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花田裕之『風が吹いてきた』

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1996年5月29日、東芝EMI よりリリースのアルバム。 花田裕之のソロ1作目『Riff Rough』はかなり気合いの入った売り方だったと思う。 ジャケット&ポスターは美顔で、雑誌によるインタビューや宣伝もかなりあった。 でも個人的にはあまり内容は良くなくて、ルースターズ時代の下山のようなタイプ/役割の布袋という ギタリストをパートナーに選んだというのも今一つ理解できなかった。 発売時のライブも観たが、池畑のドラミングを真近に見られたのは良かったが、 布袋のあの”布袋”としか言い様がないギタープレイがかなり印象に残った。 で、そのまま2~4作目までは購入せず、いよいよ池畑、井上、下山とバンドスタイルでアルバムを リリースすると聞いて期待して買った『Rock'n' Roll Gypsies』は”うーむ”という印象だった。 続く『Rent A Song』は買わず、『風が吹いてきた』は手に入れたが、 やはり個人的にはいま一つ、という印象をその時は受けた。 ここで花田のソロ作を全部売りに出すというルースターズ・ファンとしては許しがたい暴挙に出てしまった。 数年後のある日『Rent A Song』を購入、花田にはこんなルーツがあるんだと思い、 これなら『Rock'n' Roll Gypsies』や『風が吹いてきた』の世界もあるなとそれまでのCDを全部買い直した。 そのころになると私もアメリカの70年代ロックを聴くようになっていたので、 サウンド的に少しは馴染み易くなっていたのかも知れない。 (買い直したとは言え、やはり1作目~4作目まではCDラックから取り出す事はめったにない)。 これまでの花田のソロ・アルバムでは7枚目にあたる『風が吹いてきた』が好きだ。 このアルバムを製作していた1995年は花田にとって「かなり落ち込んでいた」年だったようで、 ルーティン・ワークとなっていた年に1枚のアルバム作りや、 それなりに出来上がっていく曲作りに嫌気がさしていたという。このアルバムの製作では、 そういった「面白くない」気持ち、気合いの入らない「虚脱感」、 どうにでもなれという「虚無感」を歌詩の中へ吐き出していたのではないかと花田は語る。 その歌詩がとてもいい。 ”素敵な出会いは眠りの中だけ、疲れ忘れさせてくれる”(Ooh La La)、 ”便利な生活...

Motörhead『Motörhead』

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1990年2月21日、テイチクよりリイシュー(JPN)のアルバム。 モーターヘッドはハード・ロック/ヘヴィ・メタルにカテゴライズされているバンドだが、 スラッシュ・メタル、ハードコア・パンク、グランジ/オルタナ系等、後の世代への音楽的な影響は 結構幅広いのではないかと思う。 ベースとボーカルのレミーも自分達を「パンクのスピード、 ヘヴィ・メタルの音量と重量感をミックスしたサウンド」と語っている。 そしてカテゴライズされることについては「俺達はロックンロール・バンドだ」と常々答えている。 ギタリストのエディは 「エリック・クラプトンとジョン・メイオールのプレイを観て宙に浮くほど感激した」と語っていたが、 そのリスペクトの現れがこのカバー曲と言えるのかも知れない。 「I'm Your Witchdoctor」はJohn Mayall & The Bluesbreakersが、 1965年10月にイミディエイトからリリースしたシングル(カップリングは「Telephone Blues」) がオリジナルで、プロデュースはジミー・ペイジだった。 ”俺はおまえの魔術師、おまえに恋の呪文をかける...”といった内容のEvil&Voodooなラブ・ソング。 オリジナルではイントロの”キーン”というオルガンに続いて、 ボーカルとほぼユニゾンでバッキングするクラプトンのギターが妖しいメロディと歌詩を際立たせている。 軽快なドラミングも印象的だ。 モーターヘッドのバージョンは歌詩が少し変更されていて、 パンキッシュなドラムに豪快なカッティングのギターで演奏されるハードなバージョンに仕上がっている。 オルガンが入っていないかわりにレミーのベースが活躍している。 エンディングでのエフェクト処理が 怪しい雰囲気? このカバー・バージョンは1980年11月にリリースされたEP『The Beer Drinkers EP』で発表されたが、 彼等がチズウィックよりリリースしたファーストアルバム『Motörhead』(1977年)がCD化される際に、 そのEP全曲がボーナス・トラックとして収録されている。 モーターヘッドはこの曲の他にも「The Train Kept A-Rollin'」や「Leaving Here」、 「Louie Louie」、「Please Don...

ウィリアム・ギブスン他著・巽 孝之編 『この不思議な地球で(世紀末SF傑作選)』

ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』、短編集『クローム襲撃』は衝撃的だった。 私にとってそれまで何の興味も湧かなかった、 というよりオーウェルの『1984年』的な管理/統治装置として嫌悪の対象であったのだが、 ギブスンのわくわくするような小説はコンピュータの世界へと、そしてサイバースペース、 サイバー/ジャンクカルチャーへの扉を開けてくれたのだった。 本書はそのギブスンの短編を始めとする、サイバーな10編を収めたアンソロジー。 ウィリアム・ギブスンは「スキナーの部屋」を収録。 この短編は、1989年サンフランシスコ現代美術館の展覧会に参加を要請されたギブスンが、 建築家と共に「サンフランシスコ・ベイ・ブリッジをホームレスが不法占拠、 橋上空間(ブリッジ・カルチャー)を作り上げる....」という構想をもとに執筆したものだ。 『ヴァーチャル・ライト』、『あいどる』、『フューチャーマチック』と続く三部作の序章とも言うべき作品。 ベイ・ブリッジに橋の骨格とワイヤとあらゆるジャンク....船や航空機の胴体までを持ち込み、 人々がいかにして橋上空間を作り上げていったかが、スキナーの回想と彼の皮ジャンに身を包んだ少女の行動によって明らかになる。 展覧会に参加した時のギブスンと二人の建築家によるイラスト付き。 オースン・スコット・ガードの「消えた少年たち」は、ストーリ-テリングに驚嘆させられる作品だ。 仕事や障害を持った子供にかかり切りで多忙を極める両親に、孤独になり自分の殻に閉じこもっていく小学一年生の長男。 学校に馴染めず、コンピュータ・ゲームを止めようとせず、話もしない。 やがて外で遊ぶようになるが、その友達の名前は全て誘拐され殺された少年の名前ばかりだった....。 悲しく切ないホラーSF。 F.M.バズビーの「きみの話をしてくれないか」は、女性の死体を扱う売春宿を舞台にした、奇妙で危ない短編。 幻覚剤と官能剤を飲み、同僚たちに誘われるままネクロハウス(屍姦宿)へ行くはめになる主人公が、 そこで出会った(?)少女に惹かれてゆく....。 ネクロフィリア(死体愛好症)でもない彼が抱く、叶うことのない愛情。 しかし、同僚のヴァンスが売春宿に入る前に言う「口をきかないことが大事なんだ」がキーポイントか? 他に収録されているのは、 バイオ技術により女性が不要となり男性へと転換...

みうらじゅん『アイデン&ティティ 24歳/27歳 』

最近はコミック(マンガ)もめっきり読まなくなったし、自分で買うこともなくなった。 私がマンガをよく読んでいた頃にくらべて作家の数も増えたし、どの作品が面白いのか全然わからない。 友人に借りて読むくらいで、この『アイデン&ティティ』もその一冊。 本書は「アイデン&ティティ」と「マリッジ」という二部構成になっている。 みうらじゅんというのもボブ・ディラン好き(コレクター)の絵書きというのを知ってるだけで、 マンガも出してるんだという感じだったのだが、薦められて読んでみたらすごく面白かった。 バンド・ブーム真最中(1988年頃?)にデビューした”SPEED WAY”というバンドのギタリスト中島が主人公。 SPEED WAYはお手軽にでっち上げたバンドで、ブームにのりメジャーデビューし人気者になっていったが、 ある日中島のアパートにハーモニカホルダーをつけて、ギターを持ったボブ・ディランが “今夜泊めてくれないか”といって訪ねてきたところから、中島は自分のやりたい音楽(=ロック)と、 現在の自分の演奏している音楽のギャップに苦しむようになる。ちなみにディランは中島にしか見えないし、 コンサート会場や飲み屋や彼女の部屋などどこにでも現れる。 自分の表現したいことと、売れる/売れないというレベルでのギャップ、バンドと社会の関係に苦しんだり、ファンの女の子や、 自分を支えてくれる女性との関係に悩んだりしているところへ、 ディランは「I Threw It All Away」や「Like A Rolling Stone」、「It's All Over Now Baby Blue」、「Buckets Of Rain」 といった歌を歌いながら現れ、中島の心の奥底に潜んでいるロックや生きていく事に対するピュアな感情を刺激する。 中島は次第に自分の内面から沸き起こる思いを周囲に向けて主張していくことにより、多くの物を失っていく。 しかし自分で歌い始める事によって未来に光を見い出すところで第一部が終わる。  第二部は友人の結婚式場にジョンとヨーコが現れる所から始まる。もちろん、中島にしか見えない。 第一部に続きバンドの方向性や自らの表現への苦悩が描かれているが、第二部は愛がテーマとなっているようだ。 遠く離れてしまった恋人への想いと身近にいる女性への欲情。さらに内面を見つめる中島にジョ...

THE SMITHEREENS『ESPECIALLY FOR YOU』

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1986年、アルファ/エニグマよりリリース (JPN)のアルバム。 スミザリーンズはアメリカ・ニュージャージーで小学校からの友人だったギターのジム・バジャックと ドラムのデニス・ディケン、ベースのマイク・メサロスが、地元新聞にボーカリストを求む広告を出したところ、 パット・ディニジオが加わり1970年代の終りに結成された。 ニュージャージーやニューヨークでクラブ・サーキットを続けながら、1980年10月にはD-Tone Recordsから 1枚目のEP「Girl About Town」をリリースした。 1983年にはLittle Ricky Recordから5曲入りミニ・アルバム『Beauty And Sadness』をリリースするが、 アメリカでは大きなブレイクには至らず、ミニ・アルバムがヒットしたスカンジナビアへ行ったり、 オーティス・ブラックウェルのツアーにバックバンドとして同行したり、 共にレコーディングをしていた (『Beauty And Sadness』は1988年にEnigma Recoredsより4曲入りミニ・アルバムとして再発されている)。 1985年スミザリーンズはエニグマ・レコードにデモ・テープを送り契約を結ぶ。 2週間でレコーディングされ、ほぼ1年間ビルボードのトップ100以内に留まり、 ゴールド・ディスク獲得というヒットとなったファースト・アルバムが 『Especially For You』だ。 ボトムを強調したイントロから始まる「Strangers When We Meet」。 パットが同名の映画からインスパイアされて作ったと言うこの曲は、ソリッドなギター、 アコースティック・ギター、マーシャル・クレンショウのオルガンにのって歌う パットのボーカルとメロディが新鮮。ミディアムなテンポで恋心を打ち明ける「Listen To Me Girl」、 ガレージな曲調の「Groovy Tuesday」と続く。 アコーディオンが印象的に使われている「Cigarette」。 アコーディオンを弾くケニー・マーゴリスは、Mink Devilleの「Coup de Grace」などに参加していた。 恋人と過ごす時間を、短くなっていく煙草の赤い火と煙りに見立てた歌詞はロマンチック。 ロイ・オービソンの「Pretty Woman」をちょっぴり思せるイントロの「Ti...

石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクト『アジアの逆襲』

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1983年9月21日、日本コロムビアよりリリースのアルバム。 映画監督、石井聰亙。 『狂い咲きサンダーロード』では、泉谷しげる、THE MODS、PANTA & HALの楽曲を、 『シャッフル』ではヒカシューを音楽に起用。そして『爆裂都市』は言うまでも無く、 大江慎也、池畑潤二をフューチャーしたロック・ムービーだった。 その石井聰亙が1982年9月、ギターには後にルースターズに参加する下山淳、 ベースにはヤンジ、ドラムには郷森信宏というメンバーでバチラス・アーミー・プロジェクトを結成。 新宿ロフト等でライブを重ね、1983年9月21日にルースターズのメンバー花田、井上、池畑が参加したLP『アジアの逆襲』 をリリースした。 このころ石井は、ルースターズはもちろん、スターリンやINU、スロッピング・グリッスル等にも影響を受けていたようだ。 このアルバムもパンキッシュ、アバンギャルドな面も合わせ持った音づくりとなっている。 石井のボーカルはこの演奏に合っていて、意外と言っては失礼だがいい感じだ。 歌詞は全て石井の作詞。泉谷しげるの世界を思わせる「Backstreet Gangstars」の他は、呪文のように繰り返しの多い 歌詞だが、右傾化を揶揄するような「機能障害」、念仏(?)を唱える「アジアの逆襲」、 「人間以上」などには印象的な言葉が使われている。 インストルメンタルの曲もあり、安藤広一がキーボードを担当した。 以下、作曲者とレコーディング・メンバーを紹介。 なお全てのボーカル、特記以外の全作詞は石井聰亙、全編曲はバチラス・アーミー・プロジェクト。 SIDE A : ASIA-SIDE 1. アジアの壊滅 作曲/バチラス・アーミー・プロジェクト ナレーション:小林克也 Synth:安藤広一 2. 機能障害 作詞/石井聰亙・福屋芝美、作曲/ヤンジ Guitar:下山淳 Bass:ヤンジ Drums:郷森信宏 Vocal:小林克也 3. Be Blood My Beat 作曲/バチラス・アーミー・プロジェクト Guitar:下山淳 Bass:ヤンジ Drums:郷森信宏 4. Go Street, Do Fight 作曲/バチラス・アーミー・プロジェクト Guitar:下山淳 Guitar:花田裕之 Bass:井上富雄 Drums, Percussion:池畑潤二...

THE PRESIDENTS OF THE UNITED STATES OF AMERICA「VIDEO KILLED THE RADIO STAR」

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1997年11月1日、ソニーからリリース (JPN)のコンピレーション・アルバム『RARITIES』より。 「Video Killed The Radio Star(邦題:ラジオ・スターの悲劇)」は、 映像という新しいメディアによって葬られたラジオ・スターのことを想う内容だが、バグルスが1979年に発表した時は 徐々にビデオ=ビデオ・カセット・レコーダーが人々の間に浸透しつつあった時と重なったのも影響してか、大ヒットとなった。 といっても私はカー・ラジオから流れてきたこのPUSAバージョンのこの曲を聴いて気に入ったのだが。 ナチュラルなギターとボーカルだけの導入部から、ドラム、分厚いベースが入り、歪んだギターのストロークにあわせ、 ”♪Video Killed The Radio Star~”と歌われるところがなんともかっこいい。 ところでベース/ボーカルのクリスは6弦ギター(ギブソン・メロディメーカーやレス・ポールスペシャル)に ベース弦の1、2弦を張り、2弦ベースとして使用していた(彼はこれをベーシターと名付けていた)。ギターのデイヴもストラトキャスターにギターの弦を3本張って使用している。チューニングもC#、G#、C# にしているという、ユニークなセッティングでライブやレコーディングをしていた。 ドラムのフィルを声で表現したり、 ラジオ・ボイス・エフェクトが鼻つまみ声だったりと彼等の持ち味のユニークなアレンジもそこかしこにあり、 かっこよく、楽しくもあるカバー曲だ。 このバージョンは彼等が1997年に来日した時の記念盤としてリリースされた『Rarities』に収録。 このCDにはチャック・ベリー「Too Much Monkey Business」やMC5「Kick Out The Jams」のカバー曲も収録されている。なおライブ・バージョンがシングル「Dune Buggy」にカップリング曲として収録されている。 御存じだとは思うが、バグルスのオリジナルは女性コーラスやシンセサイザーを使用した、 ポップでエレクトロニックなアレンジ。デビュー・シングルとしてリリース、 全英1位を記録(全米では40位)した。デビュー・アルバム『The Age Of Plastic』に収録されている。

J・G・バラード著・飯田隆昭訳『ウォー・フィーバー・戦争熱』

ベイルートで戦う若き兵士ライアンは、果てしなく続く内戦に疑問を持っていた。 王党派、キリスト教徒軍、共和派、国家主義派、原理主義者....誰もがもはや信じるものの為に戦ってはいない。 ただ、繰り返される残虐行為、裏切り、報復、そして過去から持ち越され、 自分たちさえ持ち堪えられないほど肥大してゆく、憎悪の為に戦闘は続いているのではないかと。 駐留している国連平和維持軍でさえ、どちらかに荷担することなく食料を供給し、負傷者の手当てをし、遺族には金を支給し、 密輸入される武器、弾薬には目をつぶっている。 なぜ誰も平和を求めないのだろうかと。 停戦という夢に取り付かれたライアンは、自分の仲間にその夢を語り始めた。 カフェでのコーヒー、街をぶらぶらし、ディスコで踊る.....そんな他の国ではあたりまえだろうと思われる、 平和な暮らしを語った。 ある日ライアンがたまたま見つけた国連軍のブルーのヘルメットを、 自分のヘルメットの代わりに被ったことをきっかけに休戦~停戦への波紋が広がっていった。 銃声は止み、争っていた兵士たちは国連軍から支給されたブルーのヘルメットやベレー帽、ユニフォームを身に付け、 武装を解いて街角で語り合っていた。商店が開き、子供たちは外に出て遊んでいる。 ひびの入った窓ガラスには共和派と国家主義派が銃ではなく、サッカーの試合で対戦をするという告知ポスターが貼ってある。 ベイルートには停戦が定着しつつあった。 しかし、その全てがコントロールされたものだったとは......。 ライアン達が平和な風景を喜び、語り合っていた時、突如爆弾が炸裂し街は再び戦闘が始った。 ブルーのヘルメット、ベレー帽はどぶに捨てられた。 ライアンは自分の家族が他の党派に人質として連れ去られたことを知るが、彼自身は国連の基地に連行され、 ベイルート内戦について驚愕の真実を聞かされるのだった。 そして悲しい結末、ライアンのベイルートに平和を求める願いは世界へと向けられた.....。 以上がJ・G・バラ-ドの短編集『ウォー・フィーバー』の表題作のあらすじだが、 鋭い切り口で憎悪と戦争、友愛と平和が文章化され、 日本語にしてわずか34ページの中にそれらを発芽される種子、 いや発病させる病原体の正体が織り込まれていると思う。 この他、大量に垂れ流される大統領の病状のニュースにより、第三次世界大戦...

NHK・ドキュメンタリー『追跡・幻のろっ骨レコード 』

「ろっ骨レコードって知ってる?」と友人に聞かれて、ドイツのバンド、Faustのファースト・アルバムの ジャケットが思い浮かんだが、あれは拳のレントゲン写真でろっ骨では無いな....などど思っているうちに、 「このあいだNHKでやってた番組で面白かったからビデオ貸すよ」と勧められたのがこの番組。 冬のロシア、御存じサックス・プレーヤーの坂田明がまるまると厚着をして幻のレコード探す場面から始る。 街頭で「ろっ骨レコードを持っていないか?」と聞いてまわるが、知っている人はいても持っている人はいない。 博物館などに保管されている場所もないようだ。 そこで地元のラジオ局に呼び掛けてもらい、聴取者から情報を集めることになった。 ろっ骨レコードというのは、アメリカなど西側の音楽(ロック、ジャズなど)のレコードの製造や販売、 さらに演奏することや聞くことが禁止されていた旧ソ連時代に、 若者たちが強制収容所行きや投獄の危険を承知で、病院で処理に困っていた使用済みのレントゲン写真を丸く切り、 真ん中に穴を開け、レコードから複製して製造、売買されていた海賊レコードのことである。 円盤の片面だけに録音がされており、感じはソノシートのようなものだ。 人間のろっ骨部分や頭部などが写っているレントゲン写真を使用していることから『ろっ骨レコード』名が付いた。 当時レコードは国営会社のみが製造を許可されていたものだが、このろっ骨レコードは数百万枚が製造されたという。 やがて、61才の女性が持っているという連絡が入り、さっそく訪れてみると古いトランクの中から SP盤に混ざって歪んだ数枚のろっ骨レコードがあった。彼女は街頭で「シェルブールの雨傘」のレコードは要らないか? と声をかけられ、ろっ骨レコードを買ったのだと言う。そのレコードには「シェルブールの雨傘」ではなく「アリババ」が 入っていたらしい。 彼女の家のレコード・プレーヤーに1枚を掛けてみるが、回転数が78回転のためうまく掛からない。 やがて坂田はその女性と音楽に合わせてダンスを踊り始め(おいおい...)、 どうやら1枚ろっ骨レコードをおみやげにもらって引き上げた。 もう一人ラジオ局からの連絡でレコードを持っているという人に会いにゆく。蚤の市に出店している74才の女性。 工場に勤めながら仲間たちと一緒にろっ骨レコードを聞き、踊ったのだと言う。 彼...

TOM VERLAINE『WORDS FROM THE FRONT』

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1982年、ヴァージンよりリリース (JPN)のアルバム。 ロック史上に燦然と輝く名盤『Marquee Moon』を作り上げたバンドTelevison、そのフロントマン、ヴォーカリストで ギタリストのトム・ヴァーレイン。 10代にジョン・コルトレーンの影響を受け、サックスでジャズを演奏していたが、 ローリング・ストーンズを聴いてギターを手にしたという。弦の響きを活かし、独創的なフレージング (どこか調子の外れたところも)が魅力的なギタリストだ。 『Marquee Moon』は80年代のニューウェーブのバンド/ギタリストに多大な影響をあたえたことは間違いない。 ヴァ-レインのソロ・アルバムとなると、ソロになって3作目にあたる『Words From The Front』を代表作に選ぶ。 深い緑色をバックに紫色のシャツを着たヴァーレインが煙草をくゆらせるイラストが描かれた リラックスした雰囲気のジャケット。しかし、 右上にはアルバムタイトル“最前線からの手紙(Words From The Front)”の文字。 前作『Dreamtime(邦題:夢時間)』よりもシンプルで繊細な楽曲が並ぶ。 レコーディング・メンバーはテレビジョン時代の旧友、Fred Smith (Bass)、 パティ・スミス・グループのJay Dee Daugherty (Drums)、 Jimmy Ripp (Guitar)、前作とこのアルバムの発表の間にアメリカやヨーロッパをまわるツアーを行ない、 そのツアーメンバーもレコーディングに参加している。 アルバムはワン・コードで頑なに繰り返すギターリフにのって真実の愛を歌う「Present Arrived」で始る。 痙攣気味のボーカルとリフの間に挟み込まれたギターフレーズと、 ニューヨーク・ロックの雄、Mink Devilleのリズム隊が叩き出す、 身体のみならず脳に響いてくる立ち上がったリズムが印象的な曲だ。 続く「Postcard From Waterloo」はトレモロがかったギターのイントロと転調部分のピアノが美しいバラード。 この曲は先行シングルで「Postcard From Waterloo c/w Days On The Mountain」としてリリースされた。 ギターソロ部分のコード進行も絶妙。ヴァーレインのポップ感覚を上手く昇華した名曲。 簡...

DATE OF BIRTH

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大江慎也のソロでかかわりの深かった、Date of Birthについて紹介。 Date of Birthは自らスタジオを所有する博多出身のバンドで、メンバーは、 重藤功(ギター・キーボード) 重藤進(ドラム・パーカッション) 重藤賢一(コンピュータ・プログラミング)の3兄弟に Norico(ボーカル) の4人。 1985年10インチ・アルバム『Around + Around』をインディーズでリリース、1986年には12インチ・シングル『思い出の瞳』でメジャーデビューをした。 ルースターズとのつながりでは、1985年リリースの大江脱退後初のアルバム「Neon Boy」でストリングス・アレンジ、エンジニアとして、その『Neon Boy』からの12インチ・シングル・カット「Strangers In Town -Super Mix c/w Mega Mix」でB面のMega-Mixerとしてクレジットされている。 ルースターズ脱退後の大江慎也とは、大江が参加した1984のアルバム『Birth of Gel』やソロ・アルバムのレコーディング、ミックス作業をDate of Birth所有の淵上レコーディングスタジオで行ったり、Date of Birthのメンバーが演奏やコーラスで参加したり、歌詞や楽曲を提供するなど深く関わっていた。 大江のソロ4作目『Peculiar』(1989年リリース)でサウンド・プロデュースを重藤功が担当、アレンジや演奏でも参加している。収録曲の"Say Hello!"はNoricoが作詞(日本語詞と英語詞)を、功が作曲を担当、「Get Happy」と「Peculiar」では大江の歌詞に功が作曲をしている。また、ビデオ『True Story』では大江とNoricoが「Say Hello!」や「Great Big Kiss」をデュエットしている姿が見られる。Date of Birthは「Say Hello!」、「Get Happy」、「Peculiar」の3曲をリメイク、自身のアルバムに収録している。 「Say Hello!」のリメイク/その1 Date of Birthが1989年にリリースしたメジャー2ndアルバム『Greatest Hits 1989-1999』に収録されている、「Hello! Hello! Hello!」は大江の...

THE SMITHS『RANK』

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1988年8月31日、Rough Trade/ビクター(JPN)よりリリースのライブ・アルバム。 1987年2月7日、イタリアでの「サンレモ・フェスティバル」がスミスの最後のライブになった。わずか5曲の演奏だった。その後、スタジオ・アルバム『Strangeways, Here We Come』をレコーディング、同アルバムを9月にリリースするも、スミスは解散を発表。その一年後にリリースされた、スミスのライブ・アルバム『Rank』は、グレイグ・キャノン(Blue Bellsなど)をギターに迎えた5人組として活動していた頃のパワフルな演奏の記録だ。 このころ、スミスはアルバム『Queen Is Dead』をリリース後、英国ツアー、アメリカとカナダツアーを経て、再び英国ツアーをしていた。 「ロミオとジュリエット」からのオープニングSEが流れる中、モリッシーの“Hello!!”のかけ声と共にマイク・ジョイスのドラム・ロール、ジョニー・マーのフィード・バックで「Queen Is Dead」が始まる。スタジオ・テイクよりもさらにパワーアップした演奏、マーはワウワウを利かせて、キレの良いギターを聞かせる。バッキンガム宮殿に今にも押し入ろうかというモリッシーの迫力あるボーカルも聞き物だ。 全英11位シングルの「Panic」、マーとジョイスがスタジオでの何気ないジャムから生まれた、カントリー・サウンドの「Vicar In A Tutu」、当時の最新シングルだった「Ask」と続く。聞き物の一つは、エルビス・プレスリー1961年のNo.1ヒット「His Latest Flame」をツーコーラス演奏、「Rusholme Ruffians」へつながる絶妙なメドレー。 1985年8月リリースのシングル「The Boy With The Thorn In His Side」では、のびやかなマーのギターが印象的。ブルージーなアドリブから激しいパンキッシュな「What She Said」、続く「Is It Really Strange?」は87年になってシングルのカップリングとしてリリースされることになる。モリッシ-お気に入りのオスカー・ワイルドが登場する「Cemetry Gates」は墓場での語らい。マーのギター・カッティングが素晴しい。 ハードなナンバー「London」から一転して、美しい「I K...

川村かおり「悲しきRADIO」

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1996年8月31日、bounceからリリースのトリビュート・アルバム『BORDER  A Tribute to MOTOHARU SANO』より。 カバー曲のおもしろさは演奏するバンド、ミュージシャンの選曲の妙(例えば”知る人ぞ知る曲”、”演奏している人とイメージの違う曲”など)ということもあるが、選んだ曲を素材にして自分のスタイルや好きなパターンに作り変えてしまう、という技が聴けることもあると思う。 今回紹介するのは、佐野元春のトリビュート盤『BORDER』に収録されている、川村かおりの「悲しきRADIO」。この曲は、佐野元春が1981年2月に発表した2ndアルバム『Heart Beat』のB面1曲め(アナログ)に収録されている。都市の夜や車、恋、カーラジオのロックンロールを、当時の佐野が影響されていたと思われるブルース・スプリングスティーンの様な疾走感とともに描き出した。 川村かおりのバージョンは、The Whoの「Substitude(邦題:恋のビンチヒッター)」のようなアレンジで演奏されていて、「Substitude」のイントロのギターフレーズをボーカルの合間に取り入れたり、まるでキース・ムーンの”ハイ・ハットなんていらないぜ”シンバル叩きっぱなしのドラム、フレット上を動き回るベースはThe Whoそのもの。間奏は「The Kids Are Alright」を織り交ぜ、ピート・タウンゼントばりのピック・アップ・セレクタ-のノイズ。少々のリズムの狂いやミスはおかいまいなし!の一発取り風な演奏は、とにかくエネルギッシュ&パワフルだ。ベース、ドラムにはDr.Strange Loveの根岸孝旨と古田たかし(1997年にDSLを脱退)、ギターにはHorikoshi Nobuyasu、川村かおりの飾り気のないボーカルも演奏にびったり。Dr.Strange Loveは「ストレンジ・デイズ」でこのアルバムに参加している。 アルバムにはこの曲の他、The Grooversの「New Age」、インダストリアルなアレンジがカッコいいHAL FROM APOLLO '69の「Sunday Morninng Blue」、ルー・リードを思わせるGreat 3の「サンチャイルドは僕の友達」等の名カバーが収録されている。 なお、川村かおりはSorrow名義のアルバムでルースター...

映画『アラビアのロレンス』

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砂漠の高温を焦がれているかのように、ロレンスがマッチの火を指でもみ消す。ここでのロレンスは、退屈な陸軍司令部での仕事を嫌い、形式にとらわれず、機知に富み、学力があり、そして野心もあるアウトサイダー。自ら進んでアラビア勤務を願い出て、望み通りアラビアへ赴任したロレンスは、砂漠の民と同じ強さで苛酷な自然と向き合う。アラビア赴任からアカバ攻略まで、前半のロレンスはとても魅力的な人物で、圧制に苦しむアラブ人達をトルコから解放、そしてイギリスの支配下ではなく、アラブ民族を統一、独立を掲げるヒーロー、でありながら身近に感じられる存在として描かれている。 広大なネフ-ド砂漠をアカバを目指して進撃していたロレンスの隊から、一人の兵士が遅れ、もうすぐ砂漠を渡りきるというときになってそのことに気付いたロレンスは、単独捜索に戻り、無事兵士をつれて戻る。この一件でロレンスはアラブの民から信頼を寄せられ、純白のアラビア服をプレゼントされる。それを身に纏ったロレンスは子供のように嬉しがり、小躍りし、服を風になびかせ、ひとり悦に入っている。それは、アラブ人になりきろうとしていたロレンスが、憧れの衣装を手に入れた時のナルシズムだが、私には微笑ましいシーンだった。 また、自分の隊の兵士をロレンスが処刑するシーンの後、その処刑を「楽しんでいた」と告白するシーンも戦時下の指揮官の苦悩をよく表している。ここでは、ロレンスの心に潜むダーク・サイドを少しだけ垣間見せるのだ。その他、各所で人なつこい笑顔で情け深く、力強い行動力をみせる。しかしアカバ攻略の後、ロレンスは少年二人を連れてシナイ半島横断の旅に出る。この長い旅でロレンスのヒロイズムは、徐々に砂漠の砂の中へ沈み、消えてゆくように思える。 Intermission後、再開された映画の後半は、なぜか見るものを落ち着かなくさせる。ロレンスの顔には、前半での人なつこい笑顔は見ることは出来ない。砂漠へ戻ることに恐怖を感じている様にも見える。さらにアメリカから来た新聞記者がロレンスを扱った記事で名を上げようと野心を見せつける。 しかし、ようやくロレンスは砂漠へ戻ることを決意し、さまざまな活躍でトルコ軍に打撃をあたえ続けた。ロレンス率いる遊撃隊はトルコ軍の補給列車を爆破、兵士ばかりか乗客を殺し、略奪を繰り返す。その略奪が終わるたびにアラブ人達は隊を離れて行った。アラブ...

E.D.P.S『BLUE SPHINX』

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1983年11月25日、徳間ジャパンよりリリースのアルバム。 1980年12月Frictionを脱退した恒松正敏は、1981年3月にソロ12インチEP『TSUNEMATSU MASATOSHI』をPassからリリースし、打ち込みとギターのソロ・ライブを行っていた。この時期の音は、金属的で反復するリズムにフリーキーなギターワークをのせた、アバンギャルドな演奏だった。「もうバンドはやりたくない」と思いソロを始めた恒松だったが、もう一度「共同幻想」を見てみようと結成したバンドが『E.D.P.S』だ。 E.D.P.Sは1982年5月に結成、メンバーは恒松(ギター/ヴォーカル)に、元スピード(81年9月に解散していた)の二人、ヴァニラ(ベース)とボウイ(ドラム)。グループ名は、コンピュータ用語(おそらく情報処理関係の"Electronic Data Processing System")とギリシア神話の王の名オイディプス(Oedipus)=エディプスに由来している。バンド結成後ライブを重ね、1982年12月15日には初のEP『Death Composition』をテレグラフよりリリース、8インチで3曲入り、ジャケットにはグループ名の通り、恒松が1977年に描いたオイディプス王の絵画(自らの運命を嘆き、両目を刺して血を流している場面)が使用されていた。 E.D.P.Sの1stアルバム『Blue Sphinx』は1983年3月~8月にかけてレコーディングされ、同年11月25日にリリースされた。一時期グループを離れていたヴァニラに代わり(82年10月29日、芝ABCホールのライブ後に脱退)、チャンス・オペレーション、午前四時などでベースを弾いていた井手裕之がベースを担当している(一部恒松がベースを弾いている)。オリジナル・アナログ・リリースには、初回プレスのみ「Keep On」のソノシートが付属していた。こちらは恒松、ヴァニラ、ボウイのオリジナルE.D.P.Sの演奏。 ジャケットには恒松が描いた「変容-牙」と題されたテンペラ画(1977年作)が使用されている。1996年に徳間ジャパンから再発されたCDにはソノシートの演奏を追加収録。 今回の全曲解説はアナログ盤の形となっています。  SIDE A : 1.  To Rule The Night(作詞・作曲/恒松正...

1984『ファースト・カセットテープ』

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Loft Enterprisesよりリリースのカセットテープ。 1982年に公開された映画「爆裂都市」のサウンド・トラックを担当した事がきっかけで活動を開始した”1984”は、ルースターズから花田、井上、池畑(時々大江も加わる)、後にBlue Tonic &The Gardenに参加するSaxの井島和男、また後にルースターズに参加するキーボードの安藤広一、ルースターズ・プロデューサーの柏木省三というメンバーで構成されていた。 ”1984”はこの後下山淳が参加するが、池畑、井上がルースターズを脱退したりと、ルースターズの別ユニットという性格はなくなり、単独のバンドとして、また大江がルースターズを脱退した後は、大江のサポート・バンドとして活動していった。 このカセットはライブ活動を始めてしばらくした後、おそらく1982年末~1983年初め頃にロフト・エンタープライズからりリースされた(新宿ロフトで売っていた)。銀色の紙に曲名が印刷され、カセットには”1984”とスタンプされている。曲名の他はメンバーなどクレジットはないが、1982年の中頃、ルースターズの4人に、井島、安藤、柏木というメンバーで録音されたのではないかと思う。ただ、この音源は3曲が1992年10月21日にクラウン・レコードからリリースされたCD『All About Shinya Ohe Vol.3』に曲名を変更して収録されているが、CDのクレジットを見ると録音は1983年となっている。  SIDE A : 1.  Big Brother ユニットの名前通り、小説「1984」における支配者の呼び名をタイトルにした曲。小説の中で民衆を支配する党のスローガン、 ”WAR  IS  PEACE   FREEDOM  IS  SLAVERY   IGNORANCE  IS  STRENGTH” が繰り返し歌われる、パーカッシブなナンバー。 『All About Shinya Ohe Vol.3』では、曲名が「Ground Zero」となっているが、ミックスのせいか靄がかかったような音で、ソリッドな曲の良さが損なわれている。 2. Fear 単調なリズムの上に、エフェクト処理されたボーカルと井島のサックスが重なるサ...

ニック・ホーンビィ著・森田義信訳『ぼくのプレミア・ライフ』

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先日紹介した『ハイ・フィデリティ』はホーンビィの2作目で、今回紹介する『ぼくのプレミア・ライフ(原題:フィーバー・ビッチ)』が彼のデビュー作だ。イギリスではWHスポーツ・ブック賞を受賞、100万部のベストセラーになった。 サッカーというスポーツや応援するサポーターについて書かれた本は数あれど、これほどサポーター個人の一つのクラブ・チームに対する偏愛を綴った作品は他に無いのではないか。サッカーのゲームや戦術を分析したのでも、ワールド・カップの試合についてでも、スポーツ・ジャーナリストが一つのクラブを取り上げたのでも無く、フーリガンについてでも無い。この作品はイングランド・ファースト・ディビジョン(現在のプレミア・リーグ)に属するチーム、アーセナルのサポーターとして、チームやサッカーを見続けてきたホーンビィが1968年~1992年までを日記風にまとめたエッセイである。 ホーンビィがサッカーにとりつかれたのは11才の頃、夫婦別居状態であった父親が、母親と暮らす子供とのコミニュケーションの手段としてサッカーの観戦を父子で行くようになる。その当時は家族の問題や、引っ越し、自身の病気など心に傷を負う事柄が多く、著者の心の隙間を埋めるようにアーセナルとサッカーは吸収されていった。その後の人生はアーセナルの試合日程、開催場所、試合結果、順位、好不調に左右され、この傾向は少年期から現在(本が出版されたときは三十代半ば)までほぼ変わらない。 私は熱心にスタジアムに通うサポーターでは無く、ほとんどTV観戦だが、ひいきのチームや日本代表の試合を見て何気なく思っていたことと同じことが、この作品にはたくさん登場する。 例えば、 ◎退屈なゲームを受け入れるということ。 ◎我がチームを勝利に導くためにするバカげたジンクス(決まった時間に決まった行動をするとか、この音楽を聞けば点が入るとか)。 ◎家族行事や友人との約束(飲み会など)と試合観戦の優先順位。 ◎サッカー・ファンの攻撃性、及びフーリガニズムについて。 ◎男と女の偏愛の違いについて。 ◎応援するチームへの帰属心とは、どう定義するのか。 ◎サポーターに対して、選手が認めたり理解する以上の責任が生じる時はあるのか? などなど.......。 著者はシーズンの途中で死んだらハイベリー(アーセナルのホーム・スタジアム)に自分の灰を撒いて欲しいとまで...

SONIC YOUTH「SUPERSTAR」

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1994年(JPN)リリースのトリビュート・アルバム『if I were a Carpenter』より。 デビッド・リンチの描くアメリカの郊外の風景。 青い空、緑の芝生、太陽の光、区画整理された道に並ぶ家、車、白く塗られたフェンス、色どる花。夜、街灯の光が届かない暗闇、住宅地に近い森、川や湖、木々を揺らす風、懐中電灯、ヘッドライト。映し出される風景は、たとえ雨や霧の中でもどこか渇いた映像だ。そして、そこで暮らす人々の光と暗闇を描いてゆく。それは幸せや愛を求める姿であり、それゆえに受け取る不幸や恐怖である。 中流家庭に生まれたカーペンター兄妹が結成したカーペンターズは、1969年にデビュー、翌70年にはシングル「遥かなる影(Close To You)」で全米1位。以後次々とヒット曲、ヒット・アルバムを送り出した。そして、広く大衆に受け入れられやすいサウンドと恋や希望、夢が歌われた歌詩は、中流家庭を代表する“明るく、清潔で安全なポップス”というイメージが作り上げられていった。しかし、その裏ではパブリック・イメージの維持と反発、人気の陰りとレコード・セールスの下降、カレンの食欲障害、母親との葛藤、兄リチャードの睡眠薬依存、という”影”の部分が広がり、79年には活動を停止、81年に再開するも、83年にカレンが拒食症で急死するという悲劇によりグループの活動に終止符を打った。 Sonic Youthの演奏する「Superstar」は、“明るく、清潔で安全”というイメージの裏側にあった悲しみ、痛み、不信、恐怖をディストーション・ギターで拡大したバージョンだ。スローモーションで水滴が落ちてゆくのを音に置き換えたような、イントロのアコースティック・ギターとドラムのリズム。深い闇の底で鳴っているようなノイズ・ギターと時々表面にあらわれてくるねじれたフレーズ。このバージョンは、デビッド・リンチの日常が潜在的に悲劇をはらみ、突然吹き出す狂気を描き出した映画に似て、とても衝撃的だ。 この曲を収録しているのは、カーペンターズをトリビュートした『if I were a Carpenter』というタイトルで、Sonic Youthの他、クランベリーズやシェリル・クロウ、少年ナイフ等が参加している。いずれも名カバー揃いで、各アーティスト達の身体にはカーペンターズの曲が染み込んでいるんだなぁと思わせる...

JIMI HENDRIX『IN THE WEST』

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1972年1月、ポリドールよりリリース(UK)のライブ・アルバム。 ジミ・ヘンドリクスの音源の権利が親族に移ってから、音質が悪かったり、演奏パートを差し換えたりといった粗悪なものはなくなったが、ジミの死後ポリドールからリリースされた中でも魅力的なパッケージのものはあった。ライブ盤では『ジミ・プレイズ・モンタレー』、『ライブ・アット・ウィンターランド』、そしてこの『イン・ザ・ウエスト』はその部類に入ると思う。このアルバムも収録場所が、1969年2月ロンドンのライブを1969年5月のサンディエゴでのライブと偽って表記されていたりもした(そのためタイトルがイン・ザ・”ウエスト”となっていた訳だが)。 現在はアナログ、CD共に廃盤となっていて、このアルバムの入手は困難となっているが、2000年9月にリリースされた4枚組BOXに『イン・ザ・ウエスト』から5曲がリマスタリングされて収録されている。個人的には、バラエティに富んでいる選曲なのでこのまま再発しても良いと思うのだが....。今回の全曲解説はアナログ盤の形となっています。 SIDE A : 1.  Johnny B. Goode(written by Chuck Berry) チャック・ベリーの曲で、ジミが最新型のスポーツ・カーに試乗してブッ飛ばしているようなパンキッシュなカバー・バージョン。おなじみのイントロから、リチャード・ヘル、ジョニー・サンダースにも似た、よれよれ気味のボーカルに、トーン・コントロールやピックアップ・セレクタを駆使したギタープレイ、ソロで弾き倒す。ベースはビリー・コックス。ミッチのドラムとのコンビネーションも抜群だ。1970年5月30日バークレーでのライブ。 4枚組BOX『THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE』ディスク4に収録。 2. Lover Man(written by Jimi Hendrix) 『モンタレー』等のライブで聴けるB.B.キング作の「Rock Me Baby」を下敷きにした曲で、とても歌いながら弾いているとは思えないギターが凄い。ギターソロの後半でミスをしてしまうところがあるが、そこにまた勢いを感じる。ジミは少しのミスや、少々のチューニングの狂いなど持ち味に変えてしまう魅力がある。フェイド・アウトする寸前、「Stone Free」のイントロのハ-モニ...

PANTA & HAL『マラッカ』

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1979年3月25日、Flying Dog /ビクター よりリリースのアルバム。 頭脳警察の活動を停止、豪快なソロ作を2枚発表、しかしセッション・バンドの物足りなさを感じていたパンタが、自らもグループの一員として活動を望み、組まれたバンドPANTA & HAL。グループ名はスタンリ-・キュ-ブリック監督の「2001年宇宙の旅」に登場するコンピュータ"HAL-9000"からとられた。それは、この名前の通りIBMの一字(一歩)先をゆくという先端を目指してなのか、それとも反逆するコンピュータに自分を重ね合わせて名付けたのか(”疾風”というバンド名も候補にあがっていたらしい)。 結成は1977年。集められたメンバーは、それぞれ違った音楽的バック・グラウンドをもっていたため、時間をかけてバンドとしてのミーティング、リハーサル、ライブを重ね、2年後の1979年に発表されたHALとしての1枚目のアルバムが『マラッカ』だ。プロデューサーの鈴木慶一(ムーンライダース)により”マラッカ”という言葉と、喚起されるイメージを核にして30曲ほどの中から選曲、アルバムを構成していった(ちなみに鈴木慶一は自身のバンドのアルバム『イスタンブール・マンボ』で中近東をテーマにしている)。 レコーディングは3ヶ月にわたり、鈴木慶一はこのアルバムのプロデュースで胃をこわし、突発性難聴にもなってしまったという。時間と手間をかけた甲斐もあり、硬質だがきらびやかなアルバムに仕上がっている。収録からもれた曲には「バクテリア」、「蘇る砂浜」、「夕陽のマラガ」、「鯱(シャチ)」などがある。 今回の全曲解説はアナログ盤の形となっています。 SIDE A : 1.  マラッカ(作詞・作曲/中村治雄)パンタが地図を見ながら書いたというタイトル・トラック。日本の生命線である、アラビアからマラッカ海峡を抜け東京へつながるオイル・ロードを、石油(アラビアン・ミディ)をたっぷり詰め込んだ20万トン・タンカーとともに航海する曲。ウミネコやマングローブ、スコール、南十字星といった言葉が熱帯を強烈にイメージさせるが、航海の終わりに待っているくそったれの街に対する苛立ちも歌に込められている。緻密に練り上げられたアレンジがサンバのリズムと溶け合う、20万トン級のロックナンバー。 2. つれなのふりや(作詞・作曲/...