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追悼・遠藤ミチロウ COMMENT ALLEZ-VOUS?「天国の扉」

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1996年3月15日、CITTA RECORDINGSからリリースのアルバム『愛と死を見つめて』より。 遠藤ミチロウが2019年4月25日に永眠したとミチロウ公式Twitterで明らかにされた。 日本のオルタナティヴ・ミュージックのリスナー、プレイヤーにとどまらず、アート、文芸など広く影響をあたえた…いや、遠藤ミチロウの作り出す音楽を聴き、パフォーマンスを体験して、ある者は遠藤ミチロウを溺愛し、ある者は嫌悪した、と言った方がいいのかもしれない。 エロもグロもサルも豚もアナーキストもロマンチストもインテリゲンチャーも天プラもニワトリも金メダリストもお母さんも父も、あらゆるコトバという生ゴミと臓物をバラ撒いてきたミチロウが亡くなったと発表されたのは2019年4月30日、翌日の改元祝賀に湧き返る日本への強烈なカウンターパンチだった。 それは偶然だったのだろうか…。共同幻想をブチ壊す事を至上命題としていたミチロウにとって改元一色のこの日に己の死を世に差し出すことは何よりミチロウらしかった、というのはあまりに礼を失するだろうか。 初期のTHE STALINについては以前書いたけどアルバム『STOP JAP』の後、私にとってエポックだったのは、1984年4月にリリースされ当時フォーマットも話題を集めたカセットブックの『ベトナム伝説』だった。「仰げば尊し」のパンクカヴァーや邦楽/洋楽カヴァー(ミチロウが日本語詞をつけた曲もあり)に加え3曲のオリジナル・ソングが収録されていたが、強烈な印象を残したのがオリジナル・ソングでミチロウ曰く “ボブ・ディランに捧げた” という「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」だった。 “日本語ラップを実験してみたんだけど、ディスコ・ビートにどうも合わない。だから演奏も全然ファンクしないようにして、思い切って、ぶっきらぼうな福島弁を使った” とミチロウは語っている。歌詞に出てくる “パンツのはけない留置場は〜” の部分はミチロウが逮捕され留置場にいた時のエピソードを元にしているという。パンク/ヘヴィな演奏にディランの「Subterranean Homesick Blues」並みにコトバを詰め込んだミチロウの語りをのせたハードな曲。 演奏と語りというのはTHE STALINの「アーチスト」や「先天性労働者」からの流れとも言えるが、政治...

QUEEN「BOHEMIAN RHAPSODY」

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1975年10月発表のアルバム『A Night At The Opera』より。 映画『ボヘミアン・ラプソディ』をレンタルのDVDで鑑賞。ブルーレイは全部貸出中だったよ。 クイーンは私が中学生時代にアルバム『A Night At The Opera(邦題:オペラ座の夜)』を聴いて、やはり「Bohemian Rhapsody」という曲には圧倒された。「Bohemian Rhapsody」のコーラスに続く冒頭の歌詞、  “母さん、今、人を殺してきた  そいつの頭に銃を突きつけ  僕は引き金を引いた” と歌われる、こんな歌がチャートの1位になるなんて凄いことだ。日本じゃ考えられないな…と思った、というか今も思う。 遡って1st『戦慄の王女』〜『シアー・ハート・アタック』を聴いて『華麗なるレース』〜『ザ・ゲーム』、『フラッシュ・ゴードン』までは聴いたかな。ギターキッズ達にはブライアン・メイの暖炉ギターが生み出す暖かで豊かなサウンドが話題だったし、ロジャー・テイラーとジョン・ディーコンのパワフルなリズム隊、重層的なコーラスも魅力だった。華麗なメロディを歌うフレディ・マーキュリーのピチピチのタイツ衣装、マイクスタンドの半分というか先端を使ったパフォーマンスも注目されていた(漫画「マカロニほうれん荘」にも登場してたしね)。 で、映画『ボヘミアン・ラプソディ』だが、クイーンというバンドの歴史を振り返るには、 3時間越えの長さが必要だと思うが、ピークの持っていきかたも含め、2時間ちょっとにうまくまとめてあるなと思う。バンド結成から成功までのスピードが早く、トントン拍子に話が進みすぎる感じがしたり、時系列的にこうだったかな?という箇所があったけど、パッケージとしてみれば良くできていると思う。 サクセス・ストーリー、フレディの抱える孤独、バンドの強い結束力に焦点を絞り、グレイテスト・ヒッツなステージ・シーンやレコーディング・スタジオのシーンを多数盛り込んだ内容は、クイーンを聴いてきた世代のみならず、クイーンを全く知らない世代を含む多くの観客から支持される結果につながったと思う。それにしてもバンドメンバーを演じた役者はよく似てたなー。特にブライアン・メイは立ち姿、弾き方、表情そっくりだった。フレディは長髪の頃がすごく似てた。 「Bohemian Rhapsody」という曲にはフレデ...

THE STALIN『STALINISM NAKED』

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2019年4月20日、いぬん堂からリリースのアルバム。 1987年1月にIndependent Recordsよりアナログ盤でリリースされた編集盤『STALINISM』。 THE STALINが初期〜解散する直前までにインディからリリースしたソノシート、シングル、オムニバス参加の音源を集めたものだった。 アナログ盤『STALINISM』の内容は、 SIDE A 1. 電動こけし 2. 肉 3. バキューム 4. 解剖室 5. Chicken Farm Chicken SIDE B 1. 豚に真珠 2. サル 3. コルホーズの玉ネギ畑  4. 猟奇ハンター 5. アーチスト A-1.2は、THE STALIN最初の音源で1980年5月ポリティカル・レコードからリリースのソノシート「電動こけし/肉」収録曲、 A-3.4は、1984年11月BQレコードからリリースのアルバム『Fish Inn』の通販特典ソノシート「バキューム/解剖室」収録の2曲、 A-5は、アメリカの雑誌『MAXIMUM ROCK N ROLL』が1984年5月にリリースしたオムニバス『Welcome To 1984』参加曲、 B-1〜5は、1981年4月ポリティカル・レコードからリリースのEP『スターリニズム』収録5曲全曲。 しかし音源は加工されており、「電動こけし/肉」とEP『スターリニズム』収録曲はエフェクト/イコライジングされた音像のものが収録されていた。個人的な想像でしかないが、オリジナルの簡素な録音を多少1987年当時の現代的な音に加工/補正した、ということだったのではないか(ミチロウやバンドがどこまで関与したのか定かではないが…)。 「コルホーズの玉ネギ畑」に顕著だが、オリジナルはよく言えばシンプルでタイト、悪く言えばやや貧弱な音質だったのだが、編集盤『STALINISM』ではエコー感の非常に強い音像になっている。残響が強調され、高音が耳につく。 『STALINISM』は1990年3月にMajor RecordからCD化。2005年にはSS Recordings/スカイステーションから「電動こけし/肉」とEP『スターリニズム』がアナログ盤とCDで再発、24bitデジタル・リマスタリングされたということだが、ソースとしては編集盤『STALINISM』と同じと思われる。2007年にリリ...

TH eROCKERS『ROCK'N' ROLL』

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2019年4月17日、ポニーキャニオンからリリースのアルバム。 TH eROCKERSのニュー・アルバム! 再結成のライヴ・アルバム『リップ・サーヴィス』が1991年にリリースされているが、TH eROCKERSのスタジオ・アルバムとしては『ハンキー・パンキー』のリリースが1981年だったから、なんと38年振りだ。メンバーはVo陣内、B穴井のオリジナル・メンバーに加え、2014年の再結成から参加しているギターの澄田健、2018年から参加したドラムにブルー・トニック〜ザ・スリルの田中元尚、ギターにモーサム・トーンベンダーから百々和宏。 オープニングの「糸島の太陽(カリフォルニア・サン)」はリヴィエラズ〜ディクテイターズ〜ラモーンズも演奏していた「California Sun」のカヴァー(オリジナルはジョー・ジョーンズ)。歌詞はダンドイ舞莉花と陣内による日本語詞で、カリフォルニアならぬ福岡・糸島の海岸を舞台にした博多弁で歌われる痛快でFUN FUN FUNなナンバー。 続いて「可愛いアノ娘」。これまでスタジオ・ヴァージョンがリリースされていないTH eROCKERS初期からの代表曲で、TH eROCKERSファンの誰もがスタジオ・ヴァージョンを待ち望んでいたが、やはり38年振りとなるスタジオ・アルバムに収録することでケリをつけたかったのだろう。うれしい1曲だ。 軽薄で浮気な性格だけれども憎めない色男を描かせたらピカイチな陣内作詞、TH eROCKERS作曲の「三流の恋仇」、ザ・フー〜ザ・ジャムもカヴァーしていた「HEAT WAVE」、オリジナルはマーサ&ヴァンデラス。歌詞はダンドイ舞莉花と陣内による日本語詞で、熱病にかかったような恋の病を歌う。 恋の終わりでも強がりを、そしてクリスマス・ソングともいえそうなラモーンズ・ライクなポップ・ナンバー「恋のファンファーレ」、プレスリーのカヴァー「サスピシャス・マインド」。これも歌詞はダンドイ舞莉花と陣内による日本語詞。恋に落ちたが故に疑心暗鬼になる心情、それが恋の罠なんだと歌うアコースティック・フレーヴァーな曲。「恋に溶けてゆく」は高橋研作詞・陣内作曲のロカビリー・タッチ。エッジの効いたギターがカッコいい。 福岡民謡の「黒田節」は意外な選曲だが、田中のダイナミックなドラミングを生かしたアレンジで、ディック・デイル「Mis...

OZZY OSBOURNE『BLIZZARD OF TORMÉ』

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LangleyよりリリースのブートレグCD-R。 オジー・オズボーンがソロ2作目『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』リリースにあわせて全米を巡る“ダイアリー・オブ・ア・マッドマン・ツアー”の最中の1982年3月19日、ギタリストのランディ・ローズを乗せた小型飛行機はパイロットの操縦ミスによってオジー・オズボーンらメンバーの目前で墜落、ランディを含む3人が死亡した。ランディは25歳の若さだった。 オジーはこの悲劇に激しく動揺し、このままツアーばかりでなく、もはや音楽さえも続けることは出来ないと悲しみ苦しみ嘆き、ツアーは一時的にストップしたが契約上ツアーを続けなければならなかった。3月後半の公演は中止・延期となり、数人のギタリストのオーディションがおこなわれたという話もあるが、後にオジーの妻となるマネージャーのシャロンがバーニー・トーメを代役に抜擢した(シャロンの父親はThe Bernie Tormé BandがレコードをリリースしていたJet Recordsの社長で、当時のオジーもJet Recordsからリリースしていたから、そのあたりも影響しているか…)。 “オジーのレコードを聴いたのはアメリカに移動する前日か前々日で、ロサンゼルスでオジーのバンドと会ったのはランディの死後1週間くらい経った頃だった” とバーニー・トーメがローリングストーン誌に語っていることから、悲劇の2〜3日後にバーニーにオファーがあり、3月26日頃にバンドと合流、その後わずか6日後、4月1日ペンシルバニア州ベスレヘムにあるステイブラー・アリーナがバーニーにとってオジーとの初ステージとなった。 バーニーは僅かな時間でオジーの楽曲、それもワンステージ分を習得しなければならなかった。バーニーは“ウォークマンで曲を聴き、曲の構成とランディのフレーズが入るタイミングを覚える以上のことは出来なかった。プレイしながら徐々に細かいことを覚えるしかなかった”と語っている。 右上のジャケ写はラングレーから2000年代の初め頃にリリースされたと思われる、1982年4月3日コネチカット州ニュー・ヘイブンでおこなわれたバーニーが参加して3回目のショーのオーディエンス録音を収録したブートレグCD-R。おそらくステージから遠いところで録音されたものと思われ、演奏は固まりになっており観客が手前にいるのが感じられて音質はあまり...

GILLAN「TROUBLE」

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1980年12月20日、ビクター/ヴァージンよりリリースのミニ・アルバム『レディング・ライブ&モア』より。 The Bernie Tormé Bandはファースト・シングル「I'm Not Ready」リリース後、1979年に4曲入りのセカンド・シングル「Weekend / Secret Service c/w All Night / Instant Impact」をリリース、BoysやGeneration X、Bethnalといったバンドをサポートし、自らもライヴをおこなっていたが、バーニー ・トーメは自己パロディ化したパンク・シーンに幻滅していた。さらに彼のバンドが2枚のシングルをリリースしたJet Recordsから契約解除され、The Bernie Tormé Bandはあえなく解散。 その頃バーニーはかつてスクラップヤードというバンドで一緒にプレイしていたベーシストのジョン・マッコイに再会、マッコイが参加していたバンドGILLANのヴォーカリスト、イアン・ギランに誘われバーニー・トーメはギタリストとしてGILLANに加入する。バーニー加入についてイアン・ギランは、 “バーニーを初めて見たのはコルチェスター大学のライヴで凍えるほど寒い冬のある日だった。彼がギターをアンプに繋ぐと、寒々とした会場に暖かい流れるようなサウンドが満ち溢れたよ。次の瞬間、彼は爆発したんだ。膝をついて、ギターを食いちぎり始めたのさ。あんな光景は見たこともなかった。だから、ギランにメンバー交代があるとすれば、バーニーに加入してもらうのが当然に思えたんだ” と語っている(イアン・ギランのオフィシャルHP Cramba! のGigographyによるとバーニーはアベリストウィス大学のギグで初めて会ったと言っていたらしい)。 更にドラムをミック・アンダーウッドに交代、ニューラインナップのGILLANがスタートした。 1979年6月からアルバム『ミスター・ユニヴァース』のレコーディングを開始、7月10日から3日間ロンドンのマーキー・クラブでニューラインナップでのデビューライヴ。 8月25日、第19回レディング・フェスティヴァルに出演。この時の模様の一部はBBCによって録音され「フライデーロック・ショー」で放送された。 小規模なドイツツアーの後、9月19日、ロンドンのパリス・シアターでBB...

追悼・萩原健一「さよなら」

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2019年3月26日、萩原健一、逝く。 小学生の頃見たマカロニ刑事の殉職シーンは強烈な印象を残したし、前も書いたけどドラマ『傷だらけの天使』、特にオープニング・クレジットの映像には影響された。2008年に出版された自伝「ショーケン」も読み応えのあるものだった。スキャンダラスで破天荒なことも多々書いてあるが、仕事に対するこの人のセンスは抜群だな、と思った。音楽というとこの1979年にリリースされたライヴ・アルバム『熱狂雷舞』が真っ先に頭に浮かぶ。 柳ジョージ&レイニーウッドと組んだ1979年の全国ツアーで録音され、アナログ盤2枚組でリリースされた。私は多分リリース後しばらくして友人のKBちゃんに勧められて借りてものの、このサウンドはちょっとアダルトでパンク・ニューウェイヴにかぶれていたその頃の気分にはフィットしなかった。だけど随分経って、ショーケンの歌声とあの時アダルトだと思った演奏を聴き返したくなり入手したのは右上ジャケ写の紙ジャケCD。このジャケットはデカく“熱狂雷舞”と書かれた帯も含めてのデザインだと思う。 オープニングのラテンな雰囲気はストーンズの『ラヴ・ユー・ライヴ』がチラリと思い浮かぶ。イントロダクションに使われた「Weeping In The Rain」に始まり、 河島英五の「酒と泪と男と女」、内田裕也が持ってきてくれたというBOROの「大阪で生まれた女」、柳ジョージの「祭ばやしが聞こえる」や「本牧綺談」などお馴染みの曲とともに、アルバム『Nadja II』『Nadja-3』収録曲が多く「蜃気楼」、「漂流記」なんかは今聴いても演奏はモダン。他にPYG「自由に歩いて愛して」、速水清司「コンクリート・ジャングル」を取り上げている。 ラストには速水清司作の「さよなら」が収録されている。 別れる時が来たよ でもすぐにまた逢えるさ そんなに長いあいだじゃない そうさ 話も残ってるしね また逢おうきっとだよ おぼえておいて

追悼・BERNIE TORMÉ BERNIE TORMÉ BAND「I'M NOT READY」

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なんてこった。バーニー・トーメの訃報が。 バーニー・トーメはウイルス性疾患の合併症のため治療を受けていたが、67歳の誕生日を翌日に控えた2019年3月17日に息を引き取った。享年66歳。 私がハード・ロック/ヘヴィメタルを聴いていた中学生の頃、GILLANのギタリストだった事から聴き始めたバーニー・トーメ。彼自身の音源や参加音源は見つければ買っていた。バーニー自身のレーベルRetrowrek ‎Recordsがバーニーの音源のリイシューや新譜や発掘音源をリリースし始めた1990年代後半からは熱心に追いかけて聴いていたが、フィリップ・ルイスらと組んでいたバンド、トーメのアルバム『ダイ・プリティ・ダイ・ヤング』の再発、Angel Air Recordsからの発掘ライヴ盤『Live Sheffield 1983』がリリースされた2002年までか、買ってたのは。 その後もG.M.T.のアルバムやソロ・アルバムが出てるのは知ってはいたんだが入手せず…。それでも、もしバーニー・トーメが来日すれば観に行きたいなぁと夢想していた時期もあったんだが…。思い起こせばアルバム『フューチャー・ショック』(1981年)リリース後にGILLANの来日公演があったが、既にバーニーはバンドを離れていたんだよね…。 時に1977年、勃興したパンク・ロックに触れたバーニーはエキサイティングでアグレッシブ、そしてボーイッシュな魅力に溢れていると感じたが、当時バーニー24歳。既に歳を取り過ぎていると思うものの自らを変革せずにはいられなかった。髪を短く切り、リック・ウエイクマン風の刺繍マントも必要なくなった。バーニーはセックス・ピストルズに影響を受けつつもギターソロを弾くことを止めることが出来ない“Punk Guitar Hero”という矛盾した存在となった。だが、それこそがバーニー・トーメだった。 オリジナル・パンクの曲調としてはテクニカルなギターソロ・パートは無用、ブルース的な要素を含むギターフレーズも不要、という面があったが、バーニーはそうじゃなかった。タイトでコンパクトでスピーディなチューン、歌の合間に鋭く差し込まれるギターフレーズやアーミング。パンキッシュな演奏にハード/ブルージー/ノイジーなギターソロ。 Punk or What? 1975年にアイルランドのダブリンからロンドンへ移り住んでスクラ...

追悼・内田裕也「長いお別れ」

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内田裕也、逝く。 1980年代観た『十階のモスキート』と『水のないプール』はどちらも内田裕也の個性的な演技で強く印象に残った映画だった。 その頃リリースしたシングル「長いお別れ(The Long Goodbye)」(右の内田裕也の写真はそのシングル盤・ジャケットより)。 Photo by Tenmei Kanoh 少し長すぎた夜 最後のグラス お前と俺のギムレット 地平線抱きながら Good-bye so so long Good-bye But someone to be watching over me

ORCHESTRAL MANOEUVRES IN THE DARK「ELECTRICITY」

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1980年、ヴァージン/ビクターよりリリースのシングル。 前回オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク (OMD)「Of All The Things We've Made」を紹介するのに改めてOMDを聴いていて、なんか「Electricity」のヴァージョン違いが随分あるな…と思い、ちょっと調べもの。ウィキペディアによると、 Version 1…ヴァージン傘下DinDiscから1979年9月にリリースしたシングル・ヴァージョン。エコー感、シンセの音など個人的にはこれが好み。 Version 2…ファクトリー・レコードから1979年5月にリリースされたシングル・ヴァージョン。OMD最初のシングル。シンセ、ドラムの音などややチープな音作りだがラフな魅力あり。 Version 3…DinDiscから再度1980年3月にリリースされた3回目のシングルで、ファースト・アルバムに収録されたアルバムヴァージョンを収録。Version 1をリミックスしたもの。 Version 4…セカンド・アルバム『オーガニゼーション』制作時にレコーディングされ、DinDiscのコンピ『DINDISC 1980』に収録されたヴァージョン。ドラムはマルコム・ホルムスが参加。 スタジオ・ヴァージョンは以上4つのヴァージョンがあるということだ。ウィキぺディアによればVersion 1がオリジナル・ヴァージョンとなっている。 ややこしいのはファクトリーからリリースされた最初のシングル(FAC 6)にはファクトリーのマーティン・ハネット(=マーティン・ゼロ)によるプロデュースの「Electricity」 がオーヴァープロデュースであるとして使われず、リヴァプールのスタジオでOMD自身とポール・コリスター(=チェスター・ヴァレンティノ)がプロデュースし録音した「Electricity」 が使われていることだ(さらにややこしい事にこちらはデモ・ヴァージョンだとかオリジナルとする説もある…)。そしてOMDがファクトリー・レコードを離れて契約したヴァージン傘下のDinDiscからリリースした初回のシングル(DIN 2) にファクトリーのシングルで使われなかったマーティン・ハネットがプロデュースしたヴァージョンの「Electricity」が使われている。そのためかUK盤などには“Factory Re...

ORCHESTRAL MANOEUVRES IN THE DARK「OF ALL THE THINGS WE'VE MADE」

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2000年、Virginよりリリースのアルバム『PEEL SESSION 1979-1983』より。 オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク (OMD)といえば大江慎也がアルバム『ぺキュリア』(1989年)リリースにあわせたツアーでOMDの「Electricity」を演奏、その時期と思われる「Electricity」のライヴ・ヴァージョンを日本コロムビアが大江のソロアルバム『BLOOD』を1991年にリイシューした際にボーナス・トラック収録、 と、そんなところからOMDの「Electricity」や初期ヒット曲「Enola Gay」のシングル盤なんかは購入していたんだが、それ以外は聴いたことがなかった。 少し前に紹介した、1984『逆噴射家族フィルムサウンドダイジェスト』のラストに収録されていた「新しい生活~レクイエム(Requiem)ラストテーマ」、または、1984がリリースしたカセット収録の「Walkin' In The Space」やアルバム『Birth of Gel』収録の「Space 1999」、この曲がOMDの「Of All The Things We've Made」から影響を受けて作られたらしいというのを聞いたのはいつ頃だったか…。で、たまたま中古で見つけた「Of All The Things We've Made」が収録されているこの『PEEL SESSION 1979-1983』を購入した。 『PEEL SESSION 1979-1983』は、OMDが4回のBBCピールセッションで録音・放送した楽曲を集めたアルバムで、下記の日付に録音されている。 1979年8月20日 1980年4月14日 1980年9月29日 1983年1月29日 1回目のセッションは、まだファースト・アルバム・リリース前の録音で、後にファースト・アルバムに収録される4曲が演奏されている。1980年2月ファースト・アルバム・リリース後に録音された2回目のセッションでは、ファースト・アルバムから2曲(「Pretending To See The Future」が「Pretending To See The Light」と表記されている)、1980年9月にリリースされるシングル曲「Enola Gay」、 1980年10月リリースのセカンド・アルバム...

映画『BLADE RUNNER 2049』

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映画『ブレードランナー2049』をレンタルのブルーレイで観賞。続編は観たくないなぁと思っていたんだが、今のブレードランナーな気分で興味津々借りてきた。 この映画と共に観ておいた方がいいのが、ネットで公開されている3本のショート・フィルム。 『ブレードランナー ブラックアウト2022』(アニメーション・渡辺信一郎監督) 『2036:ネクサス・ドーン』(ルーク・スコット監督) 『2048:ノーウェア・トゥ・ラン』(ルーク・スコット監督) どれも本編『ブレードランナー2049』の世界の背景を理解するのに役立つもので、『ブラックアウト2022』は大停電というレプリカント禁止法のきっかけとなった大事件の、『ネクサス・ドーン』はレプリカント製造再開の、『ノーウェア・トゥ・ラン』は本編冒頭に登場するサッパー・モートンについての、興味深い内容を持っている。 で、本編『ブレードランナー2049』はどうだったかというと、屈折した言い方だが、“ブレードランナーの続編”というこだわりを捨てて観れば、良く出来た映画だと思う。 個人的にはハリソン・フォードとショーン・ヤングは出演しなくてもよかったと思う。特にウォレス社内部でのシーンは脱力した。このあたりのエピソードは他の方法でうまく処理できたんじゃないかなぁ。あとなんだか警察内部は杜撰で、重大な発見の処置を警部補の一存であっさり決定したり、貴重な発見の証拠を簡単に持って行かれたりとアウトオブコントロールな状況でがっかりな描き方。 まぁ映像は綺麗だし、ストーリーもキリストの生誕や旧約聖書といった宗教的要素を絡め、 木馬を象徴的に使用したり、ウラジーミル・ナボコフの『青白い炎』の引用というインテリジェントな仕掛けなど、なかなか深読みの出来る内容になっている。前作がハードボイルドなムードだったが、続編はヴァーチャルな恋人との絡みがソフトな印象もあり。 右上の表紙は『ブレードランナー2049』公開された2017年に洋泉社から出版された別冊映画秘宝『ブレードランナー究極読本』。

映画『BLADE RUNNER』Blu-ray Disc

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『ブレードランナー』(1982年)のブルーレイが九百円代で買えるのか…。 私が初めてこの作品を観たのはテレビ放映だったか。それともレンタルビデオ店で借りたのか。覚えてないな。それにしても初期のレンタル代は幾らだったんだっけ?このブルーレイはオリジナル劇場版、インターナショナル劇場版、ディレクターズカット版の3ヴァージョンを観ることができる。ということで、ついポチッと。 たぶん1992年のディレクターズカット版を観て以来かな、この作品を観るのは。オープニングの空撮シーン。素晴らしい。全く色褪せることがないな。ヴァンゲリスの音楽とともに。それにこの作品の設定は2019年11月なんだ…。今年だよ。 冒頭でデッカードが屋台で食事をするシーン“2つで充分ですよ” 何が2つなのか、やはり今観てもわからないんで、ネットで探してみる。どうやら町山智浩の本に説明があるらしい。この本面白そうなんで本屋で購入。『映画の見方がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』なるほどそういうことなのか。ワークプリント版には映像があるんだ。まぁYouTubeに動画はあるけどね。観たいなぁワークプリント版。また買うのか…。 柄(というか棒の部分)が光る傘が映画に出てるけど、この傘は売ってたりするのだろうか、と探してみるとあるんだ…すげえ。

加藤和彦&サディスティック・ミカ・バンド『1974ワンステップ・フェスティバル』

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2018年11月28日、Super Fuji Discsよりリリースのライヴ・アルバム。 先に紹介した四人囃子と同時にリリースされたサディステック・ミカ・バンドのワンステップ・フェスティバルに於けるライヴ演奏の全曲を収録したアルバムで、2017年12月にリリースされた『1974郡山ワンステップフェスティバル永久保存盤21枚組ボックス』からの単品販売となった。全7曲、収録時間およそ35分と短めだが、発掘音源としては各楽器のバランスも良くエキサイティングなステージをコンパクトに堪能出来る。 CDが加藤和彦&サディステック・ミカ・バンド名義なのは、ワンステップ出演時のアーティスト名が加藤和彦とサディステック・ミカバンドだったからか。やはり当時としてはサディスティック・ミカ・バンドって名前だけより、世間的には加藤和彦の名が通っていたのだろう。 メンバーは、加藤和彦、ミカ、高中正義、小原礼、今井裕、高橋幸宏という最強ラインナップ。このメンツで制作したアルバム『黒船』は1974年5月の時点でレコーディングを完了、1974年11月にリリースされるが、そのアルバムからは「塀までひとっとび」、「タイムマシンにおねがい」が演奏されている。 ファースト・アルバムからは「影絵小屋」、「ピクニック・ブギ」、「ダンス・ハ・スンダ」が演奏されているが、キーボードが入ったこともあり、いずれもライヴならではのドライヴ感が増してカッコいい仕上がり。 その他、カヴァーアルバムとして1974年頃計画され幻に終わったアルバム『駅前旅館』の収録候補だった高峰秀子「銀座カンカン娘」のカヴァー。なんでも当時この曲の使用許可が下りなかった為計画は頓挫したという。コーラスのアレンジも面白く、ブギウギ・ピアノ、ミカのヴォーカルもハマった名カヴァーだ。小原礼のペンによる未発表曲だった「ロックンロールバンド」はラテンムードのある、インプロビゼーション・パートの多いおよそ12分に及ぶ長尺曲で各プレイヤーの面目躍如。 ミカ・バンドはワンステップ・フェスティバルの最終日、ヨーコ・オノ・ウィズ・プラスティック・オノ・スーパー・バンドと同じ1974年8月10日に出演しているが、「タイムマシンにおねがい」の冒頭でミカがヨーコ・オノばりにヴィブラート・シャウトしているのがユニーク。加藤和彦によればワンステップ・フェスは出演するつ...

追悼・橋本治

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RIP…橋本治   夜空ようなずいてくれ 砕けたおれの心に やがて訪れるだろう 輝きを返す朝が 悲しみよ ようこそ PANTA「悲しみよようこそ」作詞:中村治雄・橋本治 より

四人囃子『1974ワンステップ・フェスティバル』

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2018年11月28日、Super Fuji Discsよりリリースのライヴ・アルバム。 1974年8月4日~10日に福島県郡山市開成山公園で行われたワンステップ・フェスティバルの8月5日に出演した四人囃子の演奏をほぼ丸ごと収録したCDがリリースされた。四人囃子のワンステップの音源は、これまで2001年にリリースされた『From The Vaults』に「泳ぐなネッシー」と「Cymbaline」が収録され、2017年12月にリリースされた『1974郡山ワンステップフェスティバル永久保存盤21枚組ボックス』に「泳ぐなネッシー」、「Cymbaline」、「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」、「一触即発」が収録されていた。 四人囃子のオフィシャルHPの紹介によると、 “本CDは、フェスティバルの2日目、8月5日のトリに出演した四人囃子の演奏全てを収めたもの。昨年発売した『1974郡山ワンステップフェスティバル永久保存盤21枚組ボックス』に収められたものはエアー録音であったこと、また「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」がごく一部しか収録できなかった、のであるが、新たにミキサーからのラインアウトのテープを発見、そこにはこの日の全貌が収められ、また音質と各楽器のバランスが飛躍的に向上!それを初めてCD化したものである” ということである。 収録曲は、 1.Introduction(未発表のPAライン音源) 2.泳ぐなネッシー(未発表のPAライン音源) 3.Cymbaline 4.Members Introduction(未発表のPAライン音源) 5.空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ(未発表のPAライン音源、欠落パートなし) 6.一触即発(未発表のPAライン音源) 私は『~永久保存盤21枚組ボックス』は入手していないので(高額だったからね…)内容や音質がどうだったかわからないけれど、 今回のCDは奥行きはあまり感じられないものの各楽器の音量のバランスはよく、『From The Vaults』収録の「泳ぐなネッシー」(こちらはオーディエンス録音)と比べるとかなり良くなっている。それにしてもこの曲の中盤でのハイテンションな森園は…。ヘイ・メ〜ン!そしてメンバー紹介での更にハイタイムな森園…。 「Cymbaline」を除き、ライン録音だから当然観客の声や拍手はほぼ無くなっている。「空飛ぶ円盤~」のイントロに一...

私の放浪音楽史 Vol.84 1984『逆噴射家族フィルムサウンドダイジェスト』

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1984年6月21日、キャニオンよりリリースのサウンドトラック・アルバム。 『爆裂都市』(1982年)公開後、石井聰亙はバチラス・アーミー・プロジェクトを率いて自ら音楽も担当した『アジアの逆襲』(1983年)を完成、普及し始めた家庭用ヴィデオに対応すべくヴィデオ・パッケージ作品としてリリースした。その後、長谷川和彦の掛け声により1982年に設立された映画企画・製作会社ディレクターズ・カンパニーに参加(他には高橋伴明、相米慎二、根岸吉太郎、井筒和幸、大森一樹ら石井を含め9人の監督が参加していた)、ディレクターズ・カンパニーでは石井が誘って小林よしのりと共に脚本作りを進めていた『逆噴射家族』の制作が決まる。 1980年代前半、話題に上がっていた“家庭内暴力”をギャグで描き、概ね子供から親へ向かう暴力として取り上げられることが多かったと思うが、むしろ石井と小林よしのりは“家庭間戦争”にしたいと考えた。主人公を息子から親父へと変更し、1982年2月に起きた日航機羽田空港沖墜落事故で流行語にもなった“逆噴射”という言葉をタイトルに、さらにこれも当時話題に上った“ビョーキ”というワードを作品に織り込みながら、主演の父親・小林勝国役に小林克也、妻・小林冴子役に倍賞美津子、息子・小林正樹役に有薗芳紀、娘・小林エリカ役に映画初出演で13歳だった工藤夕貴、祖父・小林寿国役に植木等という個性的なキャスティングによる5人の家族のマイホーム購入~家族間戦争~崩壊~再生までを描き、1984年6月23日に劇場公開された。『逆噴射家族』は公開されてすぐに観に行った覚えがある。たぶん池袋で観たと思うが映画館はどこだったかな…。 この『逆噴射家族フィルムサウンドダイジェスト』もすぐに購入していたKBちゃんに借りてカセットテープに録音して聴いていた。長らく再発されることはなかったが、2007年にリリースされた石井聰亙DVD-BOX2の特典として初めてCD化されている。 映画『逆噴射家族』の音楽は1984とクレジットされているが、映画のエンドロール、映画のパンフレット、オリジナル・アナログ盤、石井聰亙DVD-BOX2の解説書、復刻CD、どれにも演奏したメンバーの記載はまったくない。アナログ盤(及び復刻CD)に封入されていたリーフレットには、フィルムサウンドダイジェスト・レコード・スタッフとして、 Dire...

THE CLASH「THIS IS ENGLAND」

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1985年9月30日リリースの12インチ・シングル。 たぶんクラッシュのアルバム『カット・ザ・クラップ』はリリースされた当時誰かに借りてすぐに聴いたと思うが、まるで興味持てなかったな。カセットテープにも録音しなかったから、1990年代になってCD化された際に一応買っとくかという程度で、それも一通り聴いてCDラックから取り出すことはほとんどなかった。この「This is England」の12インチ・シングルも、 ニック・シェパード、ヴィンス・ホワイト、ピート・ハワード参加後のクラッシュのライヴブートCDで聴いた「Sex Mad Roar」がロカビリーぽくてカッコ良くて「This is England」の12インチにスタジオ・ヴァージョンが収録されているのを知り、やはり90年代初め頃中古で入手したものだ。 前回のストラマー、シムノン&ハワードの「Czechoslovak Song / Where is England」を紹介するのに、クラッシュの「This is England」を改めて聴いたのだが、メロディとしては良いものがあるなと思いつつ、フェイニー(Fayney)というサウンド・デザイナーがプログラミングしたデジタル・サウンドは正直好みではない。だがメロディにのせた歌詞は注目に値するもので、これこそが「This is England」が近年再評価された要因でもあるだろう。 2012年にリリースされたクラッシュのドキュメンタリーDVD『THE RISE AND FALL OF THE CLASH』のなかで、ヴィンス・ホワイトは自分達の演奏・アレンジで作品化出来なかったことを嘆き、涙ながらに語っていた。 “考えるだけでつらい。本当に泣きたくなるよ。 「ディス・イズ・イングランド」は英国の現状を表す素晴らしい曲だと思うんだ ” 1979年、英国首相に就任したマーガレット・サッチャーは当時“英国病”と呼ばれていた経済的・社会的衰退から脱却すべく、国営企業の民営化、労働組合の弱体化、税制改革、福祉政策の削減、規制緩和といった政策を打ち出す。税制改革に対する反応や人員削減など合理化による失業者の増加等により支持率を下げていたが、1982年のフォークランド紛争勝利後にサッチャーは支持率を上げ、総選挙に圧勝、首相に再選されると、サッチャリズムと呼ばれるその政策をさらに強力に推し...

STRUMMER, SIMONON & HOWARD「CZECHOSLOVAK SONG / WHERE IS ENGLAND」

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2018年9月28日、Ingition Recordsからリリースのジョー・ストラマーのアンソロジー『Joe Strummer 001』より。 ジョーが亡くなってから16年、初めてクラッシュ以外に焦点を当てたアンソロジーがリリースされた。遅いよー。でもリリース形態がなぁ。まず限定盤のスーパー・デラックス・ボックスセット(2CD+アナログLP3枚+12インチ+7インチ+カセット+ブック+バッジやステッカー等)。このボックスセットの7インチに入っているストラマー、シムノン&ハワード名義の2曲 「This Is England (Unreleased demo) c/w Before We Go Forward (Unreleased demo)」 とカセット・テープに入っている「Full Moon (Unreleased basement demo)」はこのスーパー・デラックス・ボックスセットでしか聴けない。しかし価格は15,000円超えと高額のうえ、置き場所にも困りそうなので購入を見合わせた。 他はアナログLP3枚+12インチ仕様、ブック+2CDのデラックス盤仕様、通常盤の2CD仕様、と4形態(他にデジタルがあるが)でリリース。日本盤が出るのはCD2枚の通常盤のみ。ジョー・ストラマーは訳詞が読みたいので出れば国内盤を買っているが、今回は64ページのブックがどんなものか見たくてブック+2CDのデラックス盤を輸入盤で購入。国内盤でブック付きを作ってくれればよかったがなぁ。 注文したのはリリース日の少し前だったが、品切れだったのか届いたのは1ヶ月後だった。届いたブツはA4サイズのハードバック・ブックの裏表紙部分に2つの紙ケースに入れたCDを差し込んだ仕様。サイズがデカいが私のような既に老眼で細かい字が苦手になってる人には見易いか。ブックにはジョー手書きの歌詞(それも推敲の書き込みやイラストが描いてある)が掲載されていて、これは面白い。写真はあまり載っていなくて、レコード会社のプロモーション写真などで、あまり多くはない。まぁブック付きを買ってよかったかな。 収録された音源だが、CD1枚目はThe 101ersからメスカレロスまで既にリリースされた楽曲からクラッシュを除いて選ばれた20曲。 The 101ers「Key To Your Heart」、映画『シド・アンド・ナンシー...

PANTA & HAL『マラッカ』・『1980X』再現ライヴ

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PANTA&HALがリリースした2枚のスタジオ・アルバム、『マラッカ』と『1980X』の再現ライヴが11月1日ビルボードライブ大阪、11月3日ビルボードライブ東京で行われた。私は行っていないので、ネット上で幾つかレヴューを読んだが、雑誌「MUSIC STEADY」初代編集長のブログ「 Let's Go Steady―Jポップス黄金時代! 」のレヴューに詳しく書かれている。 レヴューの中で、“グランドピアノに黒布を被せ、その上には村上元二、中谷宏道、石田徹という、今は亡きメンバーの遺影が置かれ、振り向きながら”パンタがメンバー紹介をした、と書かれていたのが心にしみた。 私がパンタのライヴを見始めた頃(『SALVAGE』の頃)は中谷宏道がベースで、渋いいで立ちで渋いベースプレイを聴かせてくれた。好きなベーシストだった。 右上の中谷宏道の写真はアルバム『16人格』インサートより。 それにライターの吉原聖洋も亡くなっていたのか...。パンタの詩集「ナイフ」の解説や1992年のパンタのアルバムCDリイシューで多くのアルバムのライナーノーツを書いていたのが記憶に残っている。紙ジャケ買ってもこのライナーノーツがあるからCD手放せないんだ。