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TRANSVISION VAMP『POP ART』

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前回のホリー&ジ・イタリアンズ「Tell That Girl To Shut Up」のカヴァーを含むトランスヴィジョン・ヴァンプのファースト・アルバム。トランスヴィジョン・ヴァンプはヴォーカルのウェンディ・ジェイムスとギタリストのニック・クリスチャン・セイヤーを中心に結成。1987年にダンカン・ブリッジマンをブロデューサーに、ジャケット・アートを先頃亡くなったジェイミー・リードが手がけたシングル「Revolution Baby」でデビュー。続いてシングル「Tell That Girl To Shut Up」、「I Want You Love」をリリースした後、これらの楽曲を含むアルバム『ポップ・アート』を1988年9月にリリースした。日本盤CDは1988年10月25日にリリースされている。 このころブロンド女性ヴォーカリストをフューチャーしたバンドがいくつかあったが、なかでもトランスヴィジョン・ヴァンプのウェンディ嬢(1966年生まれ)はブリジッド・バルドーが引き合いに出されるようなコケティッシュでバンド名の通りヴァンプな魅力があった。セックス・ピストルズというよりジョーンズ=クックなパンキーさにT-REXなグラム感をプラスし、さらにサイバーなフレイヴァーを加味したサウンドで、なかなかバラエティ豊かな楽曲が並んでいる。 代表曲というとPVもセクシーなこの曲か。 TRANSVISION VAMP「I Want Your Love」 「Tell That Girl To Shut Up」の日本盤8cmCDシングル この曲のPVも紹介しておくか。 TRANSVISION VAMP「Tell That Girl To Shut Up」 トランスヴィジョン・ヴァンプはセカンド、サード・アルバムのCDやリミックス集CD、プロモ・ヴィデオ集も買って結構好きだった。1991年にトランスヴィジョン・ヴァンプは解散するがウェンディのソロも買ったな。

HOLLY & THE ITALIANS『THE RIGHT TO BE ITALIAN』

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少し前に パワーポップ・コンピ で紹介した「Tell That Girl To Shut Up」が収録されているホリー&ジ・イタリアンズのアルバム。オリジナルは1981年リリースだが、私が購入したのは2002年にアメリカのWounded Bird RecordsからリイシューされたCD。オリジナルLPとは若干曲順を変更、シングルB面曲等を追加している。 永遠のガールズ・パワーポップナンバー「Tell That Girl To Shut Up」の他にも疾走ナンバーの「Baby Gets It All」、シンガロングな「I Wanna Go Home」、ファンキーな「Just Young」、“決められた範囲以上に近づかないで”・”暴力を振るうつもりはないけどあんたが銃に弾を込めるのを手伝ってあげる”と刺激的な歌詞が歌われる「Rock Against Romance」など聴きどころは多い。「Just For Tonight」はUSガールズ・グループのザ・シフォンズが1968年にリリースしたシングル曲のカヴァーでややしっとりしたアレンジになっている。 CDのボーナストラックには「Miles Away」のシングル・バージョン、シングルB面曲3曲「Fanzine」、「It's Only Me」、「Poster Boy」を追加収録。 ホリー・ベス・ヴィンセントはアメリカ生まれ、ホリー&ジ・イタリアンズを結成、1979年にイギリスに渡りオーヴァルから7インチ・シングル「Tell That Girl To Shut Up c/w Chapel of Love」をリリースした。その後ヴァージン・レコードと契約、アメリカに戻りアルバム『THE  RIGHT TO BE ITALIANS』の録音を開始するが制作は難航、完成するのに1年以上を費やした。リリース当時好意的な反応がなかったというこのアルバムだが、今ではパワーポップ名盤アルバムに必ず取り上げられる1枚だ。

追悼・JAMIE REID

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セックス・ピストルズのレコード・ジャケット、ポスター、チラシ等のデザインを手がけたジェイミー・リードが逝去。76歳だった。 バンドロゴ、曲名、アルバムタイトルは脅迫状を模し、ユニオンジャックを切り裂いてクリップで止め、エリザベス女王の口元に安全ピンを刺した男。シングル「God Save The Queen」をリリースした後、ジェイミー・リード、ジョニー・ロットン、ポール・クック、プロデューサーのクリス・トーマス、エンジニアのビル・プライスは路上で襲われる羽目になったが、今じゃユニクロのTシャツの図柄に使われるポップ・アートになった。 1989年9月6日〜9月25日には渋谷パルコ・ギャラリーで『UP THEY RISE』と題された展覧会を開催(その後大阪、名古屋へ巡回した)。下の画像はその時のチラシ表裏。 下の画像はそのジェイミー・リード展『UP THEY RISE』を取り上げた、今は無き情報誌『シティーロード』のFRONT LINE ART eyeで、開発チエによる記事「パンクの神殿を飾りつけた男 ジェイミー・リード」。 下の画像は、CDアルバム、CDシングル、ポストカード、ピストルズ関係の本に使われたジェイミーのデザイン。真ん中あたりにあるバッジは確か上記の展覧会で買ったんだと思う。 ジェイミーはジョニー・ロットンやマルコム・マクラーレンより過激でアナーキーだったというのをグレン・マトロックのインタビューで読んだが、彼のデザインを見るほどにうなずけるものだ。 耳からだけじゃなくパンクを視覚から網膜に焼きつけた。その目の醒めるようなヴィジュアル・イメージの鮮度は決して失われることはないだろう。 RIP…。

MY PLAYLIST Vol.7『PANTAX'S ROCK'N'ROLL WORLD』

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パンタのスローな曲を集めたマイ・ベストを作ったとき、スピーディーでロックンロール感のある曲を集めたベストも作った。ソロ1作目『PANTAX'S WORLD』〜『P.I.S.S.』 ま でのスタジオ・アルバムから18曲を選曲したが、こちらもスウィート路線のアルバム『KISS』と『唇にスパーク』、それに『クリスタル・ナハト』からは選曲しなかった(やはりトータルな印象で…)。カーステレオでよく聴いたなぁ。 以下、私の選んだ『PANTAX'S ROCK'N'ROLL WORLD 1976-1989』  1. 死ぬまで離さない  2. ドーベルマン  3. モータードライヴ  4. バニシング・ロード  5. 五月雨にスラーをかけて  6. Audi 80  7. ロックン・ロール・トリートメント  8. Saturday Night Clash 夜霧に消えた青春  9. 反逆の軌跡 10. キック・ザ・シティ 11. 走れ熱いなら 12. ロックもどき 13. 孑孒 14, ナイチンゲール 15. 北回帰線 16. 429 Street 17. 13号埋立地から 18. PISS (Piss into my heart) Track1. 5. 9. 14. 17.  アルバム 『反逆の軌跡』(1985年) Track2. 7 アルバム『16人格』(1984年) Track3. 6. 10.アルバム 『1980X』 PANTA & HAL  (1980年) Track4. アルバム『R☆E☆D』 (1986年) Track8. 13. 16.  アルバム『SALVAGE(浚渫)』(1983年) Track11.  アルバム『走れ熱いなら』(1977年) Track12. アルバム『PANTAX'S WORLD』 (1976年) Track15.  アルバム『マラッカ』 PANTA & HAL (1979年) Track18. アルバム『P.I.S.S.』(1989年) という内容。全18曲で収録時間は約70分。 オープニングはパンタとリスナーの固く結びついた関係について1985年に発表された曲で、この歌の通りパンタ...

MY PLAYLIST Vol.6『SLOW PANTAX'S WORLD 1976-1989』

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スローな曲を集めた編集アルバムというと、例えばストーンズ『スロー・ローラーズ』やビートルズ『ラヴ・ソングス』とか、日本だったらサザンの『バラッド』や佐野元春『スローソングス』、浜田省吾の編集盤というよりセルフ・カヴァー・アルバム『サンド・キャッスル』なんかがあるけど、パンタのスローなバラードを集めてみようと思ったのはアルバム『P.I.S.S.』をリリースした頃だった。ソロ1作目『PANTAX'S WORLD』〜『P.I.S.S.』 ま でのスタジオ・アルバムとシングル「ルイーズ」、12インチ・シングル『プラハからの手紙』から14曲を選曲したが、PANTA & HALのアルバム『1980X』、スウィート路線のアルバム『KISS』と『唇にスパーク』、それに『クリスタル・ナハト』からは選曲しなかった(まぁなんとなくトータルな印象で…)。 以下、私の選んだパンタ・スロー・ソングス『SLOW PANTAX'S WORLD 1976-1989』  1. 夜明けはまだ  2. ふたりじゃいられない  3. 奴と俺とおまえと  4. ブーゲンビリア  5. スカンジナビア  6. 裸にされた街  7. やかましい俺のROCKめ  8. 明日天気になれ  9. ONE NIGHT LOVER 10. 素直な気持ちでいられたら〜入江にて AM4:00 11. 綺羅と紛れて 12, ステファンの6つ子 13. Good Morning Blues 14. 35番目の朝に Track1. 7. アルバム『走れ熱いなら』(1977年) Track2. アルバム『16人格』(1984年) Track3. 11. 14.アルバム 『反逆の軌跡』(1985年) Track4. アルバム『R☆E☆D』 (1986年) Track5. 1 2inchシングル『プラハからの手紙』(1987年) Track6 . アルバム『マラッカ』 PANTA & HAL (1979年) Track8. アルバム『PANTAX'S WORLD』 (1976年) Track9. アルバム『P.I.S.S.』(1989年) Track10. 13. アルバム『SALVAGE(浚渫)』(1983年) Track12 . 7...

PANTA「MOONLIGHT SURFER」OR "LEGENDARY SURFER"

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パンタ(中村治雄)が他アーティストに提供した楽曲の中で一番有名かつカヴァーも多いのは「ムーンライト・サーファー」だろう。パンタが作詞作曲し、1977年に石川セリに提供。シングルにもなった。その後、桑名晴子がカヴァーし、やはりシングルになりB面は英語詞ヴァージョンだった(英詞はLinda Hennric)。 私的にヒットしたのはパンタが作曲(作詞は青木茗=金井夕子)した岩崎良美のシングル曲「Vacance」だったな。1982年7月21日リリースで爽やかな夏の雰囲気と少しセンチメンタルな感じの歌詞にメロディそしてアレンジ。ぜひ広く聴いて欲しいサマーソング。他の80年代アイドルでは堀ちえみ「幼な馴染み」、石川秀美「Rule」、荻野目洋子「昨日より輝いて」、伊藤さやか、伊藤かずえ、太田貴子にも提供曲あり。 石川セリには、後にパンタも歌詞を変えてセルフカヴァーした「スノーキャンドル」、名曲「真珠星(Pearl Star)」、「ひとりぼっちの日曜日」、「Fairy Tales」を提供、他に麻生レミ「Same Again」、杏里「白いヨット」、松原みき「予言」、山下久美子「××」、桑江知子、高樹澪などの女性シンガーにも提供している。 男性シンガー、バンド関連では白竜、柴山俊之、沢田研二、チェッカーズ、ルースターズ、ビートたけし等に提供。 アルバムのプロデュースをした 小森みちこ『REMEMBER』 も忘れがたい1枚。 近年ではSKI(制服向上委員会)に多数の曲を提供していた。 右上の写真はパンタが提供したアーティスト、バンドのアルバム、シングルの一部。石川セリのアルバム『星くずの街で』は黒ジャケットもあるがこれは白ジャケット。パンタが4曲の歌詞を提供したパフォーマンス・グループ時代錯誤のアルバム『冒険倶楽部』。WELCOMEのアルバム『BLUESY』(1981年)には「ミスティデイ・ミスティナイト」の歌詞を提供、WELCOMEは後にパンタと活動を共にするギタリスト菊池琢己が在籍していたバンド。CDは制服向上委員会のアルバム『No! Make』(2000年)で、パンタは作曲2曲と作詞作曲した「煌きの後に」を提供している。シングルは石川セリ「ムーンライト・サーファー c/w ミッドナイト・ラブ・コール」、桑名晴子「ムーンライト・サーファー c/w MOONLIGHT SURFER(英...

I WAS TOUCH THE HAND OF PANTA

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新宿の紀伊國屋書店でパンタをゲストにトークイベント&サイン会があるのを知ったのは情報誌「ぴあ」か「シティーロード」を読んでだったかな。それともライヴで告知があったのか。友人と二人で出かけ、文房具屋でサインを書いてもらうために色紙を購入した。 会場の仕切られたスペースには20人くらい参加者がいたかな。参加は無料。パンタに書いてもらったサインの日付は1983年12月1日、とするとアルバム『SAVLAGE(浚渫)』リリース後だったのか。販売用のLPも置いてあり確か頭脳警察のサードが売ってた気がする。スペースを仕切っているボードには三里塚関連やマルコムXの記事の切り抜きが貼ってあった。まぁパンタを呼んで何を語らう会なのか今となっては全く思い出せないが、そういう政治的な話は出ていたと思う。ひととおり会の主催とパンタが話を終えた後(1時間位はしていたかな)、質問コーナーもあった。どんな話の流れかよく覚えていないが、パンタが「これまでリリースしていない未発表曲をリリースする計画がある。同じビクターのARBとかとあわせてオムニバス形式で」みたいな話があったと思う。実現しなかったけど…。その後列に並んでサインを書いてもらったのだが、その時握手したパンタの手は大きく、がっしりと力強く、とても印象に残るものだった。 1989年か1990年、泉谷しげるwith LOSERのライヴを観にいった渋谷公会堂のロビーでパンタ発見。開演前だったと思う。パンタって泉谷のライヴ観に来るんだ、と思いつつすたすたと近づいて「パンタのソロやHALのアルバムはCD化しないのか」などと不躾に話しかけてしまった。パンタは丁寧に「まずは頭脳警察からCD化だね」と答えてくれて、またがっしりと握手してもらった。 2005年3月に菊池琢己と赤坂グラフィティでおこなったライヴ、楽屋が客席の後ろにあったのでライヴ終了後、客席の真ん中の通路を歩いてくるのだが、この時のライヴに感動した私は引き上げてくるパンタに向かってハイタッチ、応えてくれたのがとてもうれしかった。 思えば歌手、アーティスト、バンドマンに限らずいわゆる著名人で握手したのはパンタだけだな。 右上の写真は紀伊國屋のトークショーで書いてもらったパンタのサイン。写真の左下はミニコミ『日本ロック』の創刊号でパンタ特集。奥付けを見ると1984年5月10日発行。このミニコミどこ...

追悼・PANTA

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PANTA(本名:中村治雄)が2023年 7月7日、肺癌による呼吸不全と心不全のため73歳で亡くなった。 初めて聴いたパンタのレコードは『 TKO NIGHT LIGHT 』だから、かれこれ40年は聴いてるかな。友人に借りたり、中古でも買ったり。頭脳警察『1』の再発は事件といってもいいだろう。近年リリースは全て聴いてるわけじゃないが(最近で購入したのは『絶景かな』)。 頭脳警察〜ソロ〜PANTA&HAL〜ソロ〜再結成頭脳警察までのアルバムはどれも聴き込んだしどれも思い入れはあるが、個人的に特に思い出深いのは『 SALVAGE(浚渫) 』かな。スウィート路線から再び骨太なロックに戻り、リアルタイムで聴いた初めてのパンタの“ロック”アルバムでもあった。従えたパーマネントなバンド、 ギター:鈴木匠 ベース:中谷宏道 キーボード:中山努 ドラム:西山嘉治 というメンバーもみんな好きだった。 私が初めてパンタのライヴを観たのは1983年6月19日の新宿ロフトで、アルバム『SALVAGE(浚渫)』リリース前、確かスウィート路線の曲も数曲演奏してた覚えがある。今残っているチケットから私が出かけたパンタ(頭脳警察)のライヴ(複数アーティスト出演含む)を振り返ってみると、 1983年6月19日 新宿ロフト 1983年8月31日 渋谷LIVE-INN 1983年10月15日 日比谷野外大音楽堂「SATURDAY NIGHT CLASH」 1983年12月11日 新宿ロフト 1984年5月7日 ロックフェス東大 1984年7月4日 新宿ロフト 1984年11月23日 慶應大学三田西校舎518番教室 1986年12月12日 新宿ロフト「パンタ風雲録」ゲスト・鈴木慶一 1986年12月13日 新宿ロフト「パンタ風雲録」ゲスト・鮎川誠 1986年12月14日 新宿ロフト「パンタ風雲録」ゲスト・遠藤ミチロウ 1988年2月6日 渋谷公会堂「THE COVER SPECIAL」 1988年7月19日 渋谷LIVE-INN 1988年11月5日 guest 花田裕之 明治大学駿台 641号室「GO-GO カルチェラタン」 1989年10月23日 浅草常盤座 1990年11月2日 頭脳警察 明治大学駿河台校舎記念館「御茶ノ水頂上作戦 疾風怒濤篇」 1991年2月27日 渋谷公会堂 頭脳警察「最...

2023年7月7日10時44分 PANTA死す

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pic from『The Brain Police 1990-1991』(JICC) book pic from ZK album『7』booklet

私の放浪音楽史 Vol.100 THE FEELIES『CRAZY RHYTHMS』

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1980年リリースのアルバム(オリジナルはスティッフよりリリース)。 “ 場内の照明は暗くなった。火のような文字が立体的に、暗黒の中で宙に浮いたように現れた。 「ヘリコプター上の三週間。超肉声歌曲附き、 合成会話附き、 天然色、 実体鏡式触感映画(フィーリ)、 芳香性オルガンの同時的伴奏」  「あなたの椅子の腕についているその金属製の把手を握るのよ」とレニーナはささやいた。 「そうでなきゃフィーリの効果はちっとも感じないのよ」” オルダス・ハックスリイ著・松村達雄訳『すばらしい新世界』( Aldous Huxley『Brave New World』)早川書房世界SF全集10・1968年刊)より。 オルダス・ハクスリーのディストピア小説『すばらしい新世界』の中に登場する、 均一に安定した超管理社会で人々の欲望を管理し叶えるために、見て聴くだけの映画ではなく、麝香の香りが漂い、立体映像とともに電撃的な快感を体感できる娯楽装置 “ フィーリー “。 その官能的な娯楽装置から名付けられたバンド名、ザ・フィーリーズ。パンクからニューウェイヴと新しい音楽ムーブメントが台頭していた1980年、 その近未来的で官能的な響きを持つバンド名が相応しい。 ニュージャージー州ヘイルドンの学生だった、グレン・マーサー とビル・ミルトン を中心に結成、ベースがキース・クレイトン 、ドラムがアントン・フィアに代わり、1980年にスティッフ・レコードからリリースされたファースト・アルバム『クレイジー・リズム」はこのメンバーで録音された。   このアルバムは1984〜1985年頃、同級生だったYくんがカセット・テープで聴かせてくれて、数年後池袋の山野楽器でドイツLine Recordsからの再発盤(1986年)を見つけ購入した、 ジャケットの印象もあり神経質で線の細いサウンドを想像するが、そんな繊細さもありつつ、パーカションの大胆な使用やギターアンサンブルなど、バンド名の由来通りなかなか肉感的でダイナミック、アグレッシヴでスピード感を持ったロックンロールなサウンドだと思う、 緊張感に満ちた静けさの中から拍子木のような響きと共に始まる「The Boy With The Perpetual Nervousness」、ポップでスピーディーな「Fa Cé-La」、ヴェルヴェッツ的な「Lov...

PLASTICS『THE OLD GREY WHISTLE TEST』

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ホリー・アンド・ジ・イタリアンズの『THE OLD GREY WHISTLE TEST』映像のエンド・タイトルを見てたらPLASTICSの文字が。プラスチックス出てたんだな。YouTubeで検索して…と。「Peace」と「Diamond Head」のライヴ。クールな立花ハジメにギターを弾き倒す佐久間正英。中西俊夫のヴォーカルやはりいい。

HOLLY AND THE ITALIANS『THE OLD GREY WHISTLE TEST』

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ホリー・アンド・ジ・イタリアンズの「Tell That Girl To Shut Up」のライヴ映像あるかな、と思ってYouTube見てたんだが無かった。あったのはBBC TV番組『THE OLD GREY WHISTLE TEST』のライヴ映像でシングルにもなった「Youth Coup」とアルバムから「Rock Agains Romance」の2曲。なかなかかっこいい。

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』番外編『TANGLED UP IN BLUE』

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雑誌『Player』を発行していたプレイヤー・コーポレションが1985年に発行した雑誌『タングルド・アップ・イン・ブルー』。 Player On-Lineの雑誌月刊Playerの歴史 によると、“85年1月から隔月で発行された音楽雑誌。尾崎豊や佐野元春など日本の80年代のアーティストの動向を伝えた”とある。 『タングルド・アップ・イン・ブルー』の創刊号。定価480円。 奥付けの発売日は昭和60年1月1日となっている。今はなき駅前の本屋で買ったような。この頃はロック系邦楽の雑誌は少なかったと思う。「アリーナ37°C」は時々買ってたな。『タングルド・アップ・イン・ブルー』はデザイン性に優れ、外国作家の短編小説(この号はデルモア・シュワルツ)やセルジュ・クレール&フランソワ・ゴランのロックンロール・コミック(フランス語の日本語訳)などインテリジェンスな内容もありつつ、佐野元春、尾崎豊、大沢誉志幸、ストリート・スライダーズなど当時活躍していたアーティストを取り上げる同時代性があった。また同時代の洋楽アーティストを数ページ掲載するトシ矢嶋の「LONDON SPIRIT」コーナーもあった。 表紙は佐野元春。「Stone & Flowers」と題された佐野元春と佐藤奈々子のコラボレート・ページが刺激的。他に鮎川誠、小山卓治、ザ・モッズ。この雑誌、「銀の書簡」というアーティストから“誰か”に宛てた手紙形式のページがあって、それが好きだったな。この号では友部正人がルイス・ブニュエルへ宛ての手紙を書いている。 たぶんこのあたりのファン層がメインのターゲットだったのだろう、デビュー後7ヶ月後の尾崎豊(デビュー曲の背景や白井貴子の前座だった1984年7月1日のライヴの様子が語られている)や、大沢誉志幸、デビュー間もないレベッカのNOKKOが取り上げられていた。 第2号。やはり尾崎豊、ザ・モッズ、山下久美子らが取り上げられているが、アルバム『φPHY』リリース後のルースターズ・花田裕之のインタビューが掲載されている(写真は花田&下山淳)。他にRCサクセションのライヴ・フォト。「銀の書簡」はゼルダの高橋佐代子(アンナ・プリュクナル宛)、柴山俊之、南佳孝(ジョン・レノン宛)、それに坂上忍(デビッド・ボウイ宛…“いつかあんたを超えてみせる”ってよ…)。短編小説はフラナリー・オコナー。 第3...

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』その3

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休刊が発表 された音楽雑誌『Player』。手元にある『Player』をひっぱり出し紹介しています。 1988年6月号。 ルースターズのラスト・スタジオ・アルバム『FOUR PIECES』リリース時の下山&三原、花田&穴井の二組に別れてのインタビュー。この時点ではバンド解散を前提したアルバム制作ということは発表されておらず、三原と穴井にも知らされていなかった。なので “三原さんはルースターズで長くやっていけそうですか?”という質問に三原が “そう思いますよ” と答えていたり、穴井が “今後は、こういう(「再現出来ないジグソウ・パズル」)ような曲をもっと作っていきたいですね。たぶん次はもっとギトギトしたものができるんじゃないかな” と次作について語っていたり、プロのミュージシャンとは言え今読むと三原と穴井にとってはツラいインタビュー。他に1988年3月19日のインクスティック芝浦ファクトリーでのルースターズのライヴ・レポートあり。値段は440円に。 1990年9月号。 ファースト・ソロ・アルバム『RIFF ROUGH』リリース時の花田裕之のインタビューを掲載。歌詞を外部に任せたことについて“自分がそういう気持ちになったことがある、みたいな詞だとそれで充分で ” と答えているのが、そういうことなんだな、と思わせる。他に恒松正敏&VISIONSの1990年3月29日、新宿ロフトのライヴ・レポートあり。定価は480円。 1992年4月号。 2枚目のソロ・アルバム『MY LIFE』リリース時の花田裕之のインタビュー掲載。単身ロンドンに乗り込み現地ミュージシャンを選んで録音・制作したことから、カルチャーショック的な影響を受けた、というようなインタビュー内容。“『MY LIFE』は、うちで寝っ転がりながら聴いてほしいですね。聴いてて、気がついたら、寝てた、みたいな(笑)”という花田の言葉が印象的だ。定価は500円に。 1993年4月号。ジミヘンの表紙がイカす。 3枚目のソロ・アルバム『ALL OR NOTHIN'』リリース時の花田裕之のインタビュー掲載。3枚目にして初めてセルフ・プロデュースによるアルバム制作となったが、アルバム・タイトルに込めた“いるものといらないもの”、“今までいらないものを持ち続けてきたけど結局、いるものって自分とギターだけだなっていう、曲を...

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』その2

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休刊が発表 された音楽雑誌『Player』。手元にある『Player』をひっぱり出しています。 1981年2月15日号。表紙はジョー・ストラマー。 アルバム『サンディニスタ!』リリース頃のジョーのインタビューを掲載。他にファーストアルバムリリース頃のストレイ・キャッツのインタビュー。八木康夫によるPUNGOの記事など。 定価は300円に。 1981年7月15日号。渡辺香津美が表紙。レスポール・ジュニア弾いてるね。 内容は『à-GOGO』リリース頃のザ・ルースターズのインタビュー(写真付きで4ページ)。YMOは割と好きと大江は言っております。池畑もはっぴいえんどの頃から細野晴臣が好きです、と言っている。他に来日したザ・ジャムの3人 VS ザ・モッズの森山達也の対談。パール・ハーバー(パール・E・ゲイツ)のインタビューなど。 1982年9月号。表紙はジョー・ストラマー。アルバム『コンバット・ロック』リリース頃の水上はる子によるクラッシュの記事。ワークショップの“ROCK'N' ROLL GUITAR”は花田裕之が担当。エルビス・コステロ&ジ・アトラクションズのアルバム『インペリアル・ベッドルーム』を取り上げている。ピンナップはジョーン・ジェット姐御がかっこよし。定価は400円。 1982年12月号。表紙はゲイリー・ムーア。 内容は、山名昇によるルースターズのライヴ、1984のライヴ、12インチ『ニュールベルグでささやいて』レコーディングのレポート(写真含め4ページ)。ルースターズというバンドの本質を的確に捉えたこの記事は後に2004年リリースのボックス・セット『VIRUS SECURITY』のブックレットに(一部“気違い”という表現を変更して)再掲載された。12インチ『ニュールベルグでささやいて』リリースの1ページ広告あり、例の伏せ字訳詞のやつ。 国内ニュースでは大江慎也が“急性肝炎”で入院しコンサートをキャンセルの記事が。花田裕之が担当したワークショップの“ROCK'N' ROLL GUITAR”は最終回で自らの『ニュールベルグでささやいて』の解説。ここでも大江の病気療養でコンサート中止についてのお詫びを花田が記している。ピンナップには特設リングのARB。 1983年10月号。表紙はやはりゲイリー・ムーア。 ピンナップは新宿ロフトのルー...

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』その1

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音楽雑誌『Player』の 休刊が発表 された。  1968年創刊から55年、現在は季刊誌となっており2023年Summer号を持って休刊、今後については現在未定という。 雑誌『Player』は1970年代後半から読み始めたんじゃないかな。レコードを聴いているだけじゃなく自分でも演奏したい、という思いから私の周りでもギターなどの楽器を手にする友人が増えていた。どちらかというと私はアーティストのピンナップを切り取って壁に貼ったり、インタビュー記事を好んで読んでいたが、演奏方法やエフェクターの解説、ギターのリペア方法なんかを参考にしている友人もいた。 度々の引越しで雑誌もかなり処分したんだけど、今残っている『Player』誌を紹介。 残っているので一番古いのは1980年1月30日号。 チープ・トリックのリック・ニールセンが表紙。トム・ヴァーレインのインタビュー。カラーピンナップにはARB。値段は280円だった。 1980年5月30日号。 ザ・ジャムのポール・ウェラーが表紙。 内容はそのポール・ウェラーのインタビュー。『軋轢』をリリースする頃のフリクションのインタビュー(ツネマツ喋ってないけど)。 1980年11月15日号。 アンガス・ヤングの表紙がイカす。ボン・スコット亡き後ヴォーカリストにブライアン・ジョンソンを迎えアルバム『BACK IN BLACK』リリース頃のアンガスへのインタビュー。この『Player』という雑誌はとにかく楽器、音楽スクール、スタジオ等広告が多いが「KEY」という楽器店の広告にTH eROCKERSの陣内と鶴川が睨みを聴かせて登場している(ファースト・アルバムをリリースした頃だ)。

MY PLAYLIST Vol.5『THE VERY BEST OF SHINYA OHE PORTRAIT YEARS 1987-1990』

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ザ・ルースターズ後の大江慎也のベスト盤というと1989年にリリースされた『カレイドスコープ 1986-1989』があるけどこれはリミックスが施され全曲英語詞ヴァージョンという仕様だった。 同じ頃、自分でも選曲してカセット・テープに録音してベスト盤を作ったが、カセットはだいぶ処分したので残ってない。その後(2001年頃だと思う)MDレコーダーを買ったので1988年のCDシングルや1990年にリリースされたアルバム『WILL POWER』(+ONES名義)からも選曲してMDに録音した。その後CD-Rにも録音したなぁ。 1990年に音楽活動を一時停止、その後大江が語ってきたポートレイト・レコード(つまり柏木省三)との確執。自分の意思が反映されていない内容だとポートレイト絡みのリリース作品を否定する大江慎也。だけどあの頃大江の作品を追いかけ、突き抜けた作品となった4枚目のアルバム『PECULIAR』は特に気に入ってたしライヴにも行った。この頃ニューオーダーの『テクニーク』を愛聴してたから大江のダンサブルなデジタル・サウンド(とアコースティックなサウンドの共存)は歓迎だったが、それほど間を置かずにONESを伴ってハードなギターを軸にしたバンド・サウンドに回帰したのは個人的にちょっと残念だったな。まぁこの後来る潮流を見据えた変化だったのかもしれないけど。 以下、私の選んだ、THE VERY BEST OF SHINYA OHE PORTRAIT YEARS 1987-1990。  1. LALALA(作詞:大江慎也 作曲:柏木省三)  2. Just Walkin' That Road(words・Mary / music・Shozo, Tamotsu)  3. She's Got A Way (No No No)(words・Mary / music・Tamotsu, Syozo)  4. Peculiar(作詞:大江慎也 作曲:重藤功)  5. Kaleidoscope(words・Shinya, Mary / music・Shinya)  6. Drooping Affection(words・Yamazen / music・Katsuyuki)  7. Tonight(作詞・作曲:柏木省三) ...

OMNIBUS a Go Go Vol.103『POPTOPIA! Power Pop Classics Of The '90s』

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1997年、ライノからリリースのオムニバス。 ライノ・パワーポップ・オムニバスの90年代編。1曲目はマシュー・スウィートの名盤『ガールフレンド』からリチャード・ロイド(ex-テレヴィション)が参加してる「I've Been Waiting」。続いてジェリーフィッシュのこれまた名盤『ベリーバトゥン』から「That Is Why」、このオープニング2曲最高の並び。 イントロのドラムが格好いいジゴロ・アンツ「Cope」はハードなポップで大音量で聴きたいナンバー。ザ・レンブランツのフレッシュでメロディアスな「Rollin' Down The Hill」は曲中盤からの転調がクセになる良さ。力強く緩急のあるサウンドに美しいコーラスのザ・ポウジーズ「Solar Sister」、ビター&スウィートなメロディのザ・グリーンベリー・ウッズ「Trampoline」これ好き。 その他、ワンダーミンツ、ヴェルヴェット・クラッシュ、レモンヘッズ、レッド・クロスなどなど名曲ずらり。 このオムニバス『POPTOPIA!』シリーズ、あんなバンドのこんな曲も収録して欲しかったというのもあるし、80年代、90年代編になるとパワーポップ…ギターポップかな〜まぁ微妙なジャンルだからなーと思う曲もあるが、グッドメロディ/グッドサウンドの曲ばかりなのは間違いなし。

OMNIBUS a Go Go Vol.102『POPTOPIA! Power Pop Classics Of The '80s』

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1997年、ライノからリリースのオムニバス。 ライノ・パワーポップ・オムニバスの80年代編。私が一番最初に買ったのがこの80年代編で、ヴィヴィッド・サウンドが輸入盤に帯と解説(駒形四郎)を付けた国内流通仕様だった。 トランスヴィジョン・ヴァンプがカヴァーしたホリー&ジ・イタリアンズの「Tell That Girl To Shut Up」は蓮っ葉な魅力でかっこいい超名曲。70年代編に収録されていたドゥワイト・トゥワイリー・バンドのドラマーだったフィル・セイモア「Baby It's You」は嗄れた味わいながらスウィートさも併せ持つ。ピーター・ケイスのザ・プリムソウルズ「A Million Miles Away」は力強いサビを持ったメロディラインとヴォーカルが正にパワーポップ。タイトかつスウィートなメロディが魅力のキャンディ「Whatever Happend To Fun...」。力強さのなかにもキラキラ感のあるトミー・キーン「Places That Are Gone」と名曲目白押し。 さらに、ビートリッシュなザ・スポンジトーンズ「She Goes Out With Everybody」、透明感のあるマーシャル・クレンショウ「Whenever You're On My Mind」、ザ・パシュート・オブ・ハピネス「She's So Young」は爽やかなフィーリング。大好きなザ・スミザリーンズの ファースト・アルバム からはエッジーな響きのギターがパワフルにドライヴする「Behind The Wall of Sleep」。まだまだ他にもザ・ロマンティックス、グレート・ビルディングス、レッツ・アクティヴ、The dB's、The La'sなど全18曲収録。 

OMNIBUS a Go Go Vol.101『POPTOPIA! Power Pop Classics Of The '70s』

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1997年、ライノからリリースのオムニバス。 パワーポップというのをいつ頃意識したんだろうと思い返してみると友人に作ってもらったオムニバス・テープにブラム・チャイコフスキー「Girl of My Dreams」とニック・ロウ「Cruel  To Be Kind」とラズベリーズ「Go All The Way」が入ってたんだよな確か、カセット・テープはだいぶ処分しちゃったからもう無いんだけど。 ライノからリリースされたパワーポップのオムニバス『POPTOPIA! Power Pop Classic Of The '70s』には、その3曲が入ってるんだよね。やはりパワーポップの代表曲であると言っていいだろう。CDには18曲が収録されていて幾つかの曲は聴いたことがあったが、このCDで初めて聴いて一番気に入ったのはPezband「Baby It's Cold Outside」で、こんなキャッチーでグッド・メロディ&めくるめく展開のアレンジにマイ・ヘヴィ・ローテーション化、ヤラレました。もう1曲、Fotomaker「Where Have You Been All My Life」は伸びやかなパワーポップで胸キュン。その他、The Rubinoos「I Wanna Be Your Booyfriend」、The Records「Starry Eyes」も良し。 1972年のラズベリーズから始まり、最後の1979年のザ・ビート「Rock n Roll Girl」まで70年代パワーポップの魅力をたっぷり盛り込んだ70年代編。このシリーズに共通するリキテンスタインなカヴァーアートもいい。