投稿

私の放浪音楽史 Vol.33 THE ROOSTERS『THE ROOSTERS』

イメージ
1980年11月25日、日本コロムビアよりリリースのアルバム。 前回の『à-GOGO』に書いたFMライブで特に「ロージー」が気に入った私はさっそく同曲が収録されているルースターズのファースト・アルバムを入手。といってもやはり誰か持っている人に借りたんだと思う。 まずジャケットに目がいく。大江の剃った眉、花田のコンポラスーツ、井上の白いエナメルのシャープシューズ、池畑の髭と黒いサングラス。3人は吸いかけの煙草を手に、大江は地面に埋めたセメント袋に上に立ち、後ろの井上と池畑の足の開いたポーズは何がしかの主張を感じる。だけど大江の黒いスーツは三つ釦でシャツはボタンダウン。三つ釦のスーツは当時一般的じゃなかったし、ボタンダウンシャツとの組み合わせも英国モッズ的というか、初期ストーンズ、キンクス、フーなどのブリティッシュ・バンドのファッション・スタイルを思わせる。他の3人もスーツにネクタイ着用。ストーンズのセカンド・アルバム『No.2』のジャケットに東映ヤクザ映画のムードを混ぜたような仕上がり。いわゆるツッパリ/ヤンキーとは一線を画してはいるものの、廃工場(と思われる)でのロケーション、壁にスプレー書きしたバンド名、歌詞カードにはバイクに集うメンバー(中指立てている人もいるし)の写真、アナログ盤の歌詞カードに記載されていたメンバープロフィールには好きな服装の質問に“特攻服”と答えているメンバーが1名いることから、ファースト・アルバムの帯キャッチコピー“腑抜け野郎の脳天をたたき割れ!!”に違わぬキケンな雰囲気を漂わせてはいる。 収録曲でカヴァーは4曲。エディ・コクランのカヴァー「カモン・エブリバディ」はシド・ヴィシャスの歌うビストルズのヴァージョンで聴いて知っていたが、ルースターズはスピード感とタイトさが魅力。この曲のカヴァー・ヴァージョンは数多くあると思うが、このルースターズ・ヴァージョンは最高の部類に入るだろう。サーフイン・ホットロッド系のインストグループ、チャンプスのカヴァー「テキーラ」はもちろん聴いたことがなかった。この曲もジャキジャキしたギター・カッティングと締まったリズムで、アルバムのイントロダクションとしての効果も大。ボ・ディドリーの「モナ(アイ・ニード・ユー・ベイビー)」はストーンズ・ヴァージョンが下敷きだが、私はクラッシュの“No elvis, beatles...

私の放浪音楽史 Vol.32 THE ROOSTERS『THE ROOSTERS à-GOGO』

イメージ
1981年6月25日、日本コロムビアよりリリースのアルバム。 ルースターズのレコードを始めて聴いたのはセカンド・アルバムだった。たぶん友人のKBちゃんに借りたのだろう。同じころ出ていたアナーキーの『亜無亜危異都市』を貸しレコード屋で借りて、一緒にカセットに録音した覚えがある。 当時はアナログA面の「One More Kiss」や「Girl Friend」のスウィートな感じが、んー、ちょっとなぁという感想だったが、B面「Dissatisfaction」からの流れが好きだった。まぁ同時にカセットに録音したアナーキーも聴きつつ、他のバンドと同じようにルースターズも特別贔屓にしているバンドというわけではなかった。 ある日友人からまわってきたカセットにはFMのライヴ録音が収められていて、A面にはモッズのライヴ、B面にはルースターズのライヴが録音してあった。ルースターズのライヴは「ロージー」、「Dissatisfaction」、「Fade Away」、「Do The Boogie」の4曲だった。後にこの録音は『The Basement Tapes~Sunny Day Live At Shibuya Eggman 1981.7.14』として完全版がリリースされるエッグマンでのライヴなのだが、当時はこのライヴがいつ、どこで録音されたのかもわからなかった。 “まぼ、まぼろしのシングル”と紹介して始まる「ロージー」のコーラスを効かせた花田のギター・プレイはファンタスティックで、池畑のドスドスと突き進むリズムも迫力満点。大江の少ししゃがれてるけど艶のあるヴォーカルも魅力的だった。セカンド・アルバム収録の2曲「Dissatisfaction」と「Fade Away」のライヴはドライヴ感を増しているし、「Do The Boogie」の混沌とした演奏にも惹き込まれた。 『à-GOGO』がリリースされた当時、大江はよく自分達の魅力を“最新型ロックンロール”と口にしていたが、確かにこんなに格好良いRock'n'Rollを演奏しているバンドは稀有な存在だ。スリーコードを使った曲でもこれだけの表現力があり、スピード感があり、スリリングな瞬間を作り出せる、しかも迸る新鮮さと腰の据わった落ち着きをも兼ね備えている。とにかく4曲のFMライヴ、これが私をルースターズの虜にし、スペシャルなバンド...

私の放浪音楽史 Vol.31 ARB『BAD NEWS』

イメージ
1980年5月ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 1980年代の初め頃になると私のまわりではそれまでフライングVを持ってマイケル・シェンカーのコピーをしていた友人達は、ジャズ・マスターにギターを変えARBの「TOKYO CITYは風だらけ」を演奏するようになっていた。そのソリッドなロックンロールと日本語で歌われる1980年を生きる若者達に向けた歌詞の描写は新鮮で、私達にとってはこれが今の・等身大のロック・歌なんだと受け取られていたと思う。 当時雑誌に掲載されていたARBのメンバーの写真はナイフのようにシャープだった。校則に逆らって伸ばしていた髪は短く刈った。ブラックジーンズにハイカットのコンバースを履き、Tシャツに古着か親父の古ぼけたジャケットを着るのが普段着になった。 私が聴いてきた日本のハード・プログレ、東京ロッカーズ周辺とは違った流れにある博多・北九州周辺のバンドとしてはARBを最初に聴いたのではないか。もっともARBは東京の音楽事務所主導で作られた企画バンドだった。当時少女達に絶大な人気のあったスコットランドのアイドル・バンド、BCR(ベイ・シティ・ローラーズ)の日本版として1977年の春頃に作られたバンドで、BCRに似せて頭文字がARBになるようにアレキサンダー・ラグタイム・バンドというバンド名も決まっていた。またメンバーもアルバム『バッド・ニュース』リリース時で言えば、石橋凌は久留米、田中一郎は博多と九州出身だが、ドラムのキースは秋田出身、ベースのサンジは大阪出身なので、九州から出てきたバントとは言い難い。それでも凌と一郎はARBのコンポーザーであり、凌は作詞作曲、一郎は作曲とサウンド・クリエイトのリーダーとしてARBの核となる部分を担っていた事から、九州という地方色は出ていたと思う。ARBを聴き始めた時にはそんなメンバーが九州出身とか気にもしなかったけど。 1979年10月、パンクにヤラレたメンバーはアイドル・バンドを強要し続ける所属事務所を飛び出す。5人だったメンバーは石橋凌、田中一郎、キースの3人になった。その3人でシングル「魂こがして c/w TOKYO CITYは風だらけ」を録音、1979年12月にリリース後、ベースに野中“サンジ”良浩が参加、再出発となるアルバム『バッド・ニュース』は1980年5月にリリースされた。 針を落とす...

BLUE RONDO A LA TURK「CHANGE」

イメージ
2014年6月チェリーレッドよりリイシューのアルバム『Chewing The Fat -Deluxe Edition-』より。 このアルバム『チューイング・ザ・ファット』のオリジナルがリリースされた1982年(邦題は“踊れば天国アイアイアイ”だった)、 ブルー・ロンド・ア・ラ・タークというバンドには全然興味なく聴くこともなかったのだが、後々どこかの雑誌でルースターズのメンバー(井上富雄だったかな…)が好きだとか良く聴いてるとかいう記事を読んで、聴いてみたいなと思いつつ中古レコードに巡りあうわけでもなく(まぁ熱心に探していた訳でもないのだが)未聴になっていた。どうやらオリジナル・リリースから長らくCD化もされていなかったようで、今年2014年チェリーレッドより2枚組デラックス・エディションとしてリリースされた。 1980年代の初頭に短期間だがファンカラティーナというムーヴメントがあったが、当時ニュー・ウェイヴに興味はあったものの、ややダークな方向、もしくはギター・ポップ的な方向へ向いていたので、 “ファンクとラテンのニュー・ウェイヴ”を積極的に聴くということはなかった。 「Change」はアルバムの1曲目に収録されている曲で、ベースラインが強力なファンク・ラテン・ナンバー。 “チャ・チャ・チャ・チェンジ!”という掛け声も印象的。ギターの繊細なというか小技的なバッキング/カッティング・プレイやホーン、ピアノ、パーカッションやコーラスの効果的な使い方はクールで、今の耳で聴くとなるほど英国産だと思わせる格好良い仕上がりだ。ピアノソロのスリリングなプレイ、サックスソロの高揚感は素晴らしい。この曲のブロデュースはマイク・チャップマン。ボーナストラックではリミックス・ヴァージョンの「Changeling」も聴ける。 ファンキーなベースラインと陽気なラテン・フレイヴァーにイギリス特有の洒落たクールネスは、この曲だけでなく「I Spy For The FBI」(Jamo Thomasのカヴァー)、「Coco」や「Carioca」といった曲でも感じられ楽しめるアルバムだ。ボーナストラックのシングル曲も良い。全体的に聴いて感じるのはファンカラティーナも英国モッズの流れにあるということだ。 この再発されたデラックス・エディションはオリジナル・アルバムにシングル曲やシングルB面曲を収録したデ...

私の放浪音楽史 Vol.30 BLONDIE『THE BEST OF BLONDIE』

イメージ
1981年10月クリサリス・レコードよりリリースのベスト・アルバム。 NHKの“ヤング・ミュージック・ショー”という番組でブロンディとストラングラーズのヴィデオ・クリップを特集して放送した回があった。ネットで調べてみると1980年12月に放送されている記述がある。この番組では1時間近く両バンドのヴィデオを流していて、外国のロック・バンドはシングル曲毎にプロモーション・ヴィデオ(当時はこういう言い方も知らなかった)を作ってるから特集番組が出来るんだなぁ、と感心したものだ。それにこの番組、テレビとラジカセを繋いでカセット・テープに録音 した記憶がある。当時ヴィデオ・デッキはもの凄く高かったのでうちにはなかったし、まとめて両バンドのシングル・リリース曲を繰り返し聴きたかったのだろう。 それから1年近くたってリリースされたブロンディのベスト・アルバム。 ストロボを持つデボラ・ハリーの白いドレス姿とバックに写るブルーの空が眩しいジャケット。クリス・スタインの右手の先も気になるけど、男たちは揃ってコンバースを履いているのもこの頃を象徴しているか。私も長い間愛用していましたよ、ハイカットのコンバースを。今じゃウォーキング・シューズだけど…。 このアルバムは輸入盤(あたりまえだけどアナログ盤)で購入。先のカセットじゃ音質的にも良くなかっただろうから、リリースされてすぐ購入したんじゃないかな。なにしろアメリカでのNo.1ヒットが「Heart of Glass」、「Call Me」、「The Tide Is High」、「Rapture」と4曲も入ってるし、他にも本国でヒットしなかったが、イギリス等でヒットしたシングル曲を含む。 US盤とイギリスやヨーロッパなど他国盤(インターナショナル盤)では収録曲の違いがある。私の持っているのはUS盤で「One Way or Another」がB面2曲目に収録されているが、他国盤にはこの曲は収録されておらず、代わりに「Denis」、「Picture This」、「Union City Blue」が収録されていて14曲入りとなっており(US盤は12曲入り)、曲順も異なる。当時発売された日本盤も他国盤と同じ仕様。国によってこれ以外の収録曲の違いがあるようだ。 ブロンディはバンドの始まりがCBGBと関係が深いからニューヨーク・パンクにカテゴライズされてい...

THE BLUEBELLS「EVERYBODY'S SOMEBODY'S FOOL」

イメージ
2014年7月リリースのコンピレーション・アルバム『Exile On Twee Street / Songs From Glasgow 1980-1982』より。 ブルーベルズがメジャー・デビュー前に録音していたレア・トラックを集めたアルバムがリリースされた。1981年12月にポストカード・レコードからシングルをリリース予定だったというブルーベルズ。結局ポストカード・レコードは1981年8月のアズテック・カメラのシングル・リリースを最後に活動を停止してしまい、ブルーベルズはメジャーのロンドン・レコードと契約、1982年にデビューすることになる。 このレア・トラック集はブルーベルズがポストカードからのリリースに向けて行っていたとも言える初期のデモ・リハーサル音源集で(「Happy Birthday」はブルーベルズの最初のリリース音源であるファンジン付録フレキシ・ディスクからの収録、ヴェルヴェッツの「I'm Set Free」のカヴァーはライヴ・ヴァージョンでの収録)、曲毎のクレジットは無いが、ライナーのインタヴューによると、多くの録音は共同住宅の地下室を改造した4トラックの録音設備しかなかった“The Hellfire Club”という所で行われ、他にはケルビングローブ公園近くのスタジオ(16トラックの設備があった)やエジンバラのスタジオで録音されたという。後にアルバム『シスターズ』やシングルとしてリリースされる曲を含むが、これまで未発表曲だった「East Green」等も収録されている。 「Everybody's Somebody's Fool」はブルーベルズのヴォーカル、ロバート・ホッジンズのペンによるオリジナル曲で、ロンドン・レコードからのデビュー・シングル(1982年)の12インチに収められていたロビン・ミラー(EBTGやウィークエンド、シャーデー等を手掛けた) とコリン・フェアリー(コステロ等を手掛けた)がブロデュースしたヴァージョンと、バンド活動中唯一のオリジナル・アルバム『シスターズ』(1984年)に収録されたボブ・アンドリュース(ブリンズレー・シュウォーツやグラハム・パーカー&ザ・ルーモアで活躍)と コリン・フェアリーによるプロデュースのアルバム・ヴァージョンがこれまでリリースされていた。 今回このコンピレーションの1曲目に収録...

THE DREAM ACADEMY「SUNRISING」

イメージ
2014年7月リリースのベスト・アルバム『The Morning Lasted All Day - A Retrospective』より。 ドリーム・アカデミーのCD2枚組ベスト・アルバムがリリースされた。 3枚のオリジナルアルバムからチョイスされた曲と、シングルでリリースされたスミスの繊細なカヴァー・ヴァージョン「Please, Please, Please Let Me Get What I Want」、シングル・カップリング曲「Girl In A Million(For Edie Sedgwick)」、シングル・カップリング曲「The Demonstration」の未発表別ミックス、未発表曲は1989年サード・アルバム録音時のセッションから「Living In A War」と「The Chosen Few」、ジョン・ヒューズの映画『大災難P.T.A(原題:Planes, Trains & Automobiles)』に使われた「Power To Believe」のインスト・ヴァージョン、1984年にシングルB面用として録音されていた「The Last Day of The War」の4曲。 注目はニック・レアード=クルーズとギルバート・ゲイブリエルによる2014年新録音の「Sunrising」が収録されていることだ。反復するピアノの響きが美しく、歌声は優しくも力強い。ドリーム・アカデミー最大のヒット曲であり、このベスト・アルバムのタイトルとなった“The Morning Lasted All Day”という歌詞が含まれている「Life In A Northern Town」の第2章というか、この曲をリリースすることによって1990年に解散してしまい現在まで長い空白期間があるバンドの歴史 ~1985年と2014年~がひとつの円環となるような印象をもつ曲でもある。

JAJOUKA『ERECTROCK』

イメージ
2014年7月リリースのシングル。 日本脳炎~The Bacillus Brainsのギタリストだった、ヒノケンこと日野研志率いるJajoukaの3枚目となるシングルがリリースされた。 パーカッシブなブルースを追及した2011年のアナログ・シングル「Hellhound On My Trail c/w 僕と悪魔のブルーズ」、ファンク&ダンサブルな2013年のシングル『Joy』に続くものだ。今回はエレクトリック/テクノな手法が目立ち、更なるJajoukaの進化を聴くことができる。ニュー・シングルのタイトルは『Erectrock』。“Electro”じゃなくて“Erect”、“Pop”じゃなくて“Cock”でもない“Rock”。うーむ捻りが効いているのだろうか、そのままなジャケットではある。歌詞カードのグラフィックに使われている映画の“Westworld”っぽいイラストの方がカッコよかった思うけど、こっちの方がインパクトあるかな。ファーストシングルに収められていた「僕と悪魔のブルーズ」の再録を含む3曲入り。ドラムが一人抜けて3ピースとなっているようだ。 「Dry」は遊びたりない乾いた気持ちを歌った“早くしなきゃ朝が来る/早くしなきゃ世が明ける”っていうフレーズが鋭いダンス・ナンバー。6分余りの長さを感じさせない様々なサウンドが詰め込まれたJajoukaのニュー・センセーションな1曲。「真夜中のシークレット」はオートチューンを使用したと思われるヴォーカルが特徴なポップ・チューン。世知辛い都会暮らしを “窮屈な時を(TOKIO)過ごしているよ”という言葉遊びも面白い。再録された「ボクと悪魔のブルーズ」も原曲のポップさを更にブラッシュアップさせたアレンジで聴き易くなっている。ちょっと線の細いヒノケンのヴォーカルもリリースを重ねる毎に良くなり楽曲に合ったものとなってきていると思う。

私の放浪音楽史 Vol.29 AUTO-MOD『LOVE GENERATION』

イメージ
1981年4月テレグラフ・レコードよりリリースのシングル。 ジュネ率いるオート・モッドのファースト・シングル(EP)にして、テレグラフ・レコードの第一弾リリース。A面には「Love Generation」と「ポルノ雑誌の女」、B面には「Horror」の全3曲入り。初回プレスのみで1,000枚を売り切ったという。 1曲めの「Love Generation」は冒頭ジュネにレーガン大統領(アメリカ大統領・1981年に就任したばかりだった)から電話がかかってくる、というシチュエーションで始まる。 (英語で)“ハロー、ジュネか?”、“お前誰だ?”、“くそったれ大統領のレーガンだ”、“レーガン?人でなしのファシストめ!”みたいなやり取り。この会話の部分はヴァクセルバルグが1991年『シングルス』(WCD-17)でCD化した際にはオミットされている。この会話あった方が面白いと思うんだけど。その後のCD収録ではどうなっているのだろう。 「ポルノ雑誌の女」は、いつも見ているポルノ雑誌に載っていた女を偶然見かけ、後をつけて…という物語仕立ての内容で、ジュネ演じる猟奇的なジャケットに表現されている世界でもある。ビニ本全盛期・AV前夜の二次元残虐愛ソング。「Love Generation」はスカ、「ポルノ雑誌~」はマイナーな曲調で、どちらもパンク/ニュー・ウェイヴの味付けをしたGSチックな曲調。ジャケットも含め作為的でキッチュなところを感じさせる。 B面の「Horror」はヒトラーと思われる2分半に及ぶ演説の後、サックスをフューチャー、ザクザクしたギターがかっこいい、カオティックな魅力もある曲。戦闘のSEも入っている。掛け声の“ホラホラ”と“ホラー”をかけている訳だが、歌詞の内容は人々の記憶と世の中の記録から戦争の残虐さが消えていき、“Horror!恐怖がまた動き始めている”と再び戦争へと向かう動きを警戒し、 “戦いを恐れ憎め”、“恐怖を常に持ち続け/憎しみを持ち続け”と戦争とファシズムに対する憎しみを綴った秀逸な内容。ジュネの思想の原点だろう(最近のジュネのゴス日記では考え方の変化も読み取れるが)。管理社会における愛を取り上げたA面2曲も面白いけど、やや直接的な表現で前のめりなパンキーだけど全然勇ましくない「Horror」が当時も今も好きだ。

私の放浪音楽史 Vol.28 INU『メシ喰うな!』

イメージ
1981年3月ジャパン・レコードよりリリース。 PILのファーストとピストルズ『勝手にしやがれ』のイエローを意識しつつ余白を生かしたデザインに、町田町蔵の“飢えた”眼差しのモノクロ写真を使用したジャケットが鮮烈だ。鮎川誠『クール・ソロ』やサザン・オールスターズの猫ジャケ『タイニィ・バブルス』等を手掛けた、フォトグラフ・半沢克夫とデザイン・原耕一のコンビによるもの。 音楽評論家として活動していた鳥井ガク(賀句)は、1979年秋のウルトラビデとのセッションをした町田のステージや、1980年3月5日の新宿ロフトに出演したINUのステージ(“東京サイキッカーパラダイス”他に絶対零度、パラデントフェイスが出演)を見て強烈な印象を受け、3月のライブ終了後に町蔵と会話を交わすようになり交流も始まる。この時の上京ライブには2月に発売されたばかりの自主制作オムニバス『ドッキリ・レコード』(INU、ウルトラ・ビデ、変身キリン、アルコール42%、チャイニーズ・クラブ収録)を携えたものだったが、鳥井はこのオムニバスに収録されたINUの楽曲を繰り返し聴く毎日をおくり、次第にINUのアルバムを世に出したいと願うようになる。彼はレコーディングに向け奔走、最終的に1980年に発足したばかりのジャパン・レコードを選択、バンドにとってもレコーディング環境・条件をより良いものに出来るよう準備し録音に臨んだ。 レコーディング時間はトラックダウンまで含め130時間を用意、機材費等として100万円を前払い、エンジニアの鈴木隆一にはINUの楽曲テープはもちろん、音作りの参考にダブやアンディ・パートリッジ、ポップ・グループなどのレコードを前もって渡しておいたという。かくして鳥井ガクのプロデュースのもと、池袋のサンライズ・スタジオにて1980年10月17日にレコーディング開始、11月22日にトラックダウン終了という期間で制作され、1981年3月1日にリリースされた。 デビュー・アルバム録音時のメンバーは町蔵の他、ギター北田昌宏、ベース西川成子、ドラム東浦真一というフォーピース。INUは1978年末には結成されているが町蔵の他はメンバーチェンジが度々あり、この4人が最終メンバーだ。ギターの北田はアンミュージックスクール・ギター科で学費免除の特待生、変身キリンのオリジナルメンバーでもあった。この北田のずば抜けた演奏力・...

木梨憲武+忌野清志郎「ガンバレ日本」

イメージ
2002年リリースのシングル。 2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会。決勝戦はドイツ VS アルゼンチン。スペインやイタリア、イングランドのグループリーグ敗退、コスタリカやコロンビアの躍進がサプライズだったが、やはり決勝戦に上がってくるのはワールドカップ優勝経験国。開催国ブラジルは失速、オランダとの3位決定戦にも敗れてしまった。日本時間の7月14日朝には優勝国が決まる。 今回取り上げたのも時を遡り、2002年日韓ワールドカップの時に木梨憲武がホストをしていたフジテレビのバラエティ番組から企画された応援歌。番組内では2002年4月19日にオンエアされているようだが、CDとしては同年6月12日にリリースされた。 「ガンバレ日本」の作詞は木梨と清志郎、作曲は清志郎。この頃の清志郎はLOVE JETSとしての活動をしていた時期でもあるので、LOVE JETSに変名で参加していたKANAME(ベース、キーボード、プログラミング)と阿部耕作(ドラム)によって録音されている。もちろん清志郎はヴォーカルとギターだ。但しメインのヴォーカルは木梨といえるだろう。加えてバッファロー・ドーターの大野由美子がミニ・モーグで参加している。 曲としては、まぁ木梨憲武がプロデューサーとしてクレジットされていることから、全体的な主導というかカラー/雰囲気は木梨憲武色が強いかな、と。清志郎はサウンド・プロデュースとしてクレジットされているので、演奏はタイトでTHE WHOライクでワイルドな仕上がりだ。 カップリングには2002年日本でのワールドカップ開催決定から心配されていた“フーリガン”を題材にした、なかばコミック・ソングの「フーリガンがやって来るヤーヤーヤー」を収録。こちらも作詞は清志郎と憲武、作曲は清志郎、KANAME、阿部がクレジットされたガレージ・パンク・テイストな仕上がりの曲。清志郎と木梨のダブル・ヴォーカルといえるが、木梨の語り部分がどうにもいただけない。現実の笑い事では済まない深刻なフーリガン被害を未然に防ぐため、2002年のワールドカップにあわせて出入国管理及び難民認定法にフーリガンの上陸を拒否したり強制退去させる条項が追加された。 「ガンバレ日本」、「フーリガンがやって来るヤーヤーヤー」ともにインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されていて、こちらはメインのヴォーカル...

ENGLAND UNITED「(HOW DOES IT FEEL TO BE) ON TOP OF THE WORLD」

イメージ
1998年リリースのシングル。 2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会はベスト4が出揃った。ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、オランダ。ネイマールの残念な負傷もあった。どれもタフなゲームだった。 日本代表は6/27に帰国し1,000人が空港で出迎えたというが、イングランド代表の帰国にはたった1人なんて話題もあった。 さて私のCDラックから取り出したのは1998年フランス・ワールドカップのイングランドチーム公式ソングの 「(How Does It Feel To Be) On The Top of The World」。 アーティスト名は“イングランド・ユナイテッド”となっているが、Echo & The Bunnymen、Ocean Colour Scene、Spice Girls、Spaceのメンバーが参加したもので、なかなか(当時としては)豪華な布陣。英国のヒット・チャートでは健闘したものの、評判は良くなかったようだ。曲はイアン・マッカロクとジョニー・マーの共作。馴染み易いが平坦で装飾過多なポップ・ソング。前回取り上げたニュー・オーダーのような鋭さには欠けていると思う。ただヴィデオはモーフィングを使って面白く出来上がっているから、子供達に受けそうなイメージ。このヴィデオ込みでは楽しめる。ヴィデオを観ると、まだレス・パティンソンがいる!オーシャン・カラー・シーンからはサイモンのみ参加しているようだ。   “世界の頂点に立つってどんな感じ?”と繰り返す曲だったが、1998年のイングランド代表は決勝トーナメントの初戦アルゼンチンにPK戦の末敗れ姿を消した。

NEW ORDER「WORLD IN MOTION」

イメージ
1990年リリースのシングル。 2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会。日本代表の戦いは決勝トーナメントへ進むことなく終わってしまった。今後はザック・ジャパンの軌跡・総括、および裏話、暴露話なんかも出てくるだろうけど、なんだかんだ言っても楽しめたよ。日本にいてテレビ応援している私にとっては。監督・選手・スタッフにはひとまずお疲れ様。 でもブラジル・ワールドカップはこれから決勝トーナメント。ライヴの試合時間は深夜・早朝だが、無理して起きれば早朝の試合は見ることができるし、ワールドカップ・デイリーな番組でスーパープレーが毎日夜の番組で見られる。お楽しみはこれからだ。もう少しサッカー関連のディスクを取り上げるか。 といっても今年のものではなく、私がまだサッカーというかスポーツそのものにほとんど関心のなかったころに買ったニュー・オーダー「World In Motion」で、1990年ワールドカップ・イタリア大会・イングランド代表の公式テーマ曲。 リリースされた1990年当時日本盤でディスクが出れば買う、くらいは気に入ってたニュー・オーダー。だからサッカーに興味なくても買った。というかこのグループはこういう企画ものも出すんだ、という感想。私が持っているのは日本コロムビアからリリースされた日本盤CDシングルで、リミックスを含め4ヴァージョンが収録されている。 クールでダンサブルなビートにのって、 “自分自身を表現しろ スペースを作り出せ” で始まるフレーズもいい。当時のイングランド代表ジョン・バーンズがラップで参加している。ニュー・オーダーのシングルとしては初めての全英No.1となった。 このダンス・チューンはイギリスでは長く愛聴されているようだし、2002年日韓ワールドカップの時にイギリスではシングルとして再リリースされている。私にとってはイギリスのロック・バンドとサッカーとの深い関係、まぁイギリスのバンドマンはサッカー好きということを知った1曲かな。 私がサッカーというスポーツの面白さに目覚めたのは、このシングルがリリースされてからしばらくして、Jリーグが始まった1993年。サッカー日本代表の試合やサッカーに限らずオリンピックなどのスポーツ大会を見るようになるのもJリーグの始動がきっかけだった。日本代表のテーマも日本のロック・リスナーをうならせるアーティストに作っ...

椎名林檎 「NIPPON」

イメージ
2014年6月リリースのシングル『Nippon』PV。 2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会。“日本のサッカーで世界を驚かす”と大会トップへの道を高らかに掲げてきた日本代表がグループリーグ1分け・1敗で6月25日グループ最強のコロンビア戦を迎える。もはや勝利しかない。勝ってもグループリーグ突破にはもうひとつのギリシャVSコートジボワール戦の結果に影響される。しかし先ず第一条件は得点をあげ勝つしかないのだ。崖っぷちの日本代表にこそ、今こそ、この歌はむけられている。 この歌はもはや応援歌ではない(“フレー・フレー”と歌っているのだから応援をしているのだが)。応援歌のスタイルを取りながら、その奥には日本代表へ突きつけた刃の如き鋭さを持っている。まるでこうなるのを見越していたかのように。椎名林檎から日本代表への挑戦とも思える内容だ。  "噫また不意に接近している淡い死の匂いで  この瞬間がなお一層 鮮明に映えている  刻み込んでいる あの世へ持って行くさ  至上の人生 至上の絶景” ピッチという最前線に立つアスリート達の必死の戦い(それは日本代表に限らないし、サッカーというスポーツに限らない)。その中で感じる孤高ともいえる一瞬の気分をすくい取った歌詞に果たして現実の日本代表は近づけるのか。 強靭なアタックでボールを奪い、高速のスピードでボールを操り、パスをつなぎ、走り抜けてゆくオートマティズムの先にあるゴールという“爽快な気分”は、無垢で混じり気のない、そして気高い日本のサッカーができた時に決まる。そこで勝利は待っている。 …と書いたけど、泥臭いゴールでいいよ。泥臭い勝利でいいから、勝ってグループリーグを抜けてくれ。

EGO-WRAPPIN' 「NEON SIGN STOMP」

イメージ
2014年5月リリースのシングル『Bright Time』より。 今年の4月から始まったオダギリジョー主演のTVドラマ『リバースエッジ 大川端探偵社』は約40分程の放送時間で、さりげない人間の情や欲、サニーサイドやダークサイドを描いていて、 時にはオチがあるような無いような回もあるけど、それがかえって良かったりして楽しく見ている。いまのところ探偵ものにありがちな殺人事件や警察との関係が無いのもいい。メインの俳優陣も良いし、毎回面白い依頼を探偵社に持ちかけてくる依頼者も(ほとんどは知らないけど)味のある俳優が演じている。原作のコミックも読んでみたいな。コミックは増やさないようにしているのだけど…。 このドラマのオープニング・テーマとなったエゴ・ラッピンの「Neon Sign Stomp」が番組にジャストフィット。浅草を舞台にしたドラマのような俗っぽく猥雑な雰囲気を持ちつつ、洗練されたメロディーとちょっぴりスパイ映画的な味付けを加えモノラル録音で仕上げた極上の主題歌だ。発売されたシングルには、このドラマのエンディング・テーマでマシーナリーなリズムと深いエコーのかかったギターと中納良恵のヒューマンなヴォーカルが素敵な「サニーサイドメロディー」とジャジーな劇中歌「太陽哀歌(たいようえれじー)」に、「パンドラの箱」を収録した4曲入り。 「Neon Sign Stomp」はミュージック・クリップも工事現場に使用する作業灯というか保安灯というかを使ったパフォーマンスがかっこいいので是非一度。 

私の放浪音楽史 Vol.27 THE CLASH『BLACK MARKET CLASH』

イメージ
1980年10月Nu Disk/Epicよりリリースのコンピレーション・アルバム。 当時アメリカのみでリリースされた編集盤。内容はイギリスのみで発売されていたシングルB面曲、アメリカでのアルバム未収録曲、未発表曲、フリー・シングル収録曲を集めている。前回紹介したYMOの『増殖』も10インチだったが、このクラッシュのコンピも10インチ・アナログ盤だった。ずらっと並んだ警官隊を前にしたドン・レッツの後ろ姿(1976年ノッテングヒル・カーニヴァル暴動のときに撮影されたもの)、マカロニ・ウエスタン・ライクな書体のバンド名、ブラウンの画面とブルーの文字のジャケットは緊張感がある優れたデザイン。このレコードを手に入れた時には10インチ盤は私の中で特別なものになった。ちょっとインテリア・サイズな感じがいい。 イギリスの音楽紙ニュー・ミュージック・エクスプレス(NME)に付けられたクーポンとクラッシュのファースト・アルバムに付けられたステッカー(初回プレスの10,000枚に付属といわれている)を送るともらえたEPに収録されていた最初期のパンク・ロック「Capital Radio One」、 シングルB面曲でミックが歌う「The Prisoner」、トゥーツ&ザ・メイタルズのレゲエ・ソングをスピード・アップしたカヴァー「Pressure Drop」、アメリカ・リリースのファースト・アルバム(日本でいう『パール・ハーバー'79』) には未収録だった荒々しいパンク・ロック「Cheat」、シングルB面曲でサックスが印象的に使われている「City of The Dead」、リハーサルやウォームアップ等で演奏していたというブッカー・T&MG'sのカヴァー「Time Is Tight」。ここまでがアナログA面。 B面はレゲエ/ダブで、1980年8月にイギリスでシングル・リリースされた「Bankrobber」と、その12インチに収録予定だった(結局はリリースはされず) 「Bankrobber」のダブ・ヴァージョン「Robber Dub」をつなげた「Bankrobber/Robber Dub」、シングルB面曲でウイリー・ウイリアムズのレゲエ・ソングをアクセントを強調しソリッドにカヴァーした「Armagideon Time」、 そのダブ・ヴァージョン「Justice Tonig...

私の放浪音楽史 Vol.26 YELLOW MAGIC ORCHESTRA『増殖:MULTIPLIES』

イメージ
1980年6月アルファよりリリースのアルバム。 洋楽ではストラングラーズ、クラッシュ等、邦楽ではリザード、ヒカシュー、パンタ等を聴いていた1980年頃。世間的にヒットしていたのはYMOだった。1979年リリースの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に収録されている「ライディーン」はシングル盤でもリリースされ大ヒット。当時はこの曲にあわせて踊るのが流行ってた。原色の竹の子族的な衣装で、長い鉢巻とかして。高校の運動会とかでもこの曲を使って踊って応援してる人がいましたよ。そういうのを見るのが嫌だったし、それでYMOは当時聴かなかった。聴こうとしなくても耳に入ってきたけど。『ソリッド・ステイト~』もファーストのUS版もどこかで聴いていた(ファーストUS版のジャケットは好き)。 このアルバム『増殖:Multiplies』は面白いギャグが入ってるからって借りた覚えがある。アナログ・リリース盤は10インチで、このサイズが変わってるなと思ったが、その10インチのジャケットを12インチサイズにあわせるため段ボールで外枠を作ってるのも奇妙だった(ずらり並んだ人形のジャケも)。 そんな訳で『増殖』を借りたものの音楽は特に興味がなくまともに聴くこともせず、“スネークマン・ショー”と題された幾つかのギャグ/コント目当てだった。小林克也と伊武雅刀のやり取りが爆笑というかニヤリな内容だった。英語コンプレックスを題材にしたものや、 “開けろ!” “だ・だあ~れ~?”が流行った警察ネタもの、林家三平のパロディ(中国での落語公演、時間差爆笑)、なんといってもロック評論をネタにした“良いものある、悪いものもある”が最高だった。普遍的な内容だ。 だけど後々あらためて楽曲を聴き素晴らしいと思った。プラスティックでエロティックでゴシックな歌詞に時事ネタを織り込んだポップな「Nice Age」、アーチー・ベル&ザ・ドレルズのカヴァー「Tighten Up (Japanese Gentleman Stand Up Please!)」はスカを意識したグルーヴィーな演奏もさることながら、キテレツな小林克也のヴォイスも面白い。ソリッドで近未来的なイメージの「Citizens of Science」、シャープなスカの「Multiplies」(「荒野の七人のテーマ」がモチーフに使われている)。この4曲はどれも大村...

私の放浪音楽史 Vol.25 頭脳警察『誕生』

イメージ
1973年4月ビクターよりリリースのアルバム。 PANTA&HALのライヴ『TKO NIGHT LIGHT』を聴いた後、スタジオ・アルバム『マラッカ』、『1980X』と聴き進み、当然頭脳警察はどんな音なんだ、と興味がわいてくる。この頃、1980年頃には自主盤の『ファースト』はもちろん、『セカンド』と『3』も手に入るような状態ではなく、近所のレコード屋で唯一売っていた頭脳警察のアルバムは『誕生』だけだった。たぶん当時でも注文すれば『仮面劇の~』と『悪たれ小僧』は手に入ったと思うが。 初めて聴く頭脳警察のレコードにしては『誕生』は少々地味すぎるかもしれない。ジャケットは真っ黒な地に銀色で歌詞が印刷してあるだけ、アーティスト写真もなし。見開きジャケの内側には拳と足のイラストというかデッサン画。それよりなにより相棒のトシがこのアルバムには不参加なのだ(だからアーティスト写真がないのも当然か)。これまでの“過激で政治的な”頭脳警察のイメージから転換を図るためスタジオでの制作に力を入れようと考えたパンタは、トシに正確なリズム・キープを要求するが“俺は機械じゃねぇ”と言ってトシは頭脳警察を離れていってしまう。そこでドラム田中清司、ベース式部秀明というスタジオ・ミュージシャンに演奏を依頼、キーボード・プレイヤー及び大きく導入されたストリングスのアレンジも含め馬飼野康二がアレンジャーとして参加し制作された。なおクレジットは無いがギターに水谷公生が参加、「鹿鳴館のセレナーデ」には石間秀樹が参加しているという(『結成40周年記念BOX・無冠の帝王』ブックレットより)。 パンタがこれまでに書き溜めていた楽曲が選ばれ、抒情的なバラードの側面に光が当てられた内容となっている。ハードなロック色は抑えられてアコースティックな仕上がりの曲が多い。 フルートがフューチャーされてドラマチックな構成の「悲しみにつつまれて」や、後々長くライヴでも取り上げられるイメージ豊かな「詩人の末路」、退屈な雰囲気がよく出ている「もうあきた」、高校時代にテスト用紙の裏に詩を書いたという「鹿鳴館セレナーデ」(詩集『ナイフ』にはアルバムでは歌われていない3番の歌詩が収録されている)、ゲーテの詩に曲をつけた7分を超える荘厳な「心の落ちつき失せて」。この5曲がスローなバラード。えぇ買いましたよゲーテの詩集を。それからヘッ...

私の放浪音楽史 Vol.24 PANTA & HAL『TKO NIGHT LIGHT』

イメージ
1980年10月5日フライング・ドッグ/ビクターよりリリースのライヴ・アルバム。 パンタの音楽を初めて聴いたのはおそらくこの2枚組のライヴ・アルバムだったと思う。もしかしたら当時出来はじめていたレンタル・レコード店で借りたかも。 このアルバム聴いたら虜になるよね。頭脳警察解散後ソロ~この時までの代表曲を選曲(と当時未発表の6曲)した全16曲のダブル・アルバム(CD化の際1枚にまとめられた)。アルバムの冒頭、曲がはじまる前の指慣らしのような何気ないギターやベースの音にもスリリングな雰囲気を感じる。1980年という時代のページがひとつめくられて、20世紀末へのカウントダウンが静かに始まり、日本の世相にとどまらず、世界の地図が動き出す予感と、 “HAL”というグループ名のもとになった21世紀への新たな冒険への期待と熱気をパッケージしたドキュメントでもある。 東京・日本青年館で行われたライヴが録音されたのは1980年7月16日でPANTA&HALとしては活動末期にあたる。バンドは1981年2月に解散してしまう訳だが、パンタが音楽方向性についてバンドのメンバーと移動中の新幹線の中で一対一の“面接”をするのは5ヶ月後の1980年12月。1981年1月早々に持たれたミーティングでパンタからバンドメンバーに解散が伝えられたという(『PANTA&HAL BOX』付属ブックレットより)。この時間の経過を見てみると、7月のライヴ・レコーディング時に“解散を前提とした記録”という意味付けはなかったと思う。『マラッカ』、『1980X』と2枚の傑作スタジオ・アルバムを世に問い、メンバーを変えながらも時代と時代の音楽に対峙してきたバンドの集大成として、また次へのステップ・通過点、一夜の記録として聴いてもらいたいと思う。 PANTA&HALの活動初期から演奏されていたテーマ曲「HALのテーマ」、オリジナル・メンバー今剛在籍時に作られたファンキーな「羅尾」、 次に制作される予定だったHALのアルバム『クリスタル・ナハト』に収録するはずのドイツを舞台にした「フローライン」、TOKYOでもなくTOKIOでもなくTYOでもなく“TKO=東京”の都市の風景、それも都市にテクニカル・ノック・アウトされた、かなり殺伐とした風景ばかりを切り取った歌詞と成田空港にまつわる逸話をあわせこんだ、...

私の放浪音楽史 Vol.23 MOMOYO & LIZARD!『SA・KA・NA』

イメージ
1980年7月ジャンク・コネクションよりリリースのミニ・アルバム(コンパクト盤)。 日本で作られた自主制作のレコードを手にしたのはこのモモヨ&リザード名義の『サ・カ・ナ』が初めてだったんじゃないか。シングル盤と同じ7インチ・レコード盤で回転数は33 1/3rpmなので、当時はミニ・アルバム(コンパクト盤)と呼ばれていた。折りたたんだポスタースリーブのジャケットにはモモヨの写真と歌詞、水俣病に関する写真や資料一覧、連絡先も記されていた。プロデュースはモモヨで、“This Mini Album Not Produced By J.J.Burnel”と記載がある。A/B面に1曲ずつ収録されていて、A面はDJスタイルと題されたヴォーカル入りのヴァージョン、B面はDISCOスタイルと題されたパーカッションなどを強調したダブ・ヴァージョンとなっている。 モモヨの自伝的著作『蜥蜴の迷宮』にモモヨが「サ・カ・ナ」という曲の構想を思い浮かぶ場面が出てくる。シングル「浅草六区」のジャケットに使用する写真のロケーションに出かけたバスの中で、車窓から見える東京の灰色の空と、バスに乗る虚ろな瞳の人々にサカナの目を想起したとき、数日来考えていた水銀や廃棄物によって汚染された海が、漁師たちの垂れる釣り針を待て、とサカナ達に語り掛ける“海の復讐”というテーマと結びついた、と書いている。 “不知火”(八代海沿岸)と“水銀”という言葉を使ったのは“おおかたの人がそれ(水俣)を忘れているからだ”と記しているが、ただ水俣の公害を取り上げたわけではなく、蜃気楼揺れる都会の底で毒を蓄えて機会を窺っている“ボクタチサカナ”をも表したかったのだろう。 繰り返すキーボードのフレーズとベースライン、フェイジングしたハイハットのビート、コラージュしたようなギターのサウンドを聴いた時には新鮮な驚きを感じたものだ。特にB面のDISCOスタイルのダブ・ヴァージョンはモモヨの奇怪な叫びと共に強烈な印象を残した。今ならポスト・パンク的なサウンドと言えるが、当時これを聴いたときはまだPIL『Metal Box』やポップ・グループ『Y』なんかは未聴だった。それに水俣病という具体的な社会的事柄を歌詞に込めるというのも印象的で、クラッシュ等の海外のパンク・バンドと同様に日本のバンドもポリティカルな楽曲を作れるんだと思ったものだ。 レコー...