陽のガンマン』に使われていた曲で、イーストウッドが活躍している場面じゃなく、イーストウッドが探しているお尋ね者たちがアジトで裏切者を始末するところで使用されていた。60秒(Sixty Seconds)というのは、映画に登場する懐中時計がオルゴールになっていて、蓋を開けてオルゴールの音楽が鳴り、音楽が終わるまでが60秒、蓋を開けてオルゴールを鳴らすということが対決する...

私の放浪音楽史 Vol.64 THE CLASH『COMBAT ROCK』

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1982年5月14日、英CBSよりリリースのアルバム。 1982年1月クラッシュ来日。私は行かなかったけど、行った友人にパンフ見せてもらったなぁ。 NHK・FMで来日音源が放送されたし、NHKテレビの「ヤング・ミュージック・ショー」で来日公演(1982年2月1日中野サンプラザ)が放映された。“団結”と白抜き文字の赤い鉢巻を巻いたジョー・ストラマーの姿が強い印象を残した。当時はビデオデッキなんか無いから放送当日に見たんだろうな。今はYouTubeで見られるけど。1月~2月にかけての日本を含む東南アジア~オーストラリアツアーの後、1982年5月にリリースされたクラッシュ通算5枚目のアルバム。当初このアルバムには『Rat Patrol From Fort Bragg』という仮タイトルがついていたが、1982年4月に勃発したフォークランド紛争に抗議する意味でジョーにより『コンバット・ロック』に変更されたという。 1曲目は「Know Your Rights」。邦題は“権利主張”。ほぼワンコードで突っ走るロカビリーとウェスタン風味を付け加えたサウンドで若者に三大権利を叩きこむ。この曲は1982年4月23日に「Know Your Rights c/w First Night Back In London」として先行シングルとしてリリースされている(B面はアルバム未収録)。「Know Your Rights」は先の東南アジア~オーストラリアツアーでもライヴ演奏されていた。「Car Jamming」はアフリカンというか密林なリズムとエフェクターを効かせたギターが絡む奇妙な印象を持った曲。続いてミック・ジョーンズの歌う「Should I Stay or Should I Go」。ミックとエレン・フォーリーの関係を歌った曲とも、ミックとバンドとの関係を歌った曲とも言われた、緩急のあるロックンロール・ミュージック。アルバムから1982年9月17日に「Should I Stay or Should I Go c/w Straight Hell(edit)」としてシングルカットされている(英17位・米45位)。 トッパー・ヒードン作「Rock The Casbah」。誰もいないスタジオで、印象的なピアノ・リフにベース、ドラムのトラックをトッパーはひとり作り上げていた。やってきた他のメンバーはそ...

「小室等の新音楽夜話」予告 ゲスト・小山卓治

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TOKYO MX『小室等の新音楽夜話』11月7日(土)のゲストは小山卓治。 セッションは「種の歌」と「ハヤブサよ」。放送時間は19:00~19:30。 小山卓治をテレビで見るの、いつ以来だろう…。

私の放浪音楽史 Vol.63 斉藤哲夫『いまのキミはピカピカに光って』

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1980年6月21日、キャニオンよりリリースのシングル。 確かにこのシングルが発売された1980年半ば頃、この曲を聴いてはいた。いや正しくはテレビのCMで見ていた、というべきか。ミノルタ・カメラのコマーシャル、登場するのは宮崎美子。海辺の木陰でシャツとジーンズを脱いで水着姿になる映像は日本中の注目を集めるものだった。このCMがお茶の間デビューとなった宮崎美子は、爽やかなセクシーさ…アグネス・ラム系列な感じか…。そしてCMで流れた歌を歌っていたのが斉藤哲夫。CMの映像とともに斉藤哲夫の歌もお茶の間に浸透し大ヒットしたが、私は1980年頃フォーク関係のアーティストは全くと言っていいほど聴いていなかったので、この曲のシングル盤を手に取ったのはもっと、ずーっと後だ。たぶん1990年以降だと思う。斉藤哲夫のCBSソニーからのアルバムがCD選書で再発され聴いていた頃だ。友人からこんな話が耳に入ってきた。 “ あの斉藤哲夫が歌っていたCMソング「いまのキミはピカピカに光って」の演奏は(PANTA&HALの)HALがやっているらしいぜ ” 作曲と編曲は鈴木慶一。鈴木慶一が1980年初頭までPANTA&HALのアルバムを手掛けていた関係からありえない話ではないな、と思って中古で入手した。何しろ売れたトップテン・ヒット・シングルだから、その辺のリサイクルショップでも安く買えた(いまでもありそう)。キャッチコピー的な糸井重里の作詞で、当初CM用の長さ“いまのキミはピカピカに光って~”と歌う箇所しか作られておらず、CMがオンエアされてすぐにシングル発売されることが決まり、他の部分を付け足して1曲分にしたという逸話がある。 シングル盤のジャケットは表が瑞々しくキュートなポーズの宮崎美子の写真、シングル盤は大体そうだけどジャケ裏には歌詞が載っているのみで演奏者の名前はない。HALがレコーディングしているのか、演奏から判断するにも確かにそう言われればなぁ、という感じ。ギターと共に印象に残るキーボードのフレーズ。『1980X』はキーボード抜きで録音されていたが、アルバムリリース後にキーボードの石田徹がHALに参加してるし。 今回ネット検索してみたけど、あまり有力な情報は無かった。私が持っているムーンライダーズやPANTA&HAL関連の雑誌・本・CDブックレットを読み返してみ...

私の放浪音楽史 Vol.62 PANTA&HAL『1980X』

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1980年3月21日、ビクター/フライングドッグよりリリースのアルバム。 『モダーン・ミュージック』、『カメラ=万年筆』を続けて紹介したが、同時期に最も愛聴したと言っていいPANTA&HAL『1980X』も紹介しないと。ギターとベースにメンバー交代があり、PANTA&HALとしては2枚目のスタジオ・アルバム。前作の広大、雄大なイメージは拭い去られ、東京という都市をミクロな視線で捉えた内容になり、そのタイトルは(昭和)天皇崩御を見据えたものだった。 “インターナショナルな国家としての東京、その裏の一断面。ビルの路地裏のほんの一瞬をスライスしたもの”を描き、もうひとつのテーマとしてパンタが予期した“X-DAY”は、アルバム・リリースから約9年後、1980X=1989として現実のものに。 1曲目はバレリーナが履く靴がタイトルの「トウ・シューズ」。路地裏に捨てられたトウ・シューズ、つま先立ちで踊るバレリーナにかけて“背のびしたなれの果て”と歌われているのが彼女の末路を想像させる内容だが、深読みすると4曲目の「Audi 80」に通じるものを感じる。コーラス部分、フランス語は全然分からないんだけど “パ・ド・ドゥを私と一緒に踊ろう” って感じか。調べてみるとパ・ド・ドゥは男女2人で踊るバレエ・スタイルだという。トウ・シューズと同じくバレエに関連したワードだったんだな。プロデューサーの鈴木慶一により削ぎ落とされたサウンドはシンプルでソリッドになった。キーボードは使われていないため、ギターサウンドに工夫が施されている。誰も見向きもしないが、そこに捨てられているのが不自然なトウ・シューズ。その不安を増幅させるような揺らぐ高音のギターが耳に残る。 「モータードライヴ」は現代から見るとストーカーまたはパパラッチ的な内容だけど写真週刊誌(フォーカス等)の創刊はもう少し後だ。スピード感のある演奏が聴き応えあり。カメラのシャッター音に続いてニューウェイヴ的なアレンジの「臨時ニュース」。 シンセ類を使ってたらもっとテクノっぽくなったろうなと思う。言葉の使い方はさすが。 前曲の緊張感を引き継ぐ「Audi 80」。個人的にはアルバムの中でも特にお気に入り。1977年西ドイツで起きたバーダーマインホフによるシュライヤー誘拐事件を下敷きにしている内容(実際の事件で使われたのはアウディ10...

私の放浪音楽史 Vol.61 MOONRIDERS『カメラ=万年筆』

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1980年8月25日、パナム/クラウンよりリリースのアルバム。 『モダーン・ミュージック』と共に聴いていたのが、この奥村靫正デザインのジャケットに包まれたアルバム『カメラ=万年筆』。全ての曲が映画(に関連した)タイトルであり架空のサウンドトラック・アルバムとして制作された。アルバム・タイトルからして難解な印象だが、フランスの映画監督アレクサンドル・アストリュックが1948年に発表した映像理論から引用されている。奥村靫正がゴダールへのオマージュとして映画『小さな兵隊(原題:Le Petit Soldat)』のシーンを独自に写真にしていったという裏ジャケも凝った作りで、イマジネーションを刺激する出来栄え。 ムーンライダーズのアルバムの中では情緒・感傷を排したパンキッシュと感じる事の出来るものだ。それはアルバム冒頭の「彼女について知っている二、三の事柄」のスピード感に顕著なのだが、音響的なカヴァー「第三の男」のテーマを挟んで、続く「無防備都市」の冷たく性急でソリッドな感触、暗号のような歌詞の「アルファビル」、 ヒロシマに材を取ったアラン・レネ監督の映画"Hiroshima Mon Amour ”の邦題だった「24時間の情事」。ここまでが特にスピーディな展開だ。「24時間の情事」では"町にニュートロン・シャワー/やきついた彼女のシャドウ”と原爆をイメージさせる歌詞が歌われている。ベースラインが際立つ「インテリア」はベーシスト鈴木博文作、リズムトラックが実験的な「沈黙」、佐藤奈々子が歌う短い「幕間」でアナログA面が終了というのも気が効いた作り。 カヴァーで乱調気味のツイスト「太陽の下の18才」、言葉/単語の響きが面白い効果を生んでいる「水の中のナイフ」、 実験的な「ロリータ・ヤ・ヤ」はキューブリックの映画「ロリータ」からのカヴァー、かしぶち哲郎作「狂ったバカンス」。いつもはしっとりとした印象を持つかしぶち作品もこのアルバムではリヴァーブが効いたドライな出来上がり。刺激的な単語が並ぶ「欲望」、洗練されたサウンドの「大人は判ってくれない」、ラストはインストの「大都会交響楽」。 全曲が2分台~3分台の曲で短いことも印象をコンパクトにしていて、トータルで完成されたアルバムだ。実験的な要素も強く、聴き易いが難解な印象も。その実験精神は次作へと強く引き継がれることになる。 このアルバムに...

私の放浪音楽史 Vol.60 MOONRIDERS『MODERN MUSIC』

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1979年10月25日、パナム/クラウンよりリリースのアルバム。 ムーンライダーズを知ったのはPANTA&HAL繋がり(鈴木慶一による『マラッカ』と『1980X』のプロデュース)だったか、それとも1979年頃、雑誌「ロッキンf」かなにかに載ってたメンバー全員がヘルメットをかぶって演奏している写真を見たのが最初だったか…。後の映画『爆裂都市』に登場するスーパーポリスみたいな近未来的なヘルメットを被ったムーンライダーズの写真はインパクトあったなぁ。今で言うとMAN WITH A MISSIONの写真を初めて見たのと同じ感じ? それで初めて聴いたムーンライダーズのアルバムが『モダーン・ミュージック』だった。1981年頃だったと思う。音の質感というか聴いた感じがPANTA&HALの『1980X』に似てるなぁという印象があって、調べてみると『モダーン・ミュージック』は1979年7月~8月にかけて、鈴木慶一が足繁く通っていた原宿カル・デ・サックというバーと同じ建物の上階にあったスタジオ、ディスコメイト・スタジオで録音された。鈴木慶一がプロデュースしたPANTA&HAL『1980X』は1979年10月~1980年1月にかけて録音、こちらもビクター・スタジオと共にディスコメイト・スタジオがクレジットされている。もちろんバンドが違うし内容は別物だけれど、 両アルバムともに鈴木慶一が当時感じた時代の空気感がパックされているんじゃないか。 アルバムの冒頭は「ヴィデオ・ボーイ」。当時一般に普及していなかったヴィデオ鑑賞というより、テレビ中毒人間を描いた内容(同時期にリリースされたバグルス"Video Killed The Radio Star”との同時代性を感じる)。いまなら“スマホ・ボーイ”か。ソリッドなギターフレーズ、行き交う電子音、ヴォコーダーのヴォイスが印象的でアルバム中一番ニューウェイヴ化を感じられる楽曲。テクノ・ポップな「グルーピーに気をつけろ」、ハードボイルドな「別れのナイフ」、ディスコ通いのBoys&Girlsを描いたムーンライダーズ版"スターダスト・キッズ”「ディスコ・ボーイ」、「ヴァージニティ」は鈴木慶一の描く純潔または恋の衝動についての曲で当時から好きな曲。ここまでアナログA面。 このアルバムを代表する曲「モダーン・ラヴァーズ」。物質・...

私の放浪音楽史 Vol.59 佐野元春『SOMEDAY』

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1982年5月21日、Epicソニーよりリリースのアルバム。 アルバムに先駆け1981年6月21日にリリースされた佐野元春のシングル盤「Someday」のジャケットには佐野の写真に沿うように “Now we are standing inside the rain tonight”と手書き文字で書かれている。曲の中でも終盤に佐野はこのフレーズをシャウトしているが、ボブ・ディランの曲「Just Like A Woman」冒頭の一節 “Tonight as I stand inside the rain” にインスパイアされたものだ。 “土砂降りの雨の中に立っている”ようなイメージがティーンエイジャーだった頃の佐野を取り巻く状況を示唆しているようで思わずシャウトしてしまったのだという。 「Someday」という曲はティーンエイジ・イノセンスを守ろうとする者とそれを妨害しようとする者をテーマにした歌だ、と佐野は語っているが、歌われている内容から受けるイメージには、激しい現実という“雨”に打たれながらも、やり過ごしている若者達の姿がある。欺瞞に満ちた世界の流れをやり過ごしているクールでインテレクチュアルな若者達…。その彼/彼女はアルバム『サムデイ』の他の曲に登場する “ちっぽけな虹を目に浮かべた恋人” や “ハッピーマン” や “ダウンタウン・ボーイ”、 “誕生日を祝う2人” や “現代のドンナ・アンナ”、“ブルーな夢追い人”、“真夜中の旅人” や “虚無生産工場の勤め人” 達であり、 “街のブルーバード”、“サンチャイルド” であるのだろう。 イノセントで幸福感に満ちた歌詞に思えるが、その裏に佐野はCCRの「Someday Never Comes」を引き合いに出し、 “いつか”なんて来ないんだ、という意味を同時に含んでいる、と語っている。 だけど、 “いつかは誰でも愛の謎が解けて ひとりきりじゃいられなくなる” このラインは宣言と言ってもいいほどピュアな確信に満ちている。 「Someday」の冒頭で聴けるストリート・ノイズは、佐野元春がまだ会社員だった1979年9月、取材でロスを訪れていた時に街頭で佐野自身が録音したものだ。いつかアーティストとしてデビューできることを夢見ていた時の…。 さて、タイトル・トラック「Someday」の話が長くなったが、アルバム『サムデイ』リリ...

RICHIE HAVENS「JUST LIKE A WOMAN」

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最近ボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサート(1992年10月16日マディソン・スクエア・ガーデン)の映像を見た。ライヴCDは持ってるし、映像も所々観たことがあったけど、ほぼ全てのパフォーマンスを見たのは初めて。30周年とはいっても今よりも若い容姿のディラン、それに出演者。ルー・リードやジョージの姿も…。今から23年前だからなぁ。延々と続く大物たちによるディラン・トリビュート。当のディランは最終盤にしかでてこない。全ての大物を脇役にする、または全てのミュージシャンをバックバンドにする、なんてフレーズが思い浮かぶ。当時話題となったシニード・オコナーの場面も考えさせられるものだった。 そんな中でいいなぁと思ったのはリッチー・ヘイヴンズがギター1本で歌う「Just Like A Woman」。艶のある声と響きの良いギター。CDだとなんとなく流して聴いてしまっていたんだけど、演奏している姿を見て聴くと染みるというか感情に深く分け入ってくる。真っ直ぐに心に届くリッチーの声。彼もまた2013年4月に亡くなっている。リッチー・ヘイヴンズのアルバム欲しくなったな。 この曲のオリジナルはディランが1966年に発表したアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』に収録されている。ディランというと歌詞も読みたいので訳詞のある日本盤を手に入れる事になるのだが、その訳詞がいまいちフィットしないなぁ、と思ったのが「Just Like A Woman」だった。私が持っている『ブロンド・オン・ブロンド』は1990年代の前半に出たCDで訳詞は片桐ユズル。タイトルの “女の如く” という邦題もちょっと古めかしい。 “amphetamine”に“ヒロポン”という昭和20年代の薬の名前が使われているのに違和感があるし、 “She makes love just like a woman”が “いかにも女らしく股をひらくじゃないの” となっているのは訳し過ぎ、意訳し過ぎと思う。 “Woman”と“Little girl”の対比、大人の女性としての仕草や行動、容姿と、脆く傷つきやすい少女のような内面との対比がうまく伝わらない、と個人的には思うんだけど…何だか田舎のうらぶれた娼婦の歌みたいだなぁと。まぁそういう歌なのかもしれないけど。 この訳はCD『The 30th Anniversary Concert Cel...

私の放浪音楽史 Vol.58 THE PRETENDERS『THE PRETENDERS』

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1980年1月、リアル・レコードよりリリースのアルバム。 プリテンダーズを初めて聴いたのは1982年頃、このファーストかセカンド・アルバムだったか。もしかしたら『Extended Play』という編集盤だったかも。プリテンダーズの初期ではセカンドとメンバーが変わった3枚目が特に印象に残ってるけど、このセルフタイトルのファースト・アルバムも良いアルバムだ(このアルバムは全英1位・全米9位のヒット)。 マルコム・マクラーレンのブティックに出入りし、ピストルズ周辺の人脈でもあるクリッシー・ハインド率いるプリテンダーズは、パンキーなスタイルがありながら優しさのある曲が共存しているのが魅力。オープニングの強烈なラヴレター「Precious」やギターのミュートカッティングがキンキン金属的に響く「The Wait」(シングル「Stop Your Sobbing」のB面とは違うアルバム・ヴァージョン)、スピーディでキラキラしたサウンドの「Tattooed Love Boy」なんかはパンキーでカッコいい。 ニック・ロウのプロデュースでデビュー・シングル曲だった「Stop Your Sobbing」や、EBTGや日本だと山下久美子がカヴァーしたセカンド・シングル曲「Kid(邦題:愛しのキッズ)」は優しいソフトタッチの曲。「Stop Your Sobbing」がキンクスの曲(1964年のデビュー・アルバム収録曲)だというのはこのカヴァーで初めて知ったのだが、渋い通好みの選曲、シンプルでいい曲だなぁと思ったものだ。このカヴァーでキンクスというか60年代イギリスのビートグループにも興味持ったな(後のクリッシーとキンクスのレイ・デイヴィスが結婚~出産~離婚というのは驚きだった…クリッシーにとっては憧れの人だったらしい…初来日の時、同じく来日していたキンクスと同日同時刻に「Stop Your Sobbing」を演奏したというエピソードも…)。 「Kid」も低音弦の響きを使うイントロ、キラキラした高音のソロ、とギターサウンドのアレンジが素晴らしくドリーミー。 他にも重心の低い「The Phone Call」、練られたアレンジの「Up The Neck」、タイトルが時代を感じさせるインストの「Space Invader」(ベースのピートがこのゲームの名人だったらしい)、 レゲエ・スタイルの「Priv...

私の放浪音楽史 Vol.57 NON BAND『NON baNd』

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1982年2月、テレグラフ・レコードよりリリースのアルバム。 ロックバンドの楽器といえばギター・ベース・ドラムがありゃいい。加えてキーボードか。ホーンなんかソリッドさが失われるだけ…ましてストリングスなんて、などと思っていた時期が長くあったのだが、 このノンバンドのアルバムを聴いてヴァイオリンの音色の入った曲もいいなぁと思うようになったものだ。たぶんリリース後暫くして友人に借りて聴いたんじゃないかな。聴く音楽の種類の間口を広げてくれたディスクとも思う。 テレグラフ・レコードとしては5枚目のリリースとなったノンバンドの10インチ・アルバム。 ノンバンドの音源としてはソノシート2枚組『NON BANDIN' LIVE』と2曲参加したオムニバス『都市通信』に続くもの。地引雄一著『ストリート・キングダム』によると、当初シティロッカーレコードとの共同制作として始まった『NON baNd』のレコーディングだが、レコーディングが長引くにつれ、両レーベルの制作に対する意見の相違によりテレグラフからの単独リリースとなったという。ただリリースされたものはジャケットにテレグラフ/シティロッカー両方とも記載され、レーベル面に“TELEROCCA”となっているものもあるようだ(初回プレスのみか?)。  ノン以外のメンバーの移り変わりが多いノンバンドだったが、この頃はノン(ヴォーカル&ベース)、山岸騏之介(ヴァイオリン、クラリネット)、玉垣満(ドラム)のトリオ編成。モノクロームのジャケットがいい味。私の持っているディスクは後の1990年にCD化された時のものでジャケットにはノンによると思われるペイントが使われていた(オリジナルの表ジャケも裏側にあり)。 オリジナルは6曲入りで30分にも満たないミニ・アルバムといえるもの。どれも魅力ある楽曲で、ニューウェイヴで攻撃的とも言えるダンサブルなリズムに変幻自在なノンのヴォーカル。 ある曲ではフリーキーに飛び跳ねるクラリネット、またある曲では幽玄なヴァイオリンの音色が響く。特に好きなのは「Wild Child(can't stand it)」、「Solar」、ラストのリズミカルな「あわのうた」。久しぶりに聴いてみてノンの自由で魅惑的なヴォーカルスタイルはやはり独特なものだと感じたなぁ。妖女と幼女が瞬間で入れ替わる驚きというかスリルに似た感...

私の放浪音楽史 Vol.56 THE ROLLING STONES『LOVE YOU LIVE』

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1977年9月23日、ローリング・ストーンズ・レコードよりリリースのライヴ・アルバム。 ハードロック→パンク→ニューウェイヴと聴いてきて、きちんと聴いたことのなかったストーンズ。だけど1981年頃にこのライヴ・アルバム『ラヴ・ユー・ライヴ』を聴いて好きになった。たぶん同級生のKG君が薦めてくれたんだと思う。 このアルバムのジャケットは、私に強烈な印象を与えた幾つかのジャケットのうちの一枚。アンディ・ウォーホルがアートワークを担当した、カラフルだが非常に猥雑な印象を与えるものだ。30cmアナログだとなおさらで、ほぼ原寸大のミックが歯を剥き出して手を噛んでる。赤い舌を出したアートワークのレコード内袋も強烈なもの。一体この中の音はどんな野蛮で危険な音が入っているんだろう、なんて思ったものだ。 オープニングでのパーカッシブな演出に続いて、アーロン・コープランドの「庶民のファンファーレ」が流れる中、ドドタン、ドドタンとドラムが響き、始まる「Honky Tonk Women」のイントロ。この、ここのフレーズというか部分だけでシビレた、ヤラレたというか好きになったなぁ。今聴いてももちろんカッコいい。これだけでストーンズのファンになったと言っていいくらい。 オリジナル・アナログは2枚組。1976年のパリやロンドンのライヴ、1975年のトロントのライヴ、1977年のトロント・エル・モカンボ・クラブでのライヴ(アナログ盤だとC面)を収録している。プロデュースはグリマー・ツインズことミックとキース。 皆が薦めるエル・モカンボ・サイドにはボ・ディドリー~マディ・ウォーターズの「Mannish Boy」、ボ・ディドリー「Crackin' Up」、ハウリン・ウルフ(ウィリー・ディクソン作)「Little Red Rooster」、チャック・ベリー「Around And Around」の強力ルーツ4曲!リラックスした渋い演奏。この他の収録曲の大半は、自らのレコード・カンパニーを作った比較的(1977年当時の)近年リリースアルバムからの演奏曲で、1970年代ストーンズの魅力がたっぷり味わえるライヴ盤だ(ちなみにトップ1曲目「Honky Tonk~」とB面ラスト「You Can't Always Get What You Want」は1969年にシングルとしてリリースされたA/B面曲...

私の放浪音楽史 Vol.55 PANTA『唇にスパーク』

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1982年7月21日、ビクター/フライングドッグよりリリースのアルバム。。 パンタのスウィート路線第二弾。 初のCMタイアップ曲「レーザー・ショック」収録。 自伝『歴史からとびだせ』によれば、CMとの関わりは以下のようだった。 パンタ側の承諾なしで広告代理店側が勝手にパンタの起用を進めており、ビクターに打診があるがパンタ側は断りの連絡。内情を聞くと代理店内のパンタファンが進めていた模様で彼らの立場を考慮しパンタが了解する。広告代理店・トヨタ側からはビスタの新型レーザーエンジンをプッシュするため “レーザー” という単語を入れた新曲制作の要望。当初 “レーザー革命” というタイトルだったがパンタの運動歴に配慮し“レーザー・ショック”に変更。 ここからが重要だが、このアルバムにも収録されているスローなナンバー「渚にて」が “レーザー・ショック” になるはずだった。つまり「渚にて」のメロディに “レーザー・ショック” という言葉をいれた歌詞で作られた曲で、パンタによれば詞と曲の相性も抜群。レコーディングもされており、スタッフ全員、トヨタ側の課長・部長もお気に入り、だったがトヨタの取締役が “宣伝にスローな曲を使った車は売れない” とダメ出し。それで急遽リリース版「レーザー・ショック」が作られ、アレンジは伊藤銀次に依頼。ここでも伊藤銀次が怒り出すほど代理店・トヨタ側のアレンジに対する要求があったという。 長々と書いたけど、何が言いたいのかというと、この「渚にて」の別歌詞ヴァージョンである「レーザー・ショック early Version」の音源が存在する、ということだ。発表してくれ~。聴かせてくれ~。 さてアルバムの内容はというと、前作『KISS』は歌詞を他人に依頼したがこのアルバムでは全てパンタ(中村治雄)作詞。編曲は前作の矢野誠に加えて伊藤銀次が参加。フランジャーの効いたギターのイントロで始まるニューウェイヴならぬ「P-WAVE」。アレンジは伊藤銀次。パンタ・ウェイヴは大きな波にならなかったけどね…。アルバム全体に言えるけどパンタのヴォーカルはメロディを丁寧にトレースするものでとても聴き易い。前作よりは断然ヴォーカルが“立って”いる。 野球に見立てた恋の駆け引き「Hipにストライク」。“そんなにおびえた目でオレを見ないで”ってところがスウィート路線。パンタって野球好きなの...